リーンバック2.0 進む“読書スタイル革命”

iPad の製品発表を覚えているかな? だれも iPad のスペックや性能について語ってはいなかった。ソファに寄りかかっている図を記憶しているだけだ。それこそ Steve Jobs が傑出した点だった。
「iPad は大きなスマートフォンなのか、あるいは小さなノート PCなのか」。
人々が怪訝に思ったとき、Jobs はそんなことには答えなかった。「そいつは、くつろぐということだ」とだけ言ったんだよ(「The Economist: ‘Lean-back 2.0 is not the end of innovation in the media industry’」)。

こう熱っぽく語るのは、1843 年創業という老舗、米英で著名な週刊誌 The Economist の社主 Andrew Rashbass 氏です。
Economist 誌を中心とする氏の出版グループは好業績が伝えられています。
好調の理由は、まず広告収入、そして雑誌購読それぞれが順調なこと。なによりも明るい材料はデジタル版(Web、スマートフォン・タブレット版)が好評なのです。
同社では、印刷雑誌および書籍に加え、Economist.com をはじめとする一部ペイウォール型 Web サイトを運用し、さらに、iPhone・iPad・Andoroid、そして Kindle 向けアプリケーションを投入。
また、Facebook ページでは累計 100 万人がファン登録したとの発表もありました。
この結果、同社の印刷およびデジタル版を合わせた購読者が全世界で 150 万人(ABC 公査結果)となり、かつ、デジタル版購読者が印刷版購読者を上回るという、将来に明るい展望を持つメディアとしてリーダー的地位についているのです。

本稿では、将来への布石を着実に成功させつつある Economist 誌の戦略に注目します。

Rashbass 氏を筆頭にした Economist が打ち出すデジタルメディア戦略、その中核コンセプトは「リーンバック 2.0」というものです。これを冠したコーナーを Web サイトに設けるなど、なかなかの本気度ぶりが伝わってきます。
では、“リーンバック”とは何でしょうか? 「リーン(Lean)」は傾斜すること。つまり、リーンバックはうしろに傾くことを意味します。
Rashbass 氏が冒頭で、故 Steve Jobs 氏に言及した箇所に戻りましょう。
写真を見て下さい。ソファなどの背もたれに寄りかかりくつろいだ状態、これがリーンバックです。
対義語は“リーンフォワード”。前に傾く。すなわち、机などに身を乗り出しなにかに集中しているアクティブな状態を指します。
このリーンバック対リーンフォワードに、デジタル時代のメディアの行方を分かつポイントがあるというのが、同氏の主張なのです。

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記事「The rebirth of reading」より

Rashbass 氏曰く、もともと Economist など新聞(雑誌)の読書スタイルは、ソファで足を組んだりと、くつろぎつつ記事を精読(氏は“耽読”とまで形容します)するというものでした。
氏にとり、Economist 読者の知的読書スタイルはリーンバックであるとの強い確信があったのです。その認識の下でオンライン(Web)版を開設したところ、自分たちは大いに間違ったと率直に述べます。

オンライン版を通じて読者がどのように行動しているのかを調べた。年齢や地理的な条件に関係なく、世界で起きている様々な事象への知的な好奇心に充ち満ちたリーンバック読書スタイルは、Web にはまったく移行してこなかった。

しかし、そこには印刷版にない事業機会があったのだと言います。そこで、 Economist 誌とEconomist.com は別ものとして投資を行うことにしたのでした。

調査によれば、読者はオンライン版では脈絡なく散漫にコンテンツをつまみ食いしては、それを共有し語り合ったりしているようだった。
そのような次第で、われわれはオンライン版を、読者が単に訪れてきては情報をおとなしく受けとるだけでなく、読者間やわれわれとの間に結びつきをつくり、コミュニティの場とすべく開発した。
この構想は自分たちのWebサイトに止まらず、Web を横断し Facebook や Google+へと及ぶ広範なものとなった。

つまり、印刷版の読者のスタイルはリーンバックであり、他方オンライン版ではリーンフォワードであることを“発見”し、それぞれのスタイルに合ったメディアのあり方を強化してきたのでした。これらは、対照的な読書(読者)スタイルをなしており相互に補完的役割を果たしていると言うのです。

しかし、まず 2007 年に Amazon Kindle が、そして 10 年に iPad が世に送り出されて、印刷とオンラインというメディアをめぐる構図が変わった とRashbass 氏は述べます。「リーンバックへの回帰、リーンバック 2.0だ」。

iPad では彼らは Economist を2時間もかけて読む。これは印刷版を読む際の行動とまったく同じであり、オンライン版での読書スタイルとまったく異なっている。ソーシャルへの共有はしない。リーンバックして長文を読みふけるのだ。

これがリーンバック2.0というコンセプトが打ち出されるに至った文脈です。

現在、150万人にのぼる購読者がいる。100万人に到達するのに1843年から2004年までかかった。
次の5年以内には200万人に到達したい。その時までには読者の多くがデジタル版を読んでいるはずだ。そのためには自分たちの事業運営の多くを見直す必要がある。リーンフォワードなWebスタイルも含めて。

ここに至って筆者(藤村)を含めて読者は、ひとつの疑問に突き当たります。
タブレットの読書スタイルがリーンバック 2.0 だとして、それはかつての印刷版の読書スタイルへの単なる回帰を意味するのか? ということです。
Rashbass 氏のオピニオンを載せた記事をいくつか参照しましたが、リーンバック 1.0 と 2.0 の明確な差異を述べてはいません。
ただし、それに関わるポイントに触れた記事(「The rebirth of reading」)があります。併せて紹介しておきましょう。

デジタル(の読書スタイル)は、印刷版とのゼロサムゲームではない。デジタル版は新たな読書機会をもたらすものだ。
読者が印刷版の購読を中止する理由で一般的なものは「時間がない」というものだ。
Economist の iPad 版、そしてスマートフォン版には音声版のフルセットが含まれている。運転中だろうが、ジョギングしていようが、庭に出ていようがいつでも読んでもらえるのだ。

オンライン版(Web版)が発見したものは、おとなしく記事を精読するリーンバックと対照的なアクティブな読書スタイル(リーンフォワード)でした。それはデスクトップやノート型PCの機能をフルに駆使することと結びついていました。
最後に現れたリーンバック 2.0 は記事を長時間精読する読書スタイルへと回帰していますが、スマートフォンやタブレットが持つ柔軟性と結びつくことで、忙しい時代のビジネスパーソンに新たな精読機会、新たな読書スタイルをもたらす可能性を感じさせます。
リーンバックとリーンフォワードを組み合わせ、そして、さらにこれまで精読型読書が不可能であった時間を読書可能な時間へと再創造する革命に、先端を突き進むメディアビジネスは取り組んでいるのです。
(藤村)

リーンバック2.0 進む“読書スタイル革命”」への4件のフィードバック

  1. 記事を見させていただきました。そこで質問です。「同社の印刷およびデジタル版を合わせた購読者が全世界で 150 万人(ABC 公査結果)となり、かつ、デジタル版購読者が印刷版購読者を上回るという、将来に明るい展望を持つメディアとしてリーダー的地位についている」とありますが、デジタル版購読者数と印刷版購読者数を教えていただけませんか?日本語でお願いします

    • お問い合わせいただきありがとうございます。
      お問い合わせ箇所は、リンクを示した通りFOLIOの記事を参照しています。
      「The Economist has a global circulation of 1.5 million, which includes print and digital figures, according to an Audit Bureau of Circulations July-December 2011 report」とあるとおりです。
      これに相当する日本語記事は見あたりませんでした。ご了承下さい。

  2. ピンバック: ●iOSの音声認識でメールを書いたらとてもはかどることがわかった | 詩想舎の情報note

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