テクノロジーとジャーナリズム/文化的激突をどう克服するのか?

“ジャーナリズム黄金期”と呼ばれ、
テクノロジー界からの投資が相次ぐメディア業界。
同時に、そこではテクノロジーによる文化とジャーナリズムが築いてきた文化が、
激しい渦流を生み出してもいる。
その激突から何が生まれるのか。課題を考える。

メディアビジネスをめぐる潮目の変化という視点で、2014年は特別の年になりました。
Amazon、eBay、Facebook などで活躍してきた創業者らが、次々に伝統あるジャーナリズム、メディア企業へと投資を行っています(厳密には2013年10月辺りがこのブームの起点になりそうですが)。また、それまでメディアに関心を示してこなかった、大物投資家 Mark Andreesen 氏が、新興メディアに巨額な投資を行ってもいます。
また、伝統メディアの中から出現したジャーナリズムの新星たち、たとえばNate Silver 氏(元 New York Times)やEzra Klein 氏(元 Washington Post)、そして、重鎮の Walt Mossberg 氏(元 Wall Street Journal)らが古巣を飛び出し、テクノロジー系メディアと合流したり、新たな投資を受けたりというケースも目立ちました。

このように、過去、“業績の凋落ぶり”ばかりがメディア業界のトピックとして伝えられることが多かったものが、シリコンバレーに拠点を構えるようなテクノロジー系企業や投資会社の大物らが次々と投資に乗り出すことで、従来メディア周辺は、にわかにゴールドラッシュの様相を呈しています。

しかし、2014年は、“テクノロジー(マネー)・ミーツ・メディア”というハッピーな物語だけで幕を閉じていません。
まず、eBay 創業者 Pierre Omidyar 氏が巨額資金を投じ、著名ライターらを集めた上で、First Look Media を立ち上げたものの、鳴り物入りで参加した記者や編集者との内紛劇を引き起こし、なかなか立ち上がりを見せません。
この辺りの事情は、Lloyd Grove 氏の「Journalists + eBay Billionaire = Chaos. The Troubles at Pierre Omidyar’s First Look Media」が伝えています。

Journalists + eBay Billionaire = Chaos. The Troubles at Pierre Omidyar’s First Look Media

Journalists + eBay Billionaire = Chaos. The Troubles at Pierre Omidyar’s First Look Media

First Look に続き、Facebook の共同創業者 Chris Hughes 氏が投資し、発行人として乗り込んだ老舗メディア The New RepublicTNR)でも内紛劇が生じています。事態はさらに深刻で、同メディアの主要な記者や編集者20名ほどが連名で声明を発表し(「声明」→ こちら)、いっせいに退職してしまったからです。

本稿は、これらメディアの内紛ゴシップを面白おかしく紹介するのが目的ではありません。“ジャーナリズムの黄金期”に生じた文化的激突の意味、それを克服する方向について考えていきたいと思います。

先の「Journalists + eBay Billionaire = Chaos……」では、Omidyar 氏のマネジメントスタイルへの違和感について、内部に通じる匿名氏のコメントを以下のように伝えています。

自分(匿名氏)には、彼(Omidyar 氏)がジャーナリストらの人間性を理解し、かれらをどうマネージすればいいのか理解しているとは思えない。
彼らは、プロダクトを扱う種類の人間、エンジニア、営業の人間とは違う。異なる動機をもつ、異なるタイプの人間なのだ。
彼らは、官僚的な干渉より自由を大切だと考える。金銭的な成功より、書きたいことを書く自由のほうを好む。……
優れたジャーナリストをマネージするのは難しい。メディアの経営者たちは、それを苦い経験を通して学ぶのだ。

すでに、筆者が「文化的激突」と呼んだ意味がわかるはずですが、もうひとつの TNR の事例についても見ておきましょう。
ジャーナリストで批評家、そして New York University の教職にある Jay Rosen 氏が、この問題について Tweet し、それを「Newsies, techies and that troublesome term “product.”ニュース人、テック人、そしてやっかいな用語“プロダクト”)」というタイトルでまとめています。

今週、TNR を辞めた(著名なジャーナリストの)Julia Ioffe は、オーナーの Chris Hughes 氏や、CEO の(元 Yahoo! 幹部)Guy Vidra 氏らに対して、「私たちは彼らのビジョンが何なのか知らない。それは、シリコンバレーのちんぷんかんぷんなバズワードで、何の意味もなさない」と啖呵を切った。

Rosen 氏はこの苛烈なやり取りから、筆者がいう文化的激突を、次のように整理してみせます。

テクノロジストらは、“プロダクトはどうあるべきか”と問いたがる。彼らにはそれがどのような意味かを知っている。“プロダクトとは、ユーザーと関わり合うものそのもの”ということなのだ。
テクノロジストにとり、プロダクトはつねに変化する。テクノロジーは変化し、プラットフォームが台頭しては衰退する。ユーザーの嗜好は変化し、そしてなにが変化に寄与するかなどなど。

(しかし)ジャーナリストにとって、“プロダクトはどうあるべきか?”の問いへの答えは、実に容易だ。プロダクトは“偉大なジャーナリズム、大きな物語、そして素晴しい筆致”であり(変化しないもの)なのだ。……
テクノロジストが、彼ら流のスタイルで“プロダクト”の語を使うメディア組織では、ジャーナリストはジャーナリスト流のスタイルでその語を聴いており、つまるところ悲劇にいたってしまうのだ。

過去、メディア企業の中では、文化的な激突は、ジャーナリストらと営業スタッフの間で引き起こされていました。また、“良い記事とは何か”と考えたがる人々と、MBA 取得者との間で軋轢が生じたものです。
最近では、「“読者開発”とは何か/ジャーナリスト その新たな職能定義」などで取り上げたように、「読者開発(Audience Development、AD)」職がメディアビジネスの中心に入り込んでくるにつれ、やはりマーケティング的発想と、古典的なコンテンツ全能主義的思考が軋轢を生じたりしています。
取り上げた2つの事例では、ソフトウェア製品やサービスを企画、開発してきた経験を有する人々とその思考法が、ジャーナリストらとの衝突を引き起こしているのです。

では、このメディアをめぐる文化的激突はそのまま平行線をたどったままに終始してしまうのでしょうか? そうではないはずです。
たとえば、「次にメディア組織の中心に座る者/グロースハッカーがメディアを変える」で取り扱ったように、新興メディアの BuzzFeed では、「発行人」の重責を担う人物は、編集系や営業系のバックグラウンドをもたない新鋭マーケター=グロースハッカーです。
BuzzFeed の例ほど極端ではないにせよ、老舗の New York Times には、「プロダクトマネージャー」の肩書きを有するスタッフが何人もいます。
これらの人々は、良きプロダクトの概念は“不変”と考えたがるジャーナリストと、プロダクトは有為転変に支配されており、だからこそ KPI などでそれを指標化したがるテクノロジストやエンジニアとの溝を架橋しようとしているともいえます。
その素晴しい例を、Caroline O’donovan「What does it mean to run “product” in a news organization? Hayley Nelson’s big challenge at Wired(ニュース編集部の中で、“プロダクトを運営する”とは何を意味するか? Wired における Hayley Nelson の大きな挑戦)」から読み取ることができます。
同記事は、老舗雑誌社 Condé Nast が運営するテック系メディア Wired に、初の「プロダクトマネジメント担当ディレクター」として着任した Hayley Nelson 氏に取材した記事です。同氏のキャリアは LinkedIn で読めますが、Wired 着任前は、APでビジネス開発、そして、New York Times では、プロダクトマネージャー職にありました。

記事は Neslson 氏が Wired 着任後に取り組んできた業務上の課題に種々触れていて実に興味深く、ぜひ参照すべきものです。
ポイントは、編集(ジャーナリスト)、営業、そして開発(エンジニア)の三者をいかに融合してきたか。また、ジャーナリスト(記者・編集者)の中にさえ存在する、印刷メディアとオンラインメディア従事者の文化的溝を、どう架橋するかであったと読めます。
それは組織論であり、コミュニケーション(会話)スタイルであり、そして席の配置やミーティングスタイルにまで及ぶものです。
これら三者の立場をそれぞれ経験したことのある筆者にとって、特に重要に思えたのは、同氏を採用しその活躍を背後から支えた上司の役割です。

文化的激突はある意味で、メディアが本格的なデジタル期において改めて成長曲線を描くために生じる軋み、“産みの苦しみ”です。
そこでは変化が必然です。新たに適切なリーダーを配置し、支援を続ける経営トップの強い意志こそが問われる時期でもあるのです。

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