モバイルと広告の革新に資源を投入せよ WSJ幹部が述べるデジタルメディア戦略

モバイル・動画・ペイウォール・広告——。
日本のデジタル報道メディアの試みを大きくリードする米国の新聞電子版の動き。
Wall Street Journal を中心としたデジタルネットワークを統括する経営幹部が考える、デジタルメディア戦略、焦眉の課題を紹介する。

日本経済新聞、朝日新聞を筆頭に、日本でも新聞各社が電子版(Web やモバイルアプリ)への取り組みピッチを上げています。ただし、惜しいことに“新聞の未来”へと向かう戦略の子細やリアリティが、いまひとつ伝わりません。
一方、米英の新聞メディアでは、電子版を推進するリーダー格がその目指すところを具体的に語るケースが多く、新聞メディアビジネスに直接関わらない筆者も参考にしています。

本ブログでは、過去に New York TimesNYT)電子版に功績のあった Jim Roberts 氏(同氏は2013年に NYT を辞職、現在は Reuters digital の Executive Editor に就任している)のオピニオンを紹介しました(「モバイル、ソーシャル、ペイウォール New York Times その取り組みを語る」)。本稿では、電子版有料化の老舗であり、そして動画サイトをはじめ数々の実験的な試みを行ってきた Wall Street JournalWSJ)のキーパーソン Raju Narisetti 氏のオピニオンを紹介します。
同氏は、記者・編集者としての長いキャリアを WSJ で送り、2009年から Washington Post 編集部門の最高責任者のひとりとして、特にデジタルメディアビジネス(Web サイト、モバイルおよびタブレット)で采配を振るいました。その後、2013年に WSJ を傘下に擁する親会社、新 News Corp(旧 News Corp がスキャンダルや業績不振の影響で分社して誕生したメディア企業の統括親会社)の戦略担当 SVP に就任しました。
WSJ は、最近話題の NYT の電子版有料化(ペイウォール)に先行しており、その有料購読者100万人級の実績を誇っています(参考 → これ)。

Nieman Journalism Lab 掲載のインタビュー記事「Monday Q&A: Raju Narisetti on designing for mobile, the paywall fallacy, and reinventing ads」(「Raju Narisetti が語る:モバイル設計、誤ったペイウォール、そして広告の再発明」)で、同氏はソーシャルメディアへの自身の関わり、ジャーナリズムとビジネスの両立、モバイルや動画への取り組み、さらにペイウォールに関する誤った認識や広告ビジネスの再構築など、いずれもデジタルメディアが直面する広範でアクチュアルなテーマについて言及します。

本稿は、そのロングインタビューから、モバイルと広告に関連する特筆すべき箇所を紹介します。インタビューの全体や表現の正確性については、ぜひ出典元記事を確認して下さい。

モバイルがもたらす変化と可能性を実践する

Narisetti 氏は、WSJ を統括し数々のデジタルメディアネットワークを統括する立場から、自社を取り巻く競争環境に言及しますが、その重要な対象は“競合他社”ではないとします。

私が堅く信じているのは、われわれは競合について考えるのを止めるべきだということです。それは New York TimesGurdianFT、あるいは BloomburgReuters といったものです。というのも、今日の読者はとても雑食的だからです。それはテクノロジーがもたらしたものです。
われわれが本当に競合しているものとは、読者にとって唯一再生不能なもの、つまり彼らの時間(の獲得競争)です。もし、それを5分でも、10分でも、そして15分以上でも獲得できるのなら、競合を気にする必要はありません。読者がどこでその時間を使っていようが勝つことができます。

モバイルは同氏が語るように、読者がメディアに振り向ける可処分時間を拡大するためには、非常に重要な戦略分野です。
一方、そこへのメディア事業のリーダーらの認識が十分でないと指摘します。

(モバイル化で)生じている本格的な変動は、記者や編集者にとってだけではありません。メディア事業のリーダーがいまだ認識していないと私は考えます。
Web においては、ビジネスモデルにおける変化がわれわれの気の付かないまま起きてしまいました。同じような過ちをモバイルにおいて犯したくありません。読者の動向、いかにマネタイズするか、各デバイス向けにいかに訴求力のある広告を創造するかなどについて、新聞社のリーダー層は、これについて語り、資源をもっと注ぐことができるはずです。……おそらく世界中の新聞メディアで編成されているモバイル向けのチームは、いずれも一ケタのスタッフ、たまたまでも10名程度に過ぎないでしょう。この現状を心配しています。

一方、タブレットとスマートフォンという潮流の分岐にともなうメディアの適合方法について問われ、Narisetti 氏はより子細なビジョンを示します。

タブレット対スマートフォンにおいては、明瞭に異なった考えを持つべき理由があります。デバイスの寸法、機能性、そしてそれが表示できるものに違いがあるからです。タブレットには自由度と柔軟性があります。課題はタテ・ヨコそれぞれの表示にコンテンツをシームレスに適合させるテンプレートを豊富に用意することです。
一方、本当の課題や闘いは、スマートフォンにあります。コンテンツ消費パワーの最大の源はここにあります。
Washington Post 時代の例をあげましょう。そこで9.11以後における政府契約における腐敗を追及したすばらしい調査報道の企画がありました。それは、話題を呼び印刷版で読者の強い支持を得ました。その理由は、とても入念に、印刷版とPC サイト用に準備したものだったからです。長い記事であるために、デザイナーは記事への動線としてリード文を配置しました。
しかし、われわれは、モバイル向けのコンテンツというものをすっかり失念していました。私の勘定したところでは、BlackBerry 上で記事を読み終えるのに46ページも要したのです。だれも読みはしません。記事冒頭のリード文でさえ、モバイルでは7ページも要したのです。

私が伝えたい教訓は、「われわれはこんな企画は止めるべきだ」ではありません。次に、このような大きな調査報道記事をモバイル読者に提供する際には、最初のページに簡潔な要約を設け、記事が長大なものであることを断り、PC サイトや印刷版で読むことを勧めるか、モバイルでの閲読にこだわる読者のために、記事の各箇所への多くのリンクを提供すべきだということです。
重要なことは、モバイルにおけるコンテンツ体験が(他に対し)著しく異なっていることであり、それを知り、それにいかにアプローチするかをスタッフに伝えなければなりません。

広告のイノベーション、メディア自らが立ち向かうべきとき

Narisetti 氏は、また、メディアビジネスの焦眉の課題、広告ビジネスの革新についても述べます。
同氏は、WSJ のような、デジタルメディアの運営者は提供する多様なコンテンツについて、来訪読者によるページビューやランキングなどの多くを知っていると述べます。ところが、同時にこれらコンテンツとともに掲載される広告に、読者がどうかかわっているかほとんど知らない点を指摘します。

われわれは広告に関する読者の動きのほんのわずかしか知りません。それは、 (広告サーバー ASP 事業者の)DoubleClick やアドネットワークの類、そして(広告レコメンドサービスの)Outbrain らに対して読者を割譲してしまっているからです。
「私たちは、読者がどう広告と関係しているかあなたが知るのを手伝います」「もっとうまくマネタイズするのを手伝いましょう」と彼らはいいます。“それはすばらしい!”と使い始めました。しかし、われわれは自ら読者との関係を築き、メディアの上で読者が広告とどう関わっているかを知らなければならないと、私は徐々に考えるようになってきました。それがより良いマネタイズのためのスイートスポットとなるのです。われわれはこういった情報を得ることを放棄し、他社へ割譲してきました。これを取り戻す必要があります。

メディアにおける広告イノベーションの多くは、“(読者の行動を)邪魔する広告”です。だれかがやってきて“これをおたくの読者の面前で爆発させていいいですか?”と問えば、“いいえ、結構です”というべきなのです。それは読者にとり良い体験ではない。それは結果的に収入減をもたらすと。
私がいいたいのはこうです。広告イノベーションも、メディアのイノベーション同様に、われわれの事業のミッションのひとつとして遂行すべきだということです。広告におけるイノベーションを第三者へと割譲すべきでありません。そこに参加し、創造すべきです。われわれはそれを本の少し、不十分にしか行っていません。
広告主やマーケターがますますコンテンツ創造の分野に入り込んでいるのに、怠慢にも座していてはいけません。“われわれのメディアでリーチしている読者に届ける革新的な広告を創造し、広告主に対して何を手助けできるか”と自らに問うべきなのです。

モバイルと広告という二つのアクチャルなテーマについて、実践に裏打ちされた豊かな見識を紹介するだけで、分量が尽きてしまいました。

ちなみに、「もっとも関心を持っている技術分野は何か」との問いに答えて、Narisetti 氏は「Android のことでは夜も寝られない」と述べています。

Android デバイスでは、われわれはユーザー体験上も、支払いモデルについてもうまくできていません。iOS デバイスでは、読者は支払う意思を示すため、自然とそこにわれわれは引き寄せられてきました。しかし、Android の成長は、特に米国外で大きいものがあります。したがって、われわれは、Android でのより良い体験とマネタイズ(手法)を提供しなければなりません。

次の機会には、本稿で紹介できなかった動画コンテンツビジネスの革新性などに触れた箇所を紹介したいと思います。
(藤村)

ユニバーサルなメディアブラウザを構想する

Twitter や Facebook のタイムラインは、
未来のメディアのあり方を示唆している。
メディアとコンテンツが爆発的に増え、情報発信がリアルタイム化する時代。
その最適なメディア形式の未来を構想する。

さまざまな型のコンテンツ、さまざまな情報源に対して統合的に、かつ的確にアクセスできるもの。
加えて、最も快適にそれをナビゲーションするユーザーインターフェイス(UI)。
これを“ユニバーサルなメディアブラウザ(普遍的なメディア閲覧ソフトウェア)”と定義するなら、それは“新たな Web ブラウザ”の発明を意味するかもしれません。

ヒントは、すでに当ブログで何度か言及してきたストリーム(タイムライン)型メディアにあります(たとえば → これこれ)。
ストリーム型メディアの実装例は、“商業(Web)メディア”においては、新鋭メディア Quartz などがありますが、いまだ主流を占めるとはいえません。
けれど、ブログ形式の流れを汲むメディアでは、時系列(タイムライン型)の記事配置のほうが一般的です。むろん、ブログの影響下にあったとしても、商業メディアではタイムラインとは異なる記事へのリンク集を“トップページ”(インデックスページ)として設ける従来メディアとの折衷型がほとんどなのですが。

一方、モバイルアプリでは、ITmedia アプリをはじめとしてタイムライン型メディアの実装例があります。
また、Facebook や Twitter など、商業メディアをしのぐ影響力あるソーシャルメディアでは、タイムラインを UI の中核にすえるのは常識になっていることは指摘するまでもありません。

ストリーム(タイムライン)型メディアがユーザーにもたらすメリットは、大きく3つと思えます。

  • “いま何が起きているか”という情報ニーズへの最短の解である
  • 大型ディスプレイからモバイル機器の小型ディスプレイまで、ユーザーのメディアアクセス環境の遷移に柔軟である
  • コンテンツ間の移動操作は“無限スクロール”中心であり、操作が非常にシンプルである

筆者が、ストリーム型メディアとそれを統合するユニバーサルなメディアブラウザというアイデアに注目する事情についても述べておきましょう。

ストリーム型メディアが台頭する背景には、四六時中情報を発信(更新)するメディア主体が極端に増えたことがあります。
筆者自身がそうであるように、インターネットを用いればだれもが少ない負担で情報発信者となれる時代です。
この“だれも”が、いずれは“どんなものでも”となっていくことは間違いありません。
今後は、ヒトに限らず自動車や電車、バス、そして、家電製品のなど多くのモノまでが、続々と“情報発信者”へと連なっていくことでしょう。
発信されるコンテンツの量が爆発的に増えているだけでなく、それが24時間化していることも大きな異変です。
大小無数のメディアが間断なくコンテンツを発信し続ける社会は、大小無数のラジオ局が24時間放送を続けるのに似たストリーム型情報社会といえるかもしれません。

メディアの選択はチューニングへ……

メディアの選択はチューニングへ……

Facebook や Twitter 上にこのような情報社会の一端を見ることができます。このことは情報消費への意欲の高い人々から順番に、徐々にストリーム型の情報消費(コンテンツ受信のスタイル)へとシフトをしていることを示すものです。
つまり、ソーシャルメディアの中に、すでにユニバーサルなメディアブラウザの実装的な萌芽があるのです。

大小の放送局という比喩を用いましたが、ユーザーの情報選択も、チューナーで周波数を合わせるような“選局”、もしくはチューニングという行為に近づいていくことでしょう。(Twitter や Facebook では、その選局を“友だち”の選択として行っている)

こんなメディアの近未来図を描く研究が米国にあります。
CNET Japan 掲載記事「『未来のブラウザはストリームブラウザになる』–米イェール大D・ジェランター教授」(この記事の基となった Wired 記事は → こちら )がその動きを紹介しています。

人々が本当に欲しているのは、情報に「チャンネルを合わせる」ことだ。近い将来、サイバースフィアには莫大な数のライフストリームが存在するようになるので、われわれの基本的なソフトウェアはストリームブラウザになるだろう。それは、現在のブラウザに似ているが、ストリームの追加、削除、およびナビゲートも行えるように設計される。

タイムストリーム内のコンテンツ検索は、ストリーム代数学の問題だ。それは、今日のウェブのような空間に基づく構造の代数学より簡単だ。2つのタイムストリームを足すと、3つめのタイムストリームができる(単純な例では、AP のニュースフィードと筆者の友人である Freeman 氏のブログストリームを統合して、時系列で表示させるということ)。そして、コンテンツ検索はストリームの引き算の問題である(「クランベリー」に言及しないすべてのエントリーを減じるだけで、それに言及するすべてのエントリーを得ることができる)。ストリーム代数学が持つシンプルで合理的な特徴には、大きなメリットがある。それは、オーダーメイドの情報が得られることだ。

記事で紹介される野心的な研究は、World Wide Web がもたらした情報のリンク関係的世界観に対し、情報の時系列的な世界観を対置します。それは「現在の『空間に基づくウェブ』から『時間に基づくワールドストリーム』へ移行」させようとするのです。

Web 的世界の歩み方(ナビゲーション)は、関連リンクをたどりながらページ間を遷移することです。ワールドストリーム的なそれでは、ナビゲーションは、「チャンネルを合わせ」(実際は不要情報を排除する)、現在から過去に向かってスクロールすることへと変化します。
リンク的な情報配置に最適化されたメディア受信機が、Web ブラウザだとすれば、「ワールドストリーム」的世界観に最適化されたメディア受信機が求められます。それが記事のタイトルに表われた「ストリームブラウザ」という概念なのです。筆者(藤村)が考えるユニバーサルなメディアブラウザとはそのようなものを指しています。

もし、ユニバーサルなメディアブラウザが与えられたとすれば、情報(メディア)消費のスタイルはどう変化するでしょうか?
ユーザーは、まず最初に統合されたひとつのメディアストリームに接することになります。
ストリーム内のコンテンツの粒度にチューニングを加えれば、通勤時間の車中に適した“メディア”が動的に生成できるかもしれません。あるいは、週末の時間のある際には、もっとたくさんのコンテンツをというようにチューニングできるでしょう。
もっとコンテンツ数を絞り、代わりに読み応えのあるものをピックアップすることもできそうです。
メインのストリームに多種多様なストリームチャンネルを足し合わせれば、新鮮な発見のあるメディアストリームを得られるかもしれません。ビジネス寄りからエンターテインメント寄りへというように、メディアのテイストを滑らかに遷移させることも可能でしょう。

このようなスタイルが、スマートデバイスの普及を前提にした“リーンバック2.0”(参考 → こちら)を加速するのは間違いありません。
キーボードとマウスといった入力デバイスを多く用いるアクティブな情報探索(リーンフォワード)スタイルは、PC という情報機器と情報探索にアクティブなユーザーの特性に適したものでした。スマートデバイスではユーザーからの入力は少なくなっていきます。代わってごくシンプルな操作で十分にナビゲーションできるストリーム型メディアが台頭します。タッチ操作を中心としたスマートデバイスの特性に適しているからです。

こう考えると、ストリーム型メディアとユニバーサルなメディアブラウザの誕生は、ソーシャル(であり、かつパーソナルな)メディアの誕生と、モバイルデバイスの多様化に、ぴったりと重なり合った変化だと理解できます。

いまだイメージの中にあるユニバーサルなメディアブラウザですが、その実装形についてもう少し踏み込んで言及しておきましょう。
ユニバーサルなメディアブラウザは、上記のようにユーザーにあらかじめひとつのデフォルトであるメディアストリームを提供すると考えます。これには一般的に人気や知名度の高いニュースフィードを用いられるでしょう。
並行して、いくつものメディア(ストリーム)チャンネルを用意します。Twitter や Facebook といったソーシャルメディアストリームもそこに含みます。
ユーザーは、テレビやラジオに対してそうするように、必要に応じてチャンネルを切り換えてコンテンツを楽しむことができます。
しかし、ユニバーサルなメディアブラウザの特徴は、選択したいくつものチャンネルを総合したものをデフォルトのストリームとすることができることです。これは、一人ひとりのユーザー専用のパーソナルなメディアストリームの生成を意味します(パーソナル化)。

ユニバーサルなメディアブラウザは、PC からポケットに入るスマートフォンなど多種多様なデバイス上で稼働させるため、軽い実装であることが必要です。そのためにも、このメディアブラウザのために、各種のメディアストリームを選択可能なチャンネルとして複数提供する外部サービスが必要になるでしょう。
「メディアチャンネルサーバー」と呼ぶべきこのサービスは、多種多様に発信されるコンテンツを発見しては、メディアブラウザに表示しやすい情報形式に変換するとともに、これらを豊富なメニューとして提供します。
商業メディアがメディアブラウザへの表示を意識しなくとも、メディアチャンネルサーバーはそれを自動的に収集しメディアブラウザに適したデータへと変換を行います。

 

メディアブラウザを実現する構造

メディアブラウザを実現する構造

価値の高いコンテンツを創造できる商業メディアは、メディアブラウザへと配信されるストリームの情報源の一つひとつとしてその存在価値を発揮し続けるはずです。

ただし、ユーザーがそれらを取捨選択してユニバーサルなメディアストリームを生成すること(パーソナライズすること)を妨げることはできないものと展望します。
(藤村)

エンゲージメントをめざすメディア戦略

ページビューを追い求めながら、苦戦を強いられ続ける商業メディア。
メディアは、量的指標からの転換を成し遂げられるのか?
エンゲージメントをいかに生み出すのか、その指標化について考える。

Web を基盤とする多くの商業メディアは、2000年代、激しいページビュー(PV)競争に憑(つ)かれ、そしていま、疲れています。
最初の“異変”は、2007年に起きました(参照 → 「ネット利用増加も PV は減少、ネットレイティングス調べ」)。それまで国内のインターネット利用では、ユーザー数が増え続け、利用時間が増え続け、そして、各メディアサイトのPVは増え続けるという、つねに右肩が上がっている状態を謳歌してきました。
しかし、2007年に(「一般家庭での」)総PV数が減少に転じるという局面を迎えたのです。

当時、Web メディア企業の経営に携わっていた筆者の経験でも、この時期にいたってメディアの自然成長策では足りず、メディア買収などの増PV施策を成長施策として強く意識せざるを得なくなっていました。と同時に、PV 以外にメディアの経済的価値指標を求めようとする模索も始めていました。

たとえば、PV の視点で国内の人気サイトランキングを上位50サイトで区切ってみると、メディア企業が運営するメディアサイトが上位に食い込むケースは、「Yahoo! ニュース」と同「トピックス」を除くと稀であることが分かります(参照 → こちら)。

試しに2013年1月の国内人気サイトをPVで見ると、50位内にランキングされるメディアサイトは、上記の「Yahoo! ニュース」および「Yahoo! ニュース トピックス」以外では、「MSN 産経ニュース」に止まります。
その代わりに、ランキング上位は、検索やディレクトリを提供するポータル、動画、ソーシャルメディア、そして各種Webサービスサイトに占められています。
つまり、こと PV という観点では、Web 商業メディアは2000年代後半からつねに苦戦を強いられる状況下にあるといってよいのです。

ポータルはポータル、ソーシャルメディアはソーシャルメディア。そして、メディアはメディア、つまり、皆違うものなのですが、問題はこれで終わりません。
ソーシャルメディアなら、ユーザー間の会話(コミュニケーション)に根ざし、その“おしゃべり”の回数だけ PV を稼げます。それに対して、商業メディアでは、ユーザーの第一の関心はコンテンツの鑑賞吟味です。1回の閲覧で満たされるケースがほとんどでしょう。
最近でこそ、商業メディアのコンテンツでも、ソーシャルブックマークやソーシャルメディアに評価を反映したりと会話性を高めてきました。
しかし、元来は、コンテンツは1回玩味すればその目的が完結するものと考えれば、会話と鑑賞とは、おのずと生み出す結果が異なるのは当然です。
ところが、広告で収入を得ようとするとビジネスの構造は同じです。広告の表示回数を決めるPVという点で、商業メディアはソーシャルメディアをはじめとするもともと異なる存在とも競り合うことを迫られているのです。

そのようなわけで、Web メディアは、自らの価値を PV に代わって説明できる指標を見出す必要に迫られているのだといっていいでしょう。
それは、自らの広告価値を、広告主に説明する必要があるからなのはもちろんですが、さらに、規模を誇る“メディア似のライバル”たちに対する差別化の選択でもあるのです。

先に紹介した「ネット利用増加も PV は減少……」記事では、調査したネットレイティングス萩原雅之社長(当時)が、以下のように述べています。

Web サイトの価値を図るには PV だけでなく滞在時間も考慮することが重要。滞在時間に連動した広告の料金体系やインプレッション(表示)単価の引き上げが差し迫った課題になる。

PV に代わる経済的な価値指標には、さまざまなものが想定できます。指摘の「滞在時間」に加え、「再訪率(頻度)」、「セッション当たり(コンテンツ)閲覧数」等々です。いずれも、メディア(コンテンツ)がユーザーに価値高いものと評価されてこそ意味の生じる指標です。
つまり、単なるなにかの結果としての指標ではなく、手数をかけて生み出したコンテンツを取りそろえた商業メディアならではのポジションに対する評価を反映したものでなければなりません。
価値の高いコンテンツをそろえたメディアだから読者は長い時間滞在する、あるいは、何度も訪れる……というような理路が必要です。

このような指標は、PV など規模的な指標に代わって“エンゲージメント”指標と捉えることができるでしょう。それは、読者とメディア(とそのコンテンツ)との関係の深さを表す概念です。

メディアや広告といった特殊性を省いて、“エンゲージメント”をどう捉えるかをうまく説明した記事があります。

顧客エンゲージメントとは、企業自体や商品やブランドなどに対する消費者の深い関係性のこと。日本語で最も近い感覚の言葉に置きかえるとしたら「愛着」あたりが候補のひとつだろう。そのほか、「結び付き」とか「きずな」といった表現も見受けるが、いずれにしてもそれは「満足」や「誠実」からさらに一歩踏み込んだ感情で、消費者の積極的な関与や行動を伴う。(鶴本浩司「ユーザーの『愛着』を深める、顧客エンゲージメント」)

このような理解を、私たちのテーマであるメディア(やコンテンツ)に当てはめてみるとどうしょう?
“エンゲージされたユーザー”は、メディアやコンテンツに対し、一時的に満足したという状態を超えた愛着や信頼感を抱いており、以後にそれを反映した選択や行動を取り得る状態にあるのです。
記事が示唆することはもう一つあります。エンゲージされた状態とは一様ではなく、深さをともなっており、より深くエンゲージされることにより、ユーザーは、メディアに対してより一層積極的な行動、たとえば、応援する、他者に推薦するなどを行うというものです。

メディア経営において、上記のようなエンゲージメントされた状態を生み出すには、もう一段具体的な目標づくりが求められます。
たとえば、ボリュームのある読み応えのあるコンテンツを得意とするメディアならば、ユーザーは一度に多くのコンテンツは読み飛ばせない=PVは多くならないでしょう。
代わって、指標としてまず最初に思い浮かべるべきは、滞在時間です。
あるいは、エンゲージされた状態が高いことを目標とするなら、検索エンジン経由でなく、自らのブックマークや URL をタイプして来訪するケースを想定すべきかもしれません。来訪頻度の高さが指標になるかもしれません……。
これらを監視していくことにより、自らのメディアのエンゲージメントの度合いの改善施策を継続的に行うことができるはずです。

さて、商業メディアがユーザーとのエンゲージメントを高めていくとの目標から、ユーザーログのどの点に注目すべきかを解説した記事があります。eMediaVitals 掲載「Five ways to measure content engagement(コンテンツのエンゲージメントを測る5つの方法)」です。以下、おおづかみに紹介します。

  1. 「購読申し込み」ページへの誘導率……メディアがメールマガジンなど購読サービスを提供しているなら、あるコンテンツを読んだユーザーが、次にこの「購読申し込み」ページへと遷移したとすれば、そのコンテンツを読んだことが、ユーザーを強くエンゲージさせた理想的なコンテンツだと見なせる
  2. 平均滞在時間……PV は、往々にしてタイトルの付け方など意図的な手段によって喚起される。他方、(メディアやコンテンツ上での)滞在時間は、純粋にユーザーがコンテンツを玩味していることを表し、欺瞞が入り込みにくい指標である
  3. 直帰率……検索エンジンを主要な流入経路とすれば、一つのコンテンツ閲覧だけでサイト外へ離脱してしまう直帰率が高まる。一方、エンゲージされたメディアへの来訪であれば、ユーザー行動は直帰しにくいとみなせるだろう
  4. ソーシャルメディア経由の会話数……エンゲージの度合いは、そのコンテンツを軸に会話が広がるという点から確かめられるとする視点で、会話の数を追跡する趣旨だ。Twitter のメンション数、そして記事にコメント欄があればその数を測定する
  5. ソーシャルメディア経由のリーチ(伝播・広がり)……4.と異なり、運営するメディアやコンテンツをフォローしたり話題にするヒトがどれだけいるかを計測するもの

紹介してきた測定指標は、運営するメディア(とそのコンテンツ)が求めるユーザーとのエンゲージメントの状態や、その先のビジネス戦略に結びついている必要があります。
たとえば、“滞在時間の長さ”というメディアの特徴を追い求め、それを主要な指標とする方向性は、むろん、それだけでも「腰をすえてコンテンツの価値を味わう読者を擁している」という説明を可能とします。しかしそれだけでは足りません。エンゲージされたユーザーから、メディアはどのようなビジネス価値を最終的に引き出せるのかが問われるはずです。
たとえば、“違いのわかる”ユーザーに訴求すべく取材などの手間をかけた内容濃い記事体広告を収益事業の柱に据える、あるいは、購読制や記事の単品販売なども構想してよいかもしれません。

ユーザーとのエンゲージメントの高さやその特性は、そのメディアの広告価値を一般的に説明するだけではなく、そのメディアの事業としての発展形を整理するためにも重要な指標となるはずなのです。
(藤村)

“ヒトへの課金”に向かうメディア コンテンツ課金型ペイウォール批判

国内外で、メディアの中心価値を“ヒト”に置く動きが顕在化してきた。
スター執筆者を軸にした独立型メディア、執筆者を購読するメディアなどが動き出す。
メディア企業がヒトを軸とした課金制に向かうヒントを述べる。

メディアのコンテンツ課金 新たなブレークスルーの出現」で、米国の人気政治コラムニストが大手メディア Beast 傘下を離れ、自ら課金ブログメディアをスタートしたケースを取り上げました。
この現象は、大規模なアクセスを集めるメディアサイトでない限り、市場の大きい米国においても広告収入で自立することは難しく、その結果、広告収入確保のためには広く耳目を集めるようなメディア運営に偏らざるを得ないメディアの“悩み”の存在を示唆します。
であれば、広告に代わる効果的な課金手法が求められます。
課金は古くて新しい課題です。しかし、成功の方程式が定まったとはいえません。
さらに、課金へのアプローチには、もうひとつポイントがあります。それは、お金を支払う読者と執筆者との関係性についてです。

上記 Andrew Sullivan 氏独立のケースは、広告ビジネス離れ=課金メディア立ち上げという試みであると同時に、読者(ユーザー)は“何に対してお金を支払うのか”についてのひとつの仮説でもあります。
すなわち、大手傘下のメディアブランドに対してではなく、Sullivan 氏に対するきずなの代価として購読料があるという仮説なのです。
それが故に、同氏はメディア独立に際して、一律の購読料の設定ではなく、ユーザーが金額を決めるという“寄付金”的アプローチをとったのでした。

昨今、いくつもの有料メルマガサービスが立ち上がっているわが国での情勢も、ユーザーに対して、お気に入りのオピニオンリーダーである執筆者をメディアブランドから離れて直接サポートする個人課金へと誘導しようとする動きに見えます(むろん、それが楽観視できる結果を生んでいないとしても、です)。

本稿は、新聞社や一部の Web メディアで動き始めている“コンテンツへの課金”モデルから、“ヒト(執筆者)への課金”モデルへのシフトを検討するものです。
そうはいっても、有料個人ブログやメルマガの手法を議論するものではありません。先に述べた「読者と執筆者の関係」を見直し、メディア企業が執筆者を前面に打ち出したメディアの有料化戦略を議論したいと思います。

もうひとつ、興味深い最近のトピックを紹介しておきましょう。
オランダの新興メディア企業が最近リリースしたニュースアプリ DNP は、資金難ですでに前年に閉鎖ずみのフリーペーパー新聞の編集長が、その執筆陣を引き連れサービスインに持ち込んだという興味深いニュースアプリです(ダウンロードサイト → こちら)。
同アプリは、“われわれが信じるのは人々やジャーナリストであり、それはメディアブランド以上のものだ”との信念の下に設計・デザインされています。特徴は、DNP に集まった寄稿執筆者らを、その執筆記事単体やパッケージとして選択的に購読できることです。アプリ上で目にした記事を購入することもできれば、執筆者を選択して購入に至ることもできます。

アプリDNP。右は個々の執筆者を選択して購読するメニュー

アプリDNP。右は個々の執筆者を選択して購読するメニュー

スタート時点で執筆者らは11名。しかし、年内に50名にまでそれを増やしたいとの抱負を表明しています(参照 → こちら)。
同アプリがユニークな点は明らかでしょう。アプリは個々の執筆者とそのコンテンツを売るための場(市場)であると同時に、それ自体がメディアであるということです。執筆者らは App Store の販売手数料を差し引いた残余の75%を受け取ります。DNP 自体は無償 iOS アプリですが、コンテンツ単体もしくは執筆者のコンテンツ全体を購読する際に、Apple App Store が有するアプリ内課金の仕組みを用います。

さて、議論を引き戻しましょう。“(コンテンツへのではなく)ヒトへの課金”モデルについてです。
紹介したいオピニオンがあります。paidContent に掲載された「Five ways media companies can build paywalls around people instead of content」(コンテンツの代わりとなるヒトへのペイウォール メディア企業が構築可能な5つのモデル)です。新聞メディアがペイウォール(有料課金の壁)化していく流れに反対論を唱え続ける Mathew Ingram 氏の論です。

同氏は、この論で新聞メディア等が読者の関心事やニーズの違いなどにきめ細かい注意を払うことなく一律の課金の壁を設けることに反対します。
氏は、メディアや執筆者に対するこだわりのない読者に向けて単純に課金制限を設ければ、同じようなニュースを提供する無料メディアに向かわしてしまうとします。逆に、お気に入りの執筆者にこだわりがあるような読者に対して、そのお気に入り執筆者のコンテンツを購入するという切り口を設けるべきだと、氏は主張するのです。
そして、そのようなアプローチがビジネスとしてプラスに作用するようにするためには、ペイウォールが“引き算”ではなく“足し算”となるようにすべきと述べます。つまり、ニュース記事を読むことに単純に制限を設けるのではなく、“それに加えて”お気に入り執筆者との関わり、きずなを深めるような施策を設けて、それに課金をすべきだというのです。

5つの手法のすべてを紹介しませんが、たとえばこんな風にです。

  • 一人の執筆者のすべてのコンテンツを集約して有料パッケージとする……New York Times の Nick Kristof、Wall Street Journal の Walt Mossberg、そして、Reuters の Felix Salmon 氏らのように、その名の下に読者を見いだせるのなら、これら執筆者のすべてのコンテンツにアクセスしやすいパッケージ化が可能だ。
    それが新聞に掲載されたニュース記事やブログ投稿であろうと、あるいは、インタビュー動画、さらには Twitter への投稿であろうとも。
    お気に入り執筆者のコンテンツを見つけやすくし閲覧しやすくするという点で、それは読者にアピールするものだ
  • お気に入りの執筆者らのライブイベントを提供する……すでに各種メディアではリアルイベントによるマネタイズが行われている。しかし、それはなにも500人規模のカンファレンスでなくてよい。もっと小規模で限定的な読者グループにライブイベントを提供してはどうだろうか? そこでは、掘り下げたテーマのインタビューを読者(参加者)は聴くことができ、また、同好の士どうしの交流を行うことができるようにするのだ
  • お気に入り執筆者への Q&A に対して有料課金する……投資家向けの財務分析、踏み込んだ政治論議、ハイテク知識など、専門分野に関する質問への回答に課金する手法がある。ジャーナリズムとしての摩擦を懸念する向きもあるかもしれないが、適正に扱えば懸念には及ばない。

執筆者のブランド力や専門知識をテコにしたビジネス手法は、同記事が掲げる5つ以外にも思いつくことが出てくるでしょう。しかし、そのようなアイデアと同じくらい重要な点が、“ヒトによる課金”モデルにはあるのです。それは、執筆者らのブランド価値を高めていくこと、もしくは、その高い価値を認識してそれを活用していこうという方向性です。
その点について、同記事は以下のように述べています。

(記事が述べる5つの施策で)Andrew Sullivan のようなスター執筆者が独立してしまうようなケースを阻止できるだろうか? 保証はない。しかし、もし執筆者が、執筆している新聞や雑誌が自分を(重要な)パートナーとして扱っているのを見れば、自らの商売を始めようと考えるケースは少なくなるだろう。とりわけ、新聞や雑誌メディアが持っているマーケティング力が自らのために提供されればなおさらだ。

同記事は、音楽産業が、新聞や雑誌メディアに先行して、楽曲販売不振の苦しみの後にアーティストとの接点を深める消費に向かっている点を指摘しています。
読者が読みたいコンテンツをそうでないコンテンツから選別しようとする際、重要な指標を、“だれがそれを書いたのか”という軸へとシフトしていくことは大いにあり得ます。とすれば、メディア企業は、自らの重要な資産が産出してきたコンテンツを保有する権利と同時に、それを今後とも生み出す“ヒト”の重要性に気づくことになります。
次に、それをビジネスの原動力にすえた展開を真剣に考える時期が間もなくやってくるはずです。
(藤村)

「ウェブサイトでもない、雑誌でもない、本でもなく」 “超小型出版”がメディアを革新する時

クレイグ・モド氏の『超小型出版』の出版が引き金ともなり、
難易度が高かったアプリ出版に改めてハイライトが当たる。
プロフェッショナル化が進行した先行市場を
覆しかねない可能性が、そこに見えてくる。

Web、電子書籍、そしてアプリ。それぞれ異なる系統樹から誕生したデジタルメディア形式がクロスボーダー化しています。
これが、筆者がたびたび述べてきたデジタルメディアをめぐる情勢論の中心です。

Web には、“ページ”という概念が実は希薄であり、スクロール可能な巻物的な表現形式が本質的に得意です。また、“リンク”という Web ならではの強力無比な機能により、良くも悪くも融通無碍な情報ナビゲーションや表現を実現してきました。
では、後の二者、すなわち電子書籍やアプリという形式はどうかといえば、現実界にある書籍や雑誌的なナビゲーション、表現を再現するのに適した発展をしてきたといえそうです。テキストとビジュアルが混在するレイアウトをページ単位でまとめて読者に提示します。電子書籍では特にそれらページをシーケンシャルなナビゲーションに形式化するのが得意です。

クロスボーダー化には、印刷メディアになれた作り手の創造的な意思を忠実に再現するために、Web 以上の表現形式を整えてきたという意味合いがまずありました。
ファッションなどの分野で、印刷媒体からアプリを生成し、次にアプリを模した Web メディアが誕生するといった流れが見えてきたのは、旧来メディアの作り手の欲求に即したクロスボーダー化と見なすことができます。詳細は省きますが、New York Times 配下の T-Magazine などはまさにクロスボーダー化の流れにあるファッション/ライフスタイル系メディアです。

しかし、クロスボーダー化がもたらすもうひとつの方向性があります。
Web の“柔軟すぎるナビゲーション”でもなく、印刷メディアの表現形式の再現でもない、純粋に読み物と読み手の“快”に焦点を当てる表現形式へと向かう動きです。それが「超小型出版」と概括する新たなメディアづくりの動きです。

いくつか例をあげてみましょう。
Marco Arment 氏がスタートし発行人を務める The Magazine。毎号エッセイを数点収めた月2回定期刊のアプリ版“文芸誌”の風情です。シンプルな画面と操作性、派手なビジュアル要素を極力抑えテキストを中心に読むために徹したつくりで、モダンでありながら復古的でもある新たな出版スタイルの息吹を印象づけた最初の存在です。
ちなみに、Arment 氏は“後で読む”サービスの代表格 Instapaper の創業者です。

次に、メディア系ベンチャーやプロジェクトを次々に傘下に収めている Betaworks が昨秋より提供を始めた超小型出版サービス Tapestry があります。
これはエッセイ、絵本、詩集などに適したオーサリング(編集・制作)とアプリの生成・販売に至るサービスを提供します。
生成されるメディア(というより“作品”というべきでしょう)では、タップによりページを進める、ソーシャルメディアに投稿などのナビゲーション機能ぐらいしか盛られていません。しかし、シンプルながらセンスの良さが画面全体から伝わってくるなかなか魅力的な作品がそこには生み出されるのです。

さらに、29th Street Publishing が提供を開始したアプリ生成基盤があります。
これを用いた女性タレントの専用週刊ミニメディア Maura Magazine や、商業メディアの週末エディションである The Awl:Weekend Comapinon など複数のメディアがラインナップされています(参照 → こちら)。
同社の創業メンバーらが、ブログプラットフォームで一時代を築いた Six Apart の出身ということもあってか、「ブログをするのと同じくらいシンプルな定期購読メディアを販売」とのコンセプトを打ち出しています。

超小型出版3種。左からThe Magazine, Tapestry, Maura Magazine

超小型出版3種。左からThe Magazine, Tapestry, Maura Magazine

このような、ほぼ同時多発的に誕生したメディア群に共通する特徴があります。
「ウェブサイトでもない、雑誌でもない、本でもない」(後述するクレイグ・モド氏の表現)というものです。
それは、冒頭に述べたクロスボーダー化したメディアトレンドを映し出しているといえます。

このトレンドに“超小型出版”という名を与え、概念をまとめあげたのがクレイグ・モド氏です。同氏は“ソーシャルマガジン”とのコンセプトで評判を呼んだニュースリーダーアプリ Flipboard のデザインに携わりました。
「超小型出版」とはもちろん邦訳であり、そのオリジナルは“Subcompact Publishing”です。さまざまな意味でコンパクトであり、かつ機能を削いだとの含意があります。

モド氏が整理した超小型出版の要件を、『超小型出版 シンプルなツールとシステムを電子出版に』から紹介しましょう。

クレイグ・モド氏『超小型出版』表紙

クレイグ・モド氏『超小型出版』表紙

超小型出版ツールと編集美学の特徴としては、さしあたり次のようなものがある(これが全てではない)。

  • 小さな発行サイズ(3〜7記事/号)
  • 小さなファイルサイズ
  • 電子書籍を意識した購読料
  • 流動的な発行スケジュール
  • スクロール(ページ割やページめくりといったページネーションは不要)
  • 明快なナビゲーション
  • HTML(系)ベース
  • ウェブに開かれている

これらの特徴は互いに影響を与え合っている。

同書は上記の要件をさらにかみ砕いて解説していますが、以下に筆者(藤村)の視点からコメントを付していきましょう。
最近のアプリが“高機能な”雑誌や書籍の電子版という方向に足元をすくわれてしまっているのに対し、超小型出版を体現するメディアは、いずれも豊富な機能を誇りません。
目に付きやすい機能は削ぎ落とし、読者とのインタラクション要素も抑制的です。
その結果として、これらメディアは読者がコンテンツを読むことに徹するメディアというコンセプトで共通しています。これを“コンテンツ中心主義”と呼んでいいかもしれません。

目に付きやすいさまざまな要素を排除することは、おのずと広告的な収入モデルを排除することにもなります。紹介した各メディアにはいずれも広告を掲載しません。
代わっての収入モデル(無料のケースもある)は、Apple の定期購読・配信サービス Newsstand を基盤とします。同サービスは定期刊の雑誌などを自動的にダウンロードする機能と、定期購読料の徴収や、フリートライアル後に他号を有料購読するなどの滑らかな課金機能を備えています。

現時点で、超小型出版を選択することは、アプリ出版を行うことと同義です。
しかし、通常はアプリ開発にはエンジニアリング能力が必要です。また、たとえば、Apple のアプリマーケットである App Store にアプリをリリースするためには、煩雑な手続きもあり個人が気軽にこなせるものではないハードルが待ち構えています。
モド氏もこう述べています。

プログラマーは現代の奇術師である。多くの業界でそれは明らかだが、ついに出版界でもそのことが明らかになりつつある。マルコ(注:Marco Arment 氏のこと)がすぐに The Magazine を生み出すことができたのは……彼がプログラマーだったからだ。

エンジニアが出版の分野においても高い価値を発揮することには同意しますが、それが多くの出版者にはハードルであることももちろんです。
Arment 氏は The Magazine の開発(編集・制作)基盤を提供していないようですが、29th Street Publishing や Betaworks は外部への提供を行っており、そのため扱うタイトルが増えていく流れにあります。
前者のシステムは、WordPress など普及したブログ CMS などと連携する仕組みを採用しています。
後者はサービスにサインインすれば会話形式でメディアタイトルが制作できるようになっており、“アマチュア”に門戸を開くアプローチをとっています。

最後に、当ブログの主題でもある、メディアビジネスからの視点で超小型出版の可能性について要点を述べておきます。

  • かつて Six Apart らが切り開いたブログプラットフォームのアプリ版となる可能性があり、多くの個人出版の基盤となる可能性がある
  • そして、“自己出版”トレンドを、定期購読ビジネスへと直接つなげていく可能性がある
  • “機能限定・開発容易”な出版手法は、Web、電子書籍、アプリの各分野で先行するプロフェッショナルなメディアビジネスが築く市場の隙間を開発する可能性がある
  • 広告ビジネスが侵入しにくい出版市場を生み出す可能性がある
  • アプリ同様、App Store 等の課金プラットフォームにマーケティングを委ねる要素が弱点であり、出版者は継続的に Web やソーシャルメディアを通じて告知活動を継続しなければならない

筆者は、超小型出版の流れが“コンテンツ中心主義”に焦点を当てていることに、強く興味を惹かれます。
「コンテンツはありあまっている」「コンテンツに価値は薄く、価値は人間(ソーシャル)の側にある」との論調が高まる時代に、コンテンツを前面に立て、そして、それを価値(課金)へと直接結びつけようとする流れだからです。まだまだ小さな市場とはいえ、注目に値する動きであるのは自明です。
(藤村)