技術と編集の距離を縮めイノベーションを誘因せよ 伊藤穣一氏インタビュー 「メディア 自ら技術磨け」

米 MIT メディアラボ所長であり、先ごろ New York Times 社外役員に就任した
伊藤穣一氏が新聞メディアをめぐるインタビューに答えた。
新聞メディアのイノベーションの可能性をどう見ているのか。
特に、メディアとテクノロジーの関わり方について、そのオピニオンを紹介しよう。

当メディアプローブ株式会社の社外役員でもある、MITメディアラボ所長の伊藤穣一氏のインタビューが、日経産業新聞に掲載されました(「MIT メディアラボ 伊藤所長に聞く メディア 自ら技術磨け」2012.07.18)。
同氏は、最近米 New York Times の社外役員にも就任し話題となりました(「デジタルガレージ共同創業者 伊藤穰一が New York Times 社の社外取締役に就任」 )。

紹介する「MIT メディアラボ 伊藤所長に聞く メディア自ら技術磨け」は、このNYTの取締役就任を材料に、今後の新聞メディアとテクノロジーの関わり方について、また、新聞が果たすべき民主主義の守護者としての役割について尋ねるものです。
本稿では、その前者、デジタル時代の新聞メディアの課題について氏のオピニオンを紹介したいと思います。

まず、氏がなぜ NYT の役員就任の要請を引き受けたかについて答えています。

……民主主義を考えると、プロフェッショナル・ジャーナリズムはすごく重要だと思う。質の高いジャーナリズムがなくなると、世の中大変なことになる。でも新しい時代のモデルと呼べるものはまだ生まれていない。

モデルを作るには、ある程度のブランドとジャーナリズムの力、そしてイノベーションを起こしたいという意思が必要だが、NY タイムズには強い意志があった。
……米国できちんとしたブランドのジャーナリズムが持続成長できるモデルを作る挑戦に参加するのは面白そうだったし、NY タイムズならできる気がした。

質の高いジャーナリズムが、“持続成長可能”であるような“新しい時代のモデル”が未確立。それを創造できる可能性を NYT に見たというわけです。

では、その“モデル”とは、どのようなイメージを持つものでしょうか?
氏は、新聞メディアがイノベーティブであるためには? という問いに対してこんな答え方をしています。

みんな課金システムとかビジネスモデルにばかり気を取られているけど、大切なのは紙からデジタルになった時にどうやってニュースを届け、関わってもらうかというユーザー・エクスペリエンス(体験)のデザインだ。みんなネットでお金を払うのはやぶさかではない。使い勝手が悪いのは嫌いだけど、ちゃんと価値を見い出したものには、むしろお金を出したいと思っている。

技術をきちんと理解した編集組織も必要だ。テレビもそうだが、新聞社の編集の人間はソフトウェアを開発したり、サイトを作ったりしない。そうすると、ユーザーとの接点が『ブラックボックス』になってしまうため、ユーザー・エクスペリエンスを改善させるために直接できることが制限され、結果としてイノベーションが遅くなる。

ここには新聞メディアがイノベーティブであるために、2つの提言があります。

  1. ユーザー体験の総合的な向上、すなわちユーザーにとっての価値の向上が、他のすべてに優先すること
  2. ユーザー体験の向上を他人任せの課題としないためにも、メディアの中核をなす人々がテクノロジーに理解を深めること

1.と2.は微妙に響き合う関係です。
前者「ユーザー体験の向上」は、単純に読む行為の快適化・利便性の向上というだけでなく、ユーザーにとり、メディアやコンテンツを選択、購入、閲読する、そして記録し・共有する……など、各種体験を気持ちよく連携させていくことを意味するはずです。そこにテクノロジーが果たす役割が大きいと考えるのです。

氏は、エンジニアが生み出したブログという発明にひとつの原型を見ます。

ブログがすごいのは、自分の言葉で発言したいソフトウェア・デベロッパーがブログを生み出したから。技術の部分が他人任せじゃない。ゲーム業界も技術者がプロデューサーだったからどんどん進化した。編集とか技術の距離を縮めて、ユーザーに価値を提供すれば、ビジネスモデルは後からついてくる。

この「ブログ」の例でポイントと思えるのは、ひとつは、“こういうものが欲しい”というものを実現しようとする直接性。そして、作っては改善するという反復プロセスが短く高速である、ということです。

確かに新聞事業の全体像は大きく、読者を含めた利害関係者の数は膨大です。どこから手をつけても易々とは変化しそうにないほど大きく堅固に見えます。
しかし、ここでコンテンツの創造に主導的に動く人々がテクノロジーに親しみ、自らの裁量で改善を行使できる幅が大きければ、ユーザー体験の向上という中心課題に取り組む推進力は高まるはずです。

速度と言うよりはアジリティー(機敏さ)の問題。オンラインはいったん当たれば伸びるのは速い。だから「これ1本に懸ける」というよりも、とにかくいろいろやってみるしかない。

氏の乱暴なもの言いを、(新聞)メディア実務に携わったことのない夢想と退けてはならないと感じます。
技術と編集(コンテンツ編集・制作)を組織的にもメンタリティ的にも分離していることは、コンテンツの価値と体験上の価値が重なり合う領域のイノベーションを硬直化させてしまう大きな要因になることは、筆者の経営者的体験からも説得的なオピニオンとして響くのです。
(藤村)

「メディア価値」の希薄化にどう備えるか? 破壊的広告テクノロジーの登場がもたらすもの

テクノロジーの進化が停滞してきた Web メディア分野
その停滞を揺るがすのが、ビッグデータを駆使する各種の広告テクノロジー企業だ
本稿は、破壊的な広告テクノロジーをひっさげ登場したプレイヤーらに
広告価値の根幹であるメディア価値が揺さぶられるに至った理路を検討する

Web メディアのここ数年間を振り返ると、テクノロジーの視点からは、その進化は意外にも漸進的だったと見なせます。JavaScript/Ajax が普及し Web サイトの動的な表現力に影響を及ぼしましたが、Web メディアという事業を一変しかねないかと問えば、変化は限定的でした。
次に“モバイル革命”への応答として HTML5 が次の大きなトレンドとして注目され、 また、レスポンシブデザインなどが動き始めましたが、本当の大きさが見えてくるのはこれからです。
ただし、進化が漸進的というのは、メディア事業者(本稿ではメディア企業と総称します)にとってのみ当てはまると言うべきかもしれません。
メディアの中心からではなく、周辺から地殻変動が次々と中心に向かって押し寄せた数年でもあったからです。
ブログ運営基盤、動画投稿サイト、そしてソーシャルメディア全般が巨大な成長を続けています。また、元来“メディア”とは呼ばれないようなさまざまな新興 Web サービス、モバイルアプリが誕生、成長しています。メディア企業はこれらとの連携に追われるという逆転現象が、この数年、常態化した光景です。

ところで、メディアの周辺にありながら中心のメディア企業の根幹を破壊しかねないテクロノジー的変貌が、もうひとつ生じています。本稿の主題、広告テクノロジー分野です。

いきなり広告の話題に入る前に、まず、こんなくだりから入っていきましょう。
イーライ・パリサー『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』からの引用です。
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閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義

ウォールストリートジャーナル紙がおこなった調査によると、CNN にヤフー、MSN など、インターネットの有名サイト50カ所には、データ満載のクッキーや個人データを追跡するビーコンが1カ所あたり平均で64も用意されていたという。

人々が訪れるページの裏では、「オンラインにおけるユーザーの行動に関する情報」という巨大な市場がうごめいている。そのような市場で活躍しているのが、ブルーカイ(BlueKai)やアクシオム(Acxiom)など、あまり知られていないが大きな利益を上げている個人情報の企業だ。アクシオムは、ひとりあたり平均で1500項目もの個人情報を集めてデータベース化しており、そのカバー率は米国人の96%に達する。このほかに、信用情報から尿失禁の薬を買っているか否かにいたるまで、あらゆるデータを所有している。

『閉じこもる……』は、インターネット上の新たなテクノロジー動向と、それにともなう危機意識を「フィルターバブル」という視点で鋭く説く好著です。
フィルターバブルとは、Google、Facebook、Twitter ら現在のインターネットの覇者がおしなべて取り組んでいるパーソナライゼーションが、錯綜し膨れあがった状況を指します。
例示されているものとして、Google パーソナライズ検索があります。いまや同じキーワードを用いた検索であっても、そのユーザーごとに得られる検索結果は異なるようになっていることは広く知られています。
また、Facebook でも表示される情報にはパーソナライゼーションが施されています。多くの友達を持ちながらも、ユーザーのタイムラインに表れる“近況”は、アルゴリズムが働き一定の整理や選別がなされることで“ほどほど”の情報量に刈り込まれ、かつ、重要性の高い情報は届けられるようになっています。
これらは、それぞれ実装上のテクノロジーこそ異なれ、過去の行動やソーシャルグラフを加味して個々のユーザーごとに最適化した(パーソナライズ)情報を提示するというフィルター機能を、次々に提供しようとしている点で共通しているのです。
『閉じこもる……』の危機意識は、これら幾重にも折り重なるように提供された見えないフィルターにより、ユーザー自身は直視できていると信じる現実世界から、実は遠ざけられているということに帰結します。

ところで、本稿ではフィルターバブルが、現実界の認識を歪め見えにくいものにしているというジャーナリスティックな視点とは少々異なる方向に進んでいこうと思います。
『閉じこもる……』の引用文を念頭に置きながら、もうひとつ別の書物を紹介しましょう。横山隆治・菅原健一・楳田良輝『DSP/RTB オーディエンスターゲティング入門』です。

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DSP/RTBオーディエンスターゲティング入門

DSP/RTB によって1インプレッションの売買が瞬時にできるようになった現在、最適な広告を最適な人に届けるオーディエンスターゲティングが有効になった。インプレッションごとにどんなユーザーが見に来ているのかを判断するには、自社が持つ内部データと第三者から提供される外部データを活用する。

外部データとは自社以外の「オーディエンスデータプロバイダ」から提供されるオーディエンスデータのことである。

外部オーディエンスデータの提供元であるDMPは、海外では、AudienceScience、BlueKai、eXelate、Demdex などがあり、国内では筆者が所属する株式会社オムニバスなどがサービスを提供している。これら DMP を行っている企業は数多くの媒体にオーディエンスデータを管理するためのタグを設置し、サイト訪問者の閲覧データを取得する。取得したデータはサイトを横断して関連のあるカテゴリーごとに集計をし、セグメントと呼ばれる単位で管理が行われる。広告主はこのセグメントを利用したい場合、セグメントを配信プラットフォームの DSP と連携することでセグメントの対象者へ広告を配信することが可能となるのである。

気づかれたでしょうか? 紹介した異なる書物の2つの引用文には、ひとつの共通項がありました。「BlueKai(ブルーカイ)」という社名がそれです。
挙げられている「DMP」(データマネジメントプラットフォーム)や「オーディエンスプロバイダ」、あるいは「個人情報の企業」と呼ばれている企業群が果たす役割は、インターネット上に散在する“個人情報”を収集し、それを分類したデータベースを構築することです。この二つの引用文は、共通する事象を“危機意識”と、“広告テクノロジーの最先端”という両側面から述べていると理解すべきなのです。

先に断っておくと、ここで「個人情報」とされる情報は、これらに企業においては完全に匿名的なものであることが説明されています。
収集されるデータとは、各サイトにアクセスしたあるユーザーの行動履歴に関するクッキー(Cookie)情報なのです(クッキーについて知りたい向きはこちらへ)。

さて、ここからは本題です。個人情報の収集と広告テクノロジーの先端が、どう交差しているのか簡単な説明を試みます。
ある匿名ユーザー(あるいはブラウザがといってもいいでしょう)が、あるサイトのどんな記事を読んだか等の情報は、ブラウザを搭載したそれぞれのコンピューティング機器のクッキーファイルに記入することができます。一般的には訪問されたWebサイトが記録用に来訪者のクッキーに情報を記入します。ユーザーの行動履歴がクッキーに記録されていく理屈です。
この情報を大規模に収集すると、インターネットを回遊する多くのユーザーが、それぞれどのページ(それがどんな種類のサイト、もしくはどんな内容のページか)に関心を持っているかという大規模なデータベースが構築できます。
ここで匿名ユーザーを「ID」と呼ぶとすれば、ID ごとにどんな関心興味をもっているかをその行動履歴を収集したデータベースから抽出できることになります。
広告主からすれば、むろん、自社が販売したい製品(カテゴリー)に関心を持つ ID を含んだ利用可能なデータベースがここに誕生したというわけです。
さらに、行動履歴には単に関心興味というカテゴリー分類だけでなく、価格サイトやECサイトをいつごろ訪問したかなどの情報の切り口も加味することにより、購買に非常に近い状態の ID を理屈の上では同定することも可能です。

広告テクノロジーの進化はこのような巨大データベースの構築にとどまりません。
従来なら、このような ID を同定できたとしても、氏名・住所・電話番号・勤務先など本来の意味での個人情報がなければ、DM を送りつけたり電話で勧誘するなどといった実行手段がありませんでした。ところが“進化”は、機微な個人情報を取得しなくても、それぞれの ID に対して適切な広告を配信する手段を生み出したのです。
映画「マイノリティ・リポート」で描かれたような、壁面の大ディスプレイが通行者一人ひとりを同定して語りかけるようなことがインターネット上で可能になっていると想像して下さい。
それが、『DSP/RTB オーディエンス……』で解説されている最新の広告配信テクノロジーなのです。

もう少しだけ、要約を続けさせて下さい。
先の引用で、「DSP」とは「デマンドサイドプラットフォーム」の略語で、広告主側が広告を発注する(入札する)取引市場システムです。「RTB」は「リアルタイムビッディング」の略語で、多種多様なWeb ページにある ID がアクセスしてきたとき、そのページに設けられた広告枠一つひとつをセリ(競売)にかけ、競り落とした広告主の広告を配信するまでをシステム的につかさどります。
もちろん、ここで「ID」と書いたのは上記オーディエンスデータを参照して条件が同定済みである来訪者という意味です。
したがって、広告主の側からすると、「このような種類の ID がアクセスしてきたら、いくらまでの価格を上限にして広告枠を買う」といった条件をセットしておき、そのような ID からの Web ページへのアクセス一つひとつのセリに参加するというわけです。
概要が見えてきたでしょうか? DSP/RTB の仕組みが誕生したことにより、商品への関心や趣味などの情報を判別ずみの各 ID に対して、インターネット上のずい所に設けられた広告枠を通して適切な広告を配信できるのです。

想像できるように、このような仕組みがリアルになるためには、非常に膨大な量(たぶん数百万単位)のクッキー情報を取得、更新し続けるビッグデータ系の IT インフラが不可欠です。また、広告枠の競売、ID ごとに最適な広告配信などを一挙に処理した上で、Web ページをアクセスした ID に広告を高速に表示するネットワークインフラの構築もまた生命線となります。
このようにして、多種多様な Web ページ上の広告枠をめぐって、超高速なトランザクションを継続維持するわけです。

さて、筆者の問題意識のほうへ歩みを進めます。
DMP のビジネスモデルは大ざっぱに言えば、こうです。
DMP は多くのメディア企業と提携しそのページ内にユーザークッキーを取得するためのビーコンを設置します。この提携サイトを広げることで ID を可能な限り多く収集し分類することができます。
広告主は ID 情報と各 Web ページの広告枠の情報とを組み合わせて、広告配信権を(システム的に)競り落とします。この際の利用料として  DMP への支払いが生じます。また、DMP と提携した Web サイトはこの ID データ利用料の折半を受けるというのが一般的なモデルとされます。

ここでメディア企業にとっては、2種類の収入機会が生じたことになります。
ひとつは DMP にユーザークッキー取得のためのビーコンの設置料金です。
もうひとつは、もちろん、自社メディアへ来訪したユーザーに対して広告を表示するという広告掲載料です。
従来に比べれば ID データを販売する機会が増えているわけです。
また、RTB が取り持つ広告枠の販売は競争入札制が基本原理ですから、需要の高い広告枠を運用するメディア企業は理論上高値の広告収入が期待できます。
こうしてみると、広告をめぐる商取引テクノロジーの変化はメディア企業に“福”をもたらすように見えるかもしれません。しかし、そうとばかりも言えません。

『DSP/RTB オーディエンス……』の副題「ビッグデータ時代に実現する『枠』から『人』への広告革命」がいみじくも喝破するように、「だれに広告を見せるか」をほぼ確定できる時代にあっては、“広告価値”の帰属性は(メディア企業が運営するという意味の)「メディア」から限りなく分離していくことを意味します。
たとえば、マーケティング上、求める種類の ID に的確に広告を出せるなら、高値のついた商業メディアではなく、もっと安価な場所で広告を買いそこに広告を配信すれば良いからです。
狙った読者層と出会うために良い媒体の広告枠を購入する、という「読者価値」と「媒体価値」が密接に結びついていた広告価値観の大きな転換が、ここに示唆されています。
この転換は甚大な影響をメディア企業に及ぼさずにはいません。そうだとして、メディア企業にはどのような判断が可能でしょうか。次回に、続けて検討していきたいと思います。
(藤村)

キュレーション 逆説的メディアの構想

趣味のためのメディア隆盛期には、「もっと多く」がメディアの提供者と読者に共通する価値だった
いま、情報の過剰という“るつぼ”のなかで、
異なる原理、価値観が生じてはいないか?
情報過多・価値減衰に悩むメディア分野で、新たな事業モデルの仮説構築を試みる

本稿では、最近自分自身が構想しているメディアのありようについて、思い切って試論、私論を述べてみます。
どんなことを考えているのかと言えば、案外シンプルなことです。
「たくさん読みたがる読者に向けたメディア」、その逆に、「(たくさん)読みたくない読者に向けたメディア」。
この二つを分け、後者について考えみようということです。

本論に入る前に少々の寄り道を許して下さい。
筆者のバックグラウンドについてです。
社会人になって初めて雑誌編集に携わったのが、30年ほども前のこと。それは当時産業として活況を呈していた建設業者向け経理実務誌というニッチ媒体でした。
その後、非出版業界での会社勤めをはさんで、次に、雑誌編集に携わったのはおおよそ20年ほど前。パソコン系の出版事業を手広く営む会社での仕事でした。
そこで驚きの体験をしたことが、冒頭の二つのメディアの方向、という観点につながります。

その職場には、PC やエレクトロニクス、そしてソフトウェアについて、それがスタッフ自身が最も好きなモノ、ことがらとして熱く語るスタッフが溢れかえっていました。
“自分が最も好きなこと(得意なこと)を読者に向かって語る”ことがメディアづくりの神髄であるという雰囲気がそこにはありました。
以後、筆者自身、関わるメディアの選択には(無意識ながら)、自分が最も好き、あるいは、最も知識や体験として自信があるものという背景があり続けた気がします。
これを逆に、読者の側から見るとどう説明できるでしょうか? “好き”という関心を共通軸に、「もっと多く、存分に情報を摂取したい」との欲求がメディアを支える原動力であることを意味します。

このビジネスを方程式にすると、

ビジネスの発展(売上)= 読者の数 × コンテンツあるいは媒体数

と表されます。その変数は、「読者の数」の増大、「コンテンツあるいは媒体数」の増大であり、いずれも「数を増やす」ことが最重要の成功要因だと理解できます。
勘の鋭い読者には既におわかりのように、成長を謳歌していた時代の「雑誌」ビジネスの多くは、このような「数の増加」を基調に打ち立てられてきたのだと理解します。

さて、「好き」をテコにしたメディアビジネスが、「もっとたくさん」という原理へ純化するのは自然でした。
しかし、情報過多が深刻(?)な課題となったとすれば、「増産」原理での成長余地は限定的です。
人間は不思議なほど柔軟な存在で、「好き」が作用するケースでは、これほどに忙しい現代であっても、(情報)接触時間をジワジワと増やしています(最近の調査結果でも、メディア接触時間の増加が確かめられた)。その意味で「ジワジワ」は限界効用が逓減した結果、増産による残された成長余力を表わすものと見なければなりません。
ここに対極のメディア市場があることに気づきます。
(情報接触に)「なるべく時間を使いたくない」「たくさんは要らない」という意識が働く市場です。それは、おもに“仕事(義務)として情報に接しなければならない”分野と想定できます。あるいは役職と関わった情報ニーズであるかもしれません。時間は割きたくないが知らなければならない。
仕事上のテーマ(義務)として情報収集(接触)しなければならない領域があるのです。

その場合の方程式は、

ビジネスの発展(売上)= 読者の数 × 1/コンテンツあるいは媒体数

となるはずです。

読者にとり、いかに多すぎる情報に接触しないですませるか。あるいは限られた時間を効率的に過ごすために、いかにムダ・不要な情報を遠ざけるかなどの工夫が付加価値となります。
方程式では明示されませんが、情報接触量を減らすことで得られる読者の「可処分時間」という見えない変数がそこには含意されています。情報を選別したりまびいたりする作業がそのような変数に関わります。
「好き」が作用する媒体の事業は、読者に好まれるコンテンツをいかに数多く生産して売上をかさ上げするかという方程式で説明できたのに対し、逆方向の「情報接触を絞り込みたい」というニーズも存在しており、この場合、「コンテンツあるいは媒体の数」の増分は、読者の満足を下げるということに注意しなければなりません。
しかし、内心疑問も湧き上がってきます。「なるべくなら読みたくない、限定したい」という情報ニーズをターゲットとするメディアを構想することは逆説的ではないかと。
可能な限りページ数を絞り込む方向性の媒体を、売買することは可能でしょうか?
薄くぺらぺら。10分もあれば読み切れるようなメディアに、何もかもが無料になりたがるような時代においてそれなりの対価を設定するのには勇気が要ります。

下図をご覧下さい。ただちに筆者の仮説に入る前に、Just the News というたった数行で構成される“ニュース”サイトについて検討をしてみましょう。

JustTheNews日々のニュースを数行に絞り込んで届ける Just the News

米国の Max Temkin というデザイナーが個人で運営するもので、ブログのようなものかもしれません。1日1回、4〜5本のニュース記事へのリンクと、長めの論説記事(Long read)へのリンクが1本だけ掲載されるホワイトスペースが勝ったページです。
それぞれの行がリンクをなしていることさえ気づきにくいぐらいの、超ミニマルなページなものです。
この Just the News について触れた記事も紹介しておきましょう。

The Next Web 掲載「Just the News: A curated online news service that cuts out all the noise」(Just the News:あらゆるノイズを切り捨てたオンラインニュース キュレーションサービス)です。
記事は、Temkin 氏がこのようなメディア(ページ)を考案した経緯を述べています。

自分はつね日ごろ、プレーンで白いページにほんの数行の厳選されたニュースが盛られているようなものがあったらと願っていた。広告はなく、ソーシャルボタンやコメントもないような(ページだ)。ついに待ちくたびれてしまった。自分でそれを作ることに決めたんだ。

記事には補足的なことが種々述べられていますが、見ての通り。多くを語る必要もないでしょう。
いかにして、その日、人が注意を払うべき4つ、5つの話題に絞り込むかが重要なポイントです。
時間つぶし、数合わ、増量のためのゴシップネタなどは排除されています。
「ある日、重要な記事が5つに満たなければ、ポストするリンクも減らす」「読み応えある長文記事が1本しかないような日がきてもよい」とさえ Temkin 氏は述べます。
ご本人はデザイナーながらも広告バナーはおろか、メディアロゴなどまで不要物として排除してしまっています。
しかし、ここで終わっては単に“アマチュア”の余技議論となりかねません。

ここで「厳選する」「不要な情報の排除」という価値に焦点を当てることで、「なるべくなら読みたくない」「読むこと以外への可処分時間を確保したい」と望む読者に向けた逆説的なメディアの事業化が可能かと考えてみたいのです。
キュレーションだからこそ可能な新たなメディア価値観。それが厳選するということではないのか。これが筆者(藤村)の視点です。
おびただしい数で産出される「まとめ」「キュレーション」記事の数々は、実は「もっとたくさん読みたい」という文脈の上に存在しているように見えます。
「もっと絞り込みたい」という文脈の上で実現するメディアの事業モデルは構想できないでしょうか。

そこで、筆者もまた饒舌は控えつつ(笑)、事業化のための仮説を箇条書きしてみます。

  • 相対的に時間が足りない(限られている)というタイミングに提供して、メディア価値が引き立つように設計する(余暇時間には、むしろ時間消費型の閲読スタイルに読者は向かうだろうから)
  • “これさえ読んでおけば安心”という心理的担保を提供する。他のニュースを知らないことの心理的不安を取り除くことが肝要(たとえば、絞り込むことで失われる情報の網羅性を担保することなど)
  • 上記同様、その方面の権威がピックアップ(キュレーション)した、という心理的担保を用意する
  • そのニュースについてもっと詳しく知りたいという意向に備えて、詳細な記事群へとドリルダウン可能な構造を整える
  • 広告や煩雑なナビゲーションを排除してビジネスモデルを組み立てるために、購読型(課金)の仕組みとする……

特にキュレーションからの収入モデル/キュレーターへの報酬モデルについては、具体的に考えるところがありますが、いささか生々しくここで述べるのは避けようと思います。
ひとつのポイントは、紹介される記事(ニュース)の価値とキュレーションの価値(への金銭的対価)をどう分離できるかというにあります。
ニュース記事を日々生成しそれを生業とするコンテンツホルダーらと次元を異にする収益モデルを生み出すこと。そして、Temkin 氏の試みの背景にあるように、良質のジャーナリズムへの尊敬が貫かれる仕組みを生み出すこととが相まってこそ、「少ないことは、豊かなこと」が実現されるはずです。
(藤村)

“コンテンツ”へのバイアスを捨てる メディア事業再考

変化の時代から逃れられないメディアビジネス
コンテンツ価値にこだわる思考が、事業の硬直化を招く——。
情報価値へと立ち返り、
メディア事業を再考するためのヒントと事例を検討する

メディアのビジネスを考えるとき、筆者が最も重視するのは「テクノロジーは、メディアに対して両義的に振る舞う」という命題です。メディアに取り組む立ち位置によっては、テクノロジーは無慈悲で冷酷に振る舞います。しかし、逆に、希望に満ちたチャンスをもたらしもします。
その図式は、あらゆる産業ですでに起きたか、あるいはこれから起きようとしていることと変わりはありません。
その際に重要なのは、(メディア)ビジネスに対するスタンス(立ち位置)です。
いまは、明瞭には見通すことができない大きな変動が進行している時代です。目を大きく見開き、柔軟にそして肯定的に考えるべき時なのです。

と、そう考えているはずの自分が、不明を突かれた体験を告白することから本稿を始めようと思います。
取り上げるのは paidContent 掲載「Don’t think of it as content, think of it as information」(それを「コンテンツ」としてではなく、「情報」と考えよ)です。

デジタルメディアから利益を生むため、また、ソーシャルが破壊的創造をもたらすいま、コンテンツ企業、あるいは出版社は何を為すべきか? いま行っていることとは別のことを考えなければいけないはずだ。

記事は、米国のメディア関連ベンチャー Betaworks のCEO John Borthwick 氏の示唆に富むオピニオンを紹介します。同社は URL 短縮化サービスの Bitly やリアルタイムに Web サイト来訪者を解析するサービス Chatbeat などで知られる一方、米大手新聞社 New York Times と組んでソーシャルなニュース提供サービス News.Me を開発したりとメディアとの連携を武器にするベンチャー企業です。
では「別のこと」とはどんなことでしょう? 記事はこう述べます。

メディア企業が創っているものを「コンテンツ」と考えるのを止めてみること。代わりに、それを「情報」なのだと考えてみることだと(Borthwick 氏は)述べる。
コンテンツという語を使うことの問題は、そうすることによって、コンテンツを包む、あるいは流通させる“パッケージ”や“コンテナ”のほうを考えてしまいがちだということだ。
しかし、(いまやメディアビジネスにおいて)パッケージに関連する部分はほとんど破壊されつつあるのだ。

記事はまたこうも述べています。

メディア企業が創り出しているものを、パッケージされるための存在としてコンテンツと考えるのではなく、「情報」を創造しているのだと考えれば、ユーザーへ提供する情報価値に焦点を当てることができると、Borthwick 氏は言う。
パッケージや流通システムは、それが雑誌であろうと、新聞であろうと、そしてモバイルアプリであろうとも、二義的なものとなる。メディア企業は、ユーザーが何を、どう求めているかを理解することだけが重要なのだ。

不明を突かれた思いとはこの指摘に関わっています。
筆者(藤村)は従来から、単に“情報”の伝達にとどまるのではなく、いかに付加価値を与えるかを探求することによって、商業メディアは機械生成的なメディアやソーシャルメディアの多くに対し差別化できるという思いを軸に立論してきました。
デザインが付加価値となる、あるいは、多様なメディア形式(“パッケージ”と同義です)へとアウトプットすることなど、問題意識は“情報からコンテンツへ”でした。Borthwick 氏のオピニオンはそのような一方通行の思考であったことを見事に突いたのです。

たとえば、Bitly は、文字数制限があるツィートに長い URL を記述するために便利な短縮ツールとして広く受け入れられましたが、以後、どのような(Web 上の)情報がツィートされているか、それがどう拡散していくかなど分析するためのツールとしても成長していきました。コンテンツに対する情報としての意義の一端が、ここに見えてきます。

筆者を含めてメディアビジネスに携わる人間の多くのスタンスは、述べてきたように“いかに情報に付加価値を与えるか”であり、その現代的な解として多様なパッケージ形態をめざすという枠組みにとらわれています。しかし、Borthwick 氏のオピニオンをいれるなら、出口が広がる可能性があるのです。

では、どんな可能性が考えられるでしょうか?
デジタルメディアが追求可能なビジネスモデルを思いっきり拡張して見せたのは、『フリー〜<無料>からお金を生みだす新戦略』を2009年に世に問うたクリス・アンダーソン氏です。
同書に先駆けてメディアのビジネスモデルについての思考実験を公開したブログは、重要なヒントになります。氏のブログ The Long Tail の「What does the “Media Business Model” mean?」(メディアのビジネスモデルとは何か?)です。2008年に書かれたこのポストには考えるべきメディアのビジネスモデルが、更新を重ねながら25種(!)も掲げられています。

これら多くのメディアのビジネスモデルのなかで、“コンテンツから情報へ”の文脈と接点があるものとして、「コンテンツのライセンス(シンジケーション)」と「API 課金」があります。
前者は従来からニュースの配信事業者(通信社)のモデルとして存在しておりよく知られたものです。これにテクノロジーの要素を加えれば、ニュースを API 経由で自在に需用者が取り出す仕組みが考えられます。つまり、メディアにおける形式部分(パッケージ)は、コンテンツを創り出したメディア企業がではなく、それを API 経由で利用する個々の需用者が、自らの消費者に向けて創り出すことになります。
ここでは深入りしませんが、どの記事をどんな読者がアクセスしているのかといった、Bitly のようなメタコンテンツ情報を API により外部へと提供する事業も考えられそうです(API については「API をビジネス視点で考えてみる」が参考になります)。

CNET Japan 掲載「アイスタイル、『@cosme』内のデータを外部へ提供するAPI『apicos』公開」はその一例と言えます。
また、TechCrunch 掲載「Old Publishers Dive Into The New: Pearson Inks API Billing Deal With Zuora; Adds Food To The Mix」(老舗出版社 Pearson、API 課金システム開発の Zuora と提携を発表)も事例として参考になります。
いずれの例も、メディアのなかにあるコンテンツ群をデータベースとして見なし、それを外部事業者が呼び出しそれぞれの事業に組み込んで活用するという手法です。
コンテンツを、第三者である事業者がそれぞれの事業機会に即して柔軟に再利用できるようにするというのが、この“コンテンツの情報化”の意義と言えます。
従来の私たちであれば、自ら創り出したコンテンツの価値を重く見るがために、その収益化も自身が作り込むパッケージによって果たそうと考えがちでした。
むしろ、自らとはまったく異なる市場を持つ事業者が創造する事業機会へと委ねることで新たな収益化を模索する仕方が見えてきます。

また、直接の収益化を留保してでも、“コンテンツから情報へ”のアプローチを積極的に取り入れようとする試みもあります。ITmedia ニュースlivedoor ニュース、自社メディア記事をCCライセンスで公開 転載自由に」もその例です。
このケースでは、個々のニュース記事を第三者に“再利用可能”と宣言することで自社のサービス価値の周知拡散を図っていると理解します。あるいは付帯して営むブログサービスなどでの二次利用促進、記事の増産が進むなども意図しているのかもしれません。ともかく、この宣言によって多くの第三者が、再利用を意図してアクセスしてくることが見込めます。

このように、自らが創り出した宝物であるコンテンツを、あえて固定的なパッケージから分離して流動的に扱ってみること。そのことにより、情報の拡散が加速し、新たな収益機会を生み出すことにもなると仮定してみることは、重要なトレーニングとなるはずです。
テクノロジーがメディアに対して両義的な可能性を広げるとき、いかに肯定的なスタンスでそれに取り組めるか——。メディアがこれからも変化に満ちた長い道のりを歩むために重要な視点となるはずです。
(藤村)

デザインこそコンテンツの未来 転換点の到来

ある外国人ブロガーが指摘した“美しくない日本のWebデザイン”。
注目すべきは彼我の文化的差異ではなく、
アプリやWebにやってきているデザインの新段階である
それは、デザインが競争力や成長力に直結するというトレンドだ

少し前、ある掲示板に興味深いスレッドが生まれました。
スレッドは「日本のWEBデザインが2003年で止まっていると話題に」であり、発端は「Japanese Web Design: Why You So 2003?」(日本の Web デザインよ:なぜ君は2003年のまま?)とのブログポストです。
「Japanese Web Design……」は、日本の美しいデザインについて考えると、“Zen”庭園、寺社、まんが……等々を思いつくものがたくさんある。それなのに、その美が Web サイトには反映されていないと、いくつもの著名なサイトを取り上げ、日本のWebサイトの現状を指摘します。
悪い例をことさらに取り上げるのは少々気が引けます。それについてはぜひ出典の記事から当たってみてください。
同ポストでは、日本の Web に共通する悪しき点を挙げています。それだけをここでは紹介しておきましょう。

  • たくさんのテキストが詰め込まれている
  • 小さなグラフィクス
  • カラム形式(だいたいは3カラム)
  • ホワイトスペースの活用が貧弱・詰め込みすぎ
  • カラーリング(青色のリンク)
  • そして混沌……

これらをブログでは「まるでアメリカなら90年代のデザインだ」としています。

さて、本ブログでも Web メディアのデザインについては、及び腰ながら何度か言及してきました(たとえば、これなど)。“及び腰”と書くのは、“デザインセンス”という意味では、筆者(藤村)に自信があるわけではないからです。
しかしそう言い続けてもいられません。(Web)デザインをめぐって、いまやひとつの曲がり角が到来しているからです。
単なる好みの問題を離れた大きなテーマとして、デザインは切実な課題として浮上しているのです。

論点整理に格好の記事「Why Great Design Is the Future of Content Marketing」 (どうして、すごいデザインはコンテンツの<マーケティングにとり>未来であるのか?)があります。これを紹介しながら検討をしていきたいと思います。記事は Mashable に掲載されました。
「Why Great Design Is……」がデザインのトレンドについて述べるポイントは明瞭です。

まだ2012年の早い段階ではあるが、ビジュアルな情報伝達スタイルは明らかに今年勢いを得た重要なトレンドということができる。Facebook タイムライン、Pinterest、そして Instagram などは、ブランド(性のあるもの)をよりビジュアル化することを通じて(人々を)考えさせ、行動させる力を発揮している。モバイルブラウジングとこのビジュアル化のインパクトの組み合わせは、“見せるのだ、語るのではなく”というテーマに新たな意義を与えようとしている。

さて、「Why Great Design Is……」は、最近になり勢いを得たビジュアルな情報伝達トレンドについて、“ビューティフィケーション”という造語を与えています。過去のように“Webデザインを小綺麗に”といった小手先・個別的なテーマとしてではなく、Web を美的に見せる大きなトレンド(=ビューティフィケーション)がやってきたとするのです。
造語の是非はともかくとして、論点を追ってみましょう。
記事によれば、ポイントは5つです。

1. アプリがビューティフィケーションをリードしている

Flipboard のデザインは、コンテンツの消費についての考え方を変えてしまった。Path は、美しいアプリデザインがどうユーザー体験にインパクトをもたらすかを示した。Instagram のフィルター、タスク管理の Clear は(従来の)ナビゲーションがいかに時代遅れのものかを見せつけた。直感に訴えるデザインを戦略的に取り上げたことで、これらのアプリは人気と急速な成長を見せた。……

Three_apps

新しいトレンドを示す、スマートフォンアプリ(左から、Instagram、Clear、Flipboard)

2. 特殊効果が鍵を握っている

ユーザーは、PC における2000年代の古めかしい操作体系を捨て、いまやタブレットやスマートフォンを使う時間を一層増やしている。このシフトが生み出した素敵な Web デザインの成果は、手が込んでいてインタラクティブな、ビジュアルな効果から生まれた。これは HTML5 や CSS3 によるおかげだ。……

3. 多様なブラウジング体験への対応が新たな必須課題に

スマートフォン、タブレット、PC、そしてTV……と多様なデバイスで Web ブラウジングが可能になっている。この多様なデバイスによるブラウジング体験に対応することは必須である。
PC 用サイトに並行してモバイル用サイトを作ることができなければ、代わりに、レスポンシブデザインによってユーザーのスクリーンサイズ選択に対応することになるだろう。……

4.「少ないほど、豊かである」(筆者注=ミース・ファン・デル・ローエの言葉)

5000万以上のブログを擁するに至った Tumblr は、ミニマリズムデザインで知られる。その“少ないほど、豊か”アプローチによるデザインは Web の空間では図抜けたものだ。
オンラインバンキングの Simple は、ページ概念にとらわれないサイトだ。メインページでは重要な情報、サインアップ手続きだけを伝える。
Square のサイトは、同社のプロダクトの機能をイメージとわずかな文字列だけで伝えようとする。
Dropbox の仕組みは“Google 様式”のミニマリズムを踏襲している。……

5. ビューティフィケーションは未来そのもの

Web を美しく表現しようとする動向(ビューティフィケーション)は、スタートアップにとり良いニュースだ。旧い Web のデザインは、新聞や雑誌業界の旧き標準を基にしている。それに対し、今日、われわれはオンラインおよびモバイルを優先しようとするルネッサンスのただ中にある。
デバイス同士が接続する今後長く成長していく分野では、ユーザーはより密着的で直感的なインターフェースに興味や関心を払う。
見てきたように、デザインについて革新的であるような企業は成長という対価を得るだろう。Pinterest や Instagram といった企業は、デザインが競合からの差別性を生むことを示し、そしてユーザーの忠誠心という値段に表せない価値を創造しているのである。……

とても十分には紹介しきれませんが、上記に付したリンクをたどり新たなビジュアルトレンドを体現するアプリ、サービス、メディアを体験することを推奨します。
そには細かな意匠上の差異に止まらない大きく共通するトレンド(方向感)の存在することが実感できるはずです。

モバイル化のトレンドと同時並行的に勃興してきたこのビジュアルトレンドが、ユーザーがたったいま初めて味わいつつあるパラダイムなのだとすれば、従来からの Web メディア提供者である私たちもこれに取り組む時期を逃すわけにはいきません。2003年ではなくいまは2012年なのだから。
(藤村)