サービスとしてのメディア/文脈的価値をめぐる断章

“コンテンツ”とはいったい何か?
ふたつの定義をとおして、
“文脈的価値”をめぐって新たなメディア展開を構想するメモ。

ブログ「SEO検索エンジン最適化」に、非常に示唆的な論である「コンテンツとは? その意味と定義」が掲載されました。
論は“コンテンツの定義”を整理しながら、現状のSEOをめぐる課題を述べるものですが、メディアの今日および明日を考える際の重要な示唆を含むものです。
本ポストは、この論に示唆されメディアとコンテンツの可能性について、筆者の短い考察を述べるものです。

まずはじめに論は、「コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律(コンテンツ法)」を援用し、

コンテンツとは教養または娯楽を提供する著作物である

という一定の概念を導き出します。その上で、論は重要な指摘をします。

コンテンツについての日本での議論は、ここまで述べてきたように、コンテンツそのものが持つ役割を主題としています。一方で米国の場合には、コンテンツの受け手の文脈や、受け取る価値に主題がおかれます。

つまり、コンテンツ(の価値)には、受け手の側にある文脈(コンテキスト)や価値観によって変化する要素があるというわけです。
これは、先に挙げられたわが国「コンテンツ法」が、コンテンツを創り手によって創造された価値的産物、すなわち固定的な著作物と見なす考え方を揺さぶる視点です。contextual

論はその視点を次のように整理しています。

英語版 Wikipedia の「Content (media)」によれば、コンテンツとは「特定の文脈において、受け手に対して価値を提供する情報や体験」であるといいます(Content is information and experiences that may provide value for an end-user/audience in specific contexts.)。

情報や体験の価値について考えるとき、受け手の文脈を無視して考えることはできません。なぜなら、情報や体験の価値には受け手の文脈によって変化する性質があるためです。同じ情報や体験であっても、その受け手や受け手の状況(つまり文脈)によって、価値は変化します。

改めてつたない補足を試みてみましょう。こんなシーンが浮かび上がってきます。

ある研究者が、事物、現象について深く考察した歴史に残るかのような論文を見つけだしたいと欲求している場合、検索エンジンによる検索結果最上位に表示されたある用語事典の簡略な説明は、価値の低いコンテンツと見なされてしまいます。検索結果は、むろんある一定のアルゴリズムにより“価値の高い(定評のある)”コンテンツを選び出しているはずなのですが。
まったく逆の現象も生じます。客先へ向かう車中で、ある事象を簡略に説明する情報を欲してモバイル機器を通じて検索エンジンに問いかけた結果が、長大な論文であったとすると、その結果を得た利用者はそれを価値の低いコンテンツと見なすでしょう。

まさに“情報や体験の価値について考えるとき、受け手の文脈を無視して考えることはできない”というわけです。
では、コンテンツの受け手にはどんな文脈的な価値が考えられるのでしょうか? 論では、ある海外コンテンツから次のような数多くの文脈的な価値を抽出しています。

  • 状況に合っていること(Relevant)
  • 時宣に合っていること(Timely)
  • 明確な目的があること(Purposeful)
  • 便利・有用であること(Useful)
  • 実践的であること(Practical)
  • 機能的であること(Functional)
  • 行動を喚起すること(Compelling)
  • 啓発的であること(Enlightening)
  • 独自性があること(Original)
  • 個人的見解を含むこと(Opinion Charged)
  • 愉快であること(Entertaining)
  • 魅力的であること(Engaging)
  • 信頼できること(Reliable)
  • 興味を引くこと(Interesting)
  • 洞察的であること(Insightful)
  • 賢く手際がいいこと(Clever)
  • 見事であること(Beautiful)
  • 結果を出すこと(Outcome Oriented)

コンテンツの価値が受け手のコンテキストに依存して変動するとすれば、上記のような数多くの期待価値のひとつ、もしくはいくつかを満たすものこそ、価値あるコンテンツたり得るというのが、論の視座です。

ところで、ここで重要なことは、上記の期待価値は、一人ひとりのコンテンツの受け手によって、異なったり、もしくは流動したりしやすいということです。
先に筆者が描いた検索エンジンをめぐる対極的な利用シーンは、ひとりの人間の中でさえ起き得ることなのですから。

さて、ここからは「コンテンツとは? その意味と定義」とは離れてひとり歩んでみます。
たとえば、「時宣に合っていること」価値を得るためには、「教養または娯楽を提供する著作物」としてのコンテンツが必要なのか? という問いが手元に残されています。
筆者の見解はこうです。
ユーザーのコンテキストに即した価値を提供するためには、そこに丹精を込めた著作物的価値が必須だとは考えない。
たとえば、ある商品がいま、いくらで売られているのか? あるいは、いま気温は何度かなど、決して著作物的な価値をなさないような情報が、情報の受け手にとっては、「時宣に合っている」理由から高い価値をもたらすコンテンツであり得る。
著作物的な価値としてのコンテンツでなくても、高い文脈的な価値を提供できるとすれば、新たなメディアビジネスを構想可能というのが、現在の筆者の基本姿勢です。

上記の「販売価格や株価の変動」「気温の変動」など、それ自体では著作物性の低い情報が、ある種の文脈にある消費者にとっては、非常に重要な情報源(コンテンツ)となり得ることに間違いはありません。
もちろん、上記を凡庸なパッケージでくるんで提供しても、多くの競合サービスの中に埋没するしかないのですが……。

筆者はこのように、「コンテンツとは? その意味と定義」で示された18もの文脈的な価値を念頭に、それら価値に適合した新たなメディアビジネスを構想したくなっています。
それは、“価値ある著作物”を届けるという創り手中心の視点を終えんさせ、受け手の視点に即し、(受け手のコンテキストに即した)“サービスとして”コンテンツを届けるメディアビジネスを構想することへとつながっていきます。
受け手の文脈的価値を満たすメディアビジネスであるためには、高い利便性において受け手に提供する情報流通の仕組み=メディアの実現にこそ、重要性が集まるものと考えます。

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