米新興企業の多くがメディアビジネスに目を向けている。
それは新たにメディアとサービスプラットフォームを融合する動きとなって、
徐々に奔流へと成長をしようとする。
本稿では、産業としてのメディアを揺さぶる兆候を紹介する。
米国のメディア動向を追っていると、あることに気づかされます。
それは、大手メディア、新興メディア、そのいずれもが技術革新を取り入れよう、生み出そうと夢中であるという点です。
大手既存メディアのように、内発的な技術革新を生み出しにくい、あるいは画期的な将来ビジョンを描けないというケースでは、技術革新の芽を有する新興企業を買収する動き。あるいはそのような段階も過ぎ、もはやポジションが逆転してしまい、新興テクノロジー系マネーが、逆に老舗大手メディアやその人材を吸収するといった動きにも飛び火しています。
本稿では、米国における新興メディアのトレンドに着目します。
そこには、メディアの未来図を描くために注目すべき胎動があります。
それは、プラットフォームとメディアが融合する動きです。
テクノロジー系のメディアとして、それ自体が“今年の目玉”的新興メディアのひとつである re/code に掲載された「Rise of the Platishers(“プラティシャー”の台頭)」を紹介しましょう。
「プラティシャー」とは、“プラットフォーム”と“パブリッシャー(メディア運営者)”の融合を意味する、むろん造語です。
筆者 Jonathan Glick 氏自身も、Sulia というプラティシャー的存在の創業 CEO です。
Glick 氏がプラティシャーの代表格として挙げるのは、次のような存在です。
セレブのゴシップネタ満載のメディア Gawker。Twitter 元創業者 Evan Williams 氏が昨年、140字のマイクロメディアに満足できずスタートした、クオリティ系のテーストが色濃い Medium。また、The Verge や SB Nation などアクの強い中規模ブログメディアをいくつも擁する Vox Media も重要なトレンドセッターのひとつです。
さらに、筆者(藤村)が付け加えるならば、既存メディア陣営からも、たとえば Forbes.com のように、数多くの外部執筆者(ブロガー)を組織するために、インセンティブと高度に連動した CMS を提供するような動きも活発化しています。
また、わが国でも cakes が、プラティシャー的トレンドの渦中にあると言えるかもしれません。
このような動向について、Glick 氏はこんな風に述べます。
いま、まさになにか新しいことが生じている。
新世代のメディア企業は、その(出版システムである)CMS を外部に向けて開放すべく試みている。
技術プラットフォームによって、アルゴリズム的システムと編集者や専門家(といった人々)の融合という利点を実現せんとしているのだ。
これが新たなメディアのハイブリッド型という結論を生み出している。
Medium を例にとってみましょう。
ユーザー登録し投稿を試みて分かるように、そこには、テクノロジーに必ずしも強くない執筆者にもすぐに使えるような、シンプルでモダンな CMS が用意されています。
それを使い記事を書けば、簡単に美しく見栄えのするブログ記事がすみやかに生成される点で、Medium はまさに新ブログサービス(プラットフォーム)です。
ソーシャル時代を強く意識して、記事公開前の非公開段階で、自身の知人からフィードバックを得たり、また、公開後もソーシャルに拡散する仕組みも良くできていそうです。
ここまでは、Medium のプラットフォーム性についての特徴です。人やテーマを問わず提供される機能としての最新 CMS と見えるでしょう。
しかし、Medium はここからが大きく異なるのです。
いずれもひとクセあるような書き手を集め、ゴシップや煽りでアクセスを稼ぎたい系統のコンテンツと一線を画す展開がそこに見えてきます。知名度や品質の高いコンテンツに対しては、どうやら稿料もしくはインセンティブを提供しているとのウワサも目にします。
また、公開投稿された記事について、高品質なコンテンツを優先して利用者(読者)に向け推奨する仕組みがサイトトップページにはあります。これにより、いずれ Medium は高品質なコンテンツをテコにしたプレミアムな広告ビジネスを実現することでしょう。
つまり、単に人を選ばず機能を提供するサービスプラットフォームではなく、メディアとしての最低限の要件である、一定以上の品質やテースト、方向感などがそこには盛り込まれています。もっと言えば、「編集」というある種の意思がそこに見えてきます。それも戦略的な意思によって行われているのです。
Medium に限らず、プラティシャーにはこのようなサービスプラットフォームとしての機能と、一定の編集的方向感を有したメディアという二面性が、それぞれに強弱はありながらも共通して表われてきます。
ところで、このようなハイブリッド型メディア(あるいは、プラットフォーム)には歴史的な背景があると Glick 氏は述べます。
90年代にパソコン通信から転換しインターネットアクセスプロバイダーとして価値を高めた米 AOL を例に挙げます。
まさにサービス・プラットフォームの雄だった AOL は、2000年に Time-Warner と合併し、当時としては世界最大のプラットフォームとメディアを融合したコングロマリットを、一時的にせよ生みだしたのでした。
ポスト AOL の時代、プラットフォームとメディアは分離の時代を迎えます。プラットフォームとしては、Yahoo! や Google らがコンテンツ検索とコミュニケーション機能をそれぞれ発展させていきました。
また、パブリッシャー(メディア企業)としては、数多くのネットメディアが現われ、コンテンツ創造を規模やテーマに沿って発展させていったのでした。
なぜ、この2つの方向性は、融合ではなく分離に向かったのでしょうか。
Glick 氏はこう述べています。
- まず、AOL と Time-Warner の合併があまりに大きな失敗で、心理的なトラウマを引き起こしたこと。
- 次に、Google が生み出したある種のイデオロギー性によって、コンテンツや編集者が行うべきことと、アルゴリズムによって行うこととの分離意識が高まったこと。どちらか一方をコントロールすることに対して忌避が働くようになった。
- さらに、プラットフォームの振る舞いに対してきびしい視線が働いた時期が続いたこと。
- また、技術(ベンチャー)の視点からは、人的コスト、時間、そしてライターやフォトグラファらにかかる費用など、メディアビジネスにはスケーラビリティ上の課題があると見なされたこと。
- そして、最も重要なこととして、組織的なフォーカスという問題があったこと。つまり、エンジニアリングかコンテンツづくりか。これをバランスさせるような組織運営が難しかったこと。
このように、プラットフォーム型ビジネスとコンテンツ創造型ビジネスが断絶的であった長い時期を経て、どうしていま、融合の動きが生じているのでしょうか?
その理由のひとつは、プラティシャーを担う起業家自身が、メディアの Web 化の経験を経ていることです。
若い世代は、印刷時代のメディアにとわれません。
さらに、Web2.0 ムーブメントで、技術の力を借りて新たなメディア系サービスを軽量に立ち上げることを経験しており、また、ソーシャルメディアの中に生きているという点が重要だと Glick 氏は指摘します。
しかし、「もっと大きな理由」があると Glick 氏は書きます。
それは、モバイルと広告テクノロジーの進化によるというのです。
この大きな動きを自らのビジネスとするには、巨大なトラフィックが不可欠であり、そのための中核はコンテンツだという認識があるとします。
そのためには、まず、自らがコンテンツを内製するのではなく、パートナーもしくはコンシューマのコンテンツ生成能力に頼らなければなりません。
次に、ビジネスとしては、これらコンテンツを価値高く売れる仕組みを創る必要もあるでしょう。
このような挑戦に加えて、プラティシャーは、(優れたアルゴリズムを開発していくために)Google に集っているような才能を引き寄せ維持する必要、コンテンツをめぐる権利問題の克服、そして、アルゴリズム(システム)とコンテンツ(編集、編成)上のバランスチューニングなどの課題に直面しているとも Glick 氏は指摘します。
ちなみに、プラティシャーが抱える脆弱性のひとつを、平和博氏が「メディアとプラットフォーム――情報の責任の行方」で早くも指摘していることを忘れてはなりません。
さて、Jonathan Glick 氏の論旨に沿って、メディア界の最新トレンドであるプラティシャーの台頭について理解をしてきました。
その動きは、果して、新規性はあるものの単なるトレンドとして通り過ぎてしまうものなのか。
あるいは、メディアの産業構造を一変するような激震へと発展するものなのでしょうか?
Glick 氏は結語の部分で、(メディア業界関係者にとっては)衝撃的な推測を述べます。しかし、これを詳述するのはルール違反かもしれません。
ポイントだけを述べれば、Google や Facebook のようなプラットフォームの雄は、プラティシャーの可能性に目覚めている。
少なくともその兆候が見えてきたというのです。
鷹のぼせの独り言 でリブログ.