ニュースメディアに求められる価値は2つあるはずだ。
ニュースがもたらす2つの価値観を基底にすえ、
ニュースメディアの未来を構想してみよう。
数年先、たとえば2020年までを射程に、メディアの将来、特にニュース(ジャーナリズム)の行方を考えてみたいと願っています。
そのためにも、まず、メディアビジネス(とりわけ、ニュースメディアビジネス)をめぐる基本的視点を、ここで整理しておきたいと思います。
うまくそれを手に入れることができれば、これからのニュースメディアの歩むべき道が見えてくるはずです。
基本的視点とは、ニュースが価値をもたらすその根本理由についてです。
筆者は、次の2点をその中心と考えています。
- 事象を知る……驚き、感動、怒り、悲しみなどの感情面の刺激に始まり、それを理解する、対処するなど、知見のひろがりと行動を喚起する価値
- 事象を深く理解する……事実の背景、そのもたらす影響などを客観化したり、他の事象と関係づけるなどして、世界や社会への視点を形成する価値
1.「事象を知る」価値には、2つの要素が含まれています。なかでも「感情面の刺激」は、ニュースのある種の醍醐味ともいえます。
事件や事故の速報に触れると、不安・怒り・悲しみ・喜びなど感情的な揺れが喚起され、続報を求める心理が形成されます。一方、たとえば、天気や交通情報などにおいては、事実を知ることよって、傘を持って外出する、渋滞地域を迂回するなどの行動をもたらします。
これらはいずれも、深い内省や発展的な思考へと直結はしないものの、ニュースの大事な価値を形成します。
一方の2.「事象を深く理解する」は、ニュース解説や“調査報道”と呼ばれるコンテンツに代表されます。事件や事故などの背景をたんねんに取材したり、専門家による解説などを加えることで、ある事実には、広く、あるいは複雑な背景や関係があることを教えてくれます。このような情報は、いずれ私たち自身の考えを形成していくための重要な栄養素となっていくはずです。
さて、筆者はこの2つの価値軸を念頭に置くことで、現在、そしてこれからのニュースメディアを考えるためのヒントが得られると思います。
たとえば、ある種の人々は、1.の価値から2.の価値へと向かってこそ、ニュース(ジャーナリズム)の本質的な存在意義を説明できると考えるかもしれません。いいかえれば、事象(事件や事故、そして現象)の報道だけでは、価値が低いとの発想にとらわれているかもしれません。
しかし、そうとは言い切れません。たとえば、交通情報や天気予報に、つねに深い背景説明が必要とは限りません。
むしろ、このような実用情報においては、タイムリーかつ情報享受者(読者)の文脈に沿った提供をしていくことで、価値をさらに大きすることが可能でしょう。天気予報は、外出する前に知らされることで価値を倍加します(逆に、タイムリーでなければ無価値な情報となる場合さえある)。交通情報も事情は同じです。自分が関係しない地域の交通渋滞を知らされても、価値を見いだせません。
このように、実用情報は読者が置かれた“いま・ここ”に寄り添うことで、これまで以上に価値を増大させる余地があることを理解できます。なぜなら、私たちは、いまだに実用情報がタイムリーに、必要とする詳細度で与えられないことを意識することが多いからです。GPS や各種センサーを持ったモバイルデバイスの出現は、このような文脈理解を拡大し、微細化していきます。
また、情報享受者の行動上の背景やその特性を解析できれば、より価値の高い実用情報の提供が可能になるとも想像できます。
これらを“サービスとしてのニュース”と呼ぶこともできるでしょう。情報享受者一人ひとりに最適化した株価や企業情報などの提供は、そのようなもののひとつです。いいかえれば、サービス的価値の定義は一人ひとりの情報享受者にとり異なる可能性があります。
ところで、1.における“感情面の刺激”と、2.の“深い理解”にはどんな関係があるでしょうか?
感情は、体験の強度とほぼイコールです。つまり、事象を知ることに起因する感動といったものです。表現力の高い文筆家や記者らの文章は、感情を揺さぶり、その結果として読みごたえ、読後感といった体験的強度を形成します。
しかし、文章だけがこの体験的な強度を形成するわけではありません。音声、動画像その他が事実の追体験を強固なものとすることは理解できるでしょう。したがって、コンテンツは、文章に加え音声、動画像などを統合したり、あるいはバーチャルリアリティなど体感に訴える手法によって、ニュースの体験を強化していくだろうことは明らかです。
つまり、[知る —— 理解する]という二極の構造は、[知る —— 体験する —— 理解する]と補完されることで、理解への意欲を強化します。
このように、体験的強度の高い、つまり、“知ること”から“深い理解”へと連なっていくようなニュースのアプローチを、“作品(的価値)としてのニュース”と呼ぶことができるでしょう。感情を揺さぶるような種類の報道から、より徹底した調査や分析などから得られる報道は連環し、深い理解や共感へと情報享受者を押し出します。作品的価値あるニュースは、同時に大量生産とは対極に位置するものともいえます。
各種のニュースが生み出す価値は、この2極構造の内部に分布してそのメディア特性を表現します。新聞やテレビなど、伝統的なニュースメディアは、いずれもその2極的な方向を混在させているのが実情です。
ここで注意したいのは、1.の“事象を知る”に多く帰属するニュースは、微細な情報へと多岐、豊富化し、すでに過剰性の領域にあるということです。そこは、ニュースは溢れかえり、精度の高い情報へと取捨選択する必要性さえ高まっている分野です。情報享受者の文脈に即していない情報提供は、むしろマイナス価値へと転じていくのです。
一方で、2.の“深く理解する”種類のニュースは、希少性の原則に従います。
体験的強度が高く、そして、事実の背景を深く掘り下げたり、独自の専門的視点を盛り込んだ情報を生み出せる記者や編集者、プロデューサーは、数多くは存在しません。増やすことも簡単ではありません。すなわち、希少性の側に属しているのです。けれどそのような能力を有した少数の人々は、情報創造活動を安定的に行っていけるのです。
一方、情報享受者においても、このような深く掘り下げたコンテンツを大量には消費できません。
つまり、ひとつの作品的価値に富んだニュースコンテンツは、そうでない数多くのコンテンツに匹敵し、凌駕する体験をもたらすものですが、情報のつくり手にとっても、受け手にとっても、その営為を無制限に拡大していくことは困難です。
これらを考え合わせ、ニュースメディアを拡大可能なビジネスとして構想するなら、1.の価値軸に沿って行うのが妥当です。
人々の感情に訴えるという点では、この数年間でバイラルメディアなど、ソーシャルな伝播を重視して手法的な発展を遂げています。また、体験を強化する手法や、利便性を高めるニュース配信については、テクノロジーの力を借りてさらに発展、拡張する可能性に富んでいると見なせます。と同時に、手法(トレンド)やテクノロジーというテコの力を借りる分、その栄枯盛衰といった変化を被りやすいともいえるのですが。
他方で、ニュースを希少な価値として産出する仕組みは、それが重層的な構造の上に成り立っている分、急速に拡大や縮小はしません。狭い意味においては、競争環境も安定しています。歴史的に築かれてきたその能力や人材プールは極めて持続性が高いものともいえます。問題はその内部に、将来に向けた拡大や革新性を胚胎できるのかどうかが、不確かだということです。同業他紙との競争環境は収束していても、異業態との競争は激烈化しています。ましてや、テクノロジーの力を借りやすい、サービスとしてのニュース分野において、異業態と競争することに勝ち目はないはずです。
そのような前提で考えると、筆者には、ニュースメディア(ビジネス)の将来は、次のように見えてくるのです。
- サービスとしてのニュースは、さまざまに拡大余地があり、おもにテクノロジーに秀でた企業の参入余地を残している。ひとりの人間が、どのような情報をもとに行動しているかを的確に分析する能力が、競争優位性をもたらす
- “事象を知る”ことや体験的強度を生む手法は、UGC(User Generated Content)と動画像をテコにしたリアルタイム性が重要な動因となる。専門家や記者らが事象の発生を第一義に取り扱う“一次情報メディア”から、“ゼロ次情報メディア”へと向かうニュースメディアには、幅広いユーザーネットワークと、優れたツールやインフラを提供する力が必要になる
- 作品的価値を産出し得る人材を多く擁するメディアは、その人材に対し、幅広いネットワークとリアルタイム情報(ゼロ次情報)へのアクセスを提供したり、出版システム全体を最適にデザインすることで、創造的能力をトータルに高めていくことが求められる
- 人材やテクノロジー等の資源に乏しいニュースメディアにあっては、対象を特定専門分野に絞り込み、テクノロジープラットフォームがもたらすサービスインフラを活用するなど、狭い分野において、サービスとしてのニュースと、作品的価値としてのニュースの総合をめざすべきである
幸いにしてテクノロジーインフラの利用コストは年々低下し、コモディティ化を続けています。このように遍在化するテクノロジーインフラを効果的に活用できるテクノロジー人材は貴重です。一方、情報享受者に深い理解へと誘う能力を持つエディトリアル人材も、同じくらい貴重であり、その効果的、創造的な活用が求められます。
優れたテクノロジーとエディトリアル人材、いずれに対してもこれまで以上の尊敬と配慮が必要であるという単純な事実が、これからのニュースメディアに求められる出発点といえます。
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