メディア企業 vs. テクノロジー企業 「配信」テクノロジーをめぐる攻防

コンテンツと配信(流通)の融合体であるメディア。
押し寄せるテクノロジーは、旧来の配信を刷新し、
メディア(企業)の存立に大きな影響を及ぼそうとしている。
本稿は、メディア(企業)のテクノロジーへの取り組みを考える。

最初に非常に乱暴な筆者(藤村)の仮説を述べておきます。
メディア(企業)に変革を余儀なくさせる、破壊的な要因とは「配信(流通)」である——。

「配信」とは、現在では、そのまま“インターネット技術”と言い換えることができます。インターネット技術の進展がメディア(企業)に変革を迫っていることは間違いありません。
私たちが語る「メディア」の語源が、媒介物やその手段である“medium”であるとすれば、媒介手段はメディアにとり根源的、決定的な要素のひとつであるのは自明です。
また、この媒介手段=配信こそ、時代における最新技術の影響を非常に受けるものであることも理解できます。
複製、印刷、運搬、電送、放送、光磁気ディスク、そしてインターネット。
これらを「配信」テクノロジーと総称するなら、それがいかにメディアの発展に決定的な影響を及ぼしているかすぐに想像がつきます。
もうひとつ、配信をめぐってのポイントがあります。
それは、20世紀に大きく開花した“四マス”(新聞・テレビ・ラジオ・雑誌)は、そのいずれも開業、運営維持に大きな資金や設備の集約が必要だったということです。
印刷機械、放送設備、運送や中継基地などの整備は巨額の資金を必要とし、それが独占と言わないまでも参入障壁を形成してきた面もあります。

このように配信をめぐる議論は、どれも資金や設備、それにまつわるノウハウなどで、要するにコンテンツ以外の部分についてであることに気付きます。
そして、メディア(企業)の地位を揺るがす変動もまた、非コンテンツ領域から立ち上がってくるのではないでしょうか。
メディア(企業)の多くが、現在のインターネット全盛期にあって、配信テクノロジーの大変革の波にさらされています。

先に拙稿「メディア戦略 これからの20年を展望する」で、Ben Elowitz 氏の下記のコメントを紹介しました。

コンテンツ企業は、(すぐれた)流通企業でなければならない——。
この考えは決して目新しいものではない。Timeや(「Better Home」誌や「Gardens」などを擁する)Meredith は、ダイレクトマーケティングの仕組みを何年にもわたり築いてきた。しかし、多くのメディア企業の精神的支柱は、依然として“コンテンツ魂”のほうに止まっている。
(コンテンツの)流通は、過去20年の間に大規模な変化を遂げている。そして、その変化の勢いは、消費者の時間消費がモバイルとソーシャルによりますます変化を加速する。
メディア企業には、流通のマイスターとなる以外の選択はない。

「過去20年の間」とは、まさにインターネット・メディア勃興の時期と符合します。
インターネット技術が根本的にメディアの配信要素を刷新しようとしている事態に、メディア(企業)は早急に適合すべきと述べているのです。
ここでは、メディア企業自らの変身(流通のマイスター化)を促していますが、そう穏やかではない別のオピニオンも紹介しておきましょう。

長くインターネットのメディアや広告に携わってきたベンチャー経営者 Eric Picard 氏が「Why Media Companies Are Being Eaten by Tech Companies」(翻訳記事 SEO Japan「メディア企業がテクノロジー企業に喰われる理由」以下、同記事より引用)という論をポストしています。
Picard 氏の指摘は、Elowitz 氏ほど穏やかではありません。すなわち、配信テクノロジーの破壊的要素をテコに、これまで見かけなかった挑戦者が続々とメディアの地平線上に姿を現わしており、変化の前に逡巡するメディア企業を、まさに「喰ってしまおう」としているというのです。

テクノロジー企業が参入し、メディア企業を破壊しているとして論争が起きている。
……しかし、この問題は非難を浴びがちなグーグルだけに当てはまるのではない。アマゾンもテクノロジーの利用を介して流通モデルを変えることで、書籍業界を破壊しており、そして、明らかに雑誌、ラジオ、そして、動画のコンテンツにも狙いを定めている。 マイクロソフトは、電波到達範囲が拡大を続けるXboxを介して、エンゲージメントモデル、そして、コンテンツの配信をリビングルームにもたらし、さらに、ウィンドウズ 8、最新のタブレットデバイスのサーフェス、そして、スマートフォン – ここでもテクノロジー -を用いてメディア化を続けている。
アップルは、様々な配信媒体を管理することで(デバイスに搭載されたアプリ)、配信モデルを一新するだけでなく、配信者には – テクノロジーを用いて – 通行料を請求している。フェイスブック、ツイッター、そして、その他のソーシャルメディアは、発見および配信を独自の方法で – よく分からないが、テクノロジーをベースにした方法で – 破壊しつつある。

繰り返せば、メディア(企業)が、ゆっくりと変身を遂げようとする間に、数多くの(非メディア企業である)テクノロジー企業が、その領土を猛スピードで開墾しつつあるのです。
テクノロジー企業の武器は、かつては配信をめぐる技術そのものであり、いまやそれは新しいビジネスモデルの構造へと変化しつつあります。
HTML、CMS、広告配信サーバー、検索エンジン、リスティング広告、スマートフォン・タブレット、タッチインターフェイス、App Store(Google Play)、ソーシャルグラフ、レコメンドシステム……とこのようなものです。

かつてメディア(企業)にとり、配信はコスト、ノウハウを要するものでした。
いまでは、上に列挙した技術的要素は、それぞれ大きな価値を持つものでありながら、同時に非常に安価でだれもが利用可能なものになっています。
まさに、「出版は(もはや職業や産業ではなく)、“出版する”というボタンになってしまった」(クレイ・シャーキイ氏)というわけです。
このようなコストやノウハウの大幅な軽減は、メディア運営への参入障壁を押し下げ、ゲームへの参加者数を劇的に増やす効果をもたらします。

評論家の佐々木俊尚氏は、かつてメディアの配信(流通)構造を、

  • コンテンツ
  • コンテナ
  • コンベヤ

の3層で説明したことがあります(『2011年新聞・テレビ消滅』)。
コンテンツという内容物を、コンテナという容器に載せてコンベヤで運ぶという図式です。
音楽、映像、ニュースなどさまざまなメディアをこれによって説明できます。
「コンベヤ」という伝送路がインターネットに大規模に収れんしていることと、コンテンツは各メディア(企業)や書き手らに属するとなれば、「コンテナ」はだれが担うかが焦点となります。

インターネット上には、検索エンジン、(ニュース)ポータル、ソーシャルメディア、ブログサービス、そしてアプリストアなどを提供するテクノロジー企業が、このコンテナ部分に殺到してプラットフォームとしての地位を築こうとしています。
「コンテナ」としての役割をテクノロジー企業が確立してしまえば、メディア(企業)に残されるのは、「コンテンツ」の部分だけに狭ってしまう、これが Picard 氏や佐々木氏の視点です。従来のメディア(企業)は「コンテナ」(配信)部分にも影響力を発揮していたにも関わらずです。配信をめぐる闘いの重さがここにあるのです。

ここで筆者(藤村)の見解を交えると、以下のようになります。

「配信」というテーマが、安価に大規模にを目標としてメディア(企業)の生産性を高める、という意味なら、その闘いはほぼ終えんしている。
企業用のコンテンツ配信システムである CMS を、自前主義で、あるいは流通するアプリケーション導入を通して、大規模に再構築すべき時期は過ぎようとしている。
日々変化するメディア(企業)の置かれた環境では、“すべての要望を満たす”ようなシステムの構築を考えるより、適切な技術を柔軟にプラグインしていく方向が妥当だろう。
そのような意味で、テクノロジー企業の攻勢にさらされているのは、旧態依然とした印刷や放送メディア企業だけでなく、デジタルを標榜しながら従来のメディア(企業)に範を取り配信をめぐる集約化を進めてきたデジタルメディア(企業)も同様の可能性がある。

配信のテーマは、すでに存在するコンテンツをいかに柔軟にさまざまなデバイスやソーシャルグラフへと届けていくか、あるいは、その先で、読者との強いきずなを引き寄せるのか。
また、それを収益可能性といかに関係づけていくか、といった多様な応用問題を解くフェーズへと移っています。
当ブログで取り上げてきたように、 このような問題を解くために、数々の新テクノロジーやアイデアとの協調関係に取り組もうとするメディアの変身がそこここで起きているのです。

メディア(企業)は、テクノロジー(企業)の進攻にどう対処するのでしょうか。
Picard 氏は次のように述べています。

メディア企業は、配信の管理を基に歴史的な強みに頼るのではなく、鍵としてテクノロジーを受け入れなければならない。 そのためには、優秀なエンジニアが必要である。

要するに、エンジニアを雇う、養成するというスタートラインに立つことですが、ここには問題があるとも書いています。

多くのメディア企業は、既存のエンジニアリング組織を従来の IT モデルの延長線として扱い、二流のエンジニアが – 組織全体に配置されていることがよく見受けられる。

メディア企業がテクノロジー企業に伍していくためには、自社のコンテンツ資産を新しい時代に適合したビジネスを遂行するために優れたエンジニアが必要です。
しかし、往々にしてメディア企業はエンジニアをそのような革新的な取り組みを行わせるための環境づくり(組織づくり)に不得手だというのです。
Picard 氏のある種の結論は、メディア企業内でイノベーティブな役割を発揮させるべく、エンジニアらを社内ベンチャー的ポジションに置くべきということに尽きます。
筆者(藤村)はこの論に深くうなずきます。しかし、Picard 氏も書くように、そのようなエンジニアの採用や組織的な扱いに不得手な組織では、それも絶望的に難しい取り組みでもあります。

であればどうするのか?
外部のエンジニアリング集団との協業スキームを築くことが、次善の策となるでしょう。
そのためには、テクノロジーの重要性やエンジニアらとの協調に関心や経験を有するプロデューサーだけでも、雇用し養成していく必要があります。
プロデューサーは、テクノロジー企業に伍して、あるいは、テクノロジー企業のプラットフォームを活かして、コンテンツと配信面での自社の優位性を個々のプロジェクトを通じて築いていくことになるはずです。
プロデューサーを通じた内外の組織的な連携や、外部のテクノロジー企業との協業については、次の機会にオピニオンを述べたいと思います。
(藤村)

「広告に別れを告げる」 課金型コンテンツの伸張とコンテンツマーケティング

調査会社 Forrester Research が課金型コンテンツの成長予測を発表した。
広告を伴わないコンテンツ分野の増加は、マーケティングに変化を促す。
やってくる広告フリーなメディアの時代を読み解く。

最近、調査会社 Forrester Research が、ヨーロッパにおける課金型コンテンツビジネスの成長予測を発表しました。
残念ながら、レポートの詳細は高価な課金型コンテンツ(!)のため入手できませんが、概要をリリース(FORRESTER: EUROPEAN PAID CONTENT REVENUE TO GROW BY 65%, REACHING €10.2 BILLION BY 2017)で公開しています。また、詳細レポートを参照した紹介記事(the Gurardian Online paid-content market poses threat to traditional advertising)も現われています。

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本稿では、Forrester の調査と考察を紹介していきます。
ポイントは、今後の数年で少なくとも欧州では課金型コンテンツビジネスが成長すると見込まれる一方、従来型広告ビジネスが縮退していくというものです。
調査結果とその影響を、同社のリリースと上記紹介記事を組み合わせながら追ってみましょう。

欧州における好調な音楽、動画、ゲーム、そしてニュース系の課金ビジネスの存在によって、西欧におけるコンテンツ購買者は増勢基調にあり、今後の5ヵ年で8〜12%成長すると見込まれる。
課金コンテンツ収入は、2017年までに65%成長し、1兆3000億円規模に達する。
特にスマートフォンとタブレットの浸透が課金コンテンツ市場の成長を支え、2017年の課金コンテンツ収入の20%はタブレットユーザーによるものと予測する。
この成長は、ネット接続機器の浸透、海賊行為への取り締まり強化、そして、Spotify や Netflix など購読型サービスが人気を集めていることなどに牽引されている。
ただ、一方でこれらサービスの進捗が、無料コンテンツの推進によって可能だった純粋な広告掲載によるマーケティングの破壊が引き起こしている。

古典的な宣伝を用いたマーケターの手法は、新たな破壊的進化に直面する。それは“課金型コンテンツ”である。

デジタルメディアをめぐるマーケティングの観点から、課金型コンテンツの伸張は何を意味するのでしょうか?
この点について、調査を取りまとめた Forrester アナリスト Darika Ahrens 氏が自身のブログで、短いながら興味深い考察を示します(Goodbye Advertising, Hello Content Marketing?)。

マーケターが従来型の広告手法を用いて消費者にリーチできるチャンスが、少なくなる

購読課金型の人気サービスがコンテンツ消費スタイルが牽引していけば、メディアが、収入を広告主からの純粋な広告に依存していく余地が限定的になる。さらには、消費者(読者)は広告フリーなコンテンツモデルへの欲求を高めていくことになる。

ブランド(広告主)は失地挽回のためにコンテンツ能力を高める必要がある

課金型コンテンツが増え広告機会が減少することは、広告主にとり悪いことばかりではない。Forrester の予測が示すものは、消費者(読者)がコンテンツの価値を尊重しそれを求めるということである。マーケターは、自らが扱うブランドの影響力を、コンテンツ能力を高めることによって継続しなければならない。

筆者(藤村)の見解も交えながら整理していきましょう。
従来、インターネット上のコンテンツやサービスは、無料でなければ消費者に受け入れられないとされてきました。
Forrester の調査によれば、その通念はいまや様変わりしようとしています。
消費者は支払う意志を持っているが、それを強く動機づけるようなサービスが欠けていたのだというのです。
しかし、米国、欧州では人気の購読課金型サービスがいくつも誕生しています。
また、支払いに手間のかからない Amazon や iTunes Store、そして Google Play のように、サービス・購買・インストールなど、ソフトからデバイスまでを通貫するようなユーザー体験の整備が進んでおり、“良いコンテンツへの尊敬が課金に結びつく”習慣が徐々に生み出されているのです。

課金型コンテンツ市場の拡大は、もちろんメディアビジネスを継続可能なものとするために暗中模索してきたメディア関係者のひとりとして朗報と受け止めます。
と同時に、そこに副作用が生じようとしていることも Forrester は指摘しています。それは、純粋な広告市場が縮退しようとしていることです。
課金コンテンツ市場の拡大と広告市場の縮退とは、“鶏と卵”のように円環する関係なのかもしれません。
ここで、メディアビジネスに携わる諸氏に注意を喚起したいのは、課金型コンテンツの普及は当然のことながら広告を掲載しないコンテンツが増え、広告掲載を意図しないメディアが増えてくることを意味します(たとえば、「Web メディアの明日、その条件を考える」参照)。読者からの支払いによって運営を成り立たせたいとの願望を有するメディアは、多いはずです。
デジタル分野でのマーケティングを行う事業者やプロフェッショナルは、これまでのような広告枠を買って広告クリエイティブを掲載するという、広告による古典的なマーケティングスキーム以外の道をいずれは準備しなければなりません。
いや、そもそも純粋な広告自体が、読者のアテンション(注目)を集められなくなってきていることの帰結として、いまそれは起きてしまっているのかもしれません。

(純粋な広告に対する)破壊的進化の結果として、広告主が消費者にリーチする方法が分裂してしまった。
デジタルマーケターらは、コンテンツ開発能力をもってこの事態に対処していかなければならない。
それは、コンテンツ資産を持つこと、スポンサーシップを築くこと、そして、コンテンツマーケティング戦略を作り上げることである。

読者集客力やエンゲージメントに秀でたメディアに広告を掲載する、という長く続いてきたペイドメディア依存のマーケティング手法から抜けだし、広告主自らがコンテンツ力を高めていかねばなりません。
オウンドメディアやアーンドメディアの開発力を高めていく必要を示唆しています。
ここに話題となることが増えてきた、“コンテンツマーケティング”という考え方の将来的な意義が見えてくるのです。
(藤村)

メディア戦略 これからの20年を展望する

つねに“いま”を走り続けなければならないビジネス環境。
しかし、縛り付けられている“いま”を離れ将来を展望できるとすれば?
これからのメディアに求められる価値観について、
長期にわたり指針とすべきオピニオンを紹介しよう。

このブログでは、デジタルメディアの最前線に伴走し、時には過去を振り返り、そして時に未来を展望しようとします。
ブロガー Ben Elowitz 氏は、継続的な起業家で、現在はメディアを起点に発する口コミを集約するプラットフォームビジネスを手がけます。
それとは並行してメディアビジネスに関するオピニオンを発信しており、紹介する「The 20 Year Strategy for Media(メディアの20年戦略)」 も、そのエントリのひとつです。

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“今年の業績は?”“来期の事業計画策定は?”“今後5ヵ年の戦略ロードマップは?”
このような日々継続する事項から離れ自由になれるときは、めったにない。
一瞬でも、現在目の前にしている火急の意思決定事項から自由になれたとしたら、代わって“メディアビジネスが成功するために、これからの20年をどのように戦略的に動けば良いか”を考えられるのだが——。

このように語る同氏は、だからこそ20年といった普段考えもしない時間枠でビジネスの将来を考えるべきと示唆します。

本稿は、同氏がこのように日々の活動をいったん休止して導いた「メディア(ビジネス)これからの20年戦略」のポイントに触れるものです。

Elowitz 氏がこれからの20年に視る基本的な枠組みは、シンプルです。

デジタル(メディア)は継続する。他方、非デジタル(メディア)はその消滅へのカーブをさらに突き進んでいく。
ただし、現在もてはやされているさまざまなデジタル(メディア)戦略のいずれが長く生き続けるのかは依然として不明だ。

同氏がそのような視点から挙げるのが、次の12の戦略ポイントです。個々に足を踏み入れる前にまず概観しておきましょう。

  • 希少価値を発揮するコンテンツ
  • 体験的価値がもたらすインパクト
  • ブランドを通じ読者との関係性を築く
  • 複製不可能な人間の才能を重視する
  • ライブイベントがもたらす絶頂感
  • コンテンツと流通を融合する
  • 最重要なのはイノベーション
  • 広告価値の減少は継続する
  • 消費者に支払わせる能力を築く
  • パーソナリティほどユニークなものはない
  • 適合力が必要
  • それらすべて……

残念ながら、これらすべてを紹介するわけにはいきません。筆者(藤村)が、なかでもポイントと見るものに絞り検討していきたいと思います。

希少価値を発揮するコンテンツづくりへ

グーテンベルグの印刷技術の発明以降、メディアの世界では、ただひとつ明瞭で押しとどめようのない方向性が存在する。
それは“希少性から潤沢性へ”の法則だ。(コンテンツは、限られていて数少ないもの、という状態から、同じようなものが溢れかえっている状態へと向かう)
その流れは過去10年でますます勢いを増している。記事、写真、そして動画でさえ、その変化のただ中にある。過去、これらが(希少であるとの)価値を示したものが、いまや小銭を稼ぐことしかできない。

このように述べる Elowitz 氏が強く訴えるのは、低品質で大量生産されるコンテンツからの差別化です。

コスト抑制を旨とするメディア企業が、低コストでありきたりなコンテンツを作ったとして、トラフィックは稼げるだろう。だが、価値あるものを産出しているとは認識されない。
長期的観点から、メディア企業の最大の脅威とすべきは、この“潤沢性”である。永続性をめざすメディア企業は、希少性の高いコンテンツを生み出さなければならないのである。

“体験的価値”に焦点を当てる

次に同氏が掲げるのが、“体験”が生み出す価値の重要性です。これまた、“希少性”に根ざす価値のひとつでしょう。目の肥えた読者らに、感動の体験を提供することは容易なことではありません。

今日では、読者を喜ばせるには、言葉や写真だけに止まるわけにはいかない。動画や音声、その他さまざまな情動的な関係に訴えかけるものすべてだ。
コンテンツは、この“情動的な関係”の一部をなすだけでなく、場の雰囲気やセッティングをも媒介する。

Elowitz 氏が述べる“情動的な関係に訴え、場の雰囲気やセッティング”全体が読者体験を形成するということです。

なにかの途上でスマートフォンをチェックするかもしれない。カウチにくつろいでタブレットを観るかもしれない。あるいは、仕事中ほんの一瞬、情報を観ているのかもしれない。
無際限にあふれるコンテンツの中で、このようなシーンごとに最高の体験を提供してくれるメディア(ブランド)に、読者は再訪しようとするのだ。
リチャード・ブランソン氏率いるバージン航空では、他社が当たり前のこととして見過ごしているさまざまな体験をつねに再定義しようとする。
機中の照明や装飾、音楽、そして安全のためのビデオを変えてみる。
それは決して“革命的”には見えない。だが、日常の中の体験的価値として考えれば、それが非常に大きな顧客の忠誠心、情動的な関係を生み出すのだ。

コンテンツと流通、それぞれの力を融合する

“コンテンツ魂”を強く意識するメディアが、その希少なコンテンツを、高い体験的価値、ビジネス的価値へと磨き上げることに意外なほど無自覚であることがあります。
コンテンツをターゲットとする読者に的確に届ける、また、読者が喜ぶ仕方で届ける仕組み、そしてそこから的確に回収する手法は、過去においても、そしてこれからもメディアのビジネスにとり大きな課題です。

コンテンツ企業は、(すぐれた)流通企業でなければならない——。
この考えは決して目新しいものではない。Timeや(「Better Home」誌や「Gardens」などを擁する)Meredithは、ダイレクトマーケティングの仕組みを何年にもわたり築いてきた。しかし、多くのメディア企業の精神的支柱は、依然として“コンテンツ魂”のほうに止まっている。
(コンテンツの)流通は、過去20年の間に大規模な変化を遂げている。そして、その変化の勢いは、消費者の時間消費がモバイルとソーシャルによりますます変化を加速する。
メディア企業には、流通のマイスターとなる以外の選択はない。

コンテンツ課金、“壁”ではなくビロードのロープに

広告支出が減退するなか、メディア企業にとり、読者課金の仕組みは、今後の最も重要な収入源になるだろう。
これからの20年間、消費者の期待値は、“コンテンツはどこにでも、いつでもそこにある”ものであり、そして、それは“ほんの些細な値段で存在すべきもの”なのだ。この点で、消費者にとって支払いにともなう抵抗感が減少すれば、その支払いの頻度はぐっと増すこと請け合いだ。

個人に対するコンテンツ課金の有望性について、Elowitz 氏はこう述べます。
氏の課金についての考え方は明瞭で、

  • 支払いの面倒臭さを減じる
  • 消費者が求める利便性に応える
  • 体験的価値と希少価値を提供する

が、個人課金のためのドライバだとします。
これらの施策は、“壁”(ペイウォール)を設けるのではなく、ベルベットのロープを消費者に手渡しプレミアムコンテンツの世界へ引き上げるという点で重要だというのです。

これからの長い間、メディアビジネスを遂行する上で重要な多くのポイントが示唆されています。
これらは時間をかけて徐々にその意義を証明していくことになるはずです。

ところで、Elowitz 氏が、このエントリでただひとつ、それら多くのポイントを先取り的に体現しているメディア企業(団体)を挙げています。
それは米国 NFL(the National Football League)です。
ニュース、データ、ゲームの要素がそのサイトには詰め込まれており、ファンはそこで多くの時間を費やそうとします。
テキスト・写真・動画が、Web・モバイル・ソーシャルにまたがって融合されているさまは、確かに今後のメディアビジネスの歩むべき道のりを考える際に重要な道しるべとなるはずです。
(藤村)

Web メディアの明日、その条件を考える

デジタルメディアの近未来形が誕生した。
“クリエイターと読者をつなぐ”プラットフォーム指向のメディア。
そのめざすものとは何か?
cakes の向こうに見えてくる Web メディアの未来形。その条件を考察する。

これまで当ブログでは、デジタルメディアの新時代を感じさせるソーシャルメディア、モバイルアプリ、そして、新タイプの Web メディアの数々を取り扱ってきました。
ソーシャルメディア、そしてモバイルアプリが、メディア界の新たなトレンドを生み出していることに異を唱える向きはないでしょう。
しかし、すでに十数年の“歴史”を有する Web メディアの分野にも新鮮な息吹を感じさせるプレーヤーが台頭しています。

本稿では、この9月に誕生したばかりの Web メディアの新タイプ、「cakes」(運営=ピースオブケイク)を取り扱います。
注目すべきポイントは、その

  • コンセプト
  • 設計
  • 収益モデル

です。

あらかじめお断りすると、本稿では cakes に掲載される記事等の善し悪しを論評の対象としません。
それが、読者にとり最終的な、そして最重要な視点であることはもちろんですが、ここでは新たなメディアビジネスの可能性やヒントについて焦点を当てたいと思うからです。

「プラットフォーム」性を打ち出す

cakes は、そのキャッチコピーで「クリエイターと読者をつなぐサイト」をうたいます。
これが何を意味するのか。
雑誌にせよ Web メディアにせよ(新聞や放送などマスメディアを除き)、元来、どのようなコンテンツを、だれ(読者)に提示しようとするのかを明瞭にアピールするのがならわしです。
言い換えれば、メディアは多かれ少なかれターゲット性を意図します。
その点、cakes はメディアとしてのターゲット性ではなく、代わりに「クリエイターと読者をつなぐサイト」、言い換えれば、プラットフォーム志向を表明するのです。
これを裏づけるように、ピースオブケイクス代表 加藤貞顕氏自身が「何を載せてもいいと思っています。cakes 自体はコンテンツプラットフォームで、僕自身もいろんな人にコンテンツをそこに載せていただいてメディアを運営します」(「cakes(ケイクス)でコンテンツのネット購買をとことん考えた」)と語っています。

コンテンツのテーマ性、対象たる読者層(読者ターゲット)を打ち出すのではなく、プラットフォーム性を真っ先にアピールすることは、クリエイターと“つながりたい”志向を有する読者に対し、メディアの新鮮な特徴を打ち出すことになるのはもちろんですが、クリエイターらに cakes への参画をうながす、ある種のマーケティングメッセージを意味します。
実際、そのコンセプトに共鳴してか、cakes はなかなか粒のそろった執筆陣を揃えたと見ます。しかしこの点は、上記したように深入りせず、メディアの試み、その特徴をめぐって論を進めていきましょう。

ノイズフリーなメディア設計

「Web サイト」という形式にこだわった cakes の特徴は(この点は「Web に、超一流作家のコンテンツを出せる場所を――cakes代表・加藤貞顕氏インタビュー」参照)、読者にとっては、余分な要素を極力排除したシンプルなデザインに集約されます。
下図を参照下さい。cakes のサイトデザインは、大きく Top ページと記事ページの2つ。いずれにあっても、従来の Web サイトが抱え込んできた“余分な要素”、すなわち多種多様なナビゲーション(誘導)と、同じく多種多様な広告表示からの自由さが際立ちます。

コンテンツ群に対する目次の役割を果たす Top ページでは、矩形に統一されたコンテンツのサマリが、画像系の共有サービス Pinterest のようにタイル状に並び、Web ブラウザの画面幅に合わせて動的に並びかえられます。そこには、雑誌のように編集長やデザイナーらのコンテンツに対する思いを強弱やレイアウトで示すような恣意性は見えません。

[cakes] トップ画面

[Cakes] Top ページ画面。左からPC、iPad、そしてiPhone

[cakes] 記事画面 左からPC、iPad、iPhone それぞれ縮尺は正確ではない

Top ページにおいてコンテンツを選ぼうとする読者の視線を惑わせる唯一の要素は、面白そうなさまざまなコンテンツへの誘惑があるのみ。“目移りする”という読者にとり最も喜ばしい混乱の体験がそこに構造的に演出されているのです。

いったん、選択した記事ページへと移動すれば、目移りする要素はさらに排除されます。多種多様な広告、ナビゲーション要素の混載は、これまでに培われてきた Web メディアの“常識”であったとすると、cakes が実現した、コンテンツの閲読に専念できるノイズフリーなページデザインは、実は、非 Web 的メディア、たとえば、電子書籍のようなものが念頭にあって打ち出されたものかもしれません。

ある特定のコンテンツを選択しそれを閲読する体験について、cakes は大変に良くできています。が、それがひとりの優れたディレクターによるコンセプトにだけ依拠しているものでないことは、それがサイト開設以来の短い期間にあっても少しずつ修正が続いていることからも確認できます。

cakes は比較的ライトなコンテンツ(特に1本当たりの文字量など)を意図していることから、モバイルユーザーとの親和性がすぐに想像できます。
しかし、モバイルへの最適化表示についてはステップバイステップでの改善項目のようです。
開設当初はスマートフォンの Web ブラウザから記事を読むには、思いっきり拡大表示する等が必要でしたが、現在はあらかじめ最適に近い表示がなされています。
ただし、たとえば iPad での閲覧は PC サイトと同じ表示で供されています。米国では、メディア戦略を語る際には、「デジタルファースト」や「モバイルファースト」といった括りに止まらず、最近では「タブレットファースト」の語が目につくようになってきました。残念ながら、cakes ではそのスタンスは薄いように見えます。

前述の加藤氏が、

今後は間違いなく多くの人がスマートフォンも含めてタブレットを持つようになります。今の iPad などのフルサイズよりももう少し小さい、スマートフォンよりも大きいサイズのものが一般的になるんじゃないでしょうか。
(同上「Web に、超一流作家のコンテンツを出せる場所を」)

と語っているところから、Kindle や iPad mini、そして一部の Android タブレットのように、7インチディスプレイをターゲットに最適化を図ってくることに期待したいと思います。

すべての可能性は、課金モデルが根幹に

メディアのビジネス、特にデジタルメディアの将来を考える人々にとり、cakes が感じさせる大いなる可能性と懸念は、広告収入モデルの廃棄と購読課金モデルが定着するか否かでしょう。

筆者(藤村)が当たり得た加藤氏をめぐる種々の記事では、広告収入モデルの廃棄を明言しているわけではないのですが、「(読むことに徹することができる)シンプルなサイトデザイン」という cakes の特徴は、この広告収入モデルとトレードオフの関係にあると想像します。

「プラットフォーム志向」もまた、定額課金(150円/週)を等しく個人から徴収し、一定の指標でクリエイターへと収入を分割還元していくモデルでクリエイターらの参画を促す方法論と緩やかに連結していることでしょう。
一般に Web サイトのビジネスでは、ユーザー数を増やす・閲覧記事数を増やすのが成功のための鉄則です。その指標のためには会員制や課金制がネガティブ要素になるため、なかなか読者を限定する手法が Web では根づかずにきました。
cakes では、この悩ましい点を、非購読会員でもサイトをアクセスし、記事を試し読みできる仕組みを可能な限り“自然”に感じるように実装しているように見えます。
また、クリエイターらが自らのコンテンツをソーシャル的にマーケティングしやすいように、時限的に無償公開できる仕組みなどにも工夫をしているとのことです(こちらの記事 → 参照)。

このように、cakes が打ち出した好ましい特徴の数々は、当然とはいえ、同サイトの収益モデルと不即不離の関係にあります。
ところで、この定額課金150円/週は、メディアにとりどのような意味があるでしょうか?

まずは1万人に早く到達したいです。今の収益配分のスキームを踏まえると、一定数の作家の方に、相応のお値段で仕事として依頼して遜色ない数字が成立するラインです。まずはこの1万人を当座の目標としています。
次の目標は10万人。この数字になると、上位の書き手は cakes への執筆だけで、かなりお金をもうけることができるようになります。10万到達くらいまでだと、いいコンテンツを作って集めるというのももちろんですが、出版社さんやいろんなメディアなどを含めてコンテンツのアグリゲーションをしていくのが軸でしょうか。オープンにしていくのは10万人を超えてからと見ています。
(同上「Web に、超一流作家のコンテンツを出せる場所を」)

このように加藤氏が述べています。まずは1万人の購読者が誕生するかどうかがポイントです。
また、150円は最近の週刊誌(月額はそれを4倍したものに相当する)と比較して圧倒的に安価です。
ましてや、読者が好むかもしれない特色のある月刊誌群が1000円前後すると考えれば、これまた価格競争力はあるはずです。

たとえば、下記のような視点があります。

cakes の「週150円」というお値段は読者である我々にとって、非常に良心的な設定となっていると言えるだろう。その安さで非常に充実したコンテンツが揃っているのだから、損は感じられないはずだ。誰か注目する人がいるなら、その人の記事を読むだけでも満足できる。さらに他の人に目を向けていけばどんどんお得さが感じられる。
この良心的な価格設定は、有料コンテンツの入り口として最適なものであると考える。
(ブログ 乱れなよ、そして召されなよ「有料コンテンツプラットフォーム『cakes』を眺める」)

このブログエントリでは、課金の値段は“良心的な設定”“お得”と評価されています。著名なブロガーらがこぞって配信する各種メルマガコンテンツの課金額を考えても、やはり同じ結論に到達するというわけです。
ここにさらに、cakes 以外では読めないオリジナルコンテンツが読める、という材料が加われば“最強”となりそうです。

明日の Web メディア

ここで筆者の視点を差し挟んでおきます。

私たちは情報過剰な環境下にあります。今後も過剰供給は高まる一方でしょう。
そこで価値が高まるのは、品質や好みという観点でのノイズの抑制であり、絞り込みの方向でしょう。
そのような価値観からすれば、実は“いくら読んでも150円”との、聞き放題ならぬ“読み放題”型モデルに対してささやかな抵抗感が生じてくるところです。

「いや、それが雑誌というもの」との声が挙がりそうです。

けれど、筆者個人としては、そのような費用対効用的な観点で雑誌を購読することをずいぶん前に止めてしまいました。
読まなければという記事が1本でもあれば、雑誌を単発的に購読します。
が、そうでないなら、購読しません。いかに、それが高名な筆者らがひしめく媒体であったとしても。
また、購読するものは一定のテーマ性を満たすものなど、読みごたえあるものに絞ろうと心がけています。そのような方向に向かってノイズフリーであるなら購読意欲が喚起されるのです。

cakes に対して、批判がましく語ろうとする意図ではありません。
というのも、cakes は“読み放題”モデルによって、それぞれのコンテンツや執筆者の価値や特性を“等価”に見せてしまう傾向がある一方、読者が気に入った特定のコンテンツを継続的(連載として)に読ませる仕組みが意識されています。読者からすれば、cakes は自分好みに特化したシングルテーマのメディアと見なすこともできるよう意図しているようにも見えるからです。

最後に cakes が明示的に、あるいは、可能性として見せている可能性から啓発されて、 Web メディアの未来系、その条件を改めて整理してみます。筆者の希望も交えたものです。

  • 読者の集中を阻害するような広告/ナビゲーションを排したデザイン
  • PC から各種モバイルデバイスなど、さまざまなスクリーンサイズに最適化したデザイン
  • フォント種別やサイズ、カラーテーマなどを選択できるアプリ的な設計
  • さまざまなデバイスからアクセスしても、未読/既読/履歴を統合的に管理できるデバイス非依存性
  • 読者自身が意図していなかった新たな書き手、コンテンツとの出会いの仕組み化
  • 好みのコンテンツやクリエイターに閲読を集中できるパーソナライズ性
  • クリエイターが、自身の読者をターゲットとして会話を、必要に応じて実現する仕組み
  • 定額課金による“読み放題”か、電子書籍のように自由な値付けによる有料コンテンツの購読システム(記事コンテンツの“iTunes Store”化)

筆者がワクワク感をおぼえるこれらのポイントには、いずれ Web を通じて実現するだろう新たなデジタルメディアの姿が映し出されているように思います。
(藤村)

※読者からのご指摘で「月額定額課金150円」を「定額課金150円/週」と修正しました。失礼しました。

執筆に当たって参照した記事等:

“出版の未来” プラットフォーム機能とエコシステムの形成

電子書籍のトレンドを追うようにして、セルフ出版型モデルが注目を浴びている
出版社の、編集の機能はこのまま衰弱していくのか?
出版社は垂直型の機能統合を弱める代わりに、
外部とのエコシステムづくりへ向かうべきではないのか?
出版の未来への道は、プラットフォーム機能の強化である

最近では出版社の役割について悲観的な論調を見かけるようになりました。
たとえば、Amazon による自費出版プログラム POD(プリント・オン・デマンド)、同じく電子書籍自費出版プログラム KDP(Kindle Direct Publishing)などが浸透していくとすれば、場合によれば出版社という中間機構、あるいは編集機能は無用(執筆者には投資対効果が合わない)という見方が飛び出してくるのもわからないでもありません(たとえば → こちら)。

このような変化を、あえて大ざっぱに整理してみましょう。

  • 従来の出版モデルでは、出版社がさまざまな分業を垂直的に統括しながら、流通プラットフォーム部分を分離して他社(流通事業者)に委ねていた
  • 今後に勢いを増すモデルは、流通プラットフォームの担い手が入れ替わり、さらに、出版社による垂直統合的なコントロールが消失し、執筆者のコントロールが前面に出るようになっていく

「あえて」ラフな対比を試みましたが、ここに第三の仮説が浮かびます。それはこうです。

  • 出版社の機能は消滅しない。ただし、垂直統合モデルのかなめとしての出版社の役割は後退し、代わってプラットフォームとしての役割、流通・マーケティングの機能へと比重を移していく

本稿は、未来の出版社は、プラットフォームとしての役割を拡大していく、との展望を提示するものです。

ジャズが好きな読者なら、だれもが知っているレーベルに「Blue Note」(ブルーノート)があります。そのブルーノートブランドを冠した興味深い iPad 版アプリがリリースされました。ただし残念ながら、同アプリの販売は米国・英国限定でわが国からはダウンロードできません。

iPad版 Blue Note アプリ。国内では入手できない

iPad版 Blue Note アプリ。国内では入手できない

では、そのアプリのどこが興味深いのかといえば、このアプリを取り巻く全体図式が未来の出版社の姿を示唆しているからです。
アプリを紹介する記事からポイントを整理してみましょう。
記事は Billboard.biz 掲載「Blue Note Records App for iPad Breaks New Ground With OpenEMI Initiative」です。
まず最初に、Blue Note アプリの概要について、記事の説明を借りて確認します。

アプリはダウロード無料で、伝説のジャズレーベルに関わるアーティストとアルバムのカタログを、豪華な映像や音楽で体験できる。また、月々2ドル弱を支払う会員購読者になれば、1000以上の楽曲ストリームを視聴することができる。他方、非購読者にはストリーム映像(楽曲)の表示が30秒以下に制限される。

アプリは、典型的な“フリーミアム”戦略を採用しているようで、無償ダウンロードでき、ブルーノートが保有するコンテンツのカタログ的な役割を果たします。と同時に、定期購読することにより、米国の音楽系サービスでは常識になりつつある“聴き放題”のサービスとなるという側面も有しています。
ところで、ポイントは、このようなアプリ企画が今後もさまざまな形で登場してくるらしいことです。その背景について説明を見ていきましょう。

(レコード会社EMI内のプロジェクトである)OpenEMI は、開発者にアプリなどの開発に専念させるべく組織された。OpenEMI チームは、権利保有者との関係をクリアにし、アーティスト、そのマネジメント、そしてマーケティング担当との企画協議を促す。
開発者は自らの開発成果の知的財産を保持しつつ、EMI へ販売ライセンスを行い、売上の40%を手にする。EMI はその残余を保持し、権利者への支払いとマーケティング費用に充てる。

OpenEMI を率いる EMI の上級幹部である Bertrand Bodson 氏は、「EMI のアーティストは良いアプリを持つべきだが、そのためには外部の開発者らリソースを刺激する必要があった」と述べます。
また、同氏は「われわれは、アーティストらと連携し優れたアプリを企画する力やビジョンを有しているが、正直なところ、最高のアプリを内製する力は持ち合わせていない」とします。
そこで、OpenEMI は外部のテクノロジー企業と協業し、アーティストら権利者と権利関係を調整の上、利用可能な楽曲コンテンツをデータベース化し、それを外部のアプリ開発者が容易に利用できるように API を整備することにしたというのです。
著名な楽曲や映像コンテンツを用いてアプリを企画し開発する際の最大の悩みが、ライセンス交渉のハードルにあると Bodson 氏は認識していたからです。
開発者らは、この API を通じて、膨大なライセンス可能な楽曲コンテンツにアクセスしてアプリを開発できると同時に、EMI は、その商用利用についての課金を的確に行えることになります。
記事ではさらに、OpenEMI がすでに480社の開発者に API の利用を許諾していること。そこからすでに50もの企画をオファーされていることなどを伝えています。

これから新たなコンテンツを企画し、出版していくための新たなビジネスモデルをどう構築するか。その課題の解き方と同時に、過去に創造された価値あるコンテンツ群を、いかに“再創造”しやすい環境へと整備するかというテーマが、ここに具体的に見えてきたといえます。
筆者がおもしろいと感じるのは、出版社が、コンテンツの権利調整とその再利用の仕組みを整備するという透明性の高いプラットフォームを担うことと、そこでコンテンツ素材を用いて新たな出版企画を実現するという、従来から持っている役割が互いに競合しないと思えることです。
プラットフォーム機能を果たすことで外部パートナーとエコシステムを形成することと、出版社自らが編集(企画)機能を活かして、コンテンツ製品を創り出すことは矛盾しません。
優れたコンテンツの価値は、たった一度の利用で費消されきってしまうものではないからです。

本稿冒頭で述べた3番目のモデルを繰り返すと、こうなります。

  • 出版社の機能は消滅しない。ただし、垂直統合モデルのかなめとしての出版社の役割は後退し、代わってプラットフォームとしての役割、流通・マーケティングの機能に役割を移していく。ただし、アプリの流通プラットフォームについては、Amazon、Apple、Googleらとの提携が必要になるだろう。収益の配分は流動化せざるを得ない

過去の偉大な資産を保有する(権利者との親密な関係を有することも、もちろん資産です)出版社が、データベースと API の整備で外部事業者とのエコシステムを形成していく流れは、ずい所で姿を現わしてきています(下記記事群を参照)。出版社はプラットフォーム化への道を将来戦略に取り入れるべきなのです。
(藤村)

執筆に当たって参照した記事等: