モバイルメディアの革命 何からの自由をもたらすのか?

Webと断絶し新たな法則を生み出しつつあるモバイルとソーシャル
本稿では、PC(Web)メディアとモバイルメディアの間にある
非連続な発展がなにをもたらすのか、仮説を提示する

筆者は、この数年間、メディアのビジネスに対し、モバイル(スマートデバイス)の普及がもたらす影響について注視しています。
その関心をコトバにするなら、「モバイルは、読者とメディアにどんな自由をもたらすのか?」となります。
産業に断絶的な革新が起きる際の原動力には、「〜からの自由」という衝迫が作用します。

筆者の狭い経験では、十数年前に専業的な Web メディアの事業に取り組んだ際、その背景には印刷メディアの数々の制約からの自由をめざす衝迫がありました。
15年ほど前に勃発した“Web メディア”の革命がなにをもたらしたのかについては、前稿(「揺らぐ“コンテンツファースト”の法則。 アプリは再びメディアを活性化するか?」)で述べました。
本稿では、“モバイルメディア“の革命が、いったいなにを原動力としているのかについて考えます。

モバイルメディアとは、スマートフォンに始まり、次にタブレットをはじめとするスマートデバイスを物理的な基盤として勃興するメディアの総称と筆者は規定します。
むろん、それに先立つインターネット接続機能を有する携帯電話機上にも、数々のメディアが生み出されたことを考えれば、そこには継続と断絶があることを忘れないようにしたいと思います。
では、モバイルメディア革命は、いったい何からの自由を原動力としているのでしょうか? 以下に筆者の仮説を走り書きながら列挙します。

  1. 空間的な制約からの自由……モバイルの字義通り、ケータイやスマートフォンは、PC を携えていくことができない場でも Web メディアを享受できる
  2. 時間的な制約からの自由……3G 回線による常時インターネット接続と、短い起動時間、操作性などは、PC では活用し得なかった隙間時間を“メディア消費”のための時間へと変化させる
  3. Web メディアからの自由……モバイルはメディア消費デバイスであると同時に、アプリ活用デバイスでもある。アプリ化は、スマートデバイス上の各種ハード、ソフト的な機能の活用を促す。従来からのWeb“閲覧”は、より一層の双方向性、情報発信性へ置き換えられていく
  4. PC 的な利用の文脈からの自由……PC+Web が生み出した検索型(Web サーフィン型)の情報消費スタイルに対して、書籍など一定の深度を有するメディア消費が復権していく

このように列挙しながら気づかされるのは、モバイルは、それに先だち普及を遂げた PC と Web の組み合わせによって築かれた文化への反措定(アンチテーゼ)の要素が色濃いことです。
モバイルは、PC 同様の Web 閲覧機能をその小さな機器において引き継ぎました。
が、そのような連続と同時に、非連続(先行者に対する否定)も含んでいます。モバイルが PC であって PC でないという表れが、 3. 4. に見て取れるはずです。

結論を急がずに、モバイルがもたらす変化の兆しに注意を払ってみましょう。
米国の調査会社 Nielsen が、昨年発表した米国でのモバイル機器の利用状況についての調査結果(「In the U.S., Tablets are TV Buddies while eReaders Make Great Bedfellows」)では、タブレット型機器では「TV 視聴をしながら」が第1位、第2位に「ベッドで横になりながら」という視聴スタイルを報告しています。
機器が電子書籍リーダーに代われば、「ベッドで横になりながら」が第1位となり、「TV 視聴をしながら」と「何かを待ちながら」がほぼ同列で続きます。
実は、モバイルメディアは、モバイル=移動(外出)というよりも“ホームメディア”と呼ぶほうが妥当という認識が得られるのです。

また、スタート当初は iPad に特化したニュースリーダーとして注目を集めたアプリに Flipboard があります。その後、iPhone や Android 系スマートフォンにも対応し市場を確実に広げている同社が、ユーザーによる Flipboard の利用状況を集計してインフォグラフィックとして公表しています(「Inside Flipboard」)。
興味を惹くのは、「いつ、Flipboardを利用しているか」の項です。それによれば、利用が最も活発な曜日は、タブレット版では「日曜日」。スマートフォン版では「木曜日」。また、1日の間で最も活発な時間帯は午後10時〜11時と、こちらもモバイル=移動との直観を裏切る結果を示しているのです。

これらの利用実態は、筆者が真っ先に挙げた仮説の 1. をある意味で裏切っているかのようです。

これらをどう解釈すべきでしょうか? 手がかりとなりそうな見解があります。長くなりますが少していねいに引用します。

(前略)……読者がケータイでどのようにマンガを読んでいるかを調査したことがあります。
意外だったのは、マンガを読む「時間」と「場所」についての回答でした。調査前には、通勤や通学途中の電車のなかや、あるいは旅行先のホテル、会社や学校の休憩時間などに読んでいるにちがいない……とだれもが予想していました。ところが、いざふたをあけてみると、時間については「寝る前」、場所については「ベッドの上」がそれぞれトップでした。寝る前にベッドで読むのなら、なにもケータイである必要はないはずです。それこそ単行本を読めばいい。持ち運ぶ必要がないのに、なぜケータイで読むのか……。

この調査によって、読者がケータイ・コミックに求めているのは、いつでもどこでも読める手軽さではなく、
「好きなときに好きな作品だけを、少し読みたい」
ということだとわかってきました。……(中略)……大好きな作家のお気に入りの作品だけを買って、夜寝る前に、自分の好きな場面だけをスクロールしてこっそりケータイで読む……。そのようなごくごくパーソナルな読み方は、紙媒体のマンガ雑誌ではとてもかなえられないスタイルです。
(中村 滋 著『スマートメディア[新聞・テレビ・雑誌の次のかたちを考える]』より)

あらかじめ断ると、中村氏らが実施したとの調査は、モバイルメディア以前のケータイメディアと見られます。
しかし、氏の理解は、そのまま米 Nielsen や同 Flipboard らが示すスマートデバイス上での利用動向の解釈としても有効に見えます。
ホームメディアとして、さらに言えば“ベッドの友”としてスマートメディアが存在感を発揮するのは、単に小型軽量であるが故の可搬性に理由を求めるのは浅薄にすぎると中村氏は述べているわけです。
印刷メディアでも(PC)Webメディアでもなく、スマートメディアこそがもたらすものは、この「ごくごくパーソナルな読み方」、言い換えれば、従前には存在していなかったパーソナルで自由なメディア消費のスタイルなのだと理解すべきでしょう。
それは先に筆者が掲げた仮説 1.4. を通過した新たな自由を生み出す原動力であるように思えます。 PC からの連続性ではなく、非連続な創造を生み出す可能性がそこには見えてくるはずです。
その全体像を、いまだ確かめた人はいないのですが。
(藤村)

揺らぐ“コンテンツファースト”の法則。 アプリは再びメディアを活性化するか?

検索エンジンを軸に形づくられてきた“Web の常識”。
その常識は、ソーシャルとアプリの普及で変化を見せる
本稿では、Web とアプリとの間の断絶を検討する

Web が、メディアを運ぶプラットフォームとしての可能性をもたらしてからおよそ15年が経ちました。
15年の間に、Web はメディア消費のスタイルにおいてさまざまな断絶的な変化をもたらしました。
commonsence
中でも、最も著しい変化と筆者が考えるのが、検索エンジンを介してコンテンツへと到達するメディア消費スタイルです。
しかし、検索エンジンがあたかも“神”であるかのように振る舞ってきた時代に、転機が訪れています。
ひとつは、ソーシャルメディアという検索エンジンが入り込みにくい世界が膨張していること。
もうひとつが、モバイルデバイスで浸透をしているアプリ型メディアです。
これらいずれもが、15年にわたり築かれてきた Web の常識を覆す可能性を秘めており、その常識に最適化を重ねてきた Web メディアに新常識を突きつけているのです。
前者については、「Web メディアが SEO を捨て去る理由 The Atlantic の事例を中心に」で論じました。本稿ではアプリがもたらす新常識について述べます。

検索エンジンで自分の探し求める、好みのコンテンツを見いだすスタイル以前では、コンテンツ消費スタイルの基本は、ブックマークするという過渡的な段階を挟み、人や雑誌記事、そしてポータルなどからの紹介を経てコンテンツに到達するというものでした。
しかし、検索エンジンの発展はすべてを変えてしまいました。
大量のブックマークは不要となりました。
あいまいな記憶であっても検索エンジンは見つけだしてくれます。
さらに、多くの人々にとり“良いコンテンツ”の発掘も、検索結果の順位に頼む時代がやってきました。
ここで確立したのは、読者は検索エンジンを仲介者としてコンテンツと触れあうというスキーム(図式)です。
このスキームによって、コンテンツを探し求める行為が普及したのです。探す行為がカジュアルになったことで、たくさんの探し求める人も誕生しました。
Web は、積極的にコンテンツを探し求める層を生み出したのです。

検索エンジンが、人とコンテンツを仲介するという段階が“Web の常識”を形づくりました。
いつしか、メディアというパッケージを見いだすのではなく、その中の一つひとつの記事(コンテンツ)やその内容を、直接探し出すようになりました。“コンテンツファースト”という常識です。
“探し求める人々”の行動はメディアという構造体から離れて、その時々の目的にフィットしたコンテンツを見いだそうとするものになりました。

コンテンツがまず先。次に、そのコンテンツを含んだサイト=メディアを徐々に認識するという順序が当たり前になってきました。
メディアにとっては、検索エンジンで自らのコンテンツを“発見”してもらうことが、第一の重要課題。次に、発見されたコンテンツ以外のコンテンツにも関心を寄せてもらいメディア全体に興味を持ってもらうことが、第二の課題となりました。
視聴者もコンテンツファーストなメディア消費に順応しました。
お気に入りコンテンツを知人に紹介するのは、コンテンツ(の URL)です。自分のために情報を保存するのもコンテンツ(の URL)単位です。

ところが、モバイルデバイス向けアプリの誕生がこの常識に断絶をもたらしています。
例を挙げます。

  1. アプリ内のコンテンツを一意に指し示す URL に相当するものがない
  2. アプリ内コンテンツを例示する手法が、少ない
  3. アプリ内のコンテンツのオーソリティ(SEO 上の「オーソリティ」については、こちらを参照)を分析する手法がない

2.は、App StoreGoogle Play などに示される固定的なアプリ紹介以外に、アプリが持つコンテンツをビビッドに伝える方法がないという意味です。
3.は、1.と関連しますが、アプリ内コンテンツを直接リンクすることができないため、被リンク数などによるコンテンツの評判を評価する仕組みが持てないからです。

Web の常識では、それぞれのコンテンツが評判を築き、そしてそれを束ねるサイトの価値を上昇させるという、時間をかけながらオーソリティを高めるのが最善でしたが、アプリではそれに類するアプローチが未確立です。

“アプリをリリースしたのはいいが、注目度がすぐに落ちてしまう”と一般的にいわれる課題は、アプリ内コンテンツの魅力をアプリ外に伝達していく手法が未確立で、リリース時のアプリの評判頼みになってしまうことを意味します。
代わって影響を及ぼすのが、App Store や Google Play のようなストアです。ストアが持つランキングや検索機能です。両ストアとも Web ページで検索エンジンへと接続していますが、既に述べたようにアプリ内を視聴者があらかじめ確かめたりする仕組みに欠けているという点に変わりはありません。
これらを対照すると、下表のようになります。

■ Web とアプリの違い 対照表

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アプリにおける新常識の一端を確認しました。
すでに感じられたかもしれません。実はアプリの新常識は、Web の常識=コンテンツファーストの以前へと回帰している可能性があります。
それは、一つひとつのコンテンツのオーソリティを決めるのにメディア=ブランドが大きく作用するということです。
「あのメディアのブランドなら、好み」という意識がダウンロードへと結びつく重要な要因として再びハイライトが当たりそうです。

メディアそのもののブランド性が、改めて活性化される時期がやってきます。
また、Web を通じてこのオーソリティを築き上げておくことが、アプリ時代を優位に生きるひとつの材料となるのかもしれません。
コンテンツファーストからメディア(アプリ)ファーストへと転じる端境期を意識しなければなりません。
(藤村)

“コンテンツ エブリウェア”戦略とは何か

米 New York Times 紙と Wall Street Journal 紙が軌を一にして“コンテンツ エブリウェア戦略”を打ち出した。
ソーシャル、モバイル潮流の加速で、変化を始めたデジタルメディアの事業戦略を追う

現在のデジタルメディアが直面している焦眉の課題は、「デバイスの多様化によるユーザー動向の変化」と言えるかもしれません(たとえば、「デバイスの多様化によるユーザー動向の変化とマーケティングへの影響 」を参照)。
まずこの点について、筆者が理解する“機会と危機”を整理してみます。

  • 機会……ユーザー接点が増える。ユーザーとの接触面が増せば、“会話”の機会も増す。また、ユーザー一人ひとりの動機や嗜好の分析も進む
  • 危機……デバイスの多様化やアクセス状況の変化が、コンテンツづくりに多様化を迫る。それは負担増であり経験値の新たな集積も必要となる

前回、「ストリーム型メディアの勃興 Webメディアの転換点」で、従来の Web メディアづくりが「ページ型」を主流としてきたのに対し、昨今の Twitter や Facebook そして新しいメディアプラットフォームが、いずれも“ストリーム型”であることから、ユーザーの嗜好がページからストリームへと振れているのではないかと論じました。
冷静にいって、人に喜ばれるコンテンツの表示形式が、短期間に極端な変化をすることはないにしても、モバイルスタイルが常識となったユーザーに、ストリーム型メディアが便宜をもたらしていることは十分に理解できます。大きなスクリーンの PC からアクセスするのに適した凝ったページレイアウトのコンテンツが、小さなスクリーンのモバイルデバイスからアクセスしたとたん、舌打ちしたくなるほど読みづらいものに変化することはよくあることです。
大事なことは、この“小さなスクリーンのモバイルデバイスからアクセスする”機会がますます増えており、また、それが私たちの嗜好にマッチするようになってきていることです。

加えて指摘しておきたいことがあります。
私たちは Twitter や Facebook を通じてメディアのコンテンツに接することも増えてきているのです。
それまではお気に入りのメディアをブックマークして定期的に訪問したり、検索エンジンで関心あるコンテンツを探し出し訪問していました。
いまは、Twitter や Facebook の公式サイトをフォローしたり「いいね!」しておきます。また、感度の高い知人たちが紹介する話題を通じてメディアを訪れるようにと変化し始めました。

そうなってくると、従来お気に入りのメディアは Web 上の1か所に住所を持って存在していてくれれば良かったのが、そうではなくなりました。
自分が最も多用するソーシャルメディア(のストリーム)内に、お気に入りのメディアもいてくれたらと感じるようになります。
ことはデバイスが有するスクリーンサイズの問題に止まらなくなっていることに気づきます。

本稿は、メディアが“エブリウェア(どこにでも)”展開していくことが重要になってきたことについてのメモです。

朝日新聞がニコニコニュースに8月1日から記事配信を開始した。新聞社・通信社では毎日新聞、時事通信に続いて3社目となる。
[参考]⇒配信媒体一覧 | ニコニコニュース

(中略)

毎日や産経と比べ、朝日はわりとポータルサイトへの提供は控えめな方であり、ニュースサイトとして圧倒的な力を持つヤフーニュースに提供していないことで知られる。ニコニコニュースには2段落しか配信せず、続きは自社へ誘導というスタイルであり、ニコニコのユーザー層を少しでも取り込みたいという意向だろうか。(edgefirst のメモ朝日新聞がニコニコニュースに記事配信 生放送出演がきっかけ」)

ブログ edgefirstのメモ で紹介しているのは、朝日新聞デジタル が ニコニコニュース に記事を配信していること。ただし、記事全文を閲読するには、朝日新聞デジタル サイトにジャンプする必要があるということです。
客観的に見て、ここには当然ながらギブとテイクがあると理解できます。朝日新聞デジタル にとって、ギブは ニコニコニュース という、管理もユーザー属性も異なるサイトに対し、自社のコンテンツ(の一部)を提供する“リスク”です。一部といえどもコンテンツの一部を他社サイトへ提供することは、同社の過去の経緯からするとチャレンジであったはずです。実際、掲載される ニコニコニュース トップページでは、朝日新聞デジタル のブランド性はいったん消され、他社コンテンツの見出しと混在させられているのです。
一方、テイクは何か。ユーザー層の異なる(?)サイトから読者を獲得できるという可能性です。「2段落」以後を読むために 朝日新聞デジタル サイトを訪れるユーザーは、朝日新聞デジタルの有望な見込み読者層です。
いくつかの傍証から(朝日新聞社広告局ページや「ニコニコニュースが挑むネットニュースの新しい可能性」など)、ニコニコニュース に対し 朝日新聞デジタル は、その訪問者数やページビュー数で圧倒していることからも、層の異なるユーザー獲得を目標とした“出店戦略”と想像できます。朝日新聞デジタル がこれからも、サイト外部へコンテンツ(の一部)を提供していく方針なのか興味をひくところです。

次に、米国の著名新聞メディアの取り組みを紹介します。
いずれも、Poynter. 掲載の記事です。ひとつは「Four things for journalists to consider as full New York Times content comes to Flipboard」で、New York Times 紙とスマートデバイス向けニュースリーダーアプリ Flipboard との提携についてです。
もうひとつは、「Content going ‘everywhere’: WSJ extends premium subscriptions to Pulse newsreader」です。前の記事が NYT と Flipboard の提携だったのが、この記事では Wall Street Journal と Flipboard の対抗馬といわれることも多い Pulse との提携についてです。

everywhereContent going ‘everywhere’: WSJ extends premium subscriptions to Pulse newsreader

この一対の記事が興味深いのは、NYT と WSJ という、タイプこそ異なれ米国を代表する新聞メディアが軌を一にして、“Everywhere(どこでも)”戦略を標榜していることです。
片や「NYT Everywhere」。他方は「Journal Everywhere」というわけです。

前者記事を中心に紹介していきましょう。
記事は NYT Everywhere 戦略は、「NYT のコンテンツを多くのサードパーティ・プラットフォームへ展開していくこと」と説明しています。
記事筆者 Jeff Sonderman 氏はこの戦略について、ジャーナリストが考慮しなければならない点として4つ掲げています。以下にそれを要約します。

  1. 多様化している読者の便宜に焦点を当てる……すでに NYT の読者の2割は、Flipboard のような外部のニュースリーダーやアグリゲータ(コンテンツを収集して表示するサードパーティサービス)を通じて NYT のコンテンツに触れている。また、外部から新たな読者を獲得できる可能性もある
  2. 高度な外部連携を開発する……登録会員の認証などを組み合わせて、サードパーティとの高度な連携を実現するには、単に RSS などによるコンテンツ配信を超えてコンテンツを配信するAPIの整備が必要となる。Flipboard CEO はこの面で同社が技術的負担を負っていることを示唆している
  3. 戦略的な事業拡大機会と捉える……NYT の場合、自らがアプリを複数開発し投入済みであり Flipboard との提携はひとつの追加事項だが、専用アプリを開発する体力に欠ける中小メディアは、サードパーティとの連携を積極的な事業拡張機会として捉えるべきである
  4. コンテンツ重視か、それとも読者重視か……“コンテンツこそ王様”と考えるなら、外部に向けてコンテンツをライセンスしたり販売することに懸念も生じるだろう。コンテンツを持たない事業者に機会を提供してしまうからだ。だが、“読者(の獲得)こそ王様”と考えるなら事情は異なる。オリジナルコンテンツを生産、保有することは、新たな読者との関係を築くための手法となるからだ

NYT の事例と、WSJ のそれとでは、パートナーであるスマートデバイス向けニュースリーダー製品との提携スキームが(片や広告収入の折半、他方は購読者獲得に伴ってのキックバックと)異なるものの、メディアがどこにでも出店していくべきであるという“Everywhere 戦略”にコンセプト上の違いがあるわけではありません。

ソーシャルメディアとスマートデバイス(モバイル)の急速な浸透は、従来のWebにおけるコンテンツマーケティングの方程式を大きく変化させようとしています。
SEO の常識からはコンテンツは1か所に不変のアドレスを保持し続けるべきでした。コンテンツはもちろん、コンテンツへのユーザーの反応もまた、ひとつの場所へと集約すべきでしたが、いまは異なる解が見えてきています。
Facebook や Twitter といった“小宇宙”は、自らのストリーム内へとメディアの出店を促しているように見えます。
また、冒頭に触れたように、モバイルアプリは、ユーザーに従来のメディア形式と異なる表示を迫っています。
メディアはさまざまな“場所”に、さまざまな“姿”で存在することを求められているのです。

  • すでに有している忠実度の高いユーザーが求める利便性(いつでも、どこでも、どんなデバイスでも)にどう応えていくのか
  • さらに、従来なら出会えなかった新たな読者層を獲得するために、どう振る舞うべきか

この2点を軸としつつ、“Everywhere 戦略”を立案することが重要になっているのです。
(藤村)

ストリーム型メディアの勃興 Webメディアの転換点

Webページの生成を止めよとのラジカルな論が話題だ
ユーザーの便宜は、すでにストリーム(タイムライン)型メディアにある
との主張を基に、次のメディア形式をイメージしてみよう

Web メディアの表現形式をめぐって、ホットなトピックが出現しました。
Anil Dash という起業家兼ブロガーによる投稿「Stop Publishing Web Pages」がその発端です。
「ページ発行(パブリッシュ)を続ける Web メディアのスタイルに終止符を打とう」という刺激的なオピニオンです。

紹介するこのブログ記事を起点に、同氏「More On Streams vs. Pages」、Mathew Ingram 氏「What happens to advertising in a world of streams?」、John Battelle 氏「Musings On “Streams” And The Futre Of Magazines」、Richard Macmanus 氏「5 Reasons Why Web Publishing is Changing (Again)」と、短い期間に活発な議論が次から次へと現われています。
本稿では、起点となった「Stop Publishing Web Pages」からポイントを紹介します。

Dash 氏はこんな風に書いています。

多くのユーザーが、いまやアプリ内で多くの時間を費やす。Facebook、Twitter、Gmail、Tumblr……といった人気のアプリでだ。これら人気アプリは、基本的に、シンプルにひとつの“ストリーム”(流れ)に焦点を当てている。ひとつのストリームとすることで、ユーザーが“ニュースの流れ”を容易にスクロールし、ざっと目を通し、さらに深く知るためにクリックしたりできるようにしている。
(一方、)ほとんどの Web メディア企業は、“ページ”を発行するための道具であるCMSにコンテンツを投入することに時間を費やしている。ページの働きはWeb 創生期以来から基本的に変わりなく今も続いている。つまり、ページはひとつの記事、URL、そして山ほどのナビゲーション類(多くは広告なのだが)からなっている。
ユーザーは、ストリームが良いと決めているのだが、多くのメディア企業はページを次から次へと発行し続ける。Web を生成するシステムは、ページを作り続けるようにデザインされていて、(ユーザーのために)カスタマイズされたストリームを生成するようなものではない。

このブログ記事は“ストリーム”という汎用的な呼称を用いていますが、別の表現を用いれば、それは“タイムライン”です。
ユーザーにとって、Web からの多くの情報はいまやタイムラインを中心として流れ込むようになっており、それはページ型メディアを凌駕するものとなっているというのが論旨です。

左が“ページ型”、右が“ストリーム型”メディア形式
Stop Publishing Web Pages – Anil Dash via kwout

なぜ、ストリーム型メディアが、ページ型メディアに対して優位だというのでしょうか? ポイントを列挙してみましょう。

  • タイムライン型インターフェースは、ブログ形式から普及し、Twitter や Facebook に至って広く浸透した
  • 情報がほぼリアルタイムに次々と更新されるような状態では、情報を複雑な構造に配置するページ型より時系列を基準とするストリーム型の配信が、ユーザーにとって効率的な情報入手スタイルである
  • レイアウトが複雑なページ型は、スマートフォンのような小型スクリーンから、デスクトップ PC の大型スクリーンまでという汎用的な対応が難しい。構造がシンプルなタイムライン型は柔軟である
  • ページ型コンテンツはあまりに多くの広告やナビゲーション(操作系)を付随しており、ユーザーはこれを嫌っている
  • ストリーム型はシンプルな API を介して、アプリへ配信したりカスタマイズしたりするのが容易である

しかし、ストリーム型メディアへの移行を阻む要素も、もちろんあります。Dash 氏は大きく2つを挙げています。

  • ストリーム型メディアとしてコンテンツを配信するシステムやツールがまだ整っていない
  • Web 広告はページ型メディアとともに進化してきており、ストリーム型への対応は遅れている

前者について、ブログ CMS や Twitter、Facebook はあるものの、たとえば、メディア企業が本格的にストリーム型メディア基盤を用意しようとすると、試行錯誤を経た内製開発ということになりそうです。

後者は深刻な課題です。広告市場そのものが次なる成長源泉を追い求めており、Facebook、Twitter、Tumblr などが軌を一にして、“インライン広告”商材を投入してきているのはその現われでしょう。これが広告の常識をどのように変化させるかについては、別の論(「広告のコンテンツ化潮流は、メディア倫理を改めて浮上させる」)で述べました。

Dash 氏は、転換期のメディア表現形式を念頭に、次のように述べます。

ストリーム(型メディア)の生成を始めたまえ。メディア企業は、CMS を未来の方向に向かって移行を開始するのだ。
シンプルな API を用いてコンテンツを配信し、ブラウザでも専用モバイルアプリででも手軽に消費できるようにするのだ。
広告は、ストリーム内にコンテンツと同じフォーマットで挿入する。ユーザーは、ストリームを自由にスクロールし閲覧して回るはずだ。彼らがすでに日々Web でそうしているように。そして、ユーザーが欲しいコンテンツをストリームに取り入れる(あるいは、除外する)カスタマイズの機会を提供しよう。

筆者(藤村)が関心を寄せるデジタルメディアは、大きく2つの潮流を内在していると見ます。

ひとつは、印刷媒体の良さ、風合いをデジタルな形式へと引き継ごうとするものです。新聞電子版では紙面構成を子細に再現し、雑誌電子版ではページめくりの感覚やリッチな誌面レイアウトまで再現したいとするモチベーションです。
他方、これまでなかったメディア形式を“発明”しようとする流れも存在します。タイムライン形式を日常的なものとした Twitter などは、この代表格でしょう。

その両極のトレンドから見て、Web メディアの現在の立ち位置は、実は徐々にレガシーなものへと変色しているのではないでしょうか。
本稿で紹介した論者の鋭い視点から明らかになってきたと言えるかもしれません。

コンテンツソースを(RSS フィードのように)一元化し、その表示をスクリーンサイズや受信するユーザーのコンテキスト(ユーザーを取り巻く諸条件)に沿って多様化する仕組みが必要であることは、間違いありません。リッチなページ型メディア、他方でシンプルなストリーム型メディアとしてコンテンツを表示する、その両方を勘定に入れた、次なるメディア設計とビジネスモデルの開発が急を要しています。
(藤村)

ターゲットメディア論、書き換えの試み

ユーザーの情報ニーズに対し動的に反応するメディアにリアリティが増している
本稿では、従来から語られてきたターゲットメディアを見直し、
動的メディアとの接点を論じる

動的メディアへの道 “文脈”に即応するメディアの構想」をポストしてから、1か月が経過してしまいました。targeting
同ポストでは、スマートデバイスが関与することで、ユーザーの外的な文脈(場所や時間、利用デバイス種別)を識別できるようになり、コンテンツやその表現形式を動的に変化させユーザーに追随するメディアの実現に近づいたことまでを述べました。
本稿は、その“動的メディア”にさらに一歩踏み込もうとする試みです。

まず、筆者自身にとってのおさらいです。
なぜ、動的メディアなのか? それはユーザー(読者)にどのような価値をもたらすのか。と同時に、メディア提供者にはどのような意義があるのか。
考えられる解答は次の2つです。

  • ユーザーにとっての動的メディア……メディアが、ユーザーの刻一刻と変化する情報ニーズに追随できれば、ユーザーは情報消費へと専念できる。言い換えれば、「探す」「切り替える」といった2次的な作業を軽減できる
  • メディア提供者にとっての動的メディア……ユーザーは情報ニーズの変化に合わせて、利用するメディアを切り替えるなどで適切な情報を探索している。それは、メディアにとって逸失利益ともなる。動的メディアとなってユーザーのニーズに追随できればそのリスクを解消できるかもしれない

時間や場所、ユーザーの心理などを読み取ったメディアの可能性などと書くと、技術が進んだこの時代であっても“夢物語を”と笑われてしまいそうです。しかし、デバイスの進化、メディアの多様化が進展する中、このような進展がユーザーのメディア間移動を加速させているのではないかというのが、筆者の問題意識なのです。
言い換えれば、メディアはますます刹那的にしか、ユーザーとの間で“絆”を交わせなくなっているのではないでしょうか。
実際、米 Time 誌の研究開発チームが測定したところ、デジタル機器に慣れ親しんだ世代では、1時間に27回もメディアを切り換えているという調査結果さえあります(Time Inc. Measures Consumers’ Emotional Response to Media FolioMag)。
もちろん、このような“メディア切り換え(ザッピング)”は、ユーザーが手に入れたメディアの束縛からの“自由”と肯定する見方もあるかもしれません。しかし、コンテンツとメディアの過剰なまでの豊富化は、その煩わしさゆえに苦痛ももたらしているはずです。

このように、めまぐるしくメディアを切り換えるユーザー行動の背景には、非常に微細な情報ニーズ、文脈の変化が関わっていると見ます。
そして、その切り換え行動を可能にしているのが、メディアの豊富化と(デバイスの)操作性の向上でしょう。

では“変化する文脈”とはどのようなものでしょう。すでに紹介したことのある長谷川恭久氏の整理を再び借りてみます(「文脈によって活かされるコンテンツ配信」)。

  • 時間
  • 場所
  • ブラウザ
  • サービス / アプリ
  • ソーシャルネットワーク
  • デバイス
  • 回線速度
  • 天気
  • 言語設定

以上は、“技術的に取得できる”文脈と断わられています。
さらに、技術的に取得しにくい種類の文脈が想定されるのです。ここで詳細には踏み込みませんが、ポイントは“文脈=変化するもの”である、という点です。

筆者は、大手新聞サイトや大手ポータルサイトに適応されるような“全方位型”メディア以外の商用メディアは、多かれ少なかれ“ターゲットメディア”化せざるを得ないと考えています。
ターゲットメディアとは、簡単に整理すれば、

  • その読者の多くがどのような属性を有しているか、明瞭であるメディア
  • 取り扱うテーマや、雰囲気が明瞭に絞り込まれているようなメディア

の2つであり、そのいずれか、もしくは両方です。

全方位型(非ターゲット)メディアは、多くの読者がアクセスする一方、個々のテーマでの掘り下げは浅く、かつ平易です。他方、ターゲットメディアでは、数多くの読者にフィットはしないものの、個々のテーマは掘り下げられ、その分、読者から熱く支持されるという特性があります。
前者、全方位型メディアはコンテンツも読者も規模が大きく、それを運営するのにも体力、資源、そしてブランドも必要でしょう。
後者、ターゲットメディアは、極論をすればミクロなテーマに絞り込むことによって、市場開拓の余地はいまだに十分あります。また、広告や課金という収入の視点でも、他のメディアでは考えられないというぐらい絞り込まれたテーマと読者がうまくマッチするなら、可能性は拓けるはずです。

筆者のデジタルメディアの経験は、後者のターゲットメディアに属するものです。しかし、本稿の主題である“動的メディア”の可能性を考える中、ターゲットメディア論の深化や見直しの必要性に迫られるようになりました。

ここで、ターゲットメディアにおけるあるケースを考えてみます。
会員制メディアを運営していたとします。会員となるには、ユーザーは自身のプロフィールを詳細に申告する必要があり、サイトの利用動機や、年収、職業上の肩書き、決裁権限などが明瞭になったとしましょう。
そんな詳細なターゲット情報を活用して、商材情報(広告)を送り届けたとします。
しかし、それがユーザーの意識に強く響かなかったとすると、その理由には、ターゲット性と“変化する文脈”との不調和があるのかもしれません。

下世話なケースを想定すると、経営層であり高価な情報システムの導入に決裁権を有する人物をターゲットできたとして、昼時に新たな情報システムの導入を提案しても、その情報は、ユーザーが探そうとしている、近場で、美味しくリーズナブルなランチ情報の価値に劣ってしまうかもしれません。ランチの情報源は全方位型メディアであるにも関わらず、です。

これは思考実験ですが、静的なターゲティング(上記のような申告型のプロフィール情報など)のみでは、変化する文脈を捕捉する仕組みに劣後する可能性があるのは常識的に理解できるところです。

では、ターゲットメディアは、もはや無効なのでしょうか? そうではありません。
全方位型メディアから、メディア提供者や広告主が求めるようなターゲットユーザーを導き出すには困難がともないます(ただし、既出「『メディア価値』の希薄化にどう備えるか? 破壊的広告テクノロジーの登場がもたらすもの」で論じた新たなアドテクノロジーがその役割を果たす可能性はあるのですが)。
ユーザーが自身の嗜好に最適化した情報源を選別していこうとする場合、ターゲットメディア、もしくはターゲットされたコンテンツの収集は不可欠です。
一方、“変化する文脈”を追随できなければ、私たちのメディアは、ユーザーの選択として、あるいは、ターゲットした情報源を収集するアグリゲータらにその地位を奪われてしまうことは避けられないのです。

ようやく、“動的メディア”が登場する必然性を語れるところまできました。
次は、具体的な実装方法です。
変化する文脈の範囲をある程度パターン化することから、それは始まりそうです。近くそこに論を進めていと思います。
(藤村)