米GAPが予感させる、デジタルメディア未来形

昨今のマーケティング巧者の企業は、そのブランド力をテコに“オウンド・メディア”の運営に乗り出しています。
米衣料ブランド GAP もその一例。創り出すメディアは、デジタルメディアが取り組むべき条件を見せつけます。

「最新ソーシャルメディア情報ブログ」をうたう ソシエタ が優れたオウンド・メディアの事例を紹介しています。
GAPの新しいオンラインメディア『Styld.by』はファッション誌の未来となるか?」です。

企業サイトは「オウンド・メディア」とも呼ばれ、多くの顧客を保有しており、企業と生活者のタッチポイントとしての役割を担っています。「オウンド・メディア」は、トリプルメディアといわれる中でも「ペイド・メディア」「アーンド・メディア」とは異なり、直接企業と生活者をつなぐ企業のマーケティングコミュニケーションにおいての入り口になる、特に重要なメディアです。(博報堂他の発表リリース文より)
「オウンド・メディア」を平たく説明すれば、企業が(所有して)運営するメディアのことです。
注意したいのは、従来の“コーポレート・サイト”とは意味が異なり、自社製品やサービスのブランド性向上や販売促進を主眼としつつも、“メディア”として広く読者の満足を目指すコンテンツを用意していくアプローチを取ることでしょう。つまり、消費者にとっては終着点ではなく、入口と位置付けられるサイトなのです。
では、そのオウンド・メディアの中でも先進性が際立つという GAP の Styld.by には、いったい何を学べるでしょうか?
記事では、ポイントを3つ挙げています。

GAPの新しいオンラインメディア「Styld.by」はファッション誌の未来となるか? « INFOBAHN via kwout

  • 周到に準備されたソーシャルメディア連携
  • ファッションブロガーとの自由なコラボレーション
  • 周到に準備されたEC連携

商業サイトの運営に携わる諸氏にとって、これらのポイントを「商品を売るのが目的の企業サイトと、自分たちとでは違う」と境界線を引いて終わらせるのは得策ではありません。Styld.by は確かに、“ファッション”と“EC”に偏っています。しかし、ここで挙げられた3つのポイントは、筆者が考える(商業メディアなど)オンラインメディアに共通して備わっているべき要素であり、Styld.by はそのみごとな実装例のひとつなのです。

1. のソーシャルメディア連携。記事(やファッションアイテム)について、読者のコメントを付して Twitter および Facebook、Tumblr などへ投稿できる機能は、これからのデジタルメディアにとってマストアイテムです。いまだに SEO(検索エンジン最適化)が重要な施策ではありますが、今後は“ヒト”が仲介、推奨することによる影響力が増す一方です。

コンテンツが、自社メディア以外の場へと紹介、引用されていくことに不快感を表明する商業メディア従事者はいまも少なくありません。
しかし、警戒すべきなのは、単にコンテンツの剽窃が行われて、自社のメディアへ何ら利益をもたらさないケースについてであるべきでしょう。
逆に、自社のコンテンツが自らの手の届かないところにまで紹介や引用の連鎖が広がり、それが自社サイトへの来訪者へと結びつく、あるいは、ブランドを築くということには積極的に手を貸すべきです。そうするためにも、紹介や拡散が(メディア側が望むように)適切に行われるような仕組みが求められます。たとえば、ソーシャルメディアに投稿する際に、メディア名・記事名・URLなど出典情報が自動的に付加されるようなツールを用意しておくなどです。

次に2.「自由なコラボレーション」について。
コンテンツの紹介や拡散をどうして読者は行いたいのかといえば、ひとつはそのコンテンツが読者に取り、自分のブランド性を高めるようなケースであること。もうひとつが、メディア自体やその執筆者に対して身内意識が高い、参加意識が高いことによります。
言い換えれば、コンテンツの紹介や拡散をしやすくするには、1.のような道具が常に用意されていることに加えて、読者心理を、メディア側スタッフとの親近感を一定レベル以上に保っておくことが効果的です。
それをどうするか? 運営しているメディアがブログ系CMSを利用していれば、コンテンツごとにコメントの書き込みを許すオプションがあるでしょう。あるいは、メディアごとに Twitter や Facebook などのアカウントを用意し、そこで読者との適切な交流を築くことになります。Facebook であれば「いいね!」ボタンの設置など、読者、メディア双方にとって心理的負担の低い取り組みから始めることもできます。
最近では、朝日新聞デジタルの例のように、各種公式 Twitter アカウントに加え、「つぶやく記者」というように個人のレベルまでアカウントを明記しソーシャル化に乗り出すケースも当たり前になっています。
もちろん、炎上や過度なコミュニケーション負担にさらされる“リスク”も皆無ではありません。しかし、経験上、コミュニケーションの“やりすぎ”から誘発される炎上などはあるものの、読者から親近感を持たれるケースでは、そうでないケースに加えてずっとリスクが低いものと認識します。

最後に3. ECとのスムーズな連携です。“ECだけは、自分のメディアとは関係ない”と思われる方々もいることでしょう。
筆者はこの数年間のオンライン広告のスランプ現象(一方で、検索型広告などのブームはありましたが)の経験から、広告外収入の積み重ねを重要視します。
広告は、特に専任営業が獲得するような商談ではそれなりに額も大きく、また、獲得できれば大きなマージンも期待できます。
が、広告収入への過度な依存(期待と言ってもいいかもしれません)は、人件費増を招いたり編集要員の生産性を下げるなど副作用を伴うことに注意すべきです。できれば、人手をかけずに自動運用が可能な収入源をいくつか持ちたいものです。

本ブログでこれまで何度か触れているように、デジタルメディアで長く生きぬくには、運営コスト水準(固定費)を極力引き下げることが 肝要です。
適度な広告獲得と併せて、EC等物販へシームレスな接続を行ったり、メディアの特性などを加味して、セミナーやパンフレット(資料)など有償物の販売へつなげるような仕組みは、メディア経営上意義があると考えます。
アフィリエート型ビジネスとの連携であれば、投資を抑えたスタートも可能です。いずれも、メディアづくりに携わる現場の人間の創意工夫のレベルで行う収入源開発に意味があります。自分ではできない、という業務は結果としてコスト増要因となるからです。

改めて整理しましょう。Styld.by が備えるような特徴は、今後はどのような(デジタル)メディアであっても多かれ少なかれ必要です。
メディアに従事する人間一人ひとりがその意義を理解した上で自ら取り組めるような能力が求められます。
重要なことは、そうしなければ、今回の例が示すように、ブランド性の高い企業は自らメディア運営に乗り出すことで十分に満足してしまうはずだということなのです。
(藤村)

広告のコンテンツ化潮流は、メディア倫理を改めて浮上させる

広告の消滅・スポンサードメッセージの誕生。
21世紀のメディアから広告は消滅していくのか——。

Facebook と Twitter、二大ソーシャルメディアが、いずれもサイト内のディスプレイ広告(バナー広告のたぐい)を廃止していく方向で動いています。
代わって、ユーザーらが情報のやり取りを行うメインのコンテンツ群の中へスポンサー(広告主)メッセージを埋めこむ(スポンサードコンテンツ)方式を生み出すべく躍起なのです。
本稿では、現実になりつつある“広告”の廃止・広告の“コンテンツ化”への流れを確認し、その背景を考えてみたいと思います。

出発点は、今年2月末に開催されたFacebookの広告業界関係者向けカンファレンス fMC です。
同カンファレンスの主要資料(動画、PDF等)は、英語ですがこちらに用意されています。
ここで飛び出してきた広告に代わる新コンセプトについて、TechCrunch JAPAN が記事に取り上げています。
広告のコンテンツ化―Facebookの新広告戦略はハッカー文化とビジネスの融合を目指す」です。

広告のコンテンツ化―Facebookの新広告戦略はハッカー文化とビジネスの融合を目指す via kwout

記事は fMC の注目点について、以下のように述べています。

Facebook では収益とユーザー体験を両立させる方法があるはずだと考えている。Facebook は収益を拡大するために必ずしも広告のサイドバーを大きくし、コンテンツ・エリアを狭くしたり、画面トップに巨大なバナー広告を掲示したりしなければならないわけではない。Facebook は広告を独立した存在としてはわれわれの目から消し去り、次第にサイト全体の情報の流れの中に埋め込むという手法を取ろうとしているようだ(下線部は藤村による)。

昨日(米国時間2/29)のfMC(Facebook マーケティング・カンファレンス)で Facebook はそうした方向性を打ち出した。広告主が自分の好きにメッセージを表示できるプレミアム広告枠は姿を消すことになる。今後、企業が運営する公式 Facebook ページの内容からユーザーによって選択、抽出されたものだけプレミアム広告として表示されるようになる。この広告はサイドバーに表示されるのではなくウェブ版、モバイル版双方のニュースフィード中に表示される。

発表された Facebook の新広告商品 Premium on Facebook は、厳密に言えば複数の広告形式の集合体なのですが、わかりやすいように2つのパートから説明しましょう(こちらの記事で広告の構成などポイントを詳しく解説しています)。

  1. 「Facebook ページ」……スポンサー(広告主)がFacebook内に設けるコンテンツ集合ページで、従来から存在していたものです。企業が自社、もしくは製品単位で情報を集約しコンテンツを順次投稿していく場です。ユーザーのニュースフィード中に広告主からのメッセージを表示するためには、企業や製品のファンたるユーザーがこの Facebook ページに対して「いいね!」をしておく必要があります
  2. 「ニュースフィード」……Facebookユーザーが自らのコンテンツを投稿したり、友達のコンテンツが表示される領域に出現するコンテンツ型スポンサーメッセージです

今回新たな広告セットに組み込まれたのは、2.の「ニュースフィード」への広告メッセージです。企業、製品の Facebook ページに「いいね!」をしたユーザーにアップデートとして配信されるもので、通常の近況アップデートの形式をとります。言い換えれば、Facebook 内で日ごろ起きている交流のように、ユーザーにフレンドリーに作用するメッセージでなければなりません。

このように Facebook の新広告商品がもたらすのは、広告メッセージが企業や製品の「ファン」へ確実に届く率の向上(16%から75%までに向上させるとうたっています)、次に、ファンを通じて広告メッセージを拡散(「いいね!」や「シェア」)させる効果の向上なのです。
それを可能にするのが、広告メッセージを、コンテンツに外在的である「広告」という存在
から、「コンテンツ」そのものへと位置付け直す論理というわけです。

このような旧来の広告観になかった新しいスポンサードコンテンツ観が生まれた背景を推測しておきます。

  • そもそも Facebook 創業者周辺には、「広告はクールじゃない」という思想がある
  • 広告の表示になれたユーザーは、ますます広告を無視するようになっている
  • 「広告」収入増を図るには、広告表示を多くするか、大きくするしかない(ますます「クールじゃなくなる」、効果も下がる)
  • 広告主期待のエンゲージメントを得るには、ソーシャルメディア内のエンゲージメント(「いいね!」等)の論理が貫かれたときであるという視点がある

広告主とユーザーの間がらを「ファン」「友達」という関係に置き直そう。「広告」ではなく、広告主が発するメッセージ、コンテンツとして位置付けよう。これが今回のアプローチです。
煩雑になるので立ち入るのを避けますが、Twitterでも同様のアプローチが生じています。ユーザーのタイムライン内にスポンサーのメッセージを埋めこむための論理的な整備と効果測定などの試行検証が行われているようです(→ こちらを参照)。

このようなトレンド変化に当惑するのは、商業メディアでしょう。「記事と広告の峻別」をユーザー(読者)への守るべき倫理(厳密に守られていたかどうかというよりも、そこに倫理的な縛りが存在)としてきたからです。商業メディアには、コンテンツが人を動かす(リードする)ものとの自負から、広告主のメッセージで読者がミスリードされることがないように“峻別”が必要とされてきたのです。
対して、紹介してきたソーシャルメディアが抱くユーザーへの倫理は異なります。それは「広告主とユーザーの間にエンゲージメントが成立しているかどうか」です。

冷静に考えて、現代にあって広告が求める効果を得るには、エンゲージメント抜きではますます困難になっています。その意味で、今回のソーシャルメディアの取り組みは21世紀の広告のあり方を映していると言えそうです。
では、あらかじめエンゲージが交わされていれば、広告主のメッセージでユーザーがミスリードする懸念を免れるのでしょうか? それはユーザーの自己責任と言えるでしょうか?
さらに、それは普通のユーザーが発するメッセージに対するガイドラインと同様の仕組で良いのか? これらの点でまだ迷路を抜けたとは言えそうにありません。
紹介してきた広告の新潮流は、旧くて新しいメディア倫理の妥当性に改めて照明を当てています。
(藤村)

メディアの「パーソナライズ」を改めて考える

かつて注目されながら、空振りに終わったメディアのパーソナライズ。
多くの商業メディアとソーシャルメディアが連なり進む情報爆発、
課題として見えてくるのは、適切なコンテンツへの絞り込みと、重要な話題への視野の拡大。
改めて、メディアのパーソナライズの可能性について考えます

先日、ブロガーの境 治氏の投稿「長いものが読めなくなってきた〜コンテンツ消費の夕暮れ〜」に触れ、思わず唸ってしまいました。

朝、通勤電車の中でTwitterやFacebookで情報収集する。面白そうな記事やブログをチェックして、会社に着いたら読む。読む。読む。読んでも読んでも興味深い記事、読むべきだぞなブログがどんどん出てくる。読む。読む。・・・でも、ものすごいスピードで流し読みだ。ちゃんとすべての文字に目を通してなんかない。だいたいね、だいたいわかった。はい、次!そんな勢いだ。

長い記事がどうも最近、ちゃんと読めなくなってる気がする。

境氏が書いた情景は、“ニュースジャンキー”(ニュース中毒症)を自認する自分にぴったり当てはまるのです。
境氏も自分もいささか自業自得感はあるものの、この「何か(さらに面白い)事が起きていないか?」と「何か読み落としている重要な情報がないか?」という“欲求と不安”への対処は、情報の渦におぼれかかっている多くの現代人に共通する課題ではないでしょうか。

今回のテーマは、(私たち)読者がいかにして“適切な情報に触れる”ことができるかということです。

先に自分なりの結論めいた見解を述べると、業務上目を通すことを求められるような、例えば事務文書などは面白くないこともあって、量が過剰になれば「もううんざり」「業務効率が落ちるので分量少なく」といった抑制メカニズムがおのずと働くものです。
ところが、自分が追い求めるテーマ、関心事に触れる情報は自らの欲求によって読もうとするため、このような抑制メカニズムが働きません。
コンテンツ消費が直線的に伸びてしまいがちなのです。情報を何らか絞り込むメカニズムが用意されなければならないはずです。

そこで重要になるのが、何らかのパーソナライズ(機能)です。
Web上のニュース記事については、はるか10年以上前からこのパーソナライズが有望視され、そして消えていきました。
なぜかコンテンツ分野ではこのパーソナリゼーションは主流の議論になりきれずにここに至っているのです。
隣接分野でのパーソナリゼーションに関わる記事を最近見かけました。これを簡単にご紹介します。
TechCrunch Japan に掲載された「Eコマースを巡る次の革命的発展は利用者次第?!」がそれです。

Eコマースにはパーソナルなレコメンド機能が欠かせない。しかし、10年前にAmazonがプロダクト販売の場面に「パーソナライズ」の概念を持ち込んで以来、この面における進化というのはほとんどないという状況かもしれない。但しEコマースで利用できるデータは一層膨大なものとなっており、まさに今、新たな「パーソナライズ」時代へとジャンプする直前期にあるのではないかと思われる。

この記事の主眼は、タイトルにあるとおり“Eコマース”です。なのですが、筆者(藤村)には、まさに情報が過剰化する一方の現在、適切な情報への欲求と不安に悩まされるメディアと読者の間にこそ当てはまる話題と読みました。

上記引用に「この面における進化というものがほとんどない状況」とありますが、(ニュースなどの)メディアと読者の間でも事情はまったく同じです。
そもそもメディアそれ自体が、“これを読むべき”というリコメンド(推奨)の束なのですから、本質的に読者一人ひとりのための取捨選択を良しとしない要素があります。
また、読者自身も一般的には、自分が何を読みたいのか、どんなテーマに関心を持っているのか明示的に定義できない側面もあり、これまた、パーソナライズが定着しない要因です。

パーソナライズが不調に終わった以後、(ニュースなどの)メディアサイトやソーシャルメディアなどで目にするパーソナライズに代わる機能は“リコメンド”です。
「この記事に関連する記事」「あなたの知人が『いいね!』と言っている記事」「今週最も読まれている記事」……。
しかし、これらが欲求と不安という課題に対する答えにならないのは自明です。というのも、それらはさらに多くの記事の消費を提案するだけだからです。

結果として、情報に鋭敏な読者の多くは、自らのお気に入りメディアを中心に回遊し、見出しなどを判断材料に読むべき記事を取捨選択します。さらに、ソーシャルメディアなども駆使して守備範囲外へもアンテナを差し向け、情報に対して絞り込みと同時に網を広げる行動を経験に基づいて行っているのだと思います。

課題がようやく鮮明になってきました。
情報過多に見舞われながらも、まだ、情報を拾い漏らしているのではないかとの不安に晒される現代人にとって、“情報の適切な絞り込み”、かつ、時に“広い視野からの重要情報への接触”が可能となるような、一見相矛盾する仕組みが重要になっているのです。

どうやってこれを実装すべきでしょうか?
先に示唆したように、商業メディアは、できれば自らのコンテンツ(だけ)をたらふく消費してもらいたい欲求を持っています。その現状では、コンテンツ消費を絞り込む機能を実装するのは困難と思えます。
もし可能だとすれば、“絞り込み”の機能に権威性などを付加して、読者へのメディア価値として鮮明に打ち出すことが必須です。
もし、このような絞り込みに商業メディアが取り組まないのであれば(上述のように、取り組みたくないという衝動は頑強でしょう)、コンテンツを大量に生み出す商業メディアと、価値あるコンテンツに絞り込みたいという読者の間に、新たなビジネスや機能をもたらす第三の存在が台頭するのは当然の帰結です。
過去は検索エンジン、現在はソーシャルメディアやアグリゲーション(まとめ)型メディアなどがその原初的な役割を果たしてはいますが、いずれも“たくさんの候補を提示する”ベクトルで発展してきた経緯において商業メディアとそう変わらないと言えそうです。

ならば、だれが“絞り込みと広がり”を提供できるでしょうか? たとえば、Summify.comという有望なサービスがあります。
ユーザーのソーシャルグラフ(交友関係)を読み取り、(影響力ある)友達が言及している記事を毎日5本に絞り込んでモバイルアプリやメール等で教えてくれるものです。しかし、利用してみての感想は、期待に十分とは言えません。時には「PR」記事が交じっていることさえあります。
ソーシャルな交流圏にある人々に共通する話題だからといって、自分にとって価値ある情報という等式が成り立つというわけでもないようです。

では代わって、筆者(藤村)が乱暴に仮説を提示してみましょう。

  1. 従来の閲覧履歴を基に、好みのメディア(よく読む記事を掲載する媒体)を抽出し、その中から適切な重み付けをしながら新着記事を提示する
  2. それら提示記事には適切なサマリ(要約)文を生成し、記事を選択するための材料とする
  3. 専門分野ごとに複数名のキュレーター(情報選別者)を用意して、“お薦め”記事を絞り込んで提示する(たとえば、“本日読むべき5本”というように)
  4. キュレーターのお薦め記事にも2. 同様のサマリを表示し、気になった記事を選択するための材料とする
  5. ユーザーには、キュレーターを選択できるようにする(結果として、数名のキュレーターを選択して、ユーザーは自分の関心分野をカバーする)
  6. キュレーターによるお薦め記事と、1. でピックアップされたお好み記事を束ねて、記事見出しとサマリからなるリストを、ユーザーに対し毎日/毎週/毎月送る

個々人にパーソナライズされた記事を抽出する美しいアルゴリズムを提唱できれば良いのですが、残念ながら思い浮かびません。
結果としては、上述のように、自分自身のメディアへの経験的な嗅覚を活かしつつ、併せて、権威ある人々からも記事の推奨を受ける。
この組み合わせに、私は情報爆発時代の情報処世術を見いだします。
繰り返しですが、商業メディアもこのようなアプローチを積極的な商材として提供すべき時機が近づいています。
むろんそれをしなければ、第三者がその役割を果たすことになります。そして、時代はその萌芽を随所で見せ始めていると思うのですが、どうでしょうか?
別の機会にもう少し実装イメージを追い求めてみたいと考えます。(藤村)

電子の時代、作家はネット起業家になるのか?——アマンダ・ホッキング氏の場合を例に

自らの努力で、電子書籍小説を100万部以上売った、若きベストセラー小説家アマンダ・ホッキング。
ついに、巨額の前払契約をもって大手出版社と出版契約を結ぶ——。
本稿は、彼女の周到で執拗な自助努力の一端を紹介し、
ネットの時代、電子書籍の時代の作家が生きる道と、
改めてメディアビジネスがなすべきことを検討します。

米国に ENTREPRODUCER というユニークなブログメディアがあります。
“アントレプレナー+プロデューサー=アントレプロデューサー”という造語を媒体名にしたこのメディア、コンテンツビジネスに関わるスタートアップ(誕生間もないベンチャー)や、ネットの力をうまく使って勝負しようとする起業家的な人々を対象に絞り込んだ、それ自体非常にベンチャー精神を漂わせるとてもおもしろい存在なのです。

その ENTREPRODUCER が最近掲載した記事「Why the 21st Century Author is an Internet Entrepreneur」(21世紀の作家が、インターネット起業家でなければならないわけ)が、これまたとても興味を惹くのです。今回はこの記事を紹介していきたいと思います。

Why the 21st Century Author is an Internet Entrepreneur | Entreproducer via kwout

記事で取り扱われているのは、アマンダ・ホッキングといういまだ20代の電子書籍作家。
彼女を知らない人は、こちらこちらを参照ください。写真や動画なども交えて紹介されています。
すでにAmazon Kindleや各種Eブックを使って通算で100万部以上を売ってきた電子書籍時代の最初のヒロインと言える人物です。
これまで出版社とは組まず(組んでもらえず)自助努力によってベストセラー作家の地位を築き上げてきた彼女。1年ほど前には、米著名出版社と200万ドルの出版契約を取り交わしたことでも話題となりました。
記事では、このホッキング氏が出版社や編集者のサポートを得ようとして得られず、ならばと、自らインターネットや電子書籍の仕組みなどに取り組み、現在のベストセラー作家の地位を築く道のりやポリシーなどを紹介しているのです(この努力の過程については、翻訳家の林田陽子さんブログで紹介しています。こちらも併せて読まれることをお勧めします)。
  • 17歳で最初の小説を執筆するも、50社もの出版社から出版を断られる
  • 19の時、彼女は趣味ではなく執筆専業を決意した(起業)
  • そして、書店や出版ビジネスをしらみつぶしに調べ上げ、自分のテーマに関してどのような本が出版され、それがどのように売れ、読まれているのか検討した(市場調査)
  • その間、引き続き出版社へ原稿を送り続け、そして断られ続ける。最後の“お断わり状”を受け取ったのは2010年2月のこと(既存資源活用を試み断念)
  • Kindleフォーマットによる処女出版を決意、2010年4月に出版した(新技術の受容、新市場を対象に)
  • 著作の定価を1〜3ドル未満にするという試みを行う(価格破壊)
  • 最初は1日数冊の販売が続くが、徐々に情勢は変化し……
  • 2010年6月は6000部販売、7月は1万部、翌年1月には1万部以上……そして、夏には毎日9000部以上へ(販売成長)

販売実績の成長はそれだけ見るとマジックのように見えますが、そうではないと記事は説明します。ホッキング氏は周到に取り組んだというのです。

彼女は、自分の小説作品をスタートアップ(新規事業)のように扱った。

記事は電子書籍の市場はいまだ黎明期にあり、たとえば読者が彼女の作品を知り購入し始める過程を他人(市場、たとえばAmazon)任せにすることはできないのだと指摘します。

あれやこれやの手法を用いながら、作家は自らの“読者”を生み出さなければならない。
たとえば、作品を売りに出すのに先駆けてフリーのオンラインコンテンツを提供してみるなど、スマートな起業家的手法を用いて読者を創造するのである。

言い換えれば、インターネット出版の起業家となるのだ。自らの作品を、芸術家が生み落すようなものではなく、自らの“プロダクト”のように扱うのだ。
そしてそのために活用できる最大の資産は、自身の読者なのだ。

この記事が彼女を通じて言いたいことはおわかりになると思います。先に挙げた林田氏のブログでは、ホッキング氏のブログや彼女へのインタビューなどから、彼女がどのように“起業家”的に振る舞ってきたかを具体的に整理しています。最後にそれを要約しておきます。

  • 人気のあるジャンルの小説を書く
  • あらゆる販路を試す(紙の自費出版から始め、Amazon、そして各種の電子書籍市場を活用するに至る)
  • 作品を量産する(「次々と作品を出していかないと、今までやってきたことがすべて無駄になる」)
  • 価格を安くする
  • 書評ブロガーに紹介を依頼する
  • 作品の完成度を上げて、商品価値を高める(推敲過程を公開し、フィードバックを求める)
  • 読者の意見や希望を収集して、作品に反映させる……

これらが、いかに新規事業を立ち上げる過程に相似しているかが分かると思います。「芸術家なら」「すでに知名度を得た作家なら」わざわざ取り組まないような“事業立ち上げ”的プロセスを、彼女はたった一人で、忠実にそれを実践しているのです。

私たちメディアビジネスに関わろうとする人間にとって、アマンダ・ホッキング氏の事例から学ぶことは、今後このような電子時代の作家、ライターが続々登場するだろうということ。そして、彼ら彼女らは、好むと好まざるとに関わらずこのようなプロセスを自ら、あるいは提供されるプラットフォームを活用していくだろうということです。そのようなサポートを彼ら彼女らは求めるのです。
ちょうど林田氏のブログ記事の最後で、ホッキング氏が「私は書くのが好きだ。私はマーケティング、特に読者とやりとりするのが好きだ。編集作業なんかに構っていられない。私は自分の会社を経営したいなどとは思わない」と述べているように、そこにメディアビジネスにおける起業家とその支援者との望ましい新たな接点が示唆されているのです。
(藤村)

“消費”と“創造”——対称的関係が導くコンテンツ新時代

わが国では Togetter や NAVER などが、インターネット上にあるさまざまな話題のまとめに使われるようになってきました。
たとえばTwitter上で盛り上がっている話題は、ひとりのTwitter投稿者がひとつのテーマを掘り下げることからはなかなか生まれず、会話の広がり、言い換えれば情報のキャッチボールを通じて深まり豊かなものとなっていくことが多いようです。会話であるため複数の話者がある話題をめぐり情報を発します。ひとりのタイムラインを追いかけるだけでは見えづらい、隠されている豊かさがそこにはあるのです。
また、Twitterから離れてあるブログ記事を見たとしましょう。ここではツィート140字の制約もなく、ブロガーが思い切り自分のテーマを掘り下げればそこに豊かな世界が画然と創造されることは間違いはありません。が、やはりブロガー単独で築き上げる世界の背後にも、一人を超えた豊かな世界が広がっています。それは、ブロガーは時代の様々な情報と見えない会話を繰り広げながら記事を生み出してしているからなのだと言えます。もちろん、この事情は商業メディアの記事一つひとつにあてはめても同じでしょう。

このような、一人ひとりのTwitter投稿者、ブロガーの視点を超えた情報価値というものが浮き上がってきます。“話題のまとめ”とは、このように一人のTwitter投稿者や、あるいはひとつの記事に止まらない話題性やテーマの広がりを見いだし、それを読者ら第三者に見えやすく整理する行為なのだと定義できるでしょう。

文字通り“まとめ”ることで全体が見通せて有用性が高まるというケースはもちろん、「そんな発想があったか!」との切り口に沿った情報のコレクションによって、各コンテンツをばらばらに見ていただけでは想像もできなかった面白みが増すことなどが、まとめのかつてなかった醍醐味です。
ここで注意しておきたい特徴は、まとめを行う行為の中にあっては、まとめ編集者は、通常、自らは多く情報を発信せずすでに存在する情報の整理・加工に徹しているということでしょう。
インターネットを介して飛び交う情報量が膨大になるに従い、新たなアジェンダ(話題・議題)を設定できる人々、さまざま情報の中に豊かな価値を見いだし、それを可視化させる能力を持った層が求められており、そしていまそれが誕生しているように見えるのです。

さて、今回紹介してみたいのは米国で生まれたまとめツールのStorifyです。米国ではCuration(キュレーション)と呼ぶジャンルのサービス(製品)です。Storifyは昨年Web版として産声をあげ、最近になりiPadアプリが追加されました。この紹介を通じて私が感じる問題意識を述べてみたいと思います。

http://storify.com/
Storifyサイト via kwout

Storifyを簡単に紹介します。それには大きく二つの機能があります。
ひとつは、ストーリー(まとめトピック)を選んで読む機能。storify.comのトップページには、各種のストーリー(まとめ)が並んでいます。読者は、ここから、話題(たとえば、ホイットニー・ヒューストンなど)やカテゴリ(たとえば、ファッションなど)をたどり、読みたいコンテンツへと到達します。
Storifyのまとめの多くは、Twitter のツイートをテキストの中心にし YouTube、Instagram の写真などで目を引くように配置されています。
Storify のもうひとつの機能は「Create Story」。すなわち、まとめの作成です。Storify トップページから「Create…」ボタンをクリックし編集画面に移動します。ここでは、作成ページ(最初はブランクになっています)がメインに、そしてサイドバーに「Media」(利用する情報源)があり、Twitter、Facebook(現在は、Facebook の写真のみしか使えないようです)、Instagram、YouTube、Flickr、Google(検索から得られた Web コンテンツなどを利用する)等が用意されています。
Media から選択したコンテンツをページ面にドラッグ&ドロップし、必要なテキストを加えたり、上下の配置を調整しながらまとめを作成します。
情報源があらかじめ複数用意されており、Instagram、YouTube、Flickr など動画像系を使いやすくなっていること、検索結果から得られた各種コンテンツを取り込む、また、URLを直接入力して得られた結果を埋めこむなどの多様性が、Togetter や NAVER とのわずかながらの差異と言えそうです。これら一連の操作は簡単で、最後に[Publish]ボタンを押せば公開されます。公開対象は一般のみです。

次に、iPad 版 Storify にも簡単に触れましょう。
iPad 版の機能は基本的にひとつでまとめ作成機能のみです。そこに盛られた機能は上記した Web 版と異なるところはほぼありません。ユーザー体験上の差異は、iPad の特性に依るのでしょうが、タッチによる直感的な操作で完結するようになっており、プロモーションビデオにあるようにユーザーはくつろいだ状態で作業を進めることができそうです。

Storifyの編集画面

iPad版Storifyの編集画面。「Media」から筆者のツィートをドラッグ&ドロップしている

さて、このように Storify の Web 版、iPad 版の紹介をしたのは、筆者にひとつの問いがあるからです。それは「まとめ」を行う行為は専門性の高い行為になっていくのか否かということです。
Web 版 Storify は、わが国の Togetter や NAVER がそうであるように Web ブラウザを通じてコンテンツを楽しむのと並行するようにして、まとめ作成機能を登録ユーザーに提供しています。機能の多寡はともかくとすれば、[コンテンツを消費する(鑑賞する)]と[コンテンツを創造する]機能は軒を接して隣接している。言い換えれば対称性をなしているのです。もちろん、消費するユーザーの数は圧倒的なはずですが、それでも、消費するユーザーの中から、あるとき“その気になった”消費者が、新たなアジェンダ設定者となって現れてくることを期待して不思議ではないのです。

しかし、iPad 版 Storify ではなぜか、この消費と創造の間に対称性がありません。アプリは作成専用。消費は Safari(Web ブラウザ)でと関係が分離されています。今回、Web 版/iPad 版それぞれを操作していてもっとも気になったのがこの点でした。
対称性が失われるとどのようなことが起きるでしょうか? それは専門分化が進むということです。

専用のツールが与えられれば、専門的にそれを行おうとする人々のための道具となります。また、専門家らの道具となれば、専門家からの要望にさらされることも必然です。
たとえ、操作が複雑であったとしてもより高度な機能が求められることも多くなるでしょう。この高度化のプロセスは専門分化のプロセスであり、気づかぬうちに一般からは手の届かない、少数の専門家だけに喜ばれる製品へと自らも気づかぬままに変身を遂げてしまうことがあり得るのです。
例を挙げて考えましょう。Apple はさまざまな産業を“再発明”したと評されることがあります。印刷→ DTP、楽曲録音→ DTM、音楽販売→ iTunes Store、雑誌・書籍→ iBook Store……。
ここで DTP を例に挙げるならば、本の組版・製版・印刷の工程を従来の大型専門機器に頼っていた要素を根本的に覆したのが、Mac とそこで稼働するソフトウェア、そしてレーザープリンタ等の組み合わせでした。しかし、最終的に DTP に殺到したのは、従来から本や雑誌の出版に携わっていた専門職能群でした。残念なことに、いまとなっては、自費出版をしてみようと思いたっても DTP ソフトウェアなどは高価かつ複雑で、個人の選択肢からは外れてしまう結果となっています。

改めて筆者の感慨を整理すると、“まとめ”のような消費と紙一重(対称的)的行為は、道具もまた専門分化する方向に進化を遂げるのではなく、より一層消費に近い体験を通じて創造的行為が行えるように進化すべきではないかということです。
これは無茶な発想でしょうか? そうではありません。いまや私たちは Facebook や Twitter、そして各種の Web ブラウザの付加機能を通じて、価値あるコンテンツを読みながら(消費しながら)、それを知人に向けて付加価値を付けて発信したり、まとめを始めたりしているのです。この境界線があいまいな領域にこそ、本稿冒頭で述べた大きなうねりがいま生じていると見ます。
Appleが最近リリースした“電子教科書”制作ソフト iBooks Author の評価について、出版の専門家の側からの論評が厳しく聞こえるのも、同社が DTP の轍を踏まず専門分化の方向での発展の道を排除していることがその一因と見るのは、うがちすぎでしょうか。
(藤村)