技術と編集の距離を縮めイノベーションを誘因せよ 伊藤穣一氏インタビュー 「メディア 自ら技術磨け」

米 MIT メディアラボ所長であり、先ごろ New York Times 社外役員に就任した
伊藤穣一氏が新聞メディアをめぐるインタビューに答えた。
新聞メディアのイノベーションの可能性をどう見ているのか。
特に、メディアとテクノロジーの関わり方について、そのオピニオンを紹介しよう。

当メディアプローブ株式会社の社外役員でもある、MITメディアラボ所長の伊藤穣一氏のインタビューが、日経産業新聞に掲載されました(「MIT メディアラボ 伊藤所長に聞く メディア 自ら技術磨け」2012.07.18)。
同氏は、最近米 New York Times の社外役員にも就任し話題となりました(「デジタルガレージ共同創業者 伊藤穰一が New York Times 社の社外取締役に就任」 )。

紹介する「MIT メディアラボ 伊藤所長に聞く メディア自ら技術磨け」は、このNYTの取締役就任を材料に、今後の新聞メディアとテクノロジーの関わり方について、また、新聞が果たすべき民主主義の守護者としての役割について尋ねるものです。
本稿では、その前者、デジタル時代の新聞メディアの課題について氏のオピニオンを紹介したいと思います。

まず、氏がなぜ NYT の役員就任の要請を引き受けたかについて答えています。

……民主主義を考えると、プロフェッショナル・ジャーナリズムはすごく重要だと思う。質の高いジャーナリズムがなくなると、世の中大変なことになる。でも新しい時代のモデルと呼べるものはまだ生まれていない。

モデルを作るには、ある程度のブランドとジャーナリズムの力、そしてイノベーションを起こしたいという意思が必要だが、NY タイムズには強い意志があった。
……米国できちんとしたブランドのジャーナリズムが持続成長できるモデルを作る挑戦に参加するのは面白そうだったし、NY タイムズならできる気がした。

質の高いジャーナリズムが、“持続成長可能”であるような“新しい時代のモデル”が未確立。それを創造できる可能性を NYT に見たというわけです。

では、その“モデル”とは、どのようなイメージを持つものでしょうか?
氏は、新聞メディアがイノベーティブであるためには? という問いに対してこんな答え方をしています。

みんな課金システムとかビジネスモデルにばかり気を取られているけど、大切なのは紙からデジタルになった時にどうやってニュースを届け、関わってもらうかというユーザー・エクスペリエンス(体験)のデザインだ。みんなネットでお金を払うのはやぶさかではない。使い勝手が悪いのは嫌いだけど、ちゃんと価値を見い出したものには、むしろお金を出したいと思っている。

技術をきちんと理解した編集組織も必要だ。テレビもそうだが、新聞社の編集の人間はソフトウェアを開発したり、サイトを作ったりしない。そうすると、ユーザーとの接点が『ブラックボックス』になってしまうため、ユーザー・エクスペリエンスを改善させるために直接できることが制限され、結果としてイノベーションが遅くなる。

ここには新聞メディアがイノベーティブであるために、2つの提言があります。

  1. ユーザー体験の総合的な向上、すなわちユーザーにとっての価値の向上が、他のすべてに優先すること
  2. ユーザー体験の向上を他人任せの課題としないためにも、メディアの中核をなす人々がテクノロジーに理解を深めること

1.と2.は微妙に響き合う関係です。
前者「ユーザー体験の向上」は、単純に読む行為の快適化・利便性の向上というだけでなく、ユーザーにとり、メディアやコンテンツを選択、購入、閲読する、そして記録し・共有する……など、各種体験を気持ちよく連携させていくことを意味するはずです。そこにテクノロジーが果たす役割が大きいと考えるのです。

氏は、エンジニアが生み出したブログという発明にひとつの原型を見ます。

ブログがすごいのは、自分の言葉で発言したいソフトウェア・デベロッパーがブログを生み出したから。技術の部分が他人任せじゃない。ゲーム業界も技術者がプロデューサーだったからどんどん進化した。編集とか技術の距離を縮めて、ユーザーに価値を提供すれば、ビジネスモデルは後からついてくる。

この「ブログ」の例でポイントと思えるのは、ひとつは、“こういうものが欲しい”というものを実現しようとする直接性。そして、作っては改善するという反復プロセスが短く高速である、ということです。

確かに新聞事業の全体像は大きく、読者を含めた利害関係者の数は膨大です。どこから手をつけても易々とは変化しそうにないほど大きく堅固に見えます。
しかし、ここでコンテンツの創造に主導的に動く人々がテクノロジーに親しみ、自らの裁量で改善を行使できる幅が大きければ、ユーザー体験の向上という中心課題に取り組む推進力は高まるはずです。

速度と言うよりはアジリティー(機敏さ)の問題。オンラインはいったん当たれば伸びるのは速い。だから「これ1本に懸ける」というよりも、とにかくいろいろやってみるしかない。

氏の乱暴なもの言いを、(新聞)メディア実務に携わったことのない夢想と退けてはならないと感じます。
技術と編集(コンテンツ編集・制作)を組織的にもメンタリティ的にも分離していることは、コンテンツの価値と体験上の価値が重なり合う領域のイノベーションを硬直化させてしまう大きな要因になることは、筆者の経営者的体験からも説得的なオピニオンとして響くのです。
(藤村)

動的メディアへの道 “文脈”に即応するメディアの構想

読者(ユーザー)の行動に即応するメディアは可能か?
デジタルメディアにとり最大の機会は、動的に変化するメディアの提供だ
本稿では、動的メディアの萌芽を事例踏まえて検討する

広告がらみの話題を続けてしまいましたが、本稿では新たなメディアのあり方を考えてみます。
念頭にある概念は、“Active Media”(能動的なメディア)、“Adaptive Media”(適合するメディア)であり、そして、“Responsive Media”(反応するメディア)です。
これらを総称して“動的メディア”と呼んでみたいと思います。

動的メディアをラフに定義すると、以下のようになります。

ユーザーからのアクセスに反応し、地理・時間・アクセス対象・デバイスといった変化要因に対応して動的にコンテンツを再構成する仕組みを備えたメディア

そのイメージをいくつか提示していきます。

最近目に止まったケースが、ITmedia eBOOK USERその場所に行けば読める電子雑誌――DNPの『チェックインマガジン』」 です。
利用者が Wi-Fi 経由でアクセスすると、特定のコンテンツを表示するというものです。

同サービスは iOS 端末や Android 端末に加え、PC にも対応。専用のアプリケーションを通じて、電子マガジンを提供する。ユーザーが店舗や施設側が提供する無線 LAN にアクセスすることで、そのユーザーがその場所にいると見なし、コンテンツを提供する仕組み。そのため、基本的には無線LANを利用しないとコンテンツは閲覧できない。今後は、端末の GPS 機能を使ってユーザーの位置情報を検出する手法なども検討していくという。

空港のラウンジ向けにサービスを提供することが決定しており、夏にもスタートする予定だ。パリ便のユーザーにはパリの街歩きに便利な本のコンテンツを提供するといったように、フライトの内容に応じたコンテンツの出し分けを想定しているという。

「チェックインマガジン」は、Wi-Fi 接続圏域にユーザーが“チェックイン”すると、用意したコンテンツを表示するもので、超ローカルメディアの可能性を開くものと言えそうです。また、メディアがユーザーを選択する仕組み(つまり、特定の条件を満たすユーザーにのみコンテンツを提供する)とも言えます。
この事例が刺戟的なのは、ユーザーのチェックイン行為と引き換えに特定のコンテンツを表示する“ロケーションに敏感な”メディアが可能になることです。
空港ラウンジでのんびりと搭乗を待つ読者に提供すると効果的であろうコンテンツや広告はいろいろと思いつきます。あるいは、商店街や観光スポットなどでの提供も可能性を感じさせます。

ふたつ目のケースは、米国大手メディア ABC NewsiPad アプリでの試みです。Poynter. Why the updated ABC News iPad app changes by time of day が紹介しています。
ABCapp

ABC News iPadアプリ。朝と夕のエディションを表示

かんたんに言えば、iPad のニュースアプリを、朝・昼・夜の時間帯に応じてエディション(編成)を改めるものです。

メディアにとって最も基本的な問いはひとつである。それは、「読者は何を望むのか」というものである。
それこそ、ABC News が提供を開始してから2年を経た iPad アプリで解かなければならない課題だった。
だが、やっかいなのは、その答えはひとつではない、ということだ。
「私たちが理解したのは、読者がアプリを使うのには、異なる仕方があり、また、一日の間でも異なるタイミングがあるということです」と ABC デジタル担当幹部は語る。
そこで ABC は、異なる問いかけを始めることにした。「読者は、いつ、何を望むのか」と。
その結果が、一日の間の時間帯によって、版を改めるメディアアプリを提供することだ。

記事では、時間帯によってアプリのデザインを変えるというだけでなく、当然ながら記事の編成等をどう変えているかという点について説明します。
このケースのポイントは、時間という変数です。日に3度編成を変えるというと大ざっぱに聞こえますが、ビジネス系ユーザーであれば、出勤までの時間帯、出勤後、そして終業後の時間帯でその意識状態(モード)が異なることは理解できるはずです。
朝、その日の話題を広範に知りたいというニーズ、勤務時間帯には、隙間時間に仕事関連情報の収集ニーズ、そして、くつろいで読み応えのあるテーマをゆっくり読みたい……など、実はメディアが提案すべきものが、この3つでも大きく異なるべきかもしれません。あるいは、このような変化を見過ごしていれば、ユーザーの方がモードの変化に応じてメディアを使い分けてしまっている可能性さえあるはずです。

三つ目として、既に挙げたレスポンシブ Web デザインに触れます。
国内の事例として、NHK スタジオパークを挙げておきましょう。
下図をご覧下さい。広い PC のスクリーンを生かしたデザイン、その隣りに iPad、iPhone でアクセスした際のデザインを示しています。共通のデザイン要素を前提しながらもそれぞれのスクリーンサイズを考慮したレイアウトを確認できます。
NHKStuidopar

NHK スタジオパーク。左からPC、iPad、iPhone で画面イメージを取得したもの(正確な縮尺対比を示すものではない)

レスポンシブ Web デザインについて、菊池 崇氏が ASCII.jp スマホ対応の新潮流『レスポンシブ Web デザイン』とは?」で以下のように説明しています。

レスポンシブ Web デザインとは、デバイスごとに複数のデザインを用意するのではなく、ブラウザーのウィンドウサイズに合わせてデザインをフレキシブルに調整する制作手法だ。モバイルサイトの制作では、デバイスやスクリーンサイズごとにページを振り分ける方法が一般的だが、レスポンシブ Web デザインでは HTML はそのままに、CSS3 のメディアクエリーを利用してスタイルシートだけでデザインを変更する。

レスポンシブ Web デザインの眼目は、多彩なスクリーン、デバイスからのアクセスに対し多数のデザインを作り分ける負担を軽減することです。ここでの変数はデバイス(スクリーン)です。これが多様化するということは、PC のユーザーに加えてモバイルユーザーが増えるという意味に加えて、一人のユーザーが異なるデバイスを通じてひとつのメディアにアクセスし続けるという意味をも持つのです。
ABC News による iPad アプリのケースがそうであったように、一人のユーザーといえども、時間、場所、デバイスという多様な変数を有しており、この変化に適合することは、一人のユーザーとの関係を維持し深めていくために重要な意義を持つのです。

さらに、第4のケースとして“フィルタリング”を挙げておくべきでしょう。JBpress 掲載の拙稿「パーソナライゼーションの光と影」に、その論点を整理しました。
要約すると、Google パーソナラナイズド検索や Facebook のウォールなどでは、ユーザーごとに表示が変化、最適化される仕組みが盛り込まれています。ユーザーは良くも悪くも自覚のないままフィルタされた情報(コンテンツ)表示の快適さに馴らされていきます。
有名なショートムービー「EPIC2014」に登場する架空のメディア「EPIC」は、完璧にパーソナル化されたアルゴリズム型メディアであり、本稿で議論している動的メディアのある究極の姿を提示しているのかもしれません。

ここで、本稿で論じたい動的メディアが反応すべき“変数”について、整理をしておきましょう。
長谷川恭久氏がブログcould文脈を理解した Web コミュニケーションデザイン」で貴重な解説を行っています。

Context (文脈・コンテキスト) という言葉は、このサイトでも時々出て来ています。文脈を理解して情報を見せるという考え方は Web では随分長い間されており、Google のアドワーズ広告はその代表的な例です。コンテンツの内容 (文脈) を理解し、そこから最適だと考えられる広告を表示させるこの技術。従来は Web サイトコンテンツの文脈のみをコンテキストと指していたわけですが、利用者のコンテキストが今注目されています。利用者がどのように Web サイトの情報と接触しているかに応じてデザインを変えるという考え方です。

(途中略)

  • 場所
  • 時間
  • 状況
  • デバイス
  • 言語
  • 文化
  • 趣味・趣向

こうした利用者の文脈を理解することでカスタマイズされた情報を提供するだけでなく、その瞬間 (ヒトトキ) に合った見せ方を提供することが可能になります。

本稿で筆者が「変数」という語で説明してきたユーザー側の変化要因を、長谷川氏は「コンテキスト・文脈」の語で総称し、それを分解して見せます。
注目したいのは、従来から言われている「カスタマイズ」(筆者はパーソナライズという語を利用していますが)に止まるのではなく、コンテキストに焦点を当てることが強調されている点です。
ユーザーがどのような状態(コンテキスト)にあるかをキャッチし、“その瞬間”に最も刺さるコンテンツを繰り出すメディアのあり方が、重みを増していきます。次回、その点について考えを深めたいと思います。
(藤村)

メディア価値の奪回 広告テクノロジーの破壊的進化と向き合う

メディアの価値ではなく、ターゲット(読者)の価値に焦点を当てる広告テクノロジー。
メディアは、どのようにして自身の価値を再定義するのか?
メディア価値再生の起点となる2つの視点を取り上げる

前回「『メディア価値』の希薄化にどう備えるか? 」で、広告テクノロジーの進展によって、メディアこそが読者を最もターゲットできるとの価値観が覆されつつあることを説明しました。
広告主は、“自分の製品を欲する潜在顧客が、(たぶん)ここにいるはず”との期待感によってメディアから広告枠を購買してきました。しかし、潜在顧客(の条件を満たすCookie)をターゲットできるようになったいま、特定のメディアの広告枠に囚われずにずい所で広告を表示すればよくなったとも述べました。メディアに広告を掲出し続ける価値観そのものが疑われることになったゆえんです。

本稿では、逆にメディアを運営する者の視点から、“メディアという場”こそが広告価値の源泉となり得るという仮説づくりに取り組みます。

前稿をもう少しだけ振り返ります。事情はこうでした。

  1. インターネットを回遊するある存在(ユーザー)が、以前どのようなページを通過してきたか、その履歴のデータベース化が進んでいる
  2. ユーザーがあるページを訪れた場合、広告主はデータベースに問い合わせ、そのユーザーがターゲットであるかどうかを確認できる
  3. ターゲットだと確認できれば、そのページの広告掲載権をめぐるセリに参加する
  4. 競り落とせば、広告枠にターゲット向けに最適化した広告を表示ができる

こう書けば長たらしく響く一連の処理を、リアルタイム、すなわちユーザーがあるページにアクセスして記事を閲覧しようとする瞬間に完結できるところまできたのです。
こんな状況下で、メディアが果たせることは狭くならざるを得ません。
メディアが果たせることの第一義は、広告主が求めるようなターゲットを多く自らのページに誘致することです。
しかし、広告主にとって好ましいメディアは、ターゲットの集客力だけでは決まりません。セリ落すための広告単価も重要な要因です。
最新の広告テクノロジーを駆使すれば、ターゲットに対してもっと値付けの安いメディア(もしくは、ソーシャルメディアやWebサービスなどの広告枠でよい)を選択して広告を購買、表示すればよい。理論的には、そうなります。
広告主がターゲットする潜在顧客は、広告単価の高いメディアに訪れることもあれば、もっと安価に広告枠を提供してくれる場所にも出没します。広告主にとり、ターゲットは特定のメディアにだけ現われるわけではないからです。

このように、最新の広告テクノロジーは、プレミアムなメディアだけがプレミアムな顧客候補を独り占めにしているわけではないとの証明を、メディアに向かって痛烈なかたちで突きつけようとします。
筆者が前稿のコンセプトを「メディア価値の希薄化」としたのは、そのような理由からです。

では、(広告主にとって)“メディア(が果たす)価値”は、永遠に失われてしまったのでしょうか? メディアができることはないのでしょうか? 本稿では2つの方向性を考えます。

ひとつは、メディア運営者の協力抜きに広告主は、そのターゲットとコミュニケーションできるのかということです。
たとえば、先ごろ「“除菌”テレビ発売へ、イオン放出機能搭載」という発表がちょっとした話題になりました。
商品に対する論評は目的ではありませんが、従来ならばまったくマッチしないような機能を組み合わせたと見えるこの商品には面食らいます。では、このような新規性の高い、ユニークな商材では潜在顧客をどのようにターゲットすれば良いでしょうか?
広告テクノロジーを駆使すれば、あるインターネット上で回遊するユーザーの嗜好は、どのようなページを訪問してきたかという履歴から類推できるとされます。
“ページ”はある製品のレビュー記事である場合もあれば、なんらかのQAサイト内のページでもあるはずです。(Cookieの相互取引が成立すれば)ECサイトのどの商品ページ、ということまで追跡できます。つまり、具体的な行動と商材のひも付けからそのユーザーの関心領域を捕捉できるというわけですが、上記商材では“潜在顧客”条件の定義が複雑でしょう。
さらに言えば、以前にはまったくカテゴリ上存在していないような(たとえばiPadのような)商品を発売するような際ではどうでしょうか?

こう考えれば、“潜在顧客をターゲットし”“ユーザーごとに最適化されたメッセージを届ける”という条件の設定自体が非常に高度な思考と見えてきます。トライ&エラーも重なることでしょう。
メディアを運営する当事者には、このようなマーケターに対して優越する少なくともひとつの重要な権限が残されています。
それは“アジェンダ設定”ということです。
いま、なにが重要か、どんなことが魅力的か、メディアの編集者が肯定的なテーマを訴えることができます。そして、その(メディアの)場、雰囲気、文脈を形成していく主導権を、メディア運営者には持たされているのです。あるいは、メディアの魅力はそこに尽きる、とさえ言えるかもしれません。
説明してきた広告テクノロジーは、いったん形成されたメディアを分類し、そこを訪れたユーザーの行動履歴を収集しマッチしていくことはできますが、それをリードする機能は本質的に有していないのです。
もちろん、そもそもアジェンダ設定というメディアに許された権能を、メディアを運営する当事者、編集長が十分に生かすべく力量を発揮しているかが次なる課題となるのでしょうが。

もうひとつ、別の視点からメディアが優越する価値の軸を考えてみます。

メディアを運営する当事者はこう考えるのです。
広告主が、ターゲットを識別できるようになったとしても、そのマーケティング価値はつねに保証されるものではないと。
たとえばこういうことです。
高級別荘地の分譲を誘致するWebサイトを訪れたユーザーだからといって、昼時に近いB級グルメブログで、ターゲットを発見したので高級別荘地を訴求する広告を表示したとします。その広告効果には疑義が生じないでしょうか。
疑義が生じるとすれば、それはターゲット(ユーザー)の意識における“モード”が、高級商材を訴求する際にフィットしないというミスマッチに起因するはずです。

メディア側からの視点では、メディアが果たす役割には、単に良質の読者を一見の客として誘致するだけではなく、繰り返しの来訪を促し、さらには購買へとつらなるような参加行動を誘引する磁場、力学をもたらすことを主張するはずです。
影響力あるメディアは、その空間で読者を特別な“モード”へと送り込むのだと。
モードとは、場合によれば“求める商品を探して、購買ボタンを押そう”という文脈かもしれません。あるいは、“これを買おうかどうしようか? だれか背中を押してくれないか”というものかもしれません。はたまた、“今度の夏休みにどこへ行こうか?”という心理状態であるかもしれません
つまり、その場から離れると空中に蒸発してしまうようなデリケートな雰囲気であり、だからこそそれは他では再現できない固有の価値なのです。

ここで、参考になる書物を紹介しましょう。印刷メディアでも、また、デジタルメディアでも話題に上ることの多い小林弘人氏の著作『新世紀メディア論』です。

新世紀メディア論4小林弘人『新世紀メディア論——新聞・雑誌が死ぬ前に

なによりも大切なことは、そのコミュニティの『温度』を感じ、感覚的に『刺さるコンテンツ』をセンスし、人の流れを理解することが肝要なのです。

これはわたしの持論ですが、「雑誌の本質はその形に非ず」なのです。本質は、「コミュニティを生み出す力」なのだと考えています。コミュニティを生成するには、ライブなリンクとコンテンツの再利用を促すことです。

氏の指摘は有効です。「雑誌」(メディア全般にも適用できます)に重要なのは、静的なコンテンツという中心ではなく、それを取り巻くように生じている「コミュニティ」であるというのです。筆者(藤村)の用語で拡張するなら、コミュニティとは磁場であり、モードです。
その場にいること、そこに参加することで得られるモードの切り替わりこそメディアが他に譲り渡せない価値の中心に据えなければなりません。そうしなければ、ターゲットはメディアを離脱した後に、別の場所でやすやすと収穫されてしまうことでしょう。

商品やサービスを、積極的に調べたり選んだり、そしてその場で語り合いたくなるようなメディアとはどのようなものでしょうか?
編集者やメディアのスタンスにフィットしているので、記事や広告が訴求するイベントやセミナーに参加したくなる。
そのメディアが紹介する記事は信頼性が高いので、安心してそれを候補の一番に据える気になる……。
このような雰囲気の醸成は、一朝一夕には実現し得ない代わりに、その場の外では創れない優位性となるはずです。また、メディアの運営者がこのような雰囲気、モードを壊すような要素を、メディアの場から排除することも重要です。さまざまな高級ブランドなどが腐心していることがこのようなことです。

さて、小林氏が好んで使う用語“空間の司祭”(=メディア運営者)は、読者をコミュニティとして組織する者の言い換えです。あるいは、その場をリードするモデレータの言い換えでもあります。
メディアが本来備えた重要な価値を、外部的な視点から希薄化される以前に、メディアを運営する当事者が“この場でなければ提供できない”価値創造に取り組むことが重要です。
読者と会話しているのは、他のだれでもない。運営当事者であり、読者同士なのですから。
(藤村)