技術と編集の距離を縮めイノベーションを誘因せよ 伊藤穣一氏インタビュー 「メディア 自ら技術磨け」

米 MIT メディアラボ所長であり、先ごろ New York Times 社外役員に就任した
伊藤穣一氏が新聞メディアをめぐるインタビューに答えた。
新聞メディアのイノベーションの可能性をどう見ているのか。
特に、メディアとテクノロジーの関わり方について、そのオピニオンを紹介しよう。

当メディアプローブ株式会社の社外役員でもある、MITメディアラボ所長の伊藤穣一氏のインタビューが、日経産業新聞に掲載されました(「MIT メディアラボ 伊藤所長に聞く メディア 自ら技術磨け」2012.07.18)。
同氏は、最近米 New York Times の社外役員にも就任し話題となりました(「デジタルガレージ共同創業者 伊藤穰一が New York Times 社の社外取締役に就任」 )。

紹介する「MIT メディアラボ 伊藤所長に聞く メディア自ら技術磨け」は、このNYTの取締役就任を材料に、今後の新聞メディアとテクノロジーの関わり方について、また、新聞が果たすべき民主主義の守護者としての役割について尋ねるものです。
本稿では、その前者、デジタル時代の新聞メディアの課題について氏のオピニオンを紹介したいと思います。

まず、氏がなぜ NYT の役員就任の要請を引き受けたかについて答えています。

……民主主義を考えると、プロフェッショナル・ジャーナリズムはすごく重要だと思う。質の高いジャーナリズムがなくなると、世の中大変なことになる。でも新しい時代のモデルと呼べるものはまだ生まれていない。

モデルを作るには、ある程度のブランドとジャーナリズムの力、そしてイノベーションを起こしたいという意思が必要だが、NY タイムズには強い意志があった。
……米国できちんとしたブランドのジャーナリズムが持続成長できるモデルを作る挑戦に参加するのは面白そうだったし、NY タイムズならできる気がした。

質の高いジャーナリズムが、“持続成長可能”であるような“新しい時代のモデル”が未確立。それを創造できる可能性を NYT に見たというわけです。

では、その“モデル”とは、どのようなイメージを持つものでしょうか?
氏は、新聞メディアがイノベーティブであるためには? という問いに対してこんな答え方をしています。

みんな課金システムとかビジネスモデルにばかり気を取られているけど、大切なのは紙からデジタルになった時にどうやってニュースを届け、関わってもらうかというユーザー・エクスペリエンス(体験)のデザインだ。みんなネットでお金を払うのはやぶさかではない。使い勝手が悪いのは嫌いだけど、ちゃんと価値を見い出したものには、むしろお金を出したいと思っている。

技術をきちんと理解した編集組織も必要だ。テレビもそうだが、新聞社の編集の人間はソフトウェアを開発したり、サイトを作ったりしない。そうすると、ユーザーとの接点が『ブラックボックス』になってしまうため、ユーザー・エクスペリエンスを改善させるために直接できることが制限され、結果としてイノベーションが遅くなる。

ここには新聞メディアがイノベーティブであるために、2つの提言があります。

  1. ユーザー体験の総合的な向上、すなわちユーザーにとっての価値の向上が、他のすべてに優先すること
  2. ユーザー体験の向上を他人任せの課題としないためにも、メディアの中核をなす人々がテクノロジーに理解を深めること

1.と2.は微妙に響き合う関係です。
前者「ユーザー体験の向上」は、単純に読む行為の快適化・利便性の向上というだけでなく、ユーザーにとり、メディアやコンテンツを選択、購入、閲読する、そして記録し・共有する……など、各種体験を気持ちよく連携させていくことを意味するはずです。そこにテクノロジーが果たす役割が大きいと考えるのです。

氏は、エンジニアが生み出したブログという発明にひとつの原型を見ます。

ブログがすごいのは、自分の言葉で発言したいソフトウェア・デベロッパーがブログを生み出したから。技術の部分が他人任せじゃない。ゲーム業界も技術者がプロデューサーだったからどんどん進化した。編集とか技術の距離を縮めて、ユーザーに価値を提供すれば、ビジネスモデルは後からついてくる。

この「ブログ」の例でポイントと思えるのは、ひとつは、“こういうものが欲しい”というものを実現しようとする直接性。そして、作っては改善するという反復プロセスが短く高速である、ということです。

確かに新聞事業の全体像は大きく、読者を含めた利害関係者の数は膨大です。どこから手をつけても易々とは変化しそうにないほど大きく堅固に見えます。
しかし、ここでコンテンツの創造に主導的に動く人々がテクノロジーに親しみ、自らの裁量で改善を行使できる幅が大きければ、ユーザー体験の向上という中心課題に取り組む推進力は高まるはずです。

速度と言うよりはアジリティー(機敏さ)の問題。オンラインはいったん当たれば伸びるのは速い。だから「これ1本に懸ける」というよりも、とにかくいろいろやってみるしかない。

氏の乱暴なもの言いを、(新聞)メディア実務に携わったことのない夢想と退けてはならないと感じます。
技術と編集(コンテンツ編集・制作)を組織的にもメンタリティ的にも分離していることは、コンテンツの価値と体験上の価値が重なり合う領域のイノベーションを硬直化させてしまう大きな要因になることは、筆者の経営者的体験からも説得的なオピニオンとして響くのです。
(藤村)

動的メディアへの道 “文脈”に即応するメディアの構想

読者(ユーザー)の行動に即応するメディアは可能か?
デジタルメディアにとり最大の機会は、動的に変化するメディアの提供だ
本稿では、動的メディアの萌芽を事例踏まえて検討する

広告がらみの話題を続けてしまいましたが、本稿では新たなメディアのあり方を考えてみます。
念頭にある概念は、“Active Media”(能動的なメディア)、“Adaptive Media”(適合するメディア)であり、そして、“Responsive Media”(反応するメディア)です。
これらを総称して“動的メディア”と呼んでみたいと思います。

動的メディアをラフに定義すると、以下のようになります。

ユーザーからのアクセスに反応し、地理・時間・アクセス対象・デバイスといった変化要因に対応して動的にコンテンツを再構成する仕組みを備えたメディア

そのイメージをいくつか提示していきます。

最近目に止まったケースが、ITmedia eBOOK USER「その場所に行けば読める電子雑誌――DNPの『チェックインマガジン』」 です。
利用者が Wi-Fi 経由でアクセスすると、特定のコンテンツを表示するというものです。

同サービスは iOS 端末や Android 端末に加え、PC にも対応。専用のアプリケーションを通じて、電子マガジンを提供する。ユーザーが店舗や施設側が提供する無線 LAN にアクセスすることで、そのユーザーがその場所にいると見なし、コンテンツを提供する仕組み。そのため、基本的には無線LANを利用しないとコンテンツは閲覧できない。今後は、端末の GPS 機能を使ってユーザーの位置情報を検出する手法なども検討していくという。

空港のラウンジ向けにサービスを提供することが決定しており、夏にもスタートする予定だ。パリ便のユーザーにはパリの街歩きに便利な本のコンテンツを提供するといったように、フライトの内容に応じたコンテンツの出し分けを想定しているという。

「チェックインマガジン」は、Wi-Fi 接続圏域にユーザーが“チェックイン”すると、用意したコンテンツを表示するもので、超ローカルメディアの可能性を開くものと言えそうです。また、メディアがユーザーを選択する仕組み(つまり、特定の条件を満たすユーザーにのみコンテンツを提供する)とも言えます。
この事例が刺戟的なのは、ユーザーのチェックイン行為と引き換えに特定のコンテンツを表示する“ロケーションに敏感な”メディアが可能になることです。
空港ラウンジでのんびりと搭乗を待つ読者に提供すると効果的であろうコンテンツや広告はいろいろと思いつきます。あるいは、商店街や観光スポットなどでの提供も可能性を感じさせます。

ふたつ目のケースは、米国大手メディア ABC News の iPad アプリでの試みです。Poynter. の Why the updated ABC News iPad app changes by time of day が紹介しています。
ABCapp

ABC News iPadアプリ。朝と夕のエディションを表示

かんたんに言えば、iPad のニュースアプリを、朝・昼・夜の時間帯に応じてエディション(編成)を改めるものです。

メディアにとって最も基本的な問いはひとつである。それは、「読者は何を望むのか」というものである。
それこそ、ABC News が提供を開始してから2年を経た iPad アプリで解かなければならない課題だった。
だが、やっかいなのは、その答えはひとつではない、ということだ。
「私たちが理解したのは、読者がアプリを使うのには、異なる仕方があり、また、一日の間でも異なるタイミングがあるということです」と ABC デジタル担当幹部は語る。
そこで ABC は、異なる問いかけを始めることにした。「読者は、いつ、何を望むのか」と。
その結果が、一日の間の時間帯によって、版を改めるメディアアプリを提供することだ。

記事では、時間帯によってアプリのデザインを変えるというだけでなく、当然ながら記事の編成等をどう変えているかという点について説明します。
このケースのポイントは、時間という変数です。日に3度編成を変えるというと大ざっぱに聞こえますが、ビジネス系ユーザーであれば、出勤までの時間帯、出勤後、そして終業後の時間帯でその意識状態(モード)が異なることは理解できるはずです。
朝、その日の話題を広範に知りたいというニーズ、勤務時間帯には、隙間時間に仕事関連情報の収集ニーズ、そして、くつろいで読み応えのあるテーマをゆっくり読みたい……など、実はメディアが提案すべきものが、この3つでも大きく異なるべきかもしれません。あるいは、このような変化を見過ごしていれば、ユーザーの方がモードの変化に応じてメディアを使い分けてしまっている可能性さえあるはずです。

三つ目として、既に挙げたレスポンシブ Web デザインに触れます。
国内の事例として、NHK スタジオパークを挙げておきましょう。
下図をご覧下さい。広い PC のスクリーンを生かしたデザイン、その隣りに iPad、iPhone でアクセスした際のデザインを示しています。共通のデザイン要素を前提しながらもそれぞれのスクリーンサイズを考慮したレイアウトを確認できます。
NHKStuidopar

NHK スタジオパーク。左からPC、iPad、iPhone で画面イメージを取得したもの(正確な縮尺対比を示すものではない)

レスポンシブ Web デザインについて、菊池 崇氏が ASCII.jp 「スマホ対応の新潮流『レスポンシブ Web デザイン』とは?」で以下のように説明しています。

レスポンシブ Web デザインとは、デバイスごとに複数のデザインを用意するのではなく、ブラウザーのウィンドウサイズに合わせてデザインをフレキシブルに調整する制作手法だ。モバイルサイトの制作では、デバイスやスクリーンサイズごとにページを振り分ける方法が一般的だが、レスポンシブ Web デザインでは HTML はそのままに、CSS3 のメディアクエリーを利用してスタイルシートだけでデザインを変更する。

レスポンシブ Web デザインの眼目は、多彩なスクリーン、デバイスからのアクセスに対し多数のデザインを作り分ける負担を軽減することです。ここでの変数はデバイス(スクリーン)です。これが多様化するということは、PC のユーザーに加えてモバイルユーザーが増えるという意味に加えて、一人のユーザーが異なるデバイスを通じてひとつのメディアにアクセスし続けるという意味をも持つのです。
ABC News による iPad アプリのケースがそうであったように、一人のユーザーといえども、時間、場所、デバイスという多様な変数を有しており、この変化に適合することは、一人のユーザーとの関係を維持し深めていくために重要な意義を持つのです。

さらに、第4のケースとして“フィルタリング”を挙げておくべきでしょう。JBpress 掲載の拙稿「パーソナライゼーションの光と影」に、その論点を整理しました。
要約すると、Google パーソナラナイズド検索や Facebook のウォールなどでは、ユーザーごとに表示が変化、最適化される仕組みが盛り込まれています。ユーザーは良くも悪くも自覚のないままフィルタされた情報(コンテンツ)表示の快適さに馴らされていきます。
有名なショートムービー「EPIC2014」に登場する架空のメディア「EPIC」は、完璧にパーソナル化されたアルゴリズム型メディアであり、本稿で議論している動的メディアのある究極の姿を提示しているのかもしれません。

ここで、本稿で論じたい動的メディアが反応すべき“変数”について、整理をしておきましょう。
長谷川恭久氏がブログcould「文脈を理解した Web コミュニケーションデザイン」で貴重な解説を行っています。

Context (文脈・コンテキスト) という言葉は、このサイトでも時々出て来ています。文脈を理解して情報を見せるという考え方は Web では随分長い間されており、Google のアドワーズ広告はその代表的な例です。コンテンツの内容 (文脈) を理解し、そこから最適だと考えられる広告を表示させるこの技術。従来は Web サイトコンテンツの文脈のみをコンテキストと指していたわけですが、利用者のコンテキストが今注目されています。利用者がどのように Web サイトの情報と接触しているかに応じてデザインを変えるという考え方です。

(途中略)

  • 場所
  • 時間
  • 状況
  • デバイス
  • 言語
  • 文化
  • 趣味・趣向

こうした利用者の文脈を理解することでカスタマイズされた情報を提供するだけでなく、その瞬間 (ヒトトキ) に合った見せ方を提供することが可能になります。

本稿で筆者が「変数」という語で説明してきたユーザー側の変化要因を、長谷川氏は「コンテキスト・文脈」の語で総称し、それを分解して見せます。
注目したいのは、従来から言われている「カスタマイズ」(筆者はパーソナライズという語を利用していますが)に止まるのではなく、コンテキストに焦点を当てることが強調されている点です。
ユーザーがどのような状態(コンテキスト)にあるかをキャッチし、“その瞬間”に最も刺さるコンテンツを繰り出すメディアのあり方が、重みを増していきます。次回、その点について考えを深めたいと思います。
(藤村)

メディア価値の奪回 広告テクノロジーの破壊的進化と向き合う

メディアの価値ではなく、ターゲット(読者)の価値に焦点を当てる広告テクノロジー。
メディアは、どのようにして自身の価値を再定義するのか?
メディア価値再生の起点となる2つの視点を取り上げる

前回「『メディア価値』の希薄化にどう備えるか? 」で、広告テクノロジーの進展によって、メディアこそが読者を最もターゲットできるとの価値観が覆されつつあることを説明しました。
広告主は、“自分の製品を欲する潜在顧客が、(たぶん)ここにいるはず”との期待感によってメディアから広告枠を購買してきました。しかし、潜在顧客(の条件を満たすCookie)をターゲットできるようになったいま、特定のメディアの広告枠に囚われずにずい所で広告を表示すればよくなったとも述べました。メディアに広告を掲出し続ける価値観そのものが疑われることになったゆえんです。

本稿では、逆にメディアを運営する者の視点から、“メディアという場”こそが広告価値の源泉となり得るという仮説づくりに取り組みます。

前稿をもう少しだけ振り返ります。事情はこうでした。

  1. インターネットを回遊するある存在(ユーザー)が、以前どのようなページを通過してきたか、その履歴のデータベース化が進んでいる
  2. ユーザーがあるページを訪れた場合、広告主はデータベースに問い合わせ、そのユーザーがターゲットであるかどうかを確認できる
  3. ターゲットだと確認できれば、そのページの広告掲載権をめぐるセリに参加する
  4. 競り落とせば、広告枠にターゲット向けに最適化した広告を表示ができる

こう書けば長たらしく響く一連の処理を、リアルタイム、すなわちユーザーがあるページにアクセスして記事を閲覧しようとする瞬間に完結できるところまできたのです。
こんな状況下で、メディアが果たせることは狭くならざるを得ません。
メディアが果たせることの第一義は、広告主が求めるようなターゲットを多く自らのページに誘致することです。
しかし、広告主にとって好ましいメディアは、ターゲットの集客力だけでは決まりません。セリ落すための広告単価も重要な要因です。
最新の広告テクノロジーを駆使すれば、ターゲットに対してもっと値付けの安いメディア(もしくは、ソーシャルメディアやWebサービスなどの広告枠でよい)を選択して広告を購買、表示すればよい。理論的には、そうなります。
広告主がターゲットする潜在顧客は、広告単価の高いメディアに訪れることもあれば、もっと安価に広告枠を提供してくれる場所にも出没します。広告主にとり、ターゲットは特定のメディアにだけ現われるわけではないからです。

このように、最新の広告テクノロジーは、プレミアムなメディアだけがプレミアムな顧客候補を独り占めにしているわけではないとの証明を、メディアに向かって痛烈なかたちで突きつけようとします。
筆者が前稿のコンセプトを「メディア価値の希薄化」としたのは、そのような理由からです。

では、(広告主にとって)“メディア(が果たす)価値”は、永遠に失われてしまったのでしょうか? メディアができることはないのでしょうか? 本稿では2つの方向性を考えます。

ひとつは、メディア運営者の協力抜きに広告主は、そのターゲットとコミュニケーションできるのかということです。
たとえば、先ごろ「“除菌”テレビ発売へ、イオン放出機能搭載」という発表がちょっとした話題になりました。
商品に対する論評は目的ではありませんが、従来ならばまったくマッチしないような機能を組み合わせたと見えるこの商品には面食らいます。では、このような新規性の高い、ユニークな商材では潜在顧客をどのようにターゲットすれば良いでしょうか?
広告テクノロジーを駆使すれば、あるインターネット上で回遊するユーザーの嗜好は、どのようなページを訪問してきたかという履歴から類推できるとされます。
“ページ”はある製品のレビュー記事である場合もあれば、なんらかのQAサイト内のページでもあるはずです。(Cookieの相互取引が成立すれば)ECサイトのどの商品ページ、ということまで追跡できます。つまり、具体的な行動と商材のひも付けからそのユーザーの関心領域を捕捉できるというわけですが、上記商材では“潜在顧客”条件の定義が複雑でしょう。
さらに言えば、以前にはまったくカテゴリ上存在していないような(たとえばiPadのような)商品を発売するような際ではどうでしょうか?

こう考えれば、“潜在顧客をターゲットし”“ユーザーごとに最適化されたメッセージを届ける”という条件の設定自体が非常に高度な思考と見えてきます。トライ&エラーも重なることでしょう。
メディアを運営する当事者には、このようなマーケターに対して優越する少なくともひとつの重要な権限が残されています。
それは“アジェンダ設定”ということです。
いま、なにが重要か、どんなことが魅力的か、メディアの編集者が肯定的なテーマを訴えることができます。そして、その(メディアの)場、雰囲気、文脈を形成していく主導権を、メディア運営者には持たされているのです。あるいは、メディアの魅力はそこに尽きる、とさえ言えるかもしれません。
説明してきた広告テクノロジーは、いったん形成されたメディアを分類し、そこを訪れたユーザーの行動履歴を収集しマッチしていくことはできますが、それをリードする機能は本質的に有していないのです。
もちろん、そもそもアジェンダ設定というメディアに許された権能を、メディアを運営する当事者、編集長が十分に生かすべく力量を発揮しているかが次なる課題となるのでしょうが。

もうひとつ、別の視点からメディアが優越する価値の軸を考えてみます。

メディアを運営する当事者はこう考えるのです。
広告主が、ターゲットを識別できるようになったとしても、そのマーケティング価値はつねに保証されるものではないと。
たとえばこういうことです。
高級別荘地の分譲を誘致するWebサイトを訪れたユーザーだからといって、昼時に近いB級グルメブログで、ターゲットを発見したので高級別荘地を訴求する広告を表示したとします。その広告効果には疑義が生じないでしょうか。
疑義が生じるとすれば、それはターゲット(ユーザー)の意識における“モード”が、高級商材を訴求する際にフィットしないというミスマッチに起因するはずです。

メディア側からの視点では、メディアが果たす役割には、単に良質の読者を一見の客として誘致するだけではなく、繰り返しの来訪を促し、さらには購買へとつらなるような参加行動を誘引する磁場、力学をもたらすことを主張するはずです。
影響力あるメディアは、その空間で読者を特別な“モード”へと送り込むのだと。
モードとは、場合によれば“求める商品を探して、購買ボタンを押そう”という文脈かもしれません。あるいは、“これを買おうかどうしようか? だれか背中を押してくれないか”というものかもしれません。はたまた、“今度の夏休みにどこへ行こうか?”という心理状態であるかもしれません
つまり、その場から離れると空中に蒸発してしまうようなデリケートな雰囲気であり、だからこそそれは他では再現できない固有の価値なのです。

ここで、参考になる書物を紹介しましょう。印刷メディアでも、また、デジタルメディアでも話題に上ることの多い小林弘人氏の著作『新世紀メディア論』です。

新世紀メディア論4小林弘人『新世紀メディア論——新聞・雑誌が死ぬ前に』

なによりも大切なことは、そのコミュニティの『温度』を感じ、感覚的に『刺さるコンテンツ』をセンスし、人の流れを理解することが肝要なのです。

これはわたしの持論ですが、「雑誌の本質はその形に非ず」なのです。本質は、「コミュニティを生み出す力」なのだと考えています。コミュニティを生成するには、ライブなリンクとコンテンツの再利用を促すことです。

氏の指摘は有効です。「雑誌」(メディア全般にも適用できます)に重要なのは、静的なコンテンツという中心ではなく、それを取り巻くように生じている「コミュニティ」であるというのです。筆者(藤村)の用語で拡張するなら、コミュニティとは磁場であり、モードです。
その場にいること、そこに参加することで得られるモードの切り替わりこそメディアが他に譲り渡せない価値の中心に据えなければなりません。そうしなければ、ターゲットはメディアを離脱した後に、別の場所でやすやすと収穫されてしまうことでしょう。

商品やサービスを、積極的に調べたり選んだり、そしてその場で語り合いたくなるようなメディアとはどのようなものでしょうか?
編集者やメディアのスタンスにフィットしているので、記事や広告が訴求するイベントやセミナーに参加したくなる。
そのメディアが紹介する記事は信頼性が高いので、安心してそれを候補の一番に据える気になる……。
このような雰囲気の醸成は、一朝一夕には実現し得ない代わりに、その場の外では創れない優位性となるはずです。また、メディアの運営者がこのような雰囲気、モードを壊すような要素を、メディアの場から排除することも重要です。さまざまな高級ブランドなどが腐心していることがこのようなことです。

さて、小林氏が好んで使う用語“空間の司祭”(=メディア運営者)は、読者をコミュニティとして組織する者の言い換えです。あるいは、その場をリードするモデレータの言い換えでもあります。
メディアが本来備えた重要な価値を、外部的な視点から希薄化される以前に、メディアを運営する当事者が“この場でなければ提供できない”価値創造に取り組むことが重要です。
読者と会話しているのは、他のだれでもない。運営当事者であり、読者同士なのですから。
(藤村)

「メディア価値」の希薄化にどう備えるか? 破壊的広告テクノロジーの登場がもたらすもの

テクノロジーの進化が停滞してきた Web メディア分野
その停滞を揺るがすのが、ビッグデータを駆使する各種の広告テクノロジー企業だ
本稿は、破壊的な広告テクノロジーをひっさげ登場したプレイヤーらに
広告価値の根幹であるメディア価値が揺さぶられるに至った理路を検討する

Web メディアのここ数年間を振り返ると、テクノロジーの視点からは、その進化は意外にも漸進的だったと見なせます。JavaScript/Ajax が普及し Web サイトの動的な表現力に影響を及ぼしましたが、Web メディアという事業を一変しかねないかと問えば、変化は限定的でした。
次に“モバイル革命”への応答として HTML5 が次の大きなトレンドとして注目され、 また、レスポンシブデザインなどが動き始めましたが、本当の大きさが見えてくるのはこれからです。
ただし、進化が漸進的というのは、メディア事業者(本稿ではメディア企業と総称します)にとってのみ当てはまると言うべきかもしれません。
メディアの中心からではなく、周辺から地殻変動が次々と中心に向かって押し寄せた数年でもあったからです。
ブログ運営基盤、動画投稿サイト、そしてソーシャルメディア全般が巨大な成長を続けています。また、元来“メディア”とは呼ばれないようなさまざまな新興 Web サービス、モバイルアプリが誕生、成長しています。メディア企業はこれらとの連携に追われるという逆転現象が、この数年、常態化した光景です。

ところで、メディアの周辺にありながら中心のメディア企業の根幹を破壊しかねないテクロノジー的変貌が、もうひとつ生じています。本稿の主題、広告テクノロジー分野です。

いきなり広告の話題に入る前に、まず、こんなくだりから入っていきましょう。
イーライ・パリサー『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』からの引用です。
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『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』

ウォールストリートジャーナル紙がおこなった調査によると、CNN にヤフー、MSN など、インターネットの有名サイト50カ所には、データ満載のクッキーや個人データを追跡するビーコンが1カ所あたり平均で64も用意されていたという。

人々が訪れるページの裏では、「オンラインにおけるユーザーの行動に関する情報」という巨大な市場がうごめいている。そのような市場で活躍しているのが、ブルーカイ(BlueKai)やアクシオム(Acxiom)など、あまり知られていないが大きな利益を上げている個人情報の企業だ。アクシオムは、ひとりあたり平均で1500項目もの個人情報を集めてデータベース化しており、そのカバー率は米国人の96%に達する。このほかに、信用情報から尿失禁の薬を買っているか否かにいたるまで、あらゆるデータを所有している。

『閉じこもる……』は、インターネット上の新たなテクノロジー動向と、それにともなう危機意識を「フィルターバブル」という視点で鋭く説く好著です。
フィルターバブルとは、Google、Facebook、Twitter ら現在のインターネットの覇者がおしなべて取り組んでいるパーソナライゼーションが、錯綜し膨れあがった状況を指します。
例示されているものとして、Google パーソナライズ検索があります。いまや同じキーワードを用いた検索であっても、そのユーザーごとに得られる検索結果は異なるようになっていることは広く知られています。
また、Facebook でも表示される情報にはパーソナライゼーションが施されています。多くの友達を持ちながらも、ユーザーのタイムラインに表れる“近況”は、アルゴリズムが働き一定の整理や選別がなされることで“ほどほど”の情報量に刈り込まれ、かつ、重要性の高い情報は届けられるようになっています。
これらは、それぞれ実装上のテクノロジーこそ異なれ、過去の行動やソーシャルグラフを加味して個々のユーザーごとに最適化した(パーソナライズ)情報を提示するというフィルター機能を、次々に提供しようとしている点で共通しているのです。
『閉じこもる……』の危機意識は、これら幾重にも折り重なるように提供された見えないフィルターにより、ユーザー自身は直視できていると信じる現実世界から、実は遠ざけられているということに帰結します。

ところで、本稿ではフィルターバブルが、現実界の認識を歪め見えにくいものにしているというジャーナリスティックな視点とは少々異なる方向に進んでいこうと思います。
『閉じこもる……』の引用文を念頭に置きながら、もうひとつ別の書物を紹介しましょう。横山隆治・菅原健一・楳田良輝『DSP/RTB オーディエンスターゲティング入門』です。

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『DSP/RTBオーディエンスターゲティング入門』

DSP/RTB によって1インプレッションの売買が瞬時にできるようになった現在、最適な広告を最適な人に届けるオーディエンスターゲティングが有効になった。インプレッションごとにどんなユーザーが見に来ているのかを判断するには、自社が持つ内部データと第三者から提供される外部データを活用する。

外部データとは自社以外の「オーディエンスデータプロバイダ」から提供されるオーディエンスデータのことである。

外部オーディエンスデータの提供元であるDMPは、海外では、AudienceScience、BlueKai、eXelate、Demdex などがあり、国内では筆者が所属する株式会社オムニバスなどがサービスを提供している。これら DMP を行っている企業は数多くの媒体にオーディエンスデータを管理するためのタグを設置し、サイト訪問者の閲覧データを取得する。取得したデータはサイトを横断して関連のあるカテゴリーごとに集計をし、セグメントと呼ばれる単位で管理が行われる。広告主はこのセグメントを利用したい場合、セグメントを配信プラットフォームの DSP と連携することでセグメントの対象者へ広告を配信することが可能となるのである。

気づかれたでしょうか? 紹介した異なる書物の2つの引用文には、ひとつの共通項がありました。「BlueKai(ブルーカイ)」という社名がそれです。
挙げられている「DMP」(データマネジメントプラットフォーム)や「オーディエンスプロバイダ」、あるいは「個人情報の企業」と呼ばれている企業群が果たす役割は、インターネット上に散在する“個人情報”を収集し、それを分類したデータベースを構築することです。この二つの引用文は、共通する事象を“危機意識”と、“広告テクノロジーの最先端”という両側面から述べていると理解すべきなのです。

先に断っておくと、ここで「個人情報」とされる情報は、これらに企業においては完全に匿名的なものであることが説明されています。
収集されるデータとは、各サイトにアクセスしたあるユーザーの行動履歴に関するクッキー(Cookie)情報なのです(クッキーについて知りたい向きはこちらへ)。

さて、ここからは本題です。個人情報の収集と広告テクノロジーの先端が、どう交差しているのか簡単な説明を試みます。
ある匿名ユーザー(あるいはブラウザがといってもいいでしょう)が、あるサイトのどんな記事を読んだか等の情報は、ブラウザを搭載したそれぞれのコンピューティング機器のクッキーファイルに記入することができます。一般的には訪問されたWebサイトが記録用に来訪者のクッキーに情報を記入します。ユーザーの行動履歴がクッキーに記録されていく理屈です。
この情報を大規模に収集すると、インターネットを回遊する多くのユーザーが、それぞれどのページ(それがどんな種類のサイト、もしくはどんな内容のページか)に関心を持っているかという大規模なデータベースが構築できます。
ここで匿名ユーザーを「ID」と呼ぶとすれば、ID ごとにどんな関心興味をもっているかをその行動履歴を収集したデータベースから抽出できることになります。
広告主からすれば、むろん、自社が販売したい製品(カテゴリー)に関心を持つ ID を含んだ利用可能なデータベースがここに誕生したというわけです。
さらに、行動履歴には単に関心興味というカテゴリー分類だけでなく、価格サイトやECサイトをいつごろ訪問したかなどの情報の切り口も加味することにより、購買に非常に近い状態の ID を理屈の上では同定することも可能です。

広告テクノロジーの進化はこのような巨大データベースの構築にとどまりません。
従来なら、このような ID を同定できたとしても、氏名・住所・電話番号・勤務先など本来の意味での個人情報がなければ、DM を送りつけたり電話で勧誘するなどといった実行手段がありませんでした。ところが“進化”は、機微な個人情報を取得しなくても、それぞれの ID に対して適切な広告を配信する手段を生み出したのです。
映画「マイノリティ・リポート」で描かれたような、壁面の大ディスプレイが通行者一人ひとりを同定して語りかけるようなことがインターネット上で可能になっていると想像して下さい。
それが、『DSP/RTB オーディエンス……』で解説されている最新の広告配信テクノロジーなのです。

もう少しだけ、要約を続けさせて下さい。
先の引用で、「DSP」とは「デマンドサイドプラットフォーム」の略語で、広告主側が広告を発注する(入札する)取引市場システムです。「RTB」は「リアルタイムビッディング」の略語で、多種多様なWeb ページにある ID がアクセスしてきたとき、そのページに設けられた広告枠一つひとつをセリ(競売)にかけ、競り落とした広告主の広告を配信するまでをシステム的につかさどります。
もちろん、ここで「ID」と書いたのは上記オーディエンスデータを参照して条件が同定済みである来訪者という意味です。
したがって、広告主の側からすると、「このような種類の ID がアクセスしてきたら、いくらまでの価格を上限にして広告枠を買う」といった条件をセットしておき、そのような ID からの Web ページへのアクセス一つひとつのセリに参加するというわけです。
概要が見えてきたでしょうか? DSP/RTB の仕組みが誕生したことにより、商品への関心や趣味などの情報を判別ずみの各 ID に対して、インターネット上のずい所に設けられた広告枠を通して適切な広告を配信できるのです。

想像できるように、このような仕組みがリアルになるためには、非常に膨大な量(たぶん数百万単位)のクッキー情報を取得、更新し続けるビッグデータ系の IT インフラが不可欠です。また、広告枠の競売、ID ごとに最適な広告配信などを一挙に処理した上で、Web ページをアクセスした ID に広告を高速に表示するネットワークインフラの構築もまた生命線となります。
このようにして、多種多様な Web ページ上の広告枠をめぐって、超高速なトランザクションを継続維持するわけです。

さて、筆者の問題意識のほうへ歩みを進めます。
DMP のビジネスモデルは大ざっぱに言えば、こうです。
DMP は多くのメディア企業と提携しそのページ内にユーザークッキーを取得するためのビーコンを設置します。この提携サイトを広げることで ID を可能な限り多く収集し分類することができます。
広告主は ID 情報と各 Web ページの広告枠の情報とを組み合わせて、広告配信権を(システム的に)競り落とします。この際の利用料として  DMP への支払いが生じます。また、DMP と提携した Web サイトはこの ID データ利用料の折半を受けるというのが一般的なモデルとされます。

ここでメディア企業にとっては、2種類の収入機会が生じたことになります。
ひとつは DMP にユーザークッキー取得のためのビーコンの設置料金です。
もうひとつは、もちろん、自社メディアへ来訪したユーザーに対して広告を表示するという広告掲載料です。
従来に比べれば ID データを販売する機会が増えているわけです。
また、RTB が取り持つ広告枠の販売は競争入札制が基本原理ですから、需要の高い広告枠を運用するメディア企業は理論上高値の広告収入が期待できます。
こうしてみると、広告をめぐる商取引テクノロジーの変化はメディア企業に“福”をもたらすように見えるかもしれません。しかし、そうとばかりも言えません。

『DSP/RTB オーディエンス……』の副題「ビッグデータ時代に実現する『枠』から『人』への広告革命」がいみじくも喝破するように、「だれに広告を見せるか」をほぼ確定できる時代にあっては、“広告価値”の帰属性は(メディア企業が運営するという意味の)「メディア」から限りなく分離していくことを意味します。
たとえば、マーケティング上、求める種類の ID に的確に広告を出せるなら、高値のついた商業メディアではなく、もっと安価な場所で広告を買いそこに広告を配信すれば良いからです。
狙った読者層と出会うために良い媒体の広告枠を購入する、という「読者価値」と「媒体価値」が密接に結びついていた広告価値観の大きな転換が、ここに示唆されています。
この転換は甚大な影響をメディア企業に及ぼさずにはいません。そうだとして、メディア企業にはどのような判断が可能でしょうか。次回に、続けて検討していきたいと思います。
(藤村)

キュレーション 逆説的メディアの構想

趣味のためのメディア隆盛期には、「もっと多く」がメディアの提供者と読者に共通する価値だった
いま、情報の過剰という“るつぼ”のなかで、
異なる原理、価値観が生じてはいないか?
情報過多・価値減衰に悩むメディア分野で、新たな事業モデルの仮説構築を試みる

本稿では、最近自分自身が構想しているメディアのありようについて、思い切って試論、私論を述べてみます。
どんなことを考えているのかと言えば、案外シンプルなことです。
「たくさん読みたがる読者に向けたメディア」、その逆に、「(たくさん)読みたくない読者に向けたメディア」。
この二つを分け、後者について考えみようということです。

本論に入る前に少々の寄り道を許して下さい。
筆者のバックグラウンドについてです。
社会人になって初めて雑誌編集に携わったのが、30年ほども前のこと。それは当時産業として活況を呈していた建設業者向け経理実務誌というニッチ媒体でした。
その後、非出版業界での会社勤めをはさんで、次に、雑誌編集に携わったのはおおよそ20年ほど前。パソコン系の出版事業を手広く営む会社での仕事でした。
そこで驚きの体験をしたことが、冒頭の二つのメディアの方向、という観点につながります。

その職場には、PC やエレクトロニクス、そしてソフトウェアについて、それがスタッフ自身が最も好きなモノ、ことがらとして熱く語るスタッフが溢れかえっていました。
“自分が最も好きなこと(得意なこと)を読者に向かって語る”ことがメディアづくりの神髄であるという雰囲気がそこにはありました。
以後、筆者自身、関わるメディアの選択には(無意識ながら)、自分が最も好き、あるいは、最も知識や体験として自信があるものという背景があり続けた気がします。
これを逆に、読者の側から見るとどう説明できるでしょうか? “好き”という関心を共通軸に、「もっと多く、存分に情報を摂取したい」との欲求がメディアを支える原動力であることを意味します。

このビジネスを方程式にすると、

ビジネスの発展(売上)= 読者の数 × コンテンツあるいは媒体数

と表されます。その変数は、「読者の数」の増大、「コンテンツあるいは媒体数」の増大であり、いずれも「数を増やす」ことが最重要の成功要因だと理解できます。
勘の鋭い読者には既におわかりのように、成長を謳歌していた時代の「雑誌」ビジネスの多くは、このような「数の増加」を基調に打ち立てられてきたのだと理解します。

さて、「好き」をテコにしたメディアビジネスが、「もっとたくさん」という原理へ純化するのは自然でした。
しかし、情報過多が深刻(?)な課題となったとすれば、「増産」原理での成長余地は限定的です。
人間は不思議なほど柔軟な存在で、「好き」が作用するケースでは、これほどに忙しい現代であっても、(情報)接触時間をジワジワと増やしています(最近の調査結果でも、メディア接触時間の増加が確かめられた)。その意味で「ジワジワ」は限界効用が逓減した結果、増産による残された成長余力を表わすものと見なければなりません。
ここに対極のメディア市場があることに気づきます。
(情報接触に)「なるべく時間を使いたくない」「たくさんは要らない」という意識が働く市場です。それは、おもに“仕事(義務)として情報に接しなければならない”分野と想定できます。あるいは役職と関わった情報ニーズであるかもしれません。時間は割きたくないが知らなければならない。
仕事上のテーマ(義務)として情報収集(接触)しなければならない領域があるのです。

その場合の方程式は、

ビジネスの発展(売上)= 読者の数 × 1/コンテンツあるいは媒体数

となるはずです。

読者にとり、いかに多すぎる情報に接触しないですませるか。あるいは限られた時間を効率的に過ごすために、いかにムダ・不要な情報を遠ざけるかなどの工夫が付加価値となります。
方程式では明示されませんが、情報接触量を減らすことで得られる読者の「可処分時間」という見えない変数がそこには含意されています。情報を選別したりまびいたりする作業がそのような変数に関わります。
「好き」が作用する媒体の事業は、読者に好まれるコンテンツをいかに数多く生産して売上をかさ上げするかという方程式で説明できたのに対し、逆方向の「情報接触を絞り込みたい」というニーズも存在しており、この場合、「コンテンツあるいは媒体の数」の増分は、読者の満足を下げるということに注意しなければなりません。
しかし、内心疑問も湧き上がってきます。「なるべくなら読みたくない、限定したい」という情報ニーズをターゲットとするメディアを構想することは逆説的ではないかと。
可能な限りページ数を絞り込む方向性の媒体を、売買することは可能でしょうか?
薄くぺらぺら。10分もあれば読み切れるようなメディアに、何もかもが無料になりたがるような時代においてそれなりの対価を設定するのには勇気が要ります。

下図をご覧下さい。ただちに筆者の仮説に入る前に、Just the News というたった数行で構成される“ニュース”サイトについて検討をしてみましょう。

JustTheNews日々のニュースを数行に絞り込んで届ける Just the News

米国の Max Temkin というデザイナーが個人で運営するもので、ブログのようなものかもしれません。1日1回、4〜5本のニュース記事へのリンクと、長めの論説記事(Long read)へのリンクが1本だけ掲載されるホワイトスペースが勝ったページです。
それぞれの行がリンクをなしていることさえ気づきにくいぐらいの、超ミニマルなページなものです。
この Just the News について触れた記事も紹介しておきましょう。

The Next Web 掲載「Just the News: A curated online news service that cuts out all the noise」(Just the News:あらゆるノイズを切り捨てたオンラインニュース キュレーションサービス)です。
記事は、Temkin 氏がこのようなメディア(ページ)を考案した経緯を述べています。

自分はつね日ごろ、プレーンで白いページにほんの数行の厳選されたニュースが盛られているようなものがあったらと願っていた。広告はなく、ソーシャルボタンやコメントもないような(ページだ)。ついに待ちくたびれてしまった。自分でそれを作ることに決めたんだ。

記事には補足的なことが種々述べられていますが、見ての通り。多くを語る必要もないでしょう。
いかにして、その日、人が注意を払うべき4つ、5つの話題に絞り込むかが重要なポイントです。
時間つぶし、数合わ、増量のためのゴシップネタなどは排除されています。
「ある日、重要な記事が5つに満たなければ、ポストするリンクも減らす」「読み応えある長文記事が1本しかないような日がきてもよい」とさえ Temkin 氏は述べます。
ご本人はデザイナーながらも広告バナーはおろか、メディアロゴなどまで不要物として排除してしまっています。
しかし、ここで終わっては単に“アマチュア”の余技議論となりかねません。

ここで「厳選する」「不要な情報の排除」という価値に焦点を当てることで、「なるべくなら読みたくない」「読むこと以外への可処分時間を確保したい」と望む読者に向けた逆説的なメディアの事業化が可能かと考えてみたいのです。
キュレーションだからこそ可能な新たなメディア価値観。それが厳選するということではないのか。これが筆者(藤村)の視点です。
おびただしい数で産出される「まとめ」「キュレーション」記事の数々は、実は「もっとたくさん読みたい」という文脈の上に存在しているように見えます。
「もっと絞り込みたい」という文脈の上で実現するメディアの事業モデルは構想できないでしょうか。

そこで、筆者もまた饒舌は控えつつ(笑)、事業化のための仮説を箇条書きしてみます。

  • 相対的に時間が足りない(限られている)というタイミングに提供して、メディア価値が引き立つように設計する(余暇時間には、むしろ時間消費型の閲読スタイルに読者は向かうだろうから)
  • “これさえ読んでおけば安心”という心理的担保を提供する。他のニュースを知らないことの心理的不安を取り除くことが肝要(たとえば、絞り込むことで失われる情報の網羅性を担保することなど)
  • 上記同様、その方面の権威がピックアップ(キュレーション)した、という心理的担保を用意する
  • そのニュースについてもっと詳しく知りたいという意向に備えて、詳細な記事群へとドリルダウン可能な構造を整える
  • 広告や煩雑なナビゲーションを排除してビジネスモデルを組み立てるために、購読型(課金)の仕組みとする……

特にキュレーションからの収入モデル/キュレーターへの報酬モデルについては、具体的に考えるところがありますが、いささか生々しくここで述べるのは避けようと思います。
ひとつのポイントは、紹介される記事(ニュース)の価値とキュレーションの価値(への金銭的対価)をどう分離できるかというにあります。
ニュース記事を日々生成しそれを生業とするコンテンツホルダーらと次元を異にする収益モデルを生み出すこと。そして、Temkin 氏の試みの背景にあるように、良質のジャーナリズムへの尊敬が貫かれる仕組みを生み出すこととが相まってこそ、「少ないことは、豊かなこと」が実現されるはずです。
(藤村)