メディア企業 vs. テクノロジー企業 「配信」テクノロジーをめぐる攻防

コンテンツと配信(流通)の融合体であるメディア。
押し寄せるテクノロジーは、旧来の配信を刷新し、
メディア(企業)の存立に大きな影響を及ぼそうとしている。
本稿は、メディア(企業)のテクノロジーへの取り組みを考える。

最初に非常に乱暴な筆者(藤村)の仮説を述べておきます。
メディア(企業)に変革を余儀なくさせる、破壊的な要因とは「配信(流通)」である——。

「配信」とは、現在では、そのまま“インターネット技術”と言い換えることができます。インターネット技術の進展がメディア(企業)に変革を迫っていることは間違いありません。
私たちが語る「メディア」の語源が、媒介物やその手段である“medium”であるとすれば、媒介手段はメディアにとり根源的、決定的な要素のひとつであるのは自明です。
また、この媒介手段=配信こそ、時代における最新技術の影響を非常に受けるものであることも理解できます。
複製、印刷、運搬、電送、放送、光磁気ディスク、そしてインターネット。
これらを「配信」テクノロジーと総称するなら、それがいかにメディアの発展に決定的な影響を及ぼしているかすぐに想像がつきます。
もうひとつ、配信をめぐってのポイントがあります。
それは、20世紀に大きく開花した“四マス”(新聞・テレビ・ラジオ・雑誌)は、そのいずれも開業、運営維持に大きな資金や設備の集約が必要だったということです。
印刷機械、放送設備、運送や中継基地などの整備は巨額の資金を必要とし、それが独占と言わないまでも参入障壁を形成してきた面もあります。

このように配信をめぐる議論は、どれも資金や設備、それにまつわるノウハウなどで、要するにコンテンツ以外の部分についてであることに気付きます。
そして、メディア(企業)の地位を揺るがす変動もまた、非コンテンツ領域から立ち上がってくるのではないでしょうか。
メディア(企業)の多くが、現在のインターネット全盛期にあって、配信テクノロジーの大変革の波にさらされています。

先に拙稿「メディア戦略 これからの20年を展望する」で、Ben Elowitz 氏の下記のコメントを紹介しました。

コンテンツ企業は、(すぐれた)流通企業でなければならない——。
この考えは決して目新しいものではない。Timeや(「Better Home」誌や「Gardens」などを擁する)Meredith は、ダイレクトマーケティングの仕組みを何年にもわたり築いてきた。しかし、多くのメディア企業の精神的支柱は、依然として“コンテンツ魂”のほうに止まっている。
(コンテンツの)流通は、過去20年の間に大規模な変化を遂げている。そして、その変化の勢いは、消費者の時間消費がモバイルとソーシャルによりますます変化を加速する。
メディア企業には、流通のマイスターとなる以外の選択はない。

「過去20年の間」とは、まさにインターネット・メディア勃興の時期と符合します。
インターネット技術が根本的にメディアの配信要素を刷新しようとしている事態に、メディア(企業)は早急に適合すべきと述べているのです。
ここでは、メディア企業自らの変身(流通のマイスター化)を促していますが、そう穏やかではない別のオピニオンも紹介しておきましょう。

長くインターネットのメディアや広告に携わってきたベンチャー経営者 Eric Picard 氏が「Why Media Companies Are Being Eaten by Tech Companies」(翻訳記事 SEO Japan「メディア企業がテクノロジー企業に喰われる理由」以下、同記事より引用)という論をポストしています。
Picard 氏の指摘は、Elowitz 氏ほど穏やかではありません。すなわち、配信テクノロジーの破壊的要素をテコに、これまで見かけなかった挑戦者が続々とメディアの地平線上に姿を現わしており、変化の前に逡巡するメディア企業を、まさに「喰ってしまおう」としているというのです。

テクノロジー企業が参入し、メディア企業を破壊しているとして論争が起きている。
……しかし、この問題は非難を浴びがちなグーグルだけに当てはまるのではない。アマゾンもテクノロジーの利用を介して流通モデルを変えることで、書籍業界を破壊しており、そして、明らかに雑誌、ラジオ、そして、動画のコンテンツにも狙いを定めている。 マイクロソフトは、電波到達範囲が拡大を続けるXboxを介して、エンゲージメントモデル、そして、コンテンツの配信をリビングルームにもたらし、さらに、ウィンドウズ 8、最新のタブレットデバイスのサーフェス、そして、スマートフォン – ここでもテクノロジー -を用いてメディア化を続けている。
アップルは、様々な配信媒体を管理することで(デバイスに搭載されたアプリ)、配信モデルを一新するだけでなく、配信者には – テクノロジーを用いて – 通行料を請求している。フェイスブック、ツイッター、そして、その他のソーシャルメディアは、発見および配信を独自の方法で – よく分からないが、テクノロジーをベースにした方法で – 破壊しつつある。

繰り返せば、メディア(企業)が、ゆっくりと変身を遂げようとする間に、数多くの(非メディア企業である)テクノロジー企業が、その領土を猛スピードで開墾しつつあるのです。
テクノロジー企業の武器は、かつては配信をめぐる技術そのものであり、いまやそれは新しいビジネスモデルの構造へと変化しつつあります。
HTML、CMS、広告配信サーバー、検索エンジン、リスティング広告、スマートフォン・タブレット、タッチインターフェイス、App Store(Google Play)、ソーシャルグラフ、レコメンドシステム……とこのようなものです。

かつてメディア(企業)にとり、配信はコスト、ノウハウを要するものでした。
いまでは、上に列挙した技術的要素は、それぞれ大きな価値を持つものでありながら、同時に非常に安価でだれもが利用可能なものになっています。
まさに、「出版は(もはや職業や産業ではなく)、“出版する”というボタンになってしまった」(クレイ・シャーキイ氏)というわけです。
このようなコストやノウハウの大幅な軽減は、メディア運営への参入障壁を押し下げ、ゲームへの参加者数を劇的に増やす効果をもたらします。

評論家の佐々木俊尚氏は、かつてメディアの配信(流通)構造を、

  • コンテンツ
  • コンテナ
  • コンベヤ

の3層で説明したことがあります(『2011年新聞・テレビ消滅』)。
コンテンツという内容物を、コンテナという容器に載せてコンベヤで運ぶという図式です。
音楽、映像、ニュースなどさまざまなメディアをこれによって説明できます。
「コンベヤ」という伝送路がインターネットに大規模に収れんしていることと、コンテンツは各メディア(企業)や書き手らに属するとなれば、「コンテナ」はだれが担うかが焦点となります。

インターネット上には、検索エンジン、(ニュース)ポータル、ソーシャルメディア、ブログサービス、そしてアプリストアなどを提供するテクノロジー企業が、このコンテナ部分に殺到してプラットフォームとしての地位を築こうとしています。
「コンテナ」としての役割をテクノロジー企業が確立してしまえば、メディア(企業)に残されるのは、「コンテンツ」の部分だけに狭ってしまう、これが Picard 氏や佐々木氏の視点です。従来のメディア(企業)は「コンテナ」(配信)部分にも影響力を発揮していたにも関わらずです。配信をめぐる闘いの重さがここにあるのです。

ここで筆者(藤村)の見解を交えると、以下のようになります。

「配信」というテーマが、安価に大規模にを目標としてメディア(企業)の生産性を高める、という意味なら、その闘いはほぼ終えんしている。
企業用のコンテンツ配信システムである CMS を、自前主義で、あるいは流通するアプリケーション導入を通して、大規模に再構築すべき時期は過ぎようとしている。
日々変化するメディア(企業)の置かれた環境では、“すべての要望を満たす”ようなシステムの構築を考えるより、適切な技術を柔軟にプラグインしていく方向が妥当だろう。
そのような意味で、テクノロジー企業の攻勢にさらされているのは、旧態依然とした印刷や放送メディア企業だけでなく、デジタルを標榜しながら従来のメディア(企業)に範を取り配信をめぐる集約化を進めてきたデジタルメディア(企業)も同様の可能性がある。

配信のテーマは、すでに存在するコンテンツをいかに柔軟にさまざまなデバイスやソーシャルグラフへと届けていくか、あるいは、その先で、読者との強いきずなを引き寄せるのか。
また、それを収益可能性といかに関係づけていくか、といった多様な応用問題を解くフェーズへと移っています。
当ブログで取り上げてきたように、 このような問題を解くために、数々の新テクノロジーやアイデアとの協調関係に取り組もうとするメディアの変身がそこここで起きているのです。

メディア(企業)は、テクノロジー(企業)の進攻にどう対処するのでしょうか。
Picard 氏は次のように述べています。

メディア企業は、配信の管理を基に歴史的な強みに頼るのではなく、鍵としてテクノロジーを受け入れなければならない。 そのためには、優秀なエンジニアが必要である。

要するに、エンジニアを雇う、養成するというスタートラインに立つことですが、ここには問題があるとも書いています。

多くのメディア企業は、既存のエンジニアリング組織を従来の IT モデルの延長線として扱い、二流のエンジニアが – 組織全体に配置されていることがよく見受けられる。

メディア企業がテクノロジー企業に伍していくためには、自社のコンテンツ資産を新しい時代に適合したビジネスを遂行するために優れたエンジニアが必要です。
しかし、往々にしてメディア企業はエンジニアをそのような革新的な取り組みを行わせるための環境づくり(組織づくり)に不得手だというのです。
Picard 氏のある種の結論は、メディア企業内でイノベーティブな役割を発揮させるべく、エンジニアらを社内ベンチャー的ポジションに置くべきということに尽きます。
筆者(藤村)はこの論に深くうなずきます。しかし、Picard 氏も書くように、そのようなエンジニアの採用や組織的な扱いに不得手な組織では、それも絶望的に難しい取り組みでもあります。

であればどうするのか?
外部のエンジニアリング集団との協業スキームを築くことが、次善の策となるでしょう。
そのためには、テクノロジーの重要性やエンジニアらとの協調に関心や経験を有するプロデューサーだけでも、雇用し養成していく必要があります。
プロデューサーは、テクノロジー企業に伍して、あるいは、テクノロジー企業のプラットフォームを活かして、コンテンツと配信面での自社の優位性を個々のプロジェクトを通じて築いていくことになるはずです。
プロデューサーを通じた内外の組織的な連携や、外部のテクノロジー企業との協業については、次の機会にオピニオンを述べたいと思います。
(藤村)

デジタル絶好調の米 Atlantic が打ち出す、近未来 Webメディア “QUARTZ”

近年、売上倍増、デジタル広告を中心的収入源へと成長させるなど
目ざましい展開を見せる米 Atlantic Media。
同社が開始した新メディアは、これからの時代の Web メディア像に触れるものだ
そのポイントを検証していこう

創刊155年を迎えようとする米国の超老舗メディア The Atlantic のデジタル路線が好調です。
同誌を傘下に擁する Atlantic Media オーナーの David G. Bradley 氏は、同社の最近の業績推移を「この4年間で、売上は2000万ドルから4000万ドルへと倍増し、3年連続黒字。特にデジタル広告売上が広告収入の65%に達した」と述べます(The New York Times Covering the World of Business, Digital Only“)。
同社の最近の業績は、印刷、電子いずれのメディア事業も好調とされていますが(「153年の老舗雑誌『Atlantic』、デジタル強化で勢い復活」参照)、とりわけても同社のデジタルメディアへの積極戦略が大きくものを言ったことに、間違いはありません。
そのデジタルメディアへの取り組みに長けた Atlantic Media が、印刷メディアを持たない“デジタルファースト”な Web メディアを最近スタートしました。老舗メディアであり同社の屋台骨をなす The Atlantic とは好対照に、これからの Web メディアのあり方を強く意識した意欲的なメディア。それが Quartz です。本稿では、Quartz のどこが新しく、デジタルメディアの未来を体現する点とはなにかを確認します。

まず Web メディアとしての新しさについて確認していきます。
Quartz は、印刷メディアとしての母体を持ちません。他方、スマートフォンやタブレット版アプリを(プラットフォームごとに)個別に用意することもしていません。ひとつの Web サイトで多種のスクリーンサイズや機器に対応する“レスポンシブ デザイン”のアプローチを採用しているのです。

Quartz画面(左からPC、iPad、そしてiPhone版)

Quartz画面(左からPC、iPad、そしてiPhone版)

上記の画面で左端が、大きなスクリーンを備えたデスクトップ PC の Web ブラウザから見た Quartz。中央は iPad の Web ブラウザから見たもの。そして、右端が iPhone で同じく Web ブラウザから見た Top 画面です。
iPhone 版では、そのスクリーンをフルに利用するため、他には備わっている左側サイドバーを排して記事のインデックス情報を広く表示します。左上にサイドバーに代わってメニューを表示するためのアイコンが設けられています。
この iPhone 版におけるメニュー表示など、明らかにモバイル向けアプリを模したインターフェースを用いています。モバイルデバイスからのアクセスを強く意識した“Web アプリ”の文法を採用したのが、Quartz の第一の特徴です。

次に、メディアデザインとしての特徴です。下図をご覧下さい。
Quartz の見た目上の大きな特徴は、Top 画面から新着順に記事を表示するブログ風インターフェースです(実際、同サイトはブログ CMS として最も普及した WordPress をベースに開発されたとのことです)。

Quartzのページ要素(左は記事先頭、右が記事末)

Quartzのページ要素(左は記事先頭、右が記事末)

すでに「ストリーム型メディアの勃興 Web メディアの転換点」 でも触れたところですが、Quartz では、印刷メディアに範を求めたページ型メディア構成を弱めて、ストリーム型(あるいは、タイムライン型)メディア構成を採用しています。各種記事テーマというカテゴリメニューはあるものの、基本はジャンル混在で、Top 画面から記事を垂直方向にスクロールしながら読み継ぐアプローチです。

記事タイトルをクリックして“ページ”へジャンプするナビゲーションは設けず、あたかも Twitter や Facebook などのように、ひたすら垂直方向に記事全文を連ねて表示していきます。読者に求められる操作の基本は、スクロールだけなのです。
ストリーム型のメディア構成を採用したことは、印刷メディア=ページ型メディアで常識であるような複雑なデザイン、記事を取り囲む各種メニュー、多種の広告とリンクといった煩雑な要素が極力抑制されることに結実しています。これも目に付く特徴です。

広告については、後ほども触れることになりますが、通常、記事タイトル上部および右サイドバー、そして下部、場合によれば記事本文中にも配置されるディスプレイ広告類が排除され、唯一、記事末(それは次の記事タイトルの上、でもあるのですが)に大型のレクタングル(四角の)広告が残されています。
他の記事などのへのリンクもほぼ排除されています。上記画面図内で強調しているように、サイドメニューやソーシャル系サービスへの投稿ボタンなどのコントロール類も悪目立ちしない色調を採用し、コンテンツ閲読への集中を乱さない配慮をしているのがよくわかります。

広告モデルについて、改めて整理しましょう。Quartz に現われる広告フォーマットはごくごくシンプルです。
Web メディアでは大小さまざまな広告フォーマットがてんこ盛りとなっているのが普通です。
タイトル上の大きなバナー、記事本文右ヨコにスカイスクレーパー、記事本文の上下にテキスト型、本文中にはレクタングル、そしてページ下端にリスティング型広告……といった多種の広告を配置することは、今となっては常識の範囲内です。
これに対し、Quartz では、タイムラインのように続く記事と記事の間に、比較的大型なレクタングル広告が現われるのみです。
しかし、このレクタングル広告と同時に、編集記事の間に差しはさまれて現われる[SPONSOR CONTENT]のサインが付されたネイティブ広告、すなわち記事体広告が重要です。
ネイティブ広告については、「『さようなら、ページビュー』 Webメディアの経済モデルが変わる」で紹介しました。ストリーム型メディアにおける広告フォーマットとして主役となりそうなのが、このネイティブ広告です。
簡単に確認しておくと、ネイティブ広告は、編集記事のトーンを活かすように制作した記事体広告が一般的であり、タテ方向に流れるコンテンツへの読者の集中を乱さないように設計されています。配置とそのテーストが、コンテンツに集中しようとする読者にエンゲージすることをめざしているわけです。
10月中旬現在の Quartz では、広告主4社がレクタングルとネイティブ広告の両方に現われます。大小様々な広告フォーマットがあれば、その数だけさまざまな広告主とクリエイティブを掲載できるはずですが、Quartz はそのような煩雑さを嫌ったようです。逆に、限られたフォーマットで十分な収入を得なければならないというプレッシャーが Quartz にあることはもちろんです。

最後に見えにくい点ですが、アグリゲーションメディアとしての Quartz にも触れておきます。
同メディア掲載の記事は、記事体広告を除き基本的に署名が付されています。この署名を見ていくと「Source: Reuters」「Source: Dezeen」というように他メディアからの転載(編集)記事にたびたび出会います。“ブレーキングニュース”、すなわち、速報的なニュースを追いかける代わりに、特定のテーマに沿ったコンテンツ(たとえば、「China Slowdown」「Low Interest Rate」といったテーマが掲げられています)を継続的にフォローするために、外部執筆者と配信元の多様化を重視したアグリゲーション型の編集姿勢打ち出しているのも、Quartz の特徴といえそうです。

以上を整理すると次のようになるでしょう。Web メディアの将来の方向性として意識すべき特徴といえるはずです。

  1. モバイルからのアクセスを強く意識、多種のスクリーンサイズや機器に対応するサイト構築
  2. ページ型構成を捨てストリーム型構成を軸とするメディア設計
  3. 煩雑な広告、コントロール類を排除して読者のコンテンツ体験純度を高める
  4. 多種の広告フォーマットを排除、ストリーム型メディアに適したネイティブ広告を重視
  5. コンテンツ配信元を多様化するアグリゲーション型メディアの方向性

これらの特徴を一挙に取り揃えてスタートを試みたのが、Quartz です。めざすは、世界各国のビジネスエリート層を対象として地域ごとに別版を作る前提、かつ、特定ビジネステーマに焦点を当てたミドル(中規模)メディアとのことです。
述べてきたような設計や特徴が、このビジネス系メディアとしてのゴールに寄与するのか注目してその成果を待ちたいと思います。
(藤村)

参照した記事等:

「さようなら、ページビュー」 Webメディアの経済モデルが変わる

広告経済の低迷と、従来型の広告を嫌うトレンドが、新たな兆候を見せている
ソーシャルメディアに象徴的なストリーム型メディアは、
堅固だったページビュー型経済モデルを揺るがせつつ
Web メディアに新たな流れをもたらすのだろうか?

「広告はクールじゃない」——。
実在する人物でもあるショーン・パーカーとそう語り合うのは、スクリーン中の Facebook CEO マーク・ザッカーバーグです(映画「ソーシャル・ネットワーク」)。
Facebook がようやく成長軌道を描きはじめた時、映画はパーカーに「(ビジネスに走って)パーティーを11時に終わらせるんじゃない」とも言わせています。
いずれも、広告ビジネス開始によって成長にブレーキがかかったり、ユーザーの離反を招くことを良しとしない西海岸的雰囲気をよく伝えるシーンがそこにあります。

出典:Flims Goes With Net「アメリカのサイバー法の権威、ローレンス・レッシグによるソーシャル・ネットワークのレビュー」

出典:Flims Goes With Net「アメリカのサイバー法の権威、ローレンス・レッシグによるソーシャル・ネットワークのレビュー」

さて、現実界で「バナー広告はリーディング体験の邪魔になっている」とのオピニオンを発するのは、“デジタルマーケティング界のロックスター”? ミッチ・ジョエル氏です(氏のバイオグラフィは → こちら)。
本稿では、同氏によるタイトルからして刺激的な論、SEO Japan blogさようなら、ページビュー」を紹介し、Web メディアをめぐる最新課題へとつなげていこうと思います。

ページビューは、ページという単位で作られた HTML ファイルが、ユーザーにアクセスされページが表示された回数を表わす指標です。
さらに言えば、1回バナー広告を表示する機会を「インプレッション」と呼びます。1つの Web ページに5つの広告掲載枠を備えていれば、1ページビュー=5インプレッションとなり、その回数と単価を乗じたものが(バナー)広告収入を決定づけます。

このページビューを根幹にすえた Web メディアの換金商材が、バナー広告(インプレション型広告)というわけです。たくさんのページビュー(人気のある Web サイトで)があれば、インプレッション単価を有する広告をたくさん表示(販売)できます。その法則がシンプルなため、この15年もの間、何度かその終焉の可能性が語られながらも、変化の速いインターネットの世界においては異例なほどこの経済モデルは長続きしてきたのです。

本稿で取り上げる「さようなら……」は、このページビューに基礎を置く経済モデルに改めて終焉を告げるものといえます。

ほとんどの場合、バナー広告はリーディング体験の邪魔になっているように感じたし(あの点滅する物体である)…… 広告プラットフォームが成熟するにつれて、1つのウェブページ上にできる限り多く詰め込むこと、もしくは、さまざまな異なるサイズを用意して、ページのそこら中にバナー広告を散りばめることが重要なことになったように思われる。 appssavvy の Eric Farkas がこう言っている:“いくつかの最も人気のあるサイトやアプリ(Facebook、Twitter、Spotify、Pandora、Instagram)を見てみると、ページビューから広告収入を得ているものは1つもない。”

「さようなら……」が指摘するページビュー型ビジネスの問題点を整理すると下記のようになります。

  1. ページビューが収入に結びつくため、読みづらいページ分割(多ページ化)などが生じる
  2. ユーザーの注意を引こうとするバナー広告が、コンテンツ周辺のそこかしこに散りばめられ、読者のリーディング体験(閲覧)を阻害する
  3. バナー広告(インプレッション型広告)自体に技術的進化があまりないまま現在に至っている
  4. バナー広告がフィットしないタイプのメディアが増えている

1.〜3. は、いずれもページビューを増やし広告インプレッションを増量することに向かってひた走ることが、ユーザー(メディアの読者)の閲覧体験を阻害する結果となっていることに結びつきます。
バナー広告は、コンテンツにひたろうとするユーザーの注意を別のほうへとそらしたり、寸断したりする要素を含んでおり、そもそもが歓迎されにくい面があります。
Google ら検索エンジンが検索連動型広告を発展させたことは、同じ広告型経済モデルながら画期的なことでした。3.に挙げた技術的デッドエンドを克服した過去唯一ともいえるモデルでした。
また、4. は、ページ型でないコンテンツが増えていることを指します。動画や自動的に最新情報を生成するようなコンテンツ、さらに後で触れるストリーム型のように、1ページ、2ページとカウントしにくい巻物のようなメディアが次々と台頭しています。

では、ページビューに堅く結びついた広告経済モデルはどう変化していくのでしょうか? これまた想定できるシナリオを整理してみます。

  1. バナー広告の技術的進化(ユーザーの関心ある分野などに広告表示を絞り込む)により、広告に対するユーザーの態度を寛容なものにしていく
  2. バナー広告などをあきらめ課金モデルに切り換えていく(cakesapp.net などに萌芽は見えている)
  3. バナー広告とは異なる形式(フォーマット)の広告を開発していく

3.について補足します。
ストリーム型メディアの勃興 Webメディアの転換点」で述べたように、ブログ、そして Facebook や Twitter に代表されるストリーム型(タイムライン型)メディアが、ソーシャルメディアを使い慣れたユーザーにとり好ましいメディア形式となっていく傾向が見えてきました。
“巻物”と上記しましたが、時間さえあれば上下方向にスクロールして無制限にコンテンツを読める形式では、ページ形式にレイアウトされていない分、そこに広告を設置しようとすれば新しい広告形式(フォーマット)が必要になります。

このように、ストリーム型(タイムライン型)メディアが勃興すれば、その表現形式にフィットした広告フォーマットに関心が高まります。
それが、「ネイティブ広告」という概念で語られ始めています。

ネイティブ広告とは何なのか? iMediaConnection によると、ネイティブ広告は、“ユーザーの消費体験にシームレスに統合するようにデザインされた広告ユニット”として定義されている。 インターネットの大部分で、私たちはネイティブ広告ユニットを見つけたことがないと思う。しかしながら、インターネット中に存在する満場一致のネイティブ広告ユニットは、理想主義の夢である。テレビでは、満場一致のユニットが“スポット”で、デジタルにおいてそれに相当するものがバナーだ。ただし、これらのユニットはネイティブではない。 SEO Japanネイティブ広告の機会とネイティブな収益化

少し抽象的に定義すれば、ネイティブ広告は、コンテンツと広告の境界線を取り払うものです。さらにいえば、そのような広告=コンテンツを、巻物状となったコンテンツストリームの中に挿入していくものを想定します。
従来から“インストリーム広告”といった形容をしてきたものを、広告の空間配置上の特性にとどまらず、広告をコンテンツ化していく動向として、Web  メディア業界は注目しているのです。
すでにメジャーな実例も出てきています。ストリーム型メディアの本流である Facebook や Twitter は、このインストリーム広告の開発に熱心です(動向は、「広告のコンテンツ化潮流は、メディア倫理を改めて浮上させる」で整理しました)。
さらには、Facebook、Twitter を追う立場の Tumblr もやはり非バナー系の広告の開発や試行を行っています(こちら を参照 )。

これらの試行が、いずれもソーシャルメディア系で取り組まれていることには、メディアの表現形式がストリーム型であることに加えて、そのソーシャル性に理由があります。
たとえば、ストリームを見ているユーザーにとって、親和性の高い人物の「いいね!」が介在したり、あるいは、ユーザー本人が、スポンサー企業やその商品のページを「いいね!」したものに絞って、コンテンツを表示するなど、“広告の(ソーシャルな)コンテンツ化”を強化できれば、それは単にストリーム上に点々と挿入されただけのインストリーム広告を脱し、ユーザーの嗜好に即したネイティブ広告へと昇華できるかもしれません。

今後、ネイティブ広告は、インストリームという形式上の特性を離れ、従来の広告が広告主からクリエイティブを渡されて掲載するだけのものと異なり、コンテンツの作り手やメディアの責任者らが自ら創造することによりコンテンツとしての“魂”を吹き込まれたもの、という定義を色濃く持つことになるのかもしれません。

過度な SEO やページ分割などが横行するように、ただひたすらなページビュー増大路線は、片や広告主自身がページビュー型経済モデルに敬意を払わなくなりつつある傾向とも相まって地盤沈下の流れにあることは間違いありません。
むろん、それでも膨大なページビューを資産化している Web メディアが早々にそこから退出するはずもないでしょう。
となれば、ソーシャル性が高い、あるいは専門性の高いコンテンツに重きを置くようなメディア群から、ネイティブ広告や課金型経済モデルへのシフトが始まることは自明です。
ソーシャルメディア、モバイル型メディアの台頭、広告経済の停滞に見合った潮流変化の大きなポイントとして、これに注視しなければならないはずです。
(藤村)

ストリーム型メディアの勃興 Webメディアの転換点

Webページの生成を止めよとのラジカルな論が話題だ
ユーザーの便宜は、すでにストリーム(タイムライン)型メディアにある
との主張を基に、次のメディア形式をイメージしてみよう

Web メディアの表現形式をめぐって、ホットなトピックが出現しました。
Anil Dash という起業家兼ブロガーによる投稿「Stop Publishing Web Pages」がその発端です。
「ページ発行(パブリッシュ)を続ける Web メディアのスタイルに終止符を打とう」という刺激的なオピニオンです。

紹介するこのブログ記事を起点に、同氏「More On Streams vs. Pages」、Mathew Ingram 氏「What happens to advertising in a world of streams?」、John Battelle 氏「Musings On “Streams” And The Futre Of Magazines」、Richard Macmanus 氏「5 Reasons Why Web Publishing is Changing (Again)」と、短い期間に活発な議論が次から次へと現われています。
本稿では、起点となった「Stop Publishing Web Pages」からポイントを紹介します。

Dash 氏はこんな風に書いています。

多くのユーザーが、いまやアプリ内で多くの時間を費やす。Facebook、Twitter、Gmail、Tumblr……といった人気のアプリでだ。これら人気アプリは、基本的に、シンプルにひとつの“ストリーム”(流れ)に焦点を当てている。ひとつのストリームとすることで、ユーザーが“ニュースの流れ”を容易にスクロールし、ざっと目を通し、さらに深く知るためにクリックしたりできるようにしている。
(一方、)ほとんどの Web メディア企業は、“ページ”を発行するための道具であるCMSにコンテンツを投入することに時間を費やしている。ページの働きはWeb 創生期以来から基本的に変わりなく今も続いている。つまり、ページはひとつの記事、URL、そして山ほどのナビゲーション類(多くは広告なのだが)からなっている。
ユーザーは、ストリームが良いと決めているのだが、多くのメディア企業はページを次から次へと発行し続ける。Web を生成するシステムは、ページを作り続けるようにデザインされていて、(ユーザーのために)カスタマイズされたストリームを生成するようなものではない。

このブログ記事は“ストリーム”という汎用的な呼称を用いていますが、別の表現を用いれば、それは“タイムライン”です。
ユーザーにとって、Web からの多くの情報はいまやタイムラインを中心として流れ込むようになっており、それはページ型メディアを凌駕するものとなっているというのが論旨です。

左が“ページ型”、右が“ストリーム型”メディア形式
Stop Publishing Web Pages – Anil Dash via kwout

なぜ、ストリーム型メディアが、ページ型メディアに対して優位だというのでしょうか? ポイントを列挙してみましょう。

  • タイムライン型インターフェースは、ブログ形式から普及し、Twitter や Facebook に至って広く浸透した
  • 情報がほぼリアルタイムに次々と更新されるような状態では、情報を複雑な構造に配置するページ型より時系列を基準とするストリーム型の配信が、ユーザーにとって効率的な情報入手スタイルである
  • レイアウトが複雑なページ型は、スマートフォンのような小型スクリーンから、デスクトップ PC の大型スクリーンまでという汎用的な対応が難しい。構造がシンプルなタイムライン型は柔軟である
  • ページ型コンテンツはあまりに多くの広告やナビゲーション(操作系)を付随しており、ユーザーはこれを嫌っている
  • ストリーム型はシンプルな API を介して、アプリへ配信したりカスタマイズしたりするのが容易である

しかし、ストリーム型メディアへの移行を阻む要素も、もちろんあります。Dash 氏は大きく2つを挙げています。

  • ストリーム型メディアとしてコンテンツを配信するシステムやツールがまだ整っていない
  • Web 広告はページ型メディアとともに進化してきており、ストリーム型への対応は遅れている

前者について、ブログ CMS や Twitter、Facebook はあるものの、たとえば、メディア企業が本格的にストリーム型メディア基盤を用意しようとすると、試行錯誤を経た内製開発ということになりそうです。

後者は深刻な課題です。広告市場そのものが次なる成長源泉を追い求めており、Facebook、Twitter、Tumblr などが軌を一にして、“インライン広告”商材を投入してきているのはその現われでしょう。これが広告の常識をどのように変化させるかについては、別の論(「広告のコンテンツ化潮流は、メディア倫理を改めて浮上させる」)で述べました。

Dash 氏は、転換期のメディア表現形式を念頭に、次のように述べます。

ストリーム(型メディア)の生成を始めたまえ。メディア企業は、CMS を未来の方向に向かって移行を開始するのだ。
シンプルな API を用いてコンテンツを配信し、ブラウザでも専用モバイルアプリででも手軽に消費できるようにするのだ。
広告は、ストリーム内にコンテンツと同じフォーマットで挿入する。ユーザーは、ストリームを自由にスクロールし閲覧して回るはずだ。彼らがすでに日々Web でそうしているように。そして、ユーザーが欲しいコンテンツをストリームに取り入れる(あるいは、除外する)カスタマイズの機会を提供しよう。

筆者(藤村)が関心を寄せるデジタルメディアは、大きく2つの潮流を内在していると見ます。

ひとつは、印刷媒体の良さ、風合いをデジタルな形式へと引き継ごうとするものです。新聞電子版では紙面構成を子細に再現し、雑誌電子版ではページめくりの感覚やリッチな誌面レイアウトまで再現したいとするモチベーションです。
他方、これまでなかったメディア形式を“発明”しようとする流れも存在します。タイムライン形式を日常的なものとした Twitter などは、この代表格でしょう。

その両極のトレンドから見て、Web メディアの現在の立ち位置は、実は徐々にレガシーなものへと変色しているのではないでしょうか。
本稿で紹介した論者の鋭い視点から明らかになってきたと言えるかもしれません。

コンテンツソースを(RSS フィードのように)一元化し、その表示をスクリーンサイズや受信するユーザーのコンテキスト(ユーザーを取り巻く諸条件)に沿って多様化する仕組みが必要であることは、間違いありません。リッチなページ型メディア、他方でシンプルなストリーム型メディアとしてコンテンツを表示する、その両方を勘定に入れた、次なるメディア設計とビジネスモデルの開発が急を要しています。
(藤村)

ターゲットメディア論、書き換えの試み

ユーザーの情報ニーズに対し動的に反応するメディアにリアリティが増している
本稿では、従来から語られてきたターゲットメディアを見直し、
動的メディアとの接点を論じる

動的メディアへの道 “文脈”に即応するメディアの構想」をポストしてから、1か月が経過してしまいました。targeting
同ポストでは、スマートデバイスが関与することで、ユーザーの外的な文脈(場所や時間、利用デバイス種別)を識別できるようになり、コンテンツやその表現形式を動的に変化させユーザーに追随するメディアの実現に近づいたことまでを述べました。
本稿は、その“動的メディア”にさらに一歩踏み込もうとする試みです。

まず、筆者自身にとってのおさらいです。
なぜ、動的メディアなのか? それはユーザー(読者)にどのような価値をもたらすのか。と同時に、メディア提供者にはどのような意義があるのか。
考えられる解答は次の2つです。

  • ユーザーにとっての動的メディア……メディアが、ユーザーの刻一刻と変化する情報ニーズに追随できれば、ユーザーは情報消費へと専念できる。言い換えれば、「探す」「切り替える」といった2次的な作業を軽減できる
  • メディア提供者にとっての動的メディア……ユーザーは情報ニーズの変化に合わせて、利用するメディアを切り替えるなどで適切な情報を探索している。それは、メディアにとって逸失利益ともなる。動的メディアとなってユーザーのニーズに追随できればそのリスクを解消できるかもしれない

時間や場所、ユーザーの心理などを読み取ったメディアの可能性などと書くと、技術が進んだこの時代であっても“夢物語を”と笑われてしまいそうです。しかし、デバイスの進化、メディアの多様化が進展する中、このような進展がユーザーのメディア間移動を加速させているのではないかというのが、筆者の問題意識なのです。
言い換えれば、メディアはますます刹那的にしか、ユーザーとの間で“絆”を交わせなくなっているのではないでしょうか。
実際、米 Time 誌の研究開発チームが測定したところ、デジタル機器に慣れ親しんだ世代では、1時間に27回もメディアを切り換えているという調査結果さえあります(Time Inc. Measures Consumers’ Emotional Response to Media FolioMag)。
もちろん、このような“メディア切り換え(ザッピング)”は、ユーザーが手に入れたメディアの束縛からの“自由”と肯定する見方もあるかもしれません。しかし、コンテンツとメディアの過剰なまでの豊富化は、その煩わしさゆえに苦痛ももたらしているはずです。

このように、めまぐるしくメディアを切り換えるユーザー行動の背景には、非常に微細な情報ニーズ、文脈の変化が関わっていると見ます。
そして、その切り換え行動を可能にしているのが、メディアの豊富化と(デバイスの)操作性の向上でしょう。

では“変化する文脈”とはどのようなものでしょう。すでに紹介したことのある長谷川恭久氏の整理を再び借りてみます(「文脈によって活かされるコンテンツ配信」)。

  • 時間
  • 場所
  • ブラウザ
  • サービス / アプリ
  • ソーシャルネットワーク
  • デバイス
  • 回線速度
  • 天気
  • 言語設定

以上は、“技術的に取得できる”文脈と断わられています。
さらに、技術的に取得しにくい種類の文脈が想定されるのです。ここで詳細には踏み込みませんが、ポイントは“文脈=変化するもの”である、という点です。

筆者は、大手新聞サイトや大手ポータルサイトに適応されるような“全方位型”メディア以外の商用メディアは、多かれ少なかれ“ターゲットメディア”化せざるを得ないと考えています。
ターゲットメディアとは、簡単に整理すれば、

  • その読者の多くがどのような属性を有しているか、明瞭であるメディア
  • 取り扱うテーマや、雰囲気が明瞭に絞り込まれているようなメディア

の2つであり、そのいずれか、もしくは両方です。

全方位型(非ターゲット)メディアは、多くの読者がアクセスする一方、個々のテーマでの掘り下げは浅く、かつ平易です。他方、ターゲットメディアでは、数多くの読者にフィットはしないものの、個々のテーマは掘り下げられ、その分、読者から熱く支持されるという特性があります。
前者、全方位型メディアはコンテンツも読者も規模が大きく、それを運営するのにも体力、資源、そしてブランドも必要でしょう。
後者、ターゲットメディアは、極論をすればミクロなテーマに絞り込むことによって、市場開拓の余地はいまだに十分あります。また、広告や課金という収入の視点でも、他のメディアでは考えられないというぐらい絞り込まれたテーマと読者がうまくマッチするなら、可能性は拓けるはずです。

筆者のデジタルメディアの経験は、後者のターゲットメディアに属するものです。しかし、本稿の主題である“動的メディア”の可能性を考える中、ターゲットメディア論の深化や見直しの必要性に迫られるようになりました。

ここで、ターゲットメディアにおけるあるケースを考えてみます。
会員制メディアを運営していたとします。会員となるには、ユーザーは自身のプロフィールを詳細に申告する必要があり、サイトの利用動機や、年収、職業上の肩書き、決裁権限などが明瞭になったとしましょう。
そんな詳細なターゲット情報を活用して、商材情報(広告)を送り届けたとします。
しかし、それがユーザーの意識に強く響かなかったとすると、その理由には、ターゲット性と“変化する文脈”との不調和があるのかもしれません。

下世話なケースを想定すると、経営層であり高価な情報システムの導入に決裁権を有する人物をターゲットできたとして、昼時に新たな情報システムの導入を提案しても、その情報は、ユーザーが探そうとしている、近場で、美味しくリーズナブルなランチ情報の価値に劣ってしまうかもしれません。ランチの情報源は全方位型メディアであるにも関わらず、です。

これは思考実験ですが、静的なターゲティング(上記のような申告型のプロフィール情報など)のみでは、変化する文脈を捕捉する仕組みに劣後する可能性があるのは常識的に理解できるところです。

では、ターゲットメディアは、もはや無効なのでしょうか? そうではありません。
全方位型メディアから、メディア提供者や広告主が求めるようなターゲットユーザーを導き出すには困難がともないます(ただし、既出「『メディア価値』の希薄化にどう備えるか? 破壊的広告テクノロジーの登場がもたらすもの」で論じた新たなアドテクノロジーがその役割を果たす可能性はあるのですが)。
ユーザーが自身の嗜好に最適化した情報源を選別していこうとする場合、ターゲットメディア、もしくはターゲットされたコンテンツの収集は不可欠です。
一方、“変化する文脈”を追随できなければ、私たちのメディアは、ユーザーの選択として、あるいは、ターゲットした情報源を収集するアグリゲータらにその地位を奪われてしまうことは避けられないのです。

ようやく、“動的メディア”が登場する必然性を語れるところまできました。
次は、具体的な実装方法です。
変化する文脈の範囲をある程度パターン化することから、それは始まりそうです。近くそこに論を進めていと思います。
(藤村)