Web メディアの明日、その条件を考える

デジタルメディアの近未来形が誕生した。
“クリエイターと読者をつなぐ”プラットフォーム指向のメディア。
そのめざすものとは何か?
cakes の向こうに見えてくる Web メディアの未来形。その条件を考察する。

これまで当ブログでは、デジタルメディアの新時代を感じさせるソーシャルメディア、モバイルアプリ、そして、新タイプの Web メディアの数々を取り扱ってきました。
ソーシャルメディア、そしてモバイルアプリが、メディア界の新たなトレンドを生み出していることに異を唱える向きはないでしょう。
しかし、すでに十数年の“歴史”を有する Web メディアの分野にも新鮮な息吹を感じさせるプレーヤーが台頭しています。

本稿では、この9月に誕生したばかりの Web メディアの新タイプ、「cakes」(運営=ピースオブケイク)を取り扱います。
注目すべきポイントは、その

  • コンセプト
  • 設計
  • 収益モデル

です。

あらかじめお断りすると、本稿では cakes に掲載される記事等の善し悪しを論評の対象としません。
それが、読者にとり最終的な、そして最重要な視点であることはもちろんですが、ここでは新たなメディアビジネスの可能性やヒントについて焦点を当てたいと思うからです。

「プラットフォーム」性を打ち出す

cakes は、そのキャッチコピーで「クリエイターと読者をつなぐサイト」をうたいます。
これが何を意味するのか。
雑誌にせよ Web メディアにせよ(新聞や放送などマスメディアを除き)、元来、どのようなコンテンツを、だれ(読者)に提示しようとするのかを明瞭にアピールするのがならわしです。
言い換えれば、メディアは多かれ少なかれターゲット性を意図します。
その点、cakes はメディアとしてのターゲット性ではなく、代わりに「クリエイターと読者をつなぐサイト」、言い換えれば、プラットフォーム志向を表明するのです。
これを裏づけるように、ピースオブケイクス代表 加藤貞顕氏自身が「何を載せてもいいと思っています。cakes 自体はコンテンツプラットフォームで、僕自身もいろんな人にコンテンツをそこに載せていただいてメディアを運営します」(「cakes(ケイクス)でコンテンツのネット購買をとことん考えた」)と語っています。

コンテンツのテーマ性、対象たる読者層(読者ターゲット)を打ち出すのではなく、プラットフォーム性を真っ先にアピールすることは、クリエイターと“つながりたい”志向を有する読者に対し、メディアの新鮮な特徴を打ち出すことになるのはもちろんですが、クリエイターらに cakes への参画をうながす、ある種のマーケティングメッセージを意味します。
実際、そのコンセプトに共鳴してか、cakes はなかなか粒のそろった執筆陣を揃えたと見ます。しかしこの点は、上記したように深入りせず、メディアの試み、その特徴をめぐって論を進めていきましょう。

ノイズフリーなメディア設計

「Web サイト」という形式にこだわった cakes の特徴は(この点は「Web に、超一流作家のコンテンツを出せる場所を――cakes代表・加藤貞顕氏インタビュー」参照)、読者にとっては、余分な要素を極力排除したシンプルなデザインに集約されます。
下図を参照下さい。cakes のサイトデザインは、大きく Top ページと記事ページの2つ。いずれにあっても、従来の Web サイトが抱え込んできた“余分な要素”、すなわち多種多様なナビゲーション(誘導)と、同じく多種多様な広告表示からの自由さが際立ちます。

コンテンツ群に対する目次の役割を果たす Top ページでは、矩形に統一されたコンテンツのサマリが、画像系の共有サービス Pinterest のようにタイル状に並び、Web ブラウザの画面幅に合わせて動的に並びかえられます。そこには、雑誌のように編集長やデザイナーらのコンテンツに対する思いを強弱やレイアウトで示すような恣意性は見えません。

[cakes] トップ画面

[Cakes] Top ページ画面。左からPC、iPad、そしてiPhone

[cakes] 記事画面 左からPC、iPad、iPhone それぞれ縮尺は正確ではない

Top ページにおいてコンテンツを選ぼうとする読者の視線を惑わせる唯一の要素は、面白そうなさまざまなコンテンツへの誘惑があるのみ。“目移りする”という読者にとり最も喜ばしい混乱の体験がそこに構造的に演出されているのです。

いったん、選択した記事ページへと移動すれば、目移りする要素はさらに排除されます。多種多様な広告、ナビゲーション要素の混載は、これまでに培われてきた Web メディアの“常識”であったとすると、cakes が実現した、コンテンツの閲読に専念できるノイズフリーなページデザインは、実は、非 Web 的メディア、たとえば、電子書籍のようなものが念頭にあって打ち出されたものかもしれません。

ある特定のコンテンツを選択しそれを閲読する体験について、cakes は大変に良くできています。が、それがひとりの優れたディレクターによるコンセプトにだけ依拠しているものでないことは、それがサイト開設以来の短い期間にあっても少しずつ修正が続いていることからも確認できます。

cakes は比較的ライトなコンテンツ(特に1本当たりの文字量など)を意図していることから、モバイルユーザーとの親和性がすぐに想像できます。
しかし、モバイルへの最適化表示についてはステップバイステップでの改善項目のようです。
開設当初はスマートフォンの Web ブラウザから記事を読むには、思いっきり拡大表示する等が必要でしたが、現在はあらかじめ最適に近い表示がなされています。
ただし、たとえば iPad での閲覧は PC サイトと同じ表示で供されています。米国では、メディア戦略を語る際には、「デジタルファースト」や「モバイルファースト」といった括りに止まらず、最近では「タブレットファースト」の語が目につくようになってきました。残念ながら、cakes ではそのスタンスは薄いように見えます。

前述の加藤氏が、

今後は間違いなく多くの人がスマートフォンも含めてタブレットを持つようになります。今の iPad などのフルサイズよりももう少し小さい、スマートフォンよりも大きいサイズのものが一般的になるんじゃないでしょうか。
(同上「Web に、超一流作家のコンテンツを出せる場所を」)

と語っているところから、Kindle や iPad mini、そして一部の Android タブレットのように、7インチディスプレイをターゲットに最適化を図ってくることに期待したいと思います。

すべての可能性は、課金モデルが根幹に

メディアのビジネス、特にデジタルメディアの将来を考える人々にとり、cakes が感じさせる大いなる可能性と懸念は、広告収入モデルの廃棄と購読課金モデルが定着するか否かでしょう。

筆者(藤村)が当たり得た加藤氏をめぐる種々の記事では、広告収入モデルの廃棄を明言しているわけではないのですが、「(読むことに徹することができる)シンプルなサイトデザイン」という cakes の特徴は、この広告収入モデルとトレードオフの関係にあると想像します。

「プラットフォーム志向」もまた、定額課金(150円/週)を等しく個人から徴収し、一定の指標でクリエイターへと収入を分割還元していくモデルでクリエイターらの参画を促す方法論と緩やかに連結していることでしょう。
一般に Web サイトのビジネスでは、ユーザー数を増やす・閲覧記事数を増やすのが成功のための鉄則です。その指標のためには会員制や課金制がネガティブ要素になるため、なかなか読者を限定する手法が Web では根づかずにきました。
cakes では、この悩ましい点を、非購読会員でもサイトをアクセスし、記事を試し読みできる仕組みを可能な限り“自然”に感じるように実装しているように見えます。
また、クリエイターらが自らのコンテンツをソーシャル的にマーケティングしやすいように、時限的に無償公開できる仕組みなどにも工夫をしているとのことです(こちらの記事 → 参照)。

このように、cakes が打ち出した好ましい特徴の数々は、当然とはいえ、同サイトの収益モデルと不即不離の関係にあります。
ところで、この定額課金150円/週は、メディアにとりどのような意味があるでしょうか?

まずは1万人に早く到達したいです。今の収益配分のスキームを踏まえると、一定数の作家の方に、相応のお値段で仕事として依頼して遜色ない数字が成立するラインです。まずはこの1万人を当座の目標としています。
次の目標は10万人。この数字になると、上位の書き手は cakes への執筆だけで、かなりお金をもうけることができるようになります。10万到達くらいまでだと、いいコンテンツを作って集めるというのももちろんですが、出版社さんやいろんなメディアなどを含めてコンテンツのアグリゲーションをしていくのが軸でしょうか。オープンにしていくのは10万人を超えてからと見ています。
(同上「Web に、超一流作家のコンテンツを出せる場所を」)

このように加藤氏が述べています。まずは1万人の購読者が誕生するかどうかがポイントです。
また、150円は最近の週刊誌(月額はそれを4倍したものに相当する)と比較して圧倒的に安価です。
ましてや、読者が好むかもしれない特色のある月刊誌群が1000円前後すると考えれば、これまた価格競争力はあるはずです。

たとえば、下記のような視点があります。

cakes の「週150円」というお値段は読者である我々にとって、非常に良心的な設定となっていると言えるだろう。その安さで非常に充実したコンテンツが揃っているのだから、損は感じられないはずだ。誰か注目する人がいるなら、その人の記事を読むだけでも満足できる。さらに他の人に目を向けていけばどんどんお得さが感じられる。
この良心的な価格設定は、有料コンテンツの入り口として最適なものであると考える。
(ブログ 乱れなよ、そして召されなよ「有料コンテンツプラットフォーム『cakes』を眺める」)

このブログエントリでは、課金の値段は“良心的な設定”“お得”と評価されています。著名なブロガーらがこぞって配信する各種メルマガコンテンツの課金額を考えても、やはり同じ結論に到達するというわけです。
ここにさらに、cakes 以外では読めないオリジナルコンテンツが読める、という材料が加われば“最強”となりそうです。

明日の Web メディア

ここで筆者の視点を差し挟んでおきます。

私たちは情報過剰な環境下にあります。今後も過剰供給は高まる一方でしょう。
そこで価値が高まるのは、品質や好みという観点でのノイズの抑制であり、絞り込みの方向でしょう。
そのような価値観からすれば、実は“いくら読んでも150円”との、聞き放題ならぬ“読み放題”型モデルに対してささやかな抵抗感が生じてくるところです。

「いや、それが雑誌というもの」との声が挙がりそうです。

けれど、筆者個人としては、そのような費用対効用的な観点で雑誌を購読することをずいぶん前に止めてしまいました。
読まなければという記事が1本でもあれば、雑誌を単発的に購読します。
が、そうでないなら、購読しません。いかに、それが高名な筆者らがひしめく媒体であったとしても。
また、購読するものは一定のテーマ性を満たすものなど、読みごたえあるものに絞ろうと心がけています。そのような方向に向かってノイズフリーであるなら購読意欲が喚起されるのです。

cakes に対して、批判がましく語ろうとする意図ではありません。
というのも、cakes は“読み放題”モデルによって、それぞれのコンテンツや執筆者の価値や特性を“等価”に見せてしまう傾向がある一方、読者が気に入った特定のコンテンツを継続的(連載として)に読ませる仕組みが意識されています。読者からすれば、cakes は自分好みに特化したシングルテーマのメディアと見なすこともできるよう意図しているようにも見えるからです。

最後に cakes が明示的に、あるいは、可能性として見せている可能性から啓発されて、 Web メディアの未来系、その条件を改めて整理してみます。筆者の希望も交えたものです。

  • 読者の集中を阻害するような広告/ナビゲーションを排したデザイン
  • PC から各種モバイルデバイスなど、さまざまなスクリーンサイズに最適化したデザイン
  • フォント種別やサイズ、カラーテーマなどを選択できるアプリ的な設計
  • さまざまなデバイスからアクセスしても、未読/既読/履歴を統合的に管理できるデバイス非依存性
  • 読者自身が意図していなかった新たな書き手、コンテンツとの出会いの仕組み化
  • 好みのコンテンツやクリエイターに閲読を集中できるパーソナライズ性
  • クリエイターが、自身の読者をターゲットとして会話を、必要に応じて実現する仕組み
  • 定額課金による“読み放題”か、電子書籍のように自由な値付けによる有料コンテンツの購読システム(記事コンテンツの“iTunes Store”化)

筆者がワクワク感をおぼえるこれらのポイントには、いずれ Web を通じて実現するだろう新たなデジタルメディアの姿が映し出されているように思います。
(藤村)

※読者からのご指摘で「月額定額課金150円」を「定額課金150円/週」と修正しました。失礼しました。

執筆に当たって参照した記事等:

“出版の未来” プラットフォーム機能とエコシステムの形成

電子書籍のトレンドを追うようにして、セルフ出版型モデルが注目を浴びている
出版社の、編集の機能はこのまま衰弱していくのか?
出版社は垂直型の機能統合を弱める代わりに、
外部とのエコシステムづくりへ向かうべきではないのか?
出版の未来への道は、プラットフォーム機能の強化である

最近では出版社の役割について悲観的な論調を見かけるようになりました。
たとえば、Amazon による自費出版プログラム POD(プリント・オン・デマンド)、同じく電子書籍自費出版プログラム KDP(Kindle Direct Publishing)などが浸透していくとすれば、場合によれば出版社という中間機構、あるいは編集機能は無用(執筆者には投資対効果が合わない)という見方が飛び出してくるのもわからないでもありません(たとえば → こちら)。

このような変化を、あえて大ざっぱに整理してみましょう。

  • 従来の出版モデルでは、出版社がさまざまな分業を垂直的に統括しながら、流通プラットフォーム部分を分離して他社(流通事業者)に委ねていた
  • 今後に勢いを増すモデルは、流通プラットフォームの担い手が入れ替わり、さらに、出版社による垂直統合的なコントロールが消失し、執筆者のコントロールが前面に出るようになっていく

「あえて」ラフな対比を試みましたが、ここに第三の仮説が浮かびます。それはこうです。

  • 出版社の機能は消滅しない。ただし、垂直統合モデルのかなめとしての出版社の役割は後退し、代わってプラットフォームとしての役割、流通・マーケティングの機能へと比重を移していく

本稿は、未来の出版社は、プラットフォームとしての役割を拡大していく、との展望を提示するものです。

ジャズが好きな読者なら、だれもが知っているレーベルに「Blue Note」(ブルーノート)があります。そのブルーノートブランドを冠した興味深い iPad 版アプリがリリースされました。ただし残念ながら、同アプリの販売は米国・英国限定でわが国からはダウンロードできません。

iPad版 Blue Note アプリ。国内では入手できない

iPad版 Blue Note アプリ。国内では入手できない

では、そのアプリのどこが興味深いのかといえば、このアプリを取り巻く全体図式が未来の出版社の姿を示唆しているからです。
アプリを紹介する記事からポイントを整理してみましょう。
記事は Billboard.biz 掲載「Blue Note Records App for iPad Breaks New Ground With OpenEMI Initiative」です。
まず最初に、Blue Note アプリの概要について、記事の説明を借りて確認します。

アプリはダウロード無料で、伝説のジャズレーベルに関わるアーティストとアルバムのカタログを、豪華な映像や音楽で体験できる。また、月々2ドル弱を支払う会員購読者になれば、1000以上の楽曲ストリームを視聴することができる。他方、非購読者にはストリーム映像(楽曲)の表示が30秒以下に制限される。

アプリは、典型的な“フリーミアム”戦略を採用しているようで、無償ダウンロードでき、ブルーノートが保有するコンテンツのカタログ的な役割を果たします。と同時に、定期購読することにより、米国の音楽系サービスでは常識になりつつある“聴き放題”のサービスとなるという側面も有しています。
ところで、ポイントは、このようなアプリ企画が今後もさまざまな形で登場してくるらしいことです。その背景について説明を見ていきましょう。

(レコード会社EMI内のプロジェクトである)OpenEMI は、開発者にアプリなどの開発に専念させるべく組織された。OpenEMI チームは、権利保有者との関係をクリアにし、アーティスト、そのマネジメント、そしてマーケティング担当との企画協議を促す。
開発者は自らの開発成果の知的財産を保持しつつ、EMI へ販売ライセンスを行い、売上の40%を手にする。EMI はその残余を保持し、権利者への支払いとマーケティング費用に充てる。

OpenEMI を率いる EMI の上級幹部である Bertrand Bodson 氏は、「EMI のアーティストは良いアプリを持つべきだが、そのためには外部の開発者らリソースを刺激する必要があった」と述べます。
また、同氏は「われわれは、アーティストらと連携し優れたアプリを企画する力やビジョンを有しているが、正直なところ、最高のアプリを内製する力は持ち合わせていない」とします。
そこで、OpenEMI は外部のテクノロジー企業と協業し、アーティストら権利者と権利関係を調整の上、利用可能な楽曲コンテンツをデータベース化し、それを外部のアプリ開発者が容易に利用できるように API を整備することにしたというのです。
著名な楽曲や映像コンテンツを用いてアプリを企画し開発する際の最大の悩みが、ライセンス交渉のハードルにあると Bodson 氏は認識していたからです。
開発者らは、この API を通じて、膨大なライセンス可能な楽曲コンテンツにアクセスしてアプリを開発できると同時に、EMI は、その商用利用についての課金を的確に行えることになります。
記事ではさらに、OpenEMI がすでに480社の開発者に API の利用を許諾していること。そこからすでに50もの企画をオファーされていることなどを伝えています。

これから新たなコンテンツを企画し、出版していくための新たなビジネスモデルをどう構築するか。その課題の解き方と同時に、過去に創造された価値あるコンテンツ群を、いかに“再創造”しやすい環境へと整備するかというテーマが、ここに具体的に見えてきたといえます。
筆者がおもしろいと感じるのは、出版社が、コンテンツの権利調整とその再利用の仕組みを整備するという透明性の高いプラットフォームを担うことと、そこでコンテンツ素材を用いて新たな出版企画を実現するという、従来から持っている役割が互いに競合しないと思えることです。
プラットフォーム機能を果たすことで外部パートナーとエコシステムを形成することと、出版社自らが編集(企画)機能を活かして、コンテンツ製品を創り出すことは矛盾しません。
優れたコンテンツの価値は、たった一度の利用で費消されきってしまうものではないからです。

本稿冒頭で述べた3番目のモデルを繰り返すと、こうなります。

  • 出版社の機能は消滅しない。ただし、垂直統合モデルのかなめとしての出版社の役割は後退し、代わってプラットフォームとしての役割、流通・マーケティングの機能に役割を移していく。ただし、アプリの流通プラットフォームについては、Amazon、Apple、Googleらとの提携が必要になるだろう。収益の配分は流動化せざるを得ない

過去の偉大な資産を保有する(権利者との親密な関係を有することも、もちろん資産です)出版社が、データベースと API の整備で外部事業者とのエコシステムを形成していく流れは、ずい所で姿を現わしてきています(下記記事群を参照)。出版社はプラットフォーム化への道を将来戦略に取り入れるべきなのです。
(藤村)

執筆に当たって参照した記事等:

デジタル絶好調の米 Atlantic が打ち出す、近未来 Webメディア “QUARTZ”

近年、売上倍増、デジタル広告を中心的収入源へと成長させるなど
目ざましい展開を見せる米 Atlantic Media。
同社が開始した新メディアは、これからの時代の Web メディア像に触れるものだ
そのポイントを検証していこう

創刊155年を迎えようとする米国の超老舗メディア The Atlantic のデジタル路線が好調です。
同誌を傘下に擁する Atlantic Media オーナーの David G. Bradley 氏は、同社の最近の業績推移を「この4年間で、売上は2000万ドルから4000万ドルへと倍増し、3年連続黒字。特にデジタル広告売上が広告収入の65%に達した」と述べます(The New York Times Covering the World of Business, Digital Only“)。
同社の最近の業績は、印刷、電子いずれのメディア事業も好調とされていますが(「153年の老舗雑誌『Atlantic』、デジタル強化で勢い復活」参照)、とりわけても同社のデジタルメディアへの積極戦略が大きくものを言ったことに、間違いはありません。
そのデジタルメディアへの取り組みに長けた Atlantic Media が、印刷メディアを持たない“デジタルファースト”な Web メディアを最近スタートしました。老舗メディアであり同社の屋台骨をなす The Atlantic とは好対照に、これからの Web メディアのあり方を強く意識した意欲的なメディア。それが Quartz です。本稿では、Quartz のどこが新しく、デジタルメディアの未来を体現する点とはなにかを確認します。

まず Web メディアとしての新しさについて確認していきます。
Quartz は、印刷メディアとしての母体を持ちません。他方、スマートフォンやタブレット版アプリを(プラットフォームごとに)個別に用意することもしていません。ひとつの Web サイトで多種のスクリーンサイズや機器に対応する“レスポンシブ デザイン”のアプローチを採用しているのです。

Quartz画面(左からPC、iPad、そしてiPhone版)

Quartz画面(左からPC、iPad、そしてiPhone版)

上記の画面で左端が、大きなスクリーンを備えたデスクトップ PC の Web ブラウザから見た Quartz。中央は iPad の Web ブラウザから見たもの。そして、右端が iPhone で同じく Web ブラウザから見た Top 画面です。
iPhone 版では、そのスクリーンをフルに利用するため、他には備わっている左側サイドバーを排して記事のインデックス情報を広く表示します。左上にサイドバーに代わってメニューを表示するためのアイコンが設けられています。
この iPhone 版におけるメニュー表示など、明らかにモバイル向けアプリを模したインターフェースを用いています。モバイルデバイスからのアクセスを強く意識した“Web アプリ”の文法を採用したのが、Quartz の第一の特徴です。

次に、メディアデザインとしての特徴です。下図をご覧下さい。
Quartz の見た目上の大きな特徴は、Top 画面から新着順に記事を表示するブログ風インターフェースです(実際、同サイトはブログ CMS として最も普及した WordPress をベースに開発されたとのことです)。

Quartzのページ要素(左は記事先頭、右が記事末)

Quartzのページ要素(左は記事先頭、右が記事末)

すでに「ストリーム型メディアの勃興 Web メディアの転換点」 でも触れたところですが、Quartz では、印刷メディアに範を求めたページ型メディア構成を弱めて、ストリーム型(あるいは、タイムライン型)メディア構成を採用しています。各種記事テーマというカテゴリメニューはあるものの、基本はジャンル混在で、Top 画面から記事を垂直方向にスクロールしながら読み継ぐアプローチです。

記事タイトルをクリックして“ページ”へジャンプするナビゲーションは設けず、あたかも Twitter や Facebook などのように、ひたすら垂直方向に記事全文を連ねて表示していきます。読者に求められる操作の基本は、スクロールだけなのです。
ストリーム型のメディア構成を採用したことは、印刷メディア=ページ型メディアで常識であるような複雑なデザイン、記事を取り囲む各種メニュー、多種の広告とリンクといった煩雑な要素が極力抑制されることに結実しています。これも目に付く特徴です。

広告については、後ほども触れることになりますが、通常、記事タイトル上部および右サイドバー、そして下部、場合によれば記事本文中にも配置されるディスプレイ広告類が排除され、唯一、記事末(それは次の記事タイトルの上、でもあるのですが)に大型のレクタングル(四角の)広告が残されています。
他の記事などのへのリンクもほぼ排除されています。上記画面図内で強調しているように、サイドメニューやソーシャル系サービスへの投稿ボタンなどのコントロール類も悪目立ちしない色調を採用し、コンテンツ閲読への集中を乱さない配慮をしているのがよくわかります。

広告モデルについて、改めて整理しましょう。Quartz に現われる広告フォーマットはごくごくシンプルです。
Web メディアでは大小さまざまな広告フォーマットがてんこ盛りとなっているのが普通です。
タイトル上の大きなバナー、記事本文右ヨコにスカイスクレーパー、記事本文の上下にテキスト型、本文中にはレクタングル、そしてページ下端にリスティング型広告……といった多種の広告を配置することは、今となっては常識の範囲内です。
これに対し、Quartz では、タイムラインのように続く記事と記事の間に、比較的大型なレクタングル広告が現われるのみです。
しかし、このレクタングル広告と同時に、編集記事の間に差しはさまれて現われる[SPONSOR CONTENT]のサインが付されたネイティブ広告、すなわち記事体広告が重要です。
ネイティブ広告については、「『さようなら、ページビュー』 Webメディアの経済モデルが変わる」で紹介しました。ストリーム型メディアにおける広告フォーマットとして主役となりそうなのが、このネイティブ広告です。
簡単に確認しておくと、ネイティブ広告は、編集記事のトーンを活かすように制作した記事体広告が一般的であり、タテ方向に流れるコンテンツへの読者の集中を乱さないように設計されています。配置とそのテーストが、コンテンツに集中しようとする読者にエンゲージすることをめざしているわけです。
10月中旬現在の Quartz では、広告主4社がレクタングルとネイティブ広告の両方に現われます。大小様々な広告フォーマットがあれば、その数だけさまざまな広告主とクリエイティブを掲載できるはずですが、Quartz はそのような煩雑さを嫌ったようです。逆に、限られたフォーマットで十分な収入を得なければならないというプレッシャーが Quartz にあることはもちろんです。

最後に見えにくい点ですが、アグリゲーションメディアとしての Quartz にも触れておきます。
同メディア掲載の記事は、記事体広告を除き基本的に署名が付されています。この署名を見ていくと「Source: Reuters」「Source: Dezeen」というように他メディアからの転載(編集)記事にたびたび出会います。“ブレーキングニュース”、すなわち、速報的なニュースを追いかける代わりに、特定のテーマに沿ったコンテンツ(たとえば、「China Slowdown」「Low Interest Rate」といったテーマが掲げられています)を継続的にフォローするために、外部執筆者と配信元の多様化を重視したアグリゲーション型の編集姿勢打ち出しているのも、Quartz の特徴といえそうです。

以上を整理すると次のようになるでしょう。Web メディアの将来の方向性として意識すべき特徴といえるはずです。

  1. モバイルからのアクセスを強く意識、多種のスクリーンサイズや機器に対応するサイト構築
  2. ページ型構成を捨てストリーム型構成を軸とするメディア設計
  3. 煩雑な広告、コントロール類を排除して読者のコンテンツ体験純度を高める
  4. 多種の広告フォーマットを排除、ストリーム型メディアに適したネイティブ広告を重視
  5. コンテンツ配信元を多様化するアグリゲーション型メディアの方向性

これらの特徴を一挙に取り揃えてスタートを試みたのが、Quartz です。めざすは、世界各国のビジネスエリート層を対象として地域ごとに別版を作る前提、かつ、特定ビジネステーマに焦点を当てたミドル(中規模)メディアとのことです。
述べてきたような設計や特徴が、このビジネス系メディアとしてのゴールに寄与するのか注目してその成果を待ちたいと思います。
(藤村)

参照した記事等:

モバイル広告の成長を阻むものは何か? 英国デジタルメディアの主張

モバイル広告が売れない最大の理由は、エージェンシーの問題なのか?
英国のデジタルメディア企業に対する調査結果から、
モバイル化トレンドの中、課題に直面するメディアの動向が見えてくる

英国のデジタルメディア運営者らによる協議団体 Association of Online Publishers(AOP)が、会員を対象とする調査結果を発表しています(AOP Content and Trends Census 2012:調査結果全文は会員限定公開)。
調査は、モバイルメディア市場の状況をメディア企業らがどのようにとらえているかというデータ、そして、今後どのように取り組むべきかについての分析を示しています。
示された内容は、わが国のデジタルメディア関係者にも見逃せない結果となっています。

本稿は、AOP 自身による調査のハイライトを伝えるレポートの紹介を中心に、筆者自身の見解を交えていくものです。

モバイル広告 成長を阻害する要素

最初に物議を醸しそうな調査結果を示します。
英国のデジタルメディア企業らは、モバイル広告(スマートフォンおよびタブレットの広告市場)の成長を阻害する第一の要因を「モバイル市場に対するエージェント(メディアレップ)の姿勢」と見ています。
第二は「実入りの少ないネットワーク広告」。そして、第三に「社内の営業スキル(不足)」です(下記チャート参照)。

スマートフォン/タブレットからの売上増収の阻害要因|UK Association of Online Publishers Content and Trends Census 2012より

スマートフォン/タブレットからの売上増収の阻害要因|UK Association of Online Publishers Content and Trends Census 2012より

ここでいう「エージェントの姿勢」とは何でしょうか?
おそらく、メディアレップらが販売したい、あるいは販売しやすい広告商材は Web 系の広告商材であり、モバイルのそれは、2次的、あるいは従属的な商材としか見ない。このような現象と想像できます。
それは、印刷媒体が中心的な広告商材だった折に、Web 広告商材が直面したものに酷似しています。
メディア企業のために広告を販売するエージェントの多くは、モバイル広告商材だけでなく、従来の Web 広告商材も販売しています。
両者を比較すれば、モバイル広告は価格帯から、あるいは、その効果(測定)その他、Web と異なる販売スキルが求められるという点においても、いまだに Web 広告商材ほどにこなれたものではないということかもしれません。
また、Web 広告では行動ターゲティング、リターゲティングなど、大量の広告在庫を用いながら表示精度を向上させるテクノロジー面での進化を続けていますが、モバイル分野ではまだ、読者ターゲティングの決め手となる商材開発が進んでいないことも背景にあるでしょう。

モバイル広告売上が伸びない要因の第二は、ネットワーク広告と見なされています。
ネットワーク広告(その代表格は、Google、Apple が提供しているものです)は、メディアレップや企業内営業組織が満たせない需要を収集する役割を果たしますが、精読率の高いモバイルユーザーを魅了する高効率な広告フォーマットを、モバイルメディアに提供できずにいます。また、上記のように十分な個人ターゲティングの仕組みを持たないなど、成熟前期を脱しきれずにいます。
さらに、第三の阻害要因にあげられた社内の営業もまた、第一の要因とされた、エージェントの取り組み姿勢がモバイルへとシフトしない不満とまったく同様の現象でしょう。モバイル広告の魅力を活かした営業をなし得ない状況にあるという結果を示しています。自社内外の営業組織や要員が、いまだモバイルへ注力しきれないという状況が見えてきます。

トラフィックの成長とモバイル広告の未成熟

上記のデータで注目すべき点があります。モバイル広告増収の阻害要因として「読者層の規模」をあげる意見に対し、上記エージェントの取り組み姿勢を指摘する声が倍近くある点です。
言い換えれば、読者層の開拓もしくは今後のその成長には、相対的に楽観的であるということです(これは、スマートフォン市場について。タブレットについては大きく懸念が表明されている)。

レポートはこう述べます。

モバイルからの収入の潜在余力を十分に満たすまでにはさらに時間がかかるだろう。
調査では、87%のメディア企業が少なくとも11%のトラフィックをモバイルから得ていること。そして、そのトラフィックから6%程度の売上を得る者がたったの29%にしかすぎないということが判明した。
しかしながら、メディア企業らはモバイルを通じたコンテンツ消費から得られる増収の可能性について、依然として肯定的だ。
タブレットメディアの91%、モバイル(スマートフォン)メディアを運営する85%が、来年における大きな事業機会の成長を予測している。

成長へ向けた事業戦略

このような調査結果やその他データを交え、AOP のレポートはモバイル化トレンドの下、メディア企業の動向について以下のポイントをあげています。

  • (モバイル分野の)広告収入は力強く成長する。——12か月以内にエージェントらはモバイル広告の需要が倍増するのを確認することになる
  • メディア企業は個別プラットフォーム専用のコンテンツ供給を止めていく。——コンテンツ形式を可能な限り多様なプラットフォームへと自動的に適合する技術を活用することになる。たとえばひとつのCMSによってすべてのプラットフォームへコンテンツを配信するなどである
  • コンテンツのばら売り手法の活用が成長する。——(メディア企業は)たとえば、New York Times と Flipboard が提携した事例のように、メディア企業は、サードパーティとの連携によりコンテンツのつまみ食い的な利用法を拡大していく。これにともないコンテンツ単位での課金手法も成熟していく
  • ユーザーデータの価値がますます高まる。——ユーザーは無料で品質の高いコンテンツを手に入れる代わりに、自らのデータを差し出すモデルを受け入れていく。それにより、ユーザーに関するデータ資産の潜在価値はますます高まる。この分野はメディア企業がより一層焦点を当てる分野となる

以上は、私たちが直面する状況に照らしても、日英の市場動向に大きな差異はないといえるでしょう。
わが国のデジタルメディア企業にとっても、このレポートが示唆的である点は、以下の4点に集約できるはずです。

  1. モバイル市場の成長に見合った売上のシフトが進んでいないこと
  2. その理由として、販売に関わる層で特にモバイルへの適合が進んでいないという人的・組織的課題がある
  3. しかし、状況は、今後1年程度で大きく進展するだろう
  4. そのためにも、技術的採用による高効率化と新たなビジネススキームへの挑戦が必須である

これからの12か月が重要な時期になるとレポートは伝えているのです。
(藤村)

アップルとの決別以後を語る フィナンシャルタイムズ HTML5 アプリ戦略の現在とこれから

ネイティブアプリを向こうに回して、HTML5アプリ路線を推し進める Financial Times
本稿では、そのHTML5アプリをめぐる戦略の現実と、将来に向けたモバイル戦略を紹介する

昨年(2011年)夏、Apple が決めたアプリ内課金収入をめぐる規約の厳格化に反発し、英国の経済紙 Financial TimesFT)が Apple の運営する「App Store」でのアプリ配布取り止めたことは、よく知られた事実です。
FT は、App Store からの撤退に合わせて、HTML5 を用いた Web アプリをリリースし、従来のアプリユーザーに対しそちらへの移行を促したのです(その経緯については → こちら を参照)。
以後、OS やデバイスを特定したアプリ(これをネイティブアプリと呼びます)開発を今後も促進すべきか、あるいは、FT が選択したように、プラットフォームの差異に影響を受けにくい、(Web ブラウザから利用する)Web アプリを開発していくかべきかという、“ネイティブ vs. Web”議論がいまに至るまで続くことになります。

Financial Times の HTML5 アプリ 左)ブラウザからアクセスすると、アプリへ誘導される 中)アプリへアクセス中 右)ブラウザ内でアプリが起動した

Financial Times の HTML5 アプリ 左)ブラウザからアクセスすると、アプリへ誘導される 中)アプリへアクセス中 右)ブラウザ内でアプリが起動した

この議論には、HTML5 の成熟度をめぐる純粋に技術的な論議もさることながら、OS やデバイスをつかさどるベンダーと開発者との間のビジネス面での利害得失に絡む側面もあり、複雑な様相を見せています。

本稿では、昨夏、反 App Store 戦略を打ち出し一躍注目の的となった FT アプリの現状と、そのビジネス戦略、そして HTML5 アプリの将来性などについて、FT 電子版責任者への最新インタビューの紹介を中心にして整理をしていきます。
紹介するのは、TabTimes 掲載「The Financial Times marches to a different app drummer; embraces HTML5, Android, Windows 8」(フィナンシャルタイムズは、アプリで他と違う道を行く HTML5・Androdi・Windows 8 を強く支持) です。語るのは、注目を浴びてすっかり有名となった FT 電子版の総責任者 Rob Grimshaw 氏です。

記事は、FT 電子版の有料購読者が、この7月にはじめて印刷版のそれを上回ったとします。さらに、電子版が5月に200万ユーザー、9月には300万に達するなど順調に成長しているとしています。この数字には、ユーザー登録制の無償閲覧者を含んでいます。ちなみにこちらの 記事 では、昨年8月段階で FT のネイティブアプリユーザーは「55万」であったとしています。
さらに、電子版の新規購読者の15%がモバイルユーザー(スマートフォンおよびタブレット)であり、そのモバイルユーザーからのアクセスが、すでに Web サイト全体の1/4に達しているとのことです。

この順調な成長を受け、「HTML5 アプリは、ネイティブアプリとの闘いで勝利に近づいている」と Grimshaw 氏は胸を張る一方、アプリ開発者の興味深い動向を以下のように語ります。

開発者は、ハイブリッド型アプリの開発を増やしています。
ハイブリッド型アプリとは、ほとんどのコードを HTML5 で書きつつ、ストアで配布するために、あるいは、ネイティブアプリならではの機能を追加するために、軽いネイティブ(アプリとしての)ラッパーで HTML5 のコアコードをパッケージしたものです。

ここで語られる(HTML5 アプリをくるんで、ネイティブアプリに見せる)「ネイティブラッパー」とはどんなものでしょうか?
Publickey の記事「HTML5 のモバイルアプリを“ネイティブアプリ化”する『PhoneGap』が正式版に。オンラインでの変換サービスも発表」が参考になります。

jQuery Mobile のようなマルチデバイスに対応したモバイルアプリケーション用フレームワークと組み合わせると、HTML や JavaScript などの Web 標準の技術で容易にマルチデバイス向けアプリケーションを開発し、それをさまざまなデバイスに対応したネイティブアプリケーションへと変換可能になります。

ネイティブ化したアプリケーションは、当然ながら AppStore や Android Market(引用者注=現在はGoogle play と改称)などで販売可能です。

ただし PhoneGap のネイティブアプリケーション化は、ネイティブコードへとコンパイルするのではなく、Web アプリケーションをラップして実現する方式なので、アプリケーションの実行速度はそのままです。

「PhoneGap」というフレームワークに関する記述ですが、Grimshaw 氏が語るネイティブラッパーは、おおむねこのようなもののはずです。
開発者(アプリ提供者)にとり、ネイティブラッパーがもたらすメリット・デメリットは、次のようなものです。

  • アプリのコアとなる部分を、HTML5 によって OS やデバイスに依存しない実装を行うため、開発済みアプリを他のプラットフォームへと移植する際の変更を軽減できる
  • Web 標準である HTML5 中心の開発ながら、ネイティブアプリの姿を持つため、App Store 等で配布、販売が可能
  • OS 固有の API 等を用いない分、アプリの実効速度などでネイティブアプリに劣る。同じ理由で、OS が固有に提供する機能や UI などを利用できないケースがある

ここにアプリビジネスの展開という面で面白いことに気づきます。
冒頭述べたように、FT はApple によるアプリ販売面での規約厳格化と衝突し App Store とたもとを分かったのですが、ネイティブラッパーでパッケージする手法とは、むしろ Web 標準で開発したアプリをネイティブ化することでストア経由で配布するための手立てであるのです。
技術における原理主義的論争のように伝えられがちな“ネイティブ vs. Web”議論ですが、実はストア(App Store や Google playなど)を司るプラットフォーマーとアプリ開発者との間の虚実ある駆け引きの面が強いことがわかります。

記事に戻りましょう。Grimshaw 氏はこう語ります。

アプリの販売環境(ストア)は、アプリ提供者にとって重要な課題です。読者との関係を築こうと思っている(FT のような)プレーヤにとってはなおさらです。
私たちは、いかなるストアとも取引するのに支障はありませんが、もし、読者との直接の関係を築けないなら、そこにはいられません。(読者との直接的な関係性は)高価な広告販売や購読制を維持するための死活問題なのです。

Apple は、頑固で実利主義的です。彼らは30%(手数料を)徴収できると思えば取るでしょう。アプリ提供者の使命は、資産は自らが築くべきだということです。多くのメディア企業は、その素晴しいコンテンツによりブランドや資産を築き上げきたのですから、自らの存在を人に伝えるためだけに Apple  や Androidのストアにいなければならない必要はないと思います。もし、ストアの規約が自らに適さないのであれば、自信を持ってそう振る舞うべきなのです。

同氏が語るのは、プラットフォーマーとの付き合いはケースバイケースだということです。
それを裏づけるように、記事は、FT がメジャーのメディアとしては初めて Windows Store でアプリを配布を始めた存在であること、また、Google play でもネイティブアプリを配布している事実をあげます。
その理由を、同氏は両ストアとの関係が極めて良好、言い換えれば好取引条件(ユーザーのデータを保持できること、アプリ内課金への非チャージ)であることを明瞭に認めているのです。
つまり、FT が推進する HTML5 アプリ化戦略は、多プラットフォームへの適合という観点での開発生産性を高めるメリットと、ストアとのタフな条件交渉を優位に進める手法でもあることがわかります。
ストアの集客力等を活かしてネイティブアプリをマーケティングするのも、あるいは、ストアとの条件交渉が決裂すれば、独自のマーケティングを行うことも可能という、意思決定の自在さを担保する後ろ盾だという意義が見えてきます。
FT の HTML5 アプリ戦略は、ストアから単に遠ざかるための施策ではなく、ストアでの販売、ストア外での展開のいずれをも柔軟に採用できるためのものなのです。

最後に、FT 電子版が見ている近い将来のニュースメディア市場について確認しておきます。

今のところ、私たちのメディアではモバイルと PC からのアクセスは継続的に伸びています。読者はかつてはあり得なかったような状況からモバイルでアクセスしてきます。また、デバイスを取っ替え引っ替えしながら、1日中 アクセスしてきます。
しかし、この状況は変化します。1年か2年の間に、モバイルからのアクセスがメインとなるでしょう。中国やブラジルを見てください。人々は最初からモバイル経由でインターネットにアクセスしているのです。モバイルは、短期間で PC からのアクセスを“絶滅種”へと追い込んでしまうでしょう。

Financial Times 電子版の戦略の現在と未来が確認できたと思います。FT はまず印刷版購読者を電子版のそれが追い抜くことを肯定しています。
また、PC からのアクセスのための Web メディアを維持しつつ、モバイルデバイスからのアクセスがあれば、それを HTML5 ベースの Web アプリへと誘導し、着々とモバイルユーザーを獲得しているのです。
いずれ、モバイルからのユーザー層が同社の主要な読者層になると分かっているからです。ニュースメディアの未来を見すえたその動向を、今後も見守っていかなければなりません。
(藤村)