メディア企業 vs. テクノロジー企業 「配信」テクノロジーをめぐる攻防

コンテンツと配信(流通)の融合体であるメディア。
押し寄せるテクノロジーは、旧来の配信を刷新し、
メディア(企業)の存立に大きな影響を及ぼそうとしている。
本稿は、メディア(企業)のテクノロジーへの取り組みを考える。

最初に非常に乱暴な筆者(藤村)の仮説を述べておきます。
メディア(企業)に変革を余儀なくさせる、破壊的な要因とは「配信(流通)」である——。

「配信」とは、現在では、そのまま“インターネット技術”と言い換えることができます。インターネット技術の進展がメディア(企業)に変革を迫っていることは間違いありません。
私たちが語る「メディア」の語源が、媒介物やその手段である“medium”であるとすれば、媒介手段はメディアにとり根源的、決定的な要素のひとつであるのは自明です。
また、この媒介手段=配信こそ、時代における最新技術の影響を非常に受けるものであることも理解できます。
複製、印刷、運搬、電送、放送、光磁気ディスク、そしてインターネット。
これらを「配信」テクノロジーと総称するなら、それがいかにメディアの発展に決定的な影響を及ぼしているかすぐに想像がつきます。
もうひとつ、配信をめぐってのポイントがあります。
それは、20世紀に大きく開花した“四マス”(新聞・テレビ・ラジオ・雑誌)は、そのいずれも開業、運営維持に大きな資金や設備の集約が必要だったということです。
印刷機械、放送設備、運送や中継基地などの整備は巨額の資金を必要とし、それが独占と言わないまでも参入障壁を形成してきた面もあります。

このように配信をめぐる議論は、どれも資金や設備、それにまつわるノウハウなどで、要するにコンテンツ以外の部分についてであることに気付きます。
そして、メディア(企業)の地位を揺るがす変動もまた、非コンテンツ領域から立ち上がってくるのではないでしょうか。
メディア(企業)の多くが、現在のインターネット全盛期にあって、配信テクノロジーの大変革の波にさらされています。

先に拙稿「メディア戦略 これからの20年を展望する」で、Ben Elowitz 氏の下記のコメントを紹介しました。

コンテンツ企業は、(すぐれた)流通企業でなければならない——。
この考えは決して目新しいものではない。Timeや(「Better Home」誌や「Gardens」などを擁する)Meredith は、ダイレクトマーケティングの仕組みを何年にもわたり築いてきた。しかし、多くのメディア企業の精神的支柱は、依然として“コンテンツ魂”のほうに止まっている。
(コンテンツの)流通は、過去20年の間に大規模な変化を遂げている。そして、その変化の勢いは、消費者の時間消費がモバイルとソーシャルによりますます変化を加速する。
メディア企業には、流通のマイスターとなる以外の選択はない。

「過去20年の間」とは、まさにインターネット・メディア勃興の時期と符合します。
インターネット技術が根本的にメディアの配信要素を刷新しようとしている事態に、メディア(企業)は早急に適合すべきと述べているのです。
ここでは、メディア企業自らの変身(流通のマイスター化)を促していますが、そう穏やかではない別のオピニオンも紹介しておきましょう。

長くインターネットのメディアや広告に携わってきたベンチャー経営者 Eric Picard 氏が「Why Media Companies Are Being Eaten by Tech Companies」(翻訳記事 SEO Japan「メディア企業がテクノロジー企業に喰われる理由」以下、同記事より引用)という論をポストしています。
Picard 氏の指摘は、Elowitz 氏ほど穏やかではありません。すなわち、配信テクノロジーの破壊的要素をテコに、これまで見かけなかった挑戦者が続々とメディアの地平線上に姿を現わしており、変化の前に逡巡するメディア企業を、まさに「喰ってしまおう」としているというのです。

テクノロジー企業が参入し、メディア企業を破壊しているとして論争が起きている。
……しかし、この問題は非難を浴びがちなグーグルだけに当てはまるのではない。アマゾンもテクノロジーの利用を介して流通モデルを変えることで、書籍業界を破壊しており、そして、明らかに雑誌、ラジオ、そして、動画のコンテンツにも狙いを定めている。 マイクロソフトは、電波到達範囲が拡大を続けるXboxを介して、エンゲージメントモデル、そして、コンテンツの配信をリビングルームにもたらし、さらに、ウィンドウズ 8、最新のタブレットデバイスのサーフェス、そして、スマートフォン – ここでもテクノロジー -を用いてメディア化を続けている。
アップルは、様々な配信媒体を管理することで(デバイスに搭載されたアプリ)、配信モデルを一新するだけでなく、配信者には – テクノロジーを用いて – 通行料を請求している。フェイスブック、ツイッター、そして、その他のソーシャルメディアは、発見および配信を独自の方法で – よく分からないが、テクノロジーをベースにした方法で – 破壊しつつある。

繰り返せば、メディア(企業)が、ゆっくりと変身を遂げようとする間に、数多くの(非メディア企業である)テクノロジー企業が、その領土を猛スピードで開墾しつつあるのです。
テクノロジー企業の武器は、かつては配信をめぐる技術そのものであり、いまやそれは新しいビジネスモデルの構造へと変化しつつあります。
HTML、CMS、広告配信サーバー、検索エンジン、リスティング広告、スマートフォン・タブレット、タッチインターフェイス、App Store(Google Play)、ソーシャルグラフ、レコメンドシステム……とこのようなものです。

かつてメディア(企業)にとり、配信はコスト、ノウハウを要するものでした。
いまでは、上に列挙した技術的要素は、それぞれ大きな価値を持つものでありながら、同時に非常に安価でだれもが利用可能なものになっています。
まさに、「出版は(もはや職業や産業ではなく)、“出版する”というボタンになってしまった」(クレイ・シャーキイ氏)というわけです。
このようなコストやノウハウの大幅な軽減は、メディア運営への参入障壁を押し下げ、ゲームへの参加者数を劇的に増やす効果をもたらします。

評論家の佐々木俊尚氏は、かつてメディアの配信(流通)構造を、

  • コンテンツ
  • コンテナ
  • コンベヤ

の3層で説明したことがあります(『2011年新聞・テレビ消滅』)。
コンテンツという内容物を、コンテナという容器に載せてコンベヤで運ぶという図式です。
音楽、映像、ニュースなどさまざまなメディアをこれによって説明できます。
「コンベヤ」という伝送路がインターネットに大規模に収れんしていることと、コンテンツは各メディア(企業)や書き手らに属するとなれば、「コンテナ」はだれが担うかが焦点となります。

インターネット上には、検索エンジン、(ニュース)ポータル、ソーシャルメディア、ブログサービス、そしてアプリストアなどを提供するテクノロジー企業が、このコンテナ部分に殺到してプラットフォームとしての地位を築こうとしています。
「コンテナ」としての役割をテクノロジー企業が確立してしまえば、メディア(企業)に残されるのは、「コンテンツ」の部分だけに狭ってしまう、これが Picard 氏や佐々木氏の視点です。従来のメディア(企業)は「コンテナ」(配信)部分にも影響力を発揮していたにも関わらずです。配信をめぐる闘いの重さがここにあるのです。

ここで筆者(藤村)の見解を交えると、以下のようになります。

「配信」というテーマが、安価に大規模にを目標としてメディア(企業)の生産性を高める、という意味なら、その闘いはほぼ終えんしている。
企業用のコンテンツ配信システムである CMS を、自前主義で、あるいは流通するアプリケーション導入を通して、大規模に再構築すべき時期は過ぎようとしている。
日々変化するメディア(企業)の置かれた環境では、“すべての要望を満たす”ようなシステムの構築を考えるより、適切な技術を柔軟にプラグインしていく方向が妥当だろう。
そのような意味で、テクノロジー企業の攻勢にさらされているのは、旧態依然とした印刷や放送メディア企業だけでなく、デジタルを標榜しながら従来のメディア(企業)に範を取り配信をめぐる集約化を進めてきたデジタルメディア(企業)も同様の可能性がある。

配信のテーマは、すでに存在するコンテンツをいかに柔軟にさまざまなデバイスやソーシャルグラフへと届けていくか、あるいは、その先で、読者との強いきずなを引き寄せるのか。
また、それを収益可能性といかに関係づけていくか、といった多様な応用問題を解くフェーズへと移っています。
当ブログで取り上げてきたように、 このような問題を解くために、数々の新テクノロジーやアイデアとの協調関係に取り組もうとするメディアの変身がそこここで起きているのです。

メディア(企業)は、テクノロジー(企業)の進攻にどう対処するのでしょうか。
Picard 氏は次のように述べています。

メディア企業は、配信の管理を基に歴史的な強みに頼るのではなく、鍵としてテクノロジーを受け入れなければならない。 そのためには、優秀なエンジニアが必要である。

要するに、エンジニアを雇う、養成するというスタートラインに立つことですが、ここには問題があるとも書いています。

多くのメディア企業は、既存のエンジニアリング組織を従来の IT モデルの延長線として扱い、二流のエンジニアが – 組織全体に配置されていることがよく見受けられる。

メディア企業がテクノロジー企業に伍していくためには、自社のコンテンツ資産を新しい時代に適合したビジネスを遂行するために優れたエンジニアが必要です。
しかし、往々にしてメディア企業はエンジニアをそのような革新的な取り組みを行わせるための環境づくり(組織づくり)に不得手だというのです。
Picard 氏のある種の結論は、メディア企業内でイノベーティブな役割を発揮させるべく、エンジニアらを社内ベンチャー的ポジションに置くべきということに尽きます。
筆者(藤村)はこの論に深くうなずきます。しかし、Picard 氏も書くように、そのようなエンジニアの採用や組織的な扱いに不得手な組織では、それも絶望的に難しい取り組みでもあります。

であればどうするのか?
外部のエンジニアリング集団との協業スキームを築くことが、次善の策となるでしょう。
そのためには、テクノロジーの重要性やエンジニアらとの協調に関心や経験を有するプロデューサーだけでも、雇用し養成していく必要があります。
プロデューサーは、テクノロジー企業に伍して、あるいは、テクノロジー企業のプラットフォームを活かして、コンテンツと配信面での自社の優位性を個々のプロジェクトを通じて築いていくことになるはずです。
プロデューサーを通じた内外の組織的な連携や、外部のテクノロジー企業との協業については、次の機会にオピニオンを述べたいと思います。
(藤村)

「広告に別れを告げる」 課金型コンテンツの伸張とコンテンツマーケティング

調査会社 Forrester Research が課金型コンテンツの成長予測を発表した。
広告を伴わないコンテンツ分野の増加は、マーケティングに変化を促す。
やってくる広告フリーなメディアの時代を読み解く。

最近、調査会社 Forrester Research が、ヨーロッパにおける課金型コンテンツビジネスの成長予測を発表しました。
残念ながら、レポートの詳細は高価な課金型コンテンツ(!)のため入手できませんが、概要をリリース(FORRESTER: EUROPEAN PAID CONTENT REVENUE TO GROW BY 65%, REACHING €10.2 BILLION BY 2017)で公開しています。また、詳細レポートを参照した紹介記事(the Gurardian Online paid-content market poses threat to traditional advertising)も現われています。

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本稿では、Forrester の調査と考察を紹介していきます。
ポイントは、今後の数年で少なくとも欧州では課金型コンテンツビジネスが成長すると見込まれる一方、従来型広告ビジネスが縮退していくというものです。
調査結果とその影響を、同社のリリースと上記紹介記事を組み合わせながら追ってみましょう。

欧州における好調な音楽、動画、ゲーム、そしてニュース系の課金ビジネスの存在によって、西欧におけるコンテンツ購買者は増勢基調にあり、今後の5ヵ年で8〜12%成長すると見込まれる。
課金コンテンツ収入は、2017年までに65%成長し、1兆3000億円規模に達する。
特にスマートフォンとタブレットの浸透が課金コンテンツ市場の成長を支え、2017年の課金コンテンツ収入の20%はタブレットユーザーによるものと予測する。
この成長は、ネット接続機器の浸透、海賊行為への取り締まり強化、そして、Spotify や Netflix など購読型サービスが人気を集めていることなどに牽引されている。
ただ、一方でこれらサービスの進捗が、無料コンテンツの推進によって可能だった純粋な広告掲載によるマーケティングの破壊が引き起こしている。

古典的な宣伝を用いたマーケターの手法は、新たな破壊的進化に直面する。それは“課金型コンテンツ”である。

デジタルメディアをめぐるマーケティングの観点から、課金型コンテンツの伸張は何を意味するのでしょうか?
この点について、調査を取りまとめた Forrester アナリスト Darika Ahrens 氏が自身のブログで、短いながら興味深い考察を示します(Goodbye Advertising, Hello Content Marketing?)。

マーケターが従来型の広告手法を用いて消費者にリーチできるチャンスが、少なくなる

購読課金型の人気サービスがコンテンツ消費スタイルが牽引していけば、メディアが、収入を広告主からの純粋な広告に依存していく余地が限定的になる。さらには、消費者(読者)は広告フリーなコンテンツモデルへの欲求を高めていくことになる。

ブランド(広告主)は失地挽回のためにコンテンツ能力を高める必要がある

課金型コンテンツが増え広告機会が減少することは、広告主にとり悪いことばかりではない。Forrester の予測が示すものは、消費者(読者)がコンテンツの価値を尊重しそれを求めるということである。マーケターは、自らが扱うブランドの影響力を、コンテンツ能力を高めることによって継続しなければならない。

筆者(藤村)の見解も交えながら整理していきましょう。
従来、インターネット上のコンテンツやサービスは、無料でなければ消費者に受け入れられないとされてきました。
Forrester の調査によれば、その通念はいまや様変わりしようとしています。
消費者は支払う意志を持っているが、それを強く動機づけるようなサービスが欠けていたのだというのです。
しかし、米国、欧州では人気の購読課金型サービスがいくつも誕生しています。
また、支払いに手間のかからない Amazon や iTunes Store、そして Google Play のように、サービス・購買・インストールなど、ソフトからデバイスまでを通貫するようなユーザー体験の整備が進んでおり、“良いコンテンツへの尊敬が課金に結びつく”習慣が徐々に生み出されているのです。

課金型コンテンツ市場の拡大は、もちろんメディアビジネスを継続可能なものとするために暗中模索してきたメディア関係者のひとりとして朗報と受け止めます。
と同時に、そこに副作用が生じようとしていることも Forrester は指摘しています。それは、純粋な広告市場が縮退しようとしていることです。
課金コンテンツ市場の拡大と広告市場の縮退とは、“鶏と卵”のように円環する関係なのかもしれません。
ここで、メディアビジネスに携わる諸氏に注意を喚起したいのは、課金型コンテンツの普及は当然のことながら広告を掲載しないコンテンツが増え、広告掲載を意図しないメディアが増えてくることを意味します(たとえば、「Web メディアの明日、その条件を考える」参照)。読者からの支払いによって運営を成り立たせたいとの願望を有するメディアは、多いはずです。
デジタル分野でのマーケティングを行う事業者やプロフェッショナルは、これまでのような広告枠を買って広告クリエイティブを掲載するという、広告による古典的なマーケティングスキーム以外の道をいずれは準備しなければなりません。
いや、そもそも純粋な広告自体が、読者のアテンション(注目)を集められなくなってきていることの帰結として、いまそれは起きてしまっているのかもしれません。

(純粋な広告に対する)破壊的進化の結果として、広告主が消費者にリーチする方法が分裂してしまった。
デジタルマーケターらは、コンテンツ開発能力をもってこの事態に対処していかなければならない。
それは、コンテンツ資産を持つこと、スポンサーシップを築くこと、そして、コンテンツマーケティング戦略を作り上げることである。

読者集客力やエンゲージメントに秀でたメディアに広告を掲載する、という長く続いてきたペイドメディア依存のマーケティング手法から抜けだし、広告主自らがコンテンツ力を高めていかねばなりません。
オウンドメディアやアーンドメディアの開発力を高めていく必要を示唆しています。
ここに話題となることが増えてきた、“コンテンツマーケティング”という考え方の将来的な意義が見えてくるのです。
(藤村)

メディア戦略 これからの20年を展望する

つねに“いま”を走り続けなければならないビジネス環境。
しかし、縛り付けられている“いま”を離れ将来を展望できるとすれば?
これからのメディアに求められる価値観について、
長期にわたり指針とすべきオピニオンを紹介しよう。

このブログでは、デジタルメディアの最前線に伴走し、時には過去を振り返り、そして時に未来を展望しようとします。
ブロガー Ben Elowitz 氏は、継続的な起業家で、現在はメディアを起点に発する口コミを集約するプラットフォームビジネスを手がけます。
それとは並行してメディアビジネスに関するオピニオンを発信しており、紹介する「The 20 Year Strategy for Media(メディアの20年戦略)」 も、そのエントリのひとつです。

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“今年の業績は?”“来期の事業計画策定は?”“今後5ヵ年の戦略ロードマップは?”
このような日々継続する事項から離れ自由になれるときは、めったにない。
一瞬でも、現在目の前にしている火急の意思決定事項から自由になれたとしたら、代わって“メディアビジネスが成功するために、これからの20年をどのように戦略的に動けば良いか”を考えられるのだが——。

このように語る同氏は、だからこそ20年といった普段考えもしない時間枠でビジネスの将来を考えるべきと示唆します。

本稿は、同氏がこのように日々の活動をいったん休止して導いた「メディア(ビジネス)これからの20年戦略」のポイントに触れるものです。

Elowitz 氏がこれからの20年に視る基本的な枠組みは、シンプルです。

デジタル(メディア)は継続する。他方、非デジタル(メディア)はその消滅へのカーブをさらに突き進んでいく。
ただし、現在もてはやされているさまざまなデジタル(メディア)戦略のいずれが長く生き続けるのかは依然として不明だ。

同氏がそのような視点から挙げるのが、次の12の戦略ポイントです。個々に足を踏み入れる前にまず概観しておきましょう。

  • 希少価値を発揮するコンテンツ
  • 体験的価値がもたらすインパクト
  • ブランドを通じ読者との関係性を築く
  • 複製不可能な人間の才能を重視する
  • ライブイベントがもたらす絶頂感
  • コンテンツと流通を融合する
  • 最重要なのはイノベーション
  • 広告価値の減少は継続する
  • 消費者に支払わせる能力を築く
  • パーソナリティほどユニークなものはない
  • 適合力が必要
  • それらすべて……

残念ながら、これらすべてを紹介するわけにはいきません。筆者(藤村)が、なかでもポイントと見るものに絞り検討していきたいと思います。

希少価値を発揮するコンテンツづくりへ

グーテンベルグの印刷技術の発明以降、メディアの世界では、ただひとつ明瞭で押しとどめようのない方向性が存在する。
それは“希少性から潤沢性へ”の法則だ。(コンテンツは、限られていて数少ないもの、という状態から、同じようなものが溢れかえっている状態へと向かう)
その流れは過去10年でますます勢いを増している。記事、写真、そして動画でさえ、その変化のただ中にある。過去、これらが(希少であるとの)価値を示したものが、いまや小銭を稼ぐことしかできない。

このように述べる Elowitz 氏が強く訴えるのは、低品質で大量生産されるコンテンツからの差別化です。

コスト抑制を旨とするメディア企業が、低コストでありきたりなコンテンツを作ったとして、トラフィックは稼げるだろう。だが、価値あるものを産出しているとは認識されない。
長期的観点から、メディア企業の最大の脅威とすべきは、この“潤沢性”である。永続性をめざすメディア企業は、希少性の高いコンテンツを生み出さなければならないのである。

“体験的価値”に焦点を当てる

次に同氏が掲げるのが、“体験”が生み出す価値の重要性です。これまた、“希少性”に根ざす価値のひとつでしょう。目の肥えた読者らに、感動の体験を提供することは容易なことではありません。

今日では、読者を喜ばせるには、言葉や写真だけに止まるわけにはいかない。動画や音声、その他さまざまな情動的な関係に訴えかけるものすべてだ。
コンテンツは、この“情動的な関係”の一部をなすだけでなく、場の雰囲気やセッティングをも媒介する。

Elowitz 氏が述べる“情動的な関係に訴え、場の雰囲気やセッティング”全体が読者体験を形成するということです。

なにかの途上でスマートフォンをチェックするかもしれない。カウチにくつろいでタブレットを観るかもしれない。あるいは、仕事中ほんの一瞬、情報を観ているのかもしれない。
無際限にあふれるコンテンツの中で、このようなシーンごとに最高の体験を提供してくれるメディア(ブランド)に、読者は再訪しようとするのだ。
リチャード・ブランソン氏率いるバージン航空では、他社が当たり前のこととして見過ごしているさまざまな体験をつねに再定義しようとする。
機中の照明や装飾、音楽、そして安全のためのビデオを変えてみる。
それは決して“革命的”には見えない。だが、日常の中の体験的価値として考えれば、それが非常に大きな顧客の忠誠心、情動的な関係を生み出すのだ。

コンテンツと流通、それぞれの力を融合する

“コンテンツ魂”を強く意識するメディアが、その希少なコンテンツを、高い体験的価値、ビジネス的価値へと磨き上げることに意外なほど無自覚であることがあります。
コンテンツをターゲットとする読者に的確に届ける、また、読者が喜ぶ仕方で届ける仕組み、そしてそこから的確に回収する手法は、過去においても、そしてこれからもメディアのビジネスにとり大きな課題です。

コンテンツ企業は、(すぐれた)流通企業でなければならない——。
この考えは決して目新しいものではない。Timeや(「Better Home」誌や「Gardens」などを擁する)Meredithは、ダイレクトマーケティングの仕組みを何年にもわたり築いてきた。しかし、多くのメディア企業の精神的支柱は、依然として“コンテンツ魂”のほうに止まっている。
(コンテンツの)流通は、過去20年の間に大規模な変化を遂げている。そして、その変化の勢いは、消費者の時間消費がモバイルとソーシャルによりますます変化を加速する。
メディア企業には、流通のマイスターとなる以外の選択はない。

コンテンツ課金、“壁”ではなくビロードのロープに

広告支出が減退するなか、メディア企業にとり、読者課金の仕組みは、今後の最も重要な収入源になるだろう。
これからの20年間、消費者の期待値は、“コンテンツはどこにでも、いつでもそこにある”ものであり、そして、それは“ほんの些細な値段で存在すべきもの”なのだ。この点で、消費者にとって支払いにともなう抵抗感が減少すれば、その支払いの頻度はぐっと増すこと請け合いだ。

個人に対するコンテンツ課金の有望性について、Elowitz 氏はこう述べます。
氏の課金についての考え方は明瞭で、

  • 支払いの面倒臭さを減じる
  • 消費者が求める利便性に応える
  • 体験的価値と希少価値を提供する

が、個人課金のためのドライバだとします。
これらの施策は、“壁”(ペイウォール)を設けるのではなく、ベルベットのロープを消費者に手渡しプレミアムコンテンツの世界へ引き上げるという点で重要だというのです。

これからの長い間、メディアビジネスを遂行する上で重要な多くのポイントが示唆されています。
これらは時間をかけて徐々にその意義を証明していくことになるはずです。

ところで、Elowitz 氏が、このエントリでただひとつ、それら多くのポイントを先取り的に体現しているメディア企業(団体)を挙げています。
それは米国 NFL(the National Football League)です。
ニュース、データ、ゲームの要素がそのサイトには詰め込まれており、ファンはそこで多くの時間を費やそうとします。
テキスト・写真・動画が、Web・モバイル・ソーシャルにまたがって融合されているさまは、確かに今後のメディアビジネスの歩むべき道のりを考える際に重要な道しるべとなるはずです。
(藤村)