「さようなら、ページビュー」 Webメディアの経済モデルが変わる

広告経済の低迷と、従来型の広告を嫌うトレンドが、新たな兆候を見せている
ソーシャルメディアに象徴的なストリーム型メディアは、
堅固だったページビュー型経済モデルを揺るがせつつ
Web メディアに新たな流れをもたらすのだろうか?

「広告はクールじゃない」——。
実在する人物でもあるショーン・パーカーとそう語り合うのは、スクリーン中の Facebook CEO マーク・ザッカーバーグです(映画「ソーシャル・ネットワーク」)。
Facebook がようやく成長軌道を描きはじめた時、映画はパーカーに「(ビジネスに走って)パーティーを11時に終わらせるんじゃない」とも言わせています。
いずれも、広告ビジネス開始によって成長にブレーキがかかったり、ユーザーの離反を招くことを良しとしない西海岸的雰囲気をよく伝えるシーンがそこにあります。

出典:Flims Goes With Net「アメリカのサイバー法の権威、ローレンス・レッシグによるソーシャル・ネットワークのレビュー」

出典:Flims Goes With Net「アメリカのサイバー法の権威、ローレンス・レッシグによるソーシャル・ネットワークのレビュー」

さて、現実界で「バナー広告はリーディング体験の邪魔になっている」とのオピニオンを発するのは、“デジタルマーケティング界のロックスター”? ミッチ・ジョエル氏です(氏のバイオグラフィは → こちら)。
本稿では、同氏によるタイトルからして刺激的な論、SEO Japan blogさようなら、ページビュー」を紹介し、Web メディアをめぐる最新課題へとつなげていこうと思います。

ページビューは、ページという単位で作られた HTML ファイルが、ユーザーにアクセスされページが表示された回数を表わす指標です。
さらに言えば、1回バナー広告を表示する機会を「インプレッション」と呼びます。1つの Web ページに5つの広告掲載枠を備えていれば、1ページビュー=5インプレッションとなり、その回数と単価を乗じたものが(バナー)広告収入を決定づけます。

このページビューを根幹にすえた Web メディアの換金商材が、バナー広告(インプレション型広告)というわけです。たくさんのページビュー(人気のある Web サイトで)があれば、インプレッション単価を有する広告をたくさん表示(販売)できます。その法則がシンプルなため、この15年もの間、何度かその終焉の可能性が語られながらも、変化の速いインターネットの世界においては異例なほどこの経済モデルは長続きしてきたのです。

本稿で取り上げる「さようなら……」は、このページビューに基礎を置く経済モデルに改めて終焉を告げるものといえます。

ほとんどの場合、バナー広告はリーディング体験の邪魔になっているように感じたし(あの点滅する物体である)…… 広告プラットフォームが成熟するにつれて、1つのウェブページ上にできる限り多く詰め込むこと、もしくは、さまざまな異なるサイズを用意して、ページのそこら中にバナー広告を散りばめることが重要なことになったように思われる。 appssavvy の Eric Farkas がこう言っている:“いくつかの最も人気のあるサイトやアプリ(Facebook、Twitter、Spotify、Pandora、Instagram)を見てみると、ページビューから広告収入を得ているものは1つもない。”

「さようなら……」が指摘するページビュー型ビジネスの問題点を整理すると下記のようになります。

  1. ページビューが収入に結びつくため、読みづらいページ分割(多ページ化)などが生じる
  2. ユーザーの注意を引こうとするバナー広告が、コンテンツ周辺のそこかしこに散りばめられ、読者のリーディング体験(閲覧)を阻害する
  3. バナー広告(インプレッション型広告)自体に技術的進化があまりないまま現在に至っている
  4. バナー広告がフィットしないタイプのメディアが増えている

1.〜3. は、いずれもページビューを増やし広告インプレッションを増量することに向かってひた走ることが、ユーザー(メディアの読者)の閲覧体験を阻害する結果となっていることに結びつきます。
バナー広告は、コンテンツにひたろうとするユーザーの注意を別のほうへとそらしたり、寸断したりする要素を含んでおり、そもそもが歓迎されにくい面があります。
Google ら検索エンジンが検索連動型広告を発展させたことは、同じ広告型経済モデルながら画期的なことでした。3.に挙げた技術的デッドエンドを克服した過去唯一ともいえるモデルでした。
また、4. は、ページ型でないコンテンツが増えていることを指します。動画や自動的に最新情報を生成するようなコンテンツ、さらに後で触れるストリーム型のように、1ページ、2ページとカウントしにくい巻物のようなメディアが次々と台頭しています。

では、ページビューに堅く結びついた広告経済モデルはどう変化していくのでしょうか? これまた想定できるシナリオを整理してみます。

  1. バナー広告の技術的進化(ユーザーの関心ある分野などに広告表示を絞り込む)により、広告に対するユーザーの態度を寛容なものにしていく
  2. バナー広告などをあきらめ課金モデルに切り換えていく(cakesapp.net などに萌芽は見えている)
  3. バナー広告とは異なる形式(フォーマット)の広告を開発していく

3.について補足します。
ストリーム型メディアの勃興 Webメディアの転換点」で述べたように、ブログ、そして Facebook や Twitter に代表されるストリーム型(タイムライン型)メディアが、ソーシャルメディアを使い慣れたユーザーにとり好ましいメディア形式となっていく傾向が見えてきました。
“巻物”と上記しましたが、時間さえあれば上下方向にスクロールして無制限にコンテンツを読める形式では、ページ形式にレイアウトされていない分、そこに広告を設置しようとすれば新しい広告形式(フォーマット)が必要になります。

このように、ストリーム型(タイムライン型)メディアが勃興すれば、その表現形式にフィットした広告フォーマットに関心が高まります。
それが、「ネイティブ広告」という概念で語られ始めています。

ネイティブ広告とは何なのか? iMediaConnection によると、ネイティブ広告は、“ユーザーの消費体験にシームレスに統合するようにデザインされた広告ユニット”として定義されている。 インターネットの大部分で、私たちはネイティブ広告ユニットを見つけたことがないと思う。しかしながら、インターネット中に存在する満場一致のネイティブ広告ユニットは、理想主義の夢である。テレビでは、満場一致のユニットが“スポット”で、デジタルにおいてそれに相当するものがバナーだ。ただし、これらのユニットはネイティブではない。 SEO Japanネイティブ広告の機会とネイティブな収益化

少し抽象的に定義すれば、ネイティブ広告は、コンテンツと広告の境界線を取り払うものです。さらにいえば、そのような広告=コンテンツを、巻物状となったコンテンツストリームの中に挿入していくものを想定します。
従来から“インストリーム広告”といった形容をしてきたものを、広告の空間配置上の特性にとどまらず、広告をコンテンツ化していく動向として、Web  メディア業界は注目しているのです。
すでにメジャーな実例も出てきています。ストリーム型メディアの本流である Facebook や Twitter は、このインストリーム広告の開発に熱心です(動向は、「広告のコンテンツ化潮流は、メディア倫理を改めて浮上させる」で整理しました)。
さらには、Facebook、Twitter を追う立場の Tumblr もやはり非バナー系の広告の開発や試行を行っています(こちら を参照 )。

これらの試行が、いずれもソーシャルメディア系で取り組まれていることには、メディアの表現形式がストリーム型であることに加えて、そのソーシャル性に理由があります。
たとえば、ストリームを見ているユーザーにとって、親和性の高い人物の「いいね!」が介在したり、あるいは、ユーザー本人が、スポンサー企業やその商品のページを「いいね!」したものに絞って、コンテンツを表示するなど、“広告の(ソーシャルな)コンテンツ化”を強化できれば、それは単にストリーム上に点々と挿入されただけのインストリーム広告を脱し、ユーザーの嗜好に即したネイティブ広告へと昇華できるかもしれません。

今後、ネイティブ広告は、インストリームという形式上の特性を離れ、従来の広告が広告主からクリエイティブを渡されて掲載するだけのものと異なり、コンテンツの作り手やメディアの責任者らが自ら創造することによりコンテンツとしての“魂”を吹き込まれたもの、という定義を色濃く持つことになるのかもしれません。

過度な SEO やページ分割などが横行するように、ただひたすらなページビュー増大路線は、片や広告主自身がページビュー型経済モデルに敬意を払わなくなりつつある傾向とも相まって地盤沈下の流れにあることは間違いありません。
むろん、それでも膨大なページビューを資産化している Web メディアが早々にそこから退出するはずもないでしょう。
となれば、ソーシャル性が高い、あるいは専門性の高いコンテンツに重きを置くようなメディア群から、ネイティブ広告や課金型経済モデルへのシフトが始まることは自明です。
ソーシャルメディア、モバイル型メディアの台頭、広告経済の停滞に見合った潮流変化の大きなポイントとして、これに注視しなければならないはずです。
(藤村)

モバイル、ソーシャル、ペイウォール New York Times その取り組みを語る

デジタルメディアの各種トレンドに意欲的に取り組む New York Times。
同紙は近年取り組んできたペイウォール化にも一定の実績を築き話題を呼んだ。
同紙編集幹部が肉声で述べる、これまでとこれからの New York Timesを紹介しよう

New York Times (以下、NYT)は、米国の数ある新聞メディア中でも、その規模、知名度においてトップクラスのブランドです。
同紙は、他の新聞メディア同様、昨今のインターネット優位の環境下で財務的な苦戦を強いられる一方、そのインターネットをめぐっては、早くから Web サイト開設(NYTimes.com)やその有料化(“ペイウォール”化)、数々のソーシャルメディアへの取り組み、そしてモバイル化など、果敢な挑戦と技術投資をこれまで続けてきました。

本稿は、Web サイト Talking Points Memo に掲載された NYT のメディアの現場責任者(Assistant Managing Editor)Jim Roberts 氏(同氏バイオグラフは こちら)へのインタビュー「NY Times’ Jim Roberts: ‘The Pace Of Change Gets Faster And Faster’」を紹介します。
NYT がメディアのデジタル化、ソーシャル化、モバイル化にどう取り組んでいるのか、先端を行く新聞メディアでの認識と活動の一端を見ていきたいと思います。
本稿は、上記記事の一部の紹介であることをあらかじめお断りします。その全体や表現の正確性については、ぜひ出典を確認して下さい。

インタビューは、現在、NYT が直面する状況を同氏に訊ねることから始まります。

——NYT での25年間で、最も劇的な変化は何だったと見ますか?

Jim Roberts 氏:間違いなくデジタルへの移行です。それは巨大なものであり、現在進行中です。
変化は激しいものです。そこかしこに生じる破壊的なテクノロジーへの対処にはたくさんのエネルギー、想像力を求められるものです。
われわれ同様、すべての組織(や企業)がそれに直面しているのです。

われわれは、Web を習得したと思ったら、すぐ次に、人々が携帯から情報を得るというまったく新たな環境に直面しています。タブレットは、さらに独自の利用法や情報消費スタイルを生みだしています。
また、ソーシャルメディアはどこにでも存在するようになりました。
もしあなたと4年前にこのような会話をしたとすると、Twitter については話題にしていなかったでしょうね。たぶん、スマートフォンは話題にしていたでしょう。しかし、タブレットについてはしなかった。
変化のペースはどんどん速まっています。破壊的な断絶は一層素速くやってきます。

続いて、氏は同紙が直面する課題に言及します。

ソーシャルメディア(に対処すること)は、さまざまな意味でチャレンジです。
私は、いまだにそれをどう説明すればいいか分かりません。それは、ひとつの生き方のようなものです。ソフトウェアに止まるものではなく、日々進化を続けるものです。人々はそこから毎日、情報を得ています。それはとてつもなく柔軟なものです。これとうまくやっていくためには、われわれもとてつもなく柔軟でなければならないことを意味します。

そして、モバイルも、そのすべてにおいてチャレンジです。
私は、トラフィックのパターンを観察し、自分たちの読者がどう振る舞っているかを注意しています。彼らはわれわれのWebサイトへのアクセスを減らしてはいませんが、スマートフォンやタブレットでの時間をどんどんと増やしています。

もうひとつのチャレンジが、動画です。
われわれは動画をもっと習得しなければと思います。ライブ動画をマスターしなければならないし、そこで敏捷にやっていけるようになりたいのです。

Roberts 氏は NYTimes.com の責任者でしたが、同時にデジタルコンテンツ全般に手腕を発揮しました。ソーシャルメディアへの取り組みは、自身も Twitter のフォロワーが5万人を超えるなど非常に積極的です。記事では同氏のソーシャルメディアへの取り組みを訊ねます。

——NYT におけるソーシャルメディアへの取り組みで、あなたの役割は何ですか?

昨年、リビアのカダフィ大佐が殺害されたときのことを思い返します。それが起きたとき、私は社内のソーシャルメディアチームに、こんな大事件のためには、(Twitterのタイムラインのような)速報フィードを持つべきだと言いました。そのようなわけで、フィード専用の New York Times Live という Twitter メディアができました。ハリケーン「アイリーン」の災害報道にそれを用いたのですが、こういう使い方をしたのはわれわれが初めてでした。
というわけで、私の役割はチアリーダーで、ときどきスタッフをそそのかすのです。基本は、彼らが積極的に、ソーシャルメディアを実験してみるよう奨励しています。

——記者が1日中、Twitter上をうろつくようなことを、ジャーナリズムへの影響という点でどう考えますか?

自分のソーシャルメディアについて言われているようですね。それはまったく Twitter の問題ではありません。確かに私は Twitter を多く使っています。しかし、それは人がソーシャルメディアを通じて情報消費するたったひとつの方法ではありません。それは繰り返し強調しておくべきですね。
ソーシャルメディアはジャーナリズムにとって良いものです。それはわれわれに気づきを与えます。それはシンプルで、情報をもっと良くします。損なうもの以上に良くしてくれることは確かです。そして、情報の流れを多様なものにします。

——あなた自身が、Twitter を通じて得た情報を共有していますね。

それは重要なことなのです。特定の人々の、個別の情報だけを追いかけるのは好きではありません。もし、ニュースというものを追いかけようとするのなら、それが NTY であったとしても、たったひとつのメディア(組織)が、価値ある情報を独占できると思うのは馬鹿げたことです。
違ったポイントから言えば、これは NYT での自分の仕事のひとつなのですが、デジタル(メディアの分野)において、他のメディアや出版社がどうやっているのかを観察するということでもあります。
というわけで、私は競争相手のフィードをたっぷり見て感心したりしています。私が感心し、競争相手が興味を持っているような事象があれば、それを周囲に共有するのです。

次に、NYT が近年取り組みを始めた注目の動向、“ペイウォール”(Web サイトを有料化する等によって、自由なアクセスを制限するアプローチ)について、記事は訊ねます。そして、新聞メディアの内部では電子メディアの成績に対してどう考えているのか、話題が転じていきます。

——NYT がペイウォールを開始したとき、あなたの考えはどうでしたか?

懐疑的でした。いや、懐疑的以上でしたね。私は反対派でした。読者とわれわれとの分離という、ペイウォールがもたらす代償について大いに心配しました。
NYTimes.com がなしてきたことは、これをアクセスされやすいものにすることです。若い層に対しては特にです。ペイウォールはこの若い層、そしてグローバルな読者を損なうのではないかと心配したのです。
しかし、大変に嬉しいことにこの層を堅く維持できています。確かに多少のページビューの低下はありました。しかし、読者層については依然堅調なのです。

——記者や編集者は Web トラフィック(アクセス状況)にどう関心を払っているのですか?

ひとつ注意を払うべきことは、投書のリストです。自分の記事が掲載されれば、それがどんな反響を得ているか、投書リストに関心を持つものです。記事への(ページビューなど)トラフィックがどうだったかに執着しているのかはわかりません。めったに記者から「自分の記事のトラフィックがどうだかったか」と訊かれることはありません。
われわれは誰しも良い結果を求めるものです。そして、自分の仕事に人々が関心を払ってくれているのかを知りたいものです。
われわれの Web サイトの読者規模からすれば、関心をもってもらえれば、間違いなく大きなトラフィックを得ることは分かっているでしょう。

インタビューは、最後に興味深いテーマに触れます。それは NYT のようなブランド性のある新聞内で、記者らが個人のブランド性(パーソナルブランド)をめざすべきかどうかという点です。

——執筆者がパーソナルブランドを築くことに力点を置いていますか? 会社として目指していることはどんなことですか?

答えは、複雑です。われわれはブランドが最も重要なものと信じています。私がいうブランドとは New York Times もしくは NYTimes.com のことです。それがあるからこそ、多くの人がわれわれの仕事を読み、見て、耳を傾けてくれるのです。
同時に、パーソナルブランドという力が台頭していることも理解しています。それはとても良い仕方でわれわれに浸透してきています。
私は、パーソナルなブランド化には肯定的な側面があると思います。
社内の記者らにソーシャルメディアで存在感を築くよう奨励しています。しかしながら、義務づけてはいません。
彼らがソーシャルメディアに対して前向きに付き合えるようにしなければと思うのです。われわれとしては、ソーシャルメディアと付き合い、そこで何ができるのかを経験させたいのです。
(そのようなわけで)ちょっぴり微妙な質問でしたね。

NYT は、新聞メディアとしては異例なほどテクノロジーに意欲的です。それは“未来の新聞”メディアの存立に危機感を持っているからかもしれません。
同時に、そのスタッフがテクノロジーやソーシャルへの親和性を高めていく文化の転換に注力をしているようにも見えます。
冒頭の「巨大で、速い変化」に対し「大きくて、歴史ある組織が、その変化に適合していくさまを見るのは嬉しい」と Roberts 氏が率直に語る箇所があります。
それはまさに変化に適合する意識や文化こそ重要な鍵を握っていることを述べていると受け取れます。

(藤村)

モバイルメディアの革命 何からの自由をもたらすのか?

Webと断絶し新たな法則を生み出しつつあるモバイルとソーシャル
本稿では、PC(Web)メディアとモバイルメディアの間にある
非連続な発展がなにをもたらすのか、仮説を提示する

筆者は、この数年間、メディアのビジネスに対し、モバイル(スマートデバイス)の普及がもたらす影響について注視しています。
その関心をコトバにするなら、「モバイルは、読者とメディアにどんな自由をもたらすのか?」となります。
産業に断絶的な革新が起きる際の原動力には、「〜からの自由」という衝迫が作用します。

筆者の狭い経験では、十数年前に専業的な Web メディアの事業に取り組んだ際、その背景には印刷メディアの数々の制約からの自由をめざす衝迫がありました。
15年ほど前に勃発した“Web メディア”の革命がなにをもたらしたのかについては、前稿(「揺らぐ“コンテンツファースト”の法則。 アプリは再びメディアを活性化するか?」)で述べました。
本稿では、“モバイルメディア“の革命が、いったいなにを原動力としているのかについて考えます。

モバイルメディアとは、スマートフォンに始まり、次にタブレットをはじめとするスマートデバイスを物理的な基盤として勃興するメディアの総称と筆者は規定します。
むろん、それに先立つインターネット接続機能を有する携帯電話機上にも、数々のメディアが生み出されたことを考えれば、そこには継続と断絶があることを忘れないようにしたいと思います。
では、モバイルメディア革命は、いったい何からの自由を原動力としているのでしょうか? 以下に筆者の仮説を走り書きながら列挙します。

  1. 空間的な制約からの自由……モバイルの字義通り、ケータイやスマートフォンは、PC を携えていくことができない場でも Web メディアを享受できる
  2. 時間的な制約からの自由……3G 回線による常時インターネット接続と、短い起動時間、操作性などは、PC では活用し得なかった隙間時間を“メディア消費”のための時間へと変化させる
  3. Web メディアからの自由……モバイルはメディア消費デバイスであると同時に、アプリ活用デバイスでもある。アプリ化は、スマートデバイス上の各種ハード、ソフト的な機能の活用を促す。従来からのWeb“閲覧”は、より一層の双方向性、情報発信性へ置き換えられていく
  4. PC 的な利用の文脈からの自由……PC+Web が生み出した検索型(Web サーフィン型)の情報消費スタイルに対して、書籍など一定の深度を有するメディア消費が復権していく

このように列挙しながら気づかされるのは、モバイルは、それに先だち普及を遂げた PC と Web の組み合わせによって築かれた文化への反措定(アンチテーゼ)の要素が色濃いことです。
モバイルは、PC 同様の Web 閲覧機能をその小さな機器において引き継ぎました。
が、そのような連続と同時に、非連続(先行者に対する否定)も含んでいます。モバイルが PC であって PC でないという表れが、 3. 4. に見て取れるはずです。

結論を急がずに、モバイルがもたらす変化の兆しに注意を払ってみましょう。
米国の調査会社 Nielsen が、昨年発表した米国でのモバイル機器の利用状況についての調査結果(「In the U.S., Tablets are TV Buddies while eReaders Make Great Bedfellows」)では、タブレット型機器では「TV 視聴をしながら」が第1位、第2位に「ベッドで横になりながら」という視聴スタイルを報告しています。
機器が電子書籍リーダーに代われば、「ベッドで横になりながら」が第1位となり、「TV 視聴をしながら」と「何かを待ちながら」がほぼ同列で続きます。
実は、モバイルメディアは、モバイル=移動(外出)というよりも“ホームメディア”と呼ぶほうが妥当という認識が得られるのです。

また、スタート当初は iPad に特化したニュースリーダーとして注目を集めたアプリに Flipboard があります。その後、iPhone や Android 系スマートフォンにも対応し市場を確実に広げている同社が、ユーザーによる Flipboard の利用状況を集計してインフォグラフィックとして公表しています(「Inside Flipboard」)。
興味を惹くのは、「いつ、Flipboardを利用しているか」の項です。それによれば、利用が最も活発な曜日は、タブレット版では「日曜日」。スマートフォン版では「木曜日」。また、1日の間で最も活発な時間帯は午後10時〜11時と、こちらもモバイル=移動との直観を裏切る結果を示しているのです。

これらの利用実態は、筆者が真っ先に挙げた仮説の 1. をある意味で裏切っているかのようです。

これらをどう解釈すべきでしょうか? 手がかりとなりそうな見解があります。長くなりますが少していねいに引用します。

(前略)……読者がケータイでどのようにマンガを読んでいるかを調査したことがあります。
意外だったのは、マンガを読む「時間」と「場所」についての回答でした。調査前には、通勤や通学途中の電車のなかや、あるいは旅行先のホテル、会社や学校の休憩時間などに読んでいるにちがいない……とだれもが予想していました。ところが、いざふたをあけてみると、時間については「寝る前」、場所については「ベッドの上」がそれぞれトップでした。寝る前にベッドで読むのなら、なにもケータイである必要はないはずです。それこそ単行本を読めばいい。持ち運ぶ必要がないのに、なぜケータイで読むのか……。

この調査によって、読者がケータイ・コミックに求めているのは、いつでもどこでも読める手軽さではなく、
「好きなときに好きな作品だけを、少し読みたい」
ということだとわかってきました。……(中略)……大好きな作家のお気に入りの作品だけを買って、夜寝る前に、自分の好きな場面だけをスクロールしてこっそりケータイで読む……。そのようなごくごくパーソナルな読み方は、紙媒体のマンガ雑誌ではとてもかなえられないスタイルです。
(中村 滋 著『スマートメディア[新聞・テレビ・雑誌の次のかたちを考える]』より)

あらかじめ断ると、中村氏らが実施したとの調査は、モバイルメディア以前のケータイメディアと見られます。
しかし、氏の理解は、そのまま米 Nielsen や同 Flipboard らが示すスマートデバイス上での利用動向の解釈としても有効に見えます。
ホームメディアとして、さらに言えば“ベッドの友”としてスマートメディアが存在感を発揮するのは、単に小型軽量であるが故の可搬性に理由を求めるのは浅薄にすぎると中村氏は述べているわけです。
印刷メディアでも(PC)Webメディアでもなく、スマートメディアこそがもたらすものは、この「ごくごくパーソナルな読み方」、言い換えれば、従前には存在していなかったパーソナルで自由なメディア消費のスタイルなのだと理解すべきでしょう。
それは先に筆者が掲げた仮説 1.4. を通過した新たな自由を生み出す原動力であるように思えます。 PC からの連続性ではなく、非連続な創造を生み出す可能性がそこには見えてくるはずです。
その全体像を、いまだ確かめた人はいないのですが。
(藤村)

揺らぐ“コンテンツファースト”の法則。 アプリは再びメディアを活性化するか?

検索エンジンを軸に形づくられてきた“Web の常識”。
その常識は、ソーシャルとアプリの普及で変化を見せる
本稿では、Web とアプリとの間の断絶を検討する

Web が、メディアを運ぶプラットフォームとしての可能性をもたらしてからおよそ15年が経ちました。
15年の間に、Web はメディア消費のスタイルにおいてさまざまな断絶的な変化をもたらしました。
commonsence
中でも、最も著しい変化と筆者が考えるのが、検索エンジンを介してコンテンツへと到達するメディア消費スタイルです。
しかし、検索エンジンがあたかも“神”であるかのように振る舞ってきた時代に、転機が訪れています。
ひとつは、ソーシャルメディアという検索エンジンが入り込みにくい世界が膨張していること。
もうひとつが、モバイルデバイスで浸透をしているアプリ型メディアです。
これらいずれもが、15年にわたり築かれてきた Web の常識を覆す可能性を秘めており、その常識に最適化を重ねてきた Web メディアに新常識を突きつけているのです。
前者については、「Web メディアが SEO を捨て去る理由 The Atlantic の事例を中心に」で論じました。本稿ではアプリがもたらす新常識について述べます。

検索エンジンで自分の探し求める、好みのコンテンツを見いだすスタイル以前では、コンテンツ消費スタイルの基本は、ブックマークするという過渡的な段階を挟み、人や雑誌記事、そしてポータルなどからの紹介を経てコンテンツに到達するというものでした。
しかし、検索エンジンの発展はすべてを変えてしまいました。
大量のブックマークは不要となりました。
あいまいな記憶であっても検索エンジンは見つけだしてくれます。
さらに、多くの人々にとり“良いコンテンツ”の発掘も、検索結果の順位に頼む時代がやってきました。
ここで確立したのは、読者は検索エンジンを仲介者としてコンテンツと触れあうというスキーム(図式)です。
このスキームによって、コンテンツを探し求める行為が普及したのです。探す行為がカジュアルになったことで、たくさんの探し求める人も誕生しました。
Web は、積極的にコンテンツを探し求める層を生み出したのです。

検索エンジンが、人とコンテンツを仲介するという段階が“Web の常識”を形づくりました。
いつしか、メディアというパッケージを見いだすのではなく、その中の一つひとつの記事(コンテンツ)やその内容を、直接探し出すようになりました。“コンテンツファースト”という常識です。
“探し求める人々”の行動はメディアという構造体から離れて、その時々の目的にフィットしたコンテンツを見いだそうとするものになりました。

コンテンツがまず先。次に、そのコンテンツを含んだサイト=メディアを徐々に認識するという順序が当たり前になってきました。
メディアにとっては、検索エンジンで自らのコンテンツを“発見”してもらうことが、第一の重要課題。次に、発見されたコンテンツ以外のコンテンツにも関心を寄せてもらいメディア全体に興味を持ってもらうことが、第二の課題となりました。
視聴者もコンテンツファーストなメディア消費に順応しました。
お気に入りコンテンツを知人に紹介するのは、コンテンツ(の URL)です。自分のために情報を保存するのもコンテンツ(の URL)単位です。

ところが、モバイルデバイス向けアプリの誕生がこの常識に断絶をもたらしています。
例を挙げます。

  1. アプリ内のコンテンツを一意に指し示す URL に相当するものがない
  2. アプリ内コンテンツを例示する手法が、少ない
  3. アプリ内のコンテンツのオーソリティ(SEO 上の「オーソリティ」については、こちらを参照)を分析する手法がない

2.は、App StoreGoogle Play などに示される固定的なアプリ紹介以外に、アプリが持つコンテンツをビビッドに伝える方法がないという意味です。
3.は、1.と関連しますが、アプリ内コンテンツを直接リンクすることができないため、被リンク数などによるコンテンツの評判を評価する仕組みが持てないからです。

Web の常識では、それぞれのコンテンツが評判を築き、そしてそれを束ねるサイトの価値を上昇させるという、時間をかけながらオーソリティを高めるのが最善でしたが、アプリではそれに類するアプローチが未確立です。

“アプリをリリースしたのはいいが、注目度がすぐに落ちてしまう”と一般的にいわれる課題は、アプリ内コンテンツの魅力をアプリ外に伝達していく手法が未確立で、リリース時のアプリの評判頼みになってしまうことを意味します。
代わって影響を及ぼすのが、App Store や Google Play のようなストアです。ストアが持つランキングや検索機能です。両ストアとも Web ページで検索エンジンへと接続していますが、既に述べたようにアプリ内を視聴者があらかじめ確かめたりする仕組みに欠けているという点に変わりはありません。
これらを対照すると、下表のようになります。

■ Web とアプリの違い 対照表

スクリーンショット 2012-09-03 16.13.50

アプリにおける新常識の一端を確認しました。
すでに感じられたかもしれません。実はアプリの新常識は、Web の常識=コンテンツファーストの以前へと回帰している可能性があります。
それは、一つひとつのコンテンツのオーソリティを決めるのにメディア=ブランドが大きく作用するということです。
「あのメディアのブランドなら、好み」という意識がダウンロードへと結びつく重要な要因として再びハイライトが当たりそうです。

メディアそのもののブランド性が、改めて活性化される時期がやってきます。
また、Web を通じてこのオーソリティを築き上げておくことが、アプリ時代を優位に生きるひとつの材料となるのかもしれません。
コンテンツファーストからメディア(アプリ)ファーストへと転じる端境期を意識しなければなりません。
(藤村)