2013年 “ビジネスとしてのメディア” 方程式をどう解くか

デジタルメディアとメディアビジネス、そこに大きな潮流変化が見えてきた。
メディアとビジネス、そしてテクノロジーの地殻変動。
2013年に加速していく変化を、3つのキーワードから考える。

明けましておめでとうございます。
本年も、デジタルメディアとメディアビジネスについて、ささやかな考察をめぐらせてまいります。引き続きご愛読をお願いいたします。

さて、2012年に自身が書き連ねたものを振り返ると、

  • 換金手法(マネタイズ)のトレンド変化
  • 出版(パブリッシング)手法の変化
  • メディア体験(価値)上の変化

に焦点を当てることが多かったと、今さらながら気づきます。

これら3つは、多かれ少なかれメディアを生業とする人々に共通する視点でしょう。もちろん、それはまたメディアの消費者の視点としても共通に語ることができるはずです。
そして、3つはいずれも共通する大きな潮流変化を背景にしていることにも気づくのです。しかし、その大きな絵図については、最後に触れることにしましょう。

換金手法のトレンド変化

モバイルアプリ化のトレンドが、私たちメディア関係者に与えた大きな気づきは個人課金の可能性についてでした。
アプリから開発者が得る収入の多くが、単なる有料アプリからではなくアプリ内課金によるものだと言われます(参考 → こちら)。有料か無料かという二者択一の時代は早くも終わろうとしています。
アプリ内課金に限らず、メディア消費者にとって単なる経済合理性に止まらない、体験上の納得感を意図した課金アプローチがずい所で目につくようになりました(参考 → こちら)。
個人課金が受け入れられる背景には、Web メディアにおける過度な広告露出が、メディア消費者に許容できる範囲を逸脱しつつあるという価値観上の変化が関わっています。
これを広告手法の内部からイノベーションする方向(参考 → こちら)も、そして、非広告的手法によって克服する方向もありえます(参考 → こちら)。2013年はいずれの動きもさらに活発化するはずです。

出版(パブリッシング)手法の変化

Web(HTML)メディアでは CMS、電子・印刷出版では InDesign などの出版システム、アプリ開発では Objective-C/Xcode というような技術基盤は、それぞれの分野での出版(パブリッシング、開発)の専門分化と深化を形成してきました。それはメディアのプロにとっての基盤やノウハウ、エコシステムを形成する一方、プロらを守る“壁”としても作用してきました。
しかし、アプリが Web と、出版がアプリや電子書籍と、というように交錯する状況がいま現実となり、専門分化の壁は大きな揺らぎを経験しているのです。ケースによっては従来からの設備投資型の積み重ねが優位性から足かせへと変化しようとしています。
KDP(Kindle Direct Publishing)が出版システムを揺るがす可能性(参考 → こちら)があるように、Web に続きアプリ開発でも同様のことが起きておかしくありません。

メディア体験上の変化

筆者は、メディア消費者が受け取るメディア体験上の価値を、コンテンツの力そのものと、コンテンツがもたらす付加価値の総合であると解釈しています。
これは、印刷、モバイル、Web、電子書籍など多様なメディア形式が存在するとき、コンテンツが同じであれば、消費者にもたらす価値はどれでもつねに同じというわけではないという視点を導きます。
多様なメディア形式を通じて最適なコンテンツを——。
これが体験的価値の最大化に作用するという認識が、メディアビジネスにとっての次の大いなる課題なのです(参考 → こちら)。
この分野でも、やはりモバイル化がトレンドセッターです。昨年、新たに誕生を見たいくつものデジタルメディアが、モバイル化・アプリ化の影響を大なり小なり受けていることからも確認できます(参考 → こちら)。

筆者が注目しているデジタルメディアとメディアビジネスをめぐる3つのポイントに触れてきました。最後のメディア消費者にとっての「体験上の価値」で触れたように、モバイル化の大きなトレンドが、消費者に培われてきたメディアに関する価値観を大きく変化させてしまったことを意識せざるを得ません。
新聞、放送、音楽、出版……と、これまではそれぞれ独立的な産業として局所化してきたメディアのあり方が変わろうとしています。
“モバイル以降”では、リアルタイムの放送のようにコンテンツを読む、気になる記事を拾い読むように映像コンテンツを観る、聴き放題と同様に、読み放題のメディア課金が動き始める……というように、局所化されてきたメディア体験のあり方が、消費者の体験的な“快”の方向へと大きくコンバージェンス(融合)を始めているかのようです。これが冒頭に示唆したメディアにおける大きな絵図というわけです。

2013年、メディアビジネスをめぐる大きな動き・小さな変化を読み取る試みは、メディアプローブ主催セミナーでも随時継続していきます。どうぞご期待下さい。
(藤村)

【特別セミナー:1月24日開催】2013年“ビジネスとしてのメディア”  方程式をどう解くか?
——電子書籍、Webメディア、アプリ、そしてソーシャルメディア

登壇者:
角川アスキー総合研究所 遠藤 諭氏
Business Media誠 編集長 吉岡 綾乃氏
メディアプローブ株式会社 取締役 藤村厚夫(モデレーター)

【特別セミナー:1月24日開催】メディアビジネス研究会1月セミナー(1月24日開催) via kwout

コンテンツ体験 小さな場所・時間に隠された特別な体験について

映画鑑賞やスポーツ観戦など、制約ある条件の下、強い体験を与えるものがある一方、
断片化された小さな時間に貴重な体験が宿ることがある。
『メディア・メーカーズ』の提起を起点に、
現代のコンテンツ体験の意味を改めて考える。

2012年、メディア業界の収穫のひとつに、田端信太郎氏『メディア・メーカーズ』があります。
多くの刺激的な論点を示した書物ですが、その中に印象的な箇所があります。
コンテンツ分類の視点として、「リニア←→ノンリニア」という軸を提示したところです。

リニアなコンテンツとは、初めから終わりまで一直線に連続した形でみてもらえることを想定したコンテンツのことになります。
最も「リニア」なコンテンツ形態の典型が映画です。映画はこれ以上は考えられない! というくらいに「リニア」志向に振り切られたコンテンツの形態です。……

映画監督は、お客さんを映画館の中に連れ込んでしまえば、2時間という長時間にわたって「オレ様ワールド」を存分に展開することが可能です。鑑賞者は、どういう映像を、どういう順序で、どのように見せられるか? その時間軸について、全権を映画監督に預け、ある意味では物理的にも、その身を委ねざるを得ないのです。

田端氏が見事にシチュエーションを描きだしたのは、わざわざ“足を運ぶ”、“まとまった時間を拘束される”という不便と引き替えのようにして得られる、貴重で例外的なコンテンツ体験の仕方です。
むろん、類似の体験として、ライブ演奏やスポーツ観戦、そして観劇などの体験がそこに連なっています。

一方で、これとは対照的に「ノンリニア」なコンテンツ体験もまた、私たちの日常を浸していることにも気づきます。
それは“コンテンツ(消費)の片々化”、すなわち、短時間に、短いコンテンツをつまみ食いするようなスタイルを指します。
ノンリニアなコンテンツとは、順番を追うように読む(観る)必要のないコンテンツ(の構成)を意味します。

たとえば、テレビのニュース番組で、筆者がいま知りたいのが本日の天気予報であったとしても、番組はまず最初にそれを伝えてくれようとはしません。
視聴者は、全国ニュース、地方ニュースを観て(聞いて)、ようやく天気予報にたどり着くことになります。
けれど、いまでは、多くの人がリニアな順番待ちをする必要のないことを知っています。
CS 系番組では気象予報専門チャンネルがあります。また、手元のスマートフォンからピンポイントの気象予報をいつでも手にすることができます。
音楽鑑賞においてもまた、然り。ノンリニアなコンテンツ体験を促す環境が台頭していることは、改めて述べるまでもありません。
欲しい時間と場所にあって、欲しい量のコンテンツを消費できる環境が、だれにとっても急ピッチで整ってきているのです。

ここに注意したい点があります。
このノンリニアなコンテンツ体験をめぐっては、往々にして“ユーザー(読者・鑑賞者)の利便性”という点だけで議論されがちな落し穴があることです。
すなわち、コンテンツの断片化は、モバイルなど忙しい現代人の隙間時間を活用する機能によってもたらされた……というように。
先に田端氏が述べた映画鑑賞の特別さ、という視点がこれを照らし出しているといえます。
ここで特別な体験とは、わざわざシネマに足を運び、そして、2時間超という時間を拘束され、ほかでもなくその映画作品に向き合わされて得る、強い体験です。
鑑賞者にあえて不便を強いることが、その体験強度を生んでいるという側面さえあるのです。

books

田端信太郎氏『メディア・メーカーズ』(左)
および中村滋氏『スマートメディア』。
いずれも Amazon.co.jp より

ところで、利便性の観点だけでコンテンツ体験を見てしまうと、見落としてしまいがちの視点を教えてくれたのは、田端氏に加えて、下記の中村滋氏です。

読者がケータイでどのようにマンガを読んでいるかを調査したことがあります。
意外だったのは、マンガを読む「時間」と「場所」についての回答でした。……
いざふたをあけてみると、時間については「寝る前」、場所については「ベッドの上」がそれぞれトップでした。寝る前にベッドで読むのなら、なにもケータイである必要はないはずです。……

この調査によって、読者がケータイ・コミックに求めているのは、いつでもどこでも読める手軽さではなく、
「好きなときに好きな作品だけを、少し読みたい」
ということだとわかってきました。
(中村滋「スマートメディア——新聞・テレビ・雑誌の次のかたちを考える」)

私的な体験を述べれば、最近の筆者(藤村)の就眠儀式は Kindle Paperwhite をつかんで布団に潜り込み、青空文庫などに含まれる不朽の名作をほんの数ページ読むことです。

中村氏は「好きなときに好きな作品だけを、少し読みたい」という、この種のコンテンツ体験の仕方に、同書で「パーソナルな読み方」という控えめな表現を与えています。
むろん、これを取るに足らない小さな欲求の実現と軽んじるべきではありません。
筆者(藤村)は、この「好きなときに好きな作品だけを、少し読みたい」もまた、ユーザー(読者・鑑賞者)にとっての“特別な体験”であると信じます。

田端氏が掲げたリニアなコンテンツ体験が、例外的な体験、“ハレ”の体験として、強い感動や価値を放つものであるのに対し、パーソナルな体験のほうは、他人からは見えにくい微細な日常の時間を組み直して特別な体験を生み出していると想像します。そして、その総和がいまや巨大な市場を形成しているのではないでしょうか。
小さな特別な体験に最適化するコンテンツ、メディアの形式、そしてそれを映し出すデバイスがやがて生み出されることでしょう。いやそれは、もうすでに、なのかもしれません。
(藤村)

ネイティブ広告 メディアの救世主たり得るか?

“ネイティブ広告”(Native Advetising)をめぐるホットな議論が続いている。
2013年には米国の広告主の約半数が試行するともいわれる新たな広告。
新時代のWebメディア、モバイル・ソーシャルメディアとともに台頭した広告トレンドを解剖する。

米国メディア業界では、2012年夏ごろから、ネイティブ広告の是非をめぐる議論が活発です。文末のリンク集は、その一部にすぎません。
ある調査に依れば米国の過半の広告主がこれを試そうという意向を示しているといわれます(参照 → 調査結果)。
その「ネイティブ広告」とはいったい何でしょうか?
筆者は、ネイティブ広告を、従来の印刷メディアから発展してきた広告手法のひとつ、「記事体広告」「タイアップ広告」のモダンな再来とひとまず定義します(後ほど、改めての定義を行います)。

記事体広告
一見広告らしくなく、記事のような構成でつくられている広告のことをいう。
広告(advertising)と記事(editorial)を合わせてアドバトリアル(advertorial)とも呼ばれる。
記事体広告・Weblio

ちなみに、この「ネイティブ」の語が用いられた理由は明瞭ではありません。
しかし、“このメディア(形式)のために生まれた、生粋の……”という文脈で理解しておけば良いはずです。

ネイティブ広告と呼ばれる広告フォーマットが同時多発的に生まれてきたその背景は何か、そしてなにが“モダンな”要素なのか、の2点について議論に入る前に、どのようなものがネイティブ広告と呼ばれているか、3つほど例示をします。

qz2

The Quartz:記事タイムラインに挿入されるネイティブ広告
promo

Twitter:タイムラインに挿入される Promoted Tweet

itmapp

ITmedia アプリ:タイムラインに挿入される「メッセージプラス」広告

広告市場の減退が進む中、広告主は広告効果(成果)について鋭敏となり、より効果の高い広告フォーマットをメディア運営者に求めるようになっています。
特に Web メディアでは、過去20年もの間、さまざまな広告フォーマットが考案されてはきたものの、基本的には、“バナー”と総称される「ディスプレイ広告」と“リスティング”と総称される「検索エンジン連動型広告」 の2種以外は、大きな存在とはなり得なかったと言っていいでしょう。
印刷メディアで誕生した記事体広告フォーマットも、Web メディアにおいては比較的小さな存在でしかありません。
このように、広告フォーマットの発展が停滞する中で、広告主の需要の減退も進んでいるのです。

他方、メディア読者の視点からも、大量のディスプレイ広告をくぐり抜けながらお目当てのコンテンツを閲覧する“苦痛”が、積み重なってきています。
これはどういうことでしょうか?
試みに、筆者が著名な Web メディア掲載記事を任意に調べたところ、記事1ページ中に15もの広告枠が設置されているケースがありました。
読者が、ひとつの記事内で広告に注意を払える余地が有限だとすれば、上のケースでは、読者一人当たりの有限な広告価値を、メディア自身が1/15にまで希釈してしまっているとも取れるでしょう。

では、メディア運営者にとっては何が問題でしょうか?
そこには、広告価値を高めなければならない、というプレッシャーがつねにあります。
このプレッシャーが、広告面積をさらに大きくするなどの悪目立ちを加速させているかもしれません。
あるいは、上記のようにさらに広告枠を増設するという悪循環を引き起こしているのかもしれません。

ここまではオーソドックスな Web メディアを念頭に、ネイティブ広告が台頭してくる背景です。
しかし、これとは別に見逃せない大きな潮流が影響していると見ます。
それは、モバイル化とソーシャル化の潮流です。

先に掲げたネイティブ広告の例示に、戻りましょう。
そこでは、Web メディアにおけるネイティブ広告、次に、ソーシャルメディア(Twitter)におけるそれ、そして、モバイルアプリ(メディア)におけるそれを紹介しました。
たった3つの例示ですが、共通する重要なポイントがここに浮上してきます。

  1. ベースとなるメディアのコンテンツと広告のトーンが一致している(融合している)
  2. インストリーム、つまりタイムラインの内側に広告が現われ、消えていく(バナーなどは、タイムラインの外側に固定されている)
  3. ユーザーとのインターフェースであるスクリーンサイズに対して固定的でない(小さなスクリーンから大きなスクリーンにまで柔軟に対応する)

1.の「コンテンツと広告のトーンが一致する」は、従前からの記事体広告の特性を継ぐものです。
一般にディスプレイ広告では、広告自体のデザインやコピーは広告主側によるものですが、記事体およびネイティブ広告は、基本的にメディア運営者側がコンテンツとの兼ね合いを意識しながら作り上げるのが一般的です。
2.「インストリーム」うんぬんは、メディアのコンテンツ表示形式に“ストリーム”や“タイムライン”と呼ばれる形式が浸透してきたことを意味します。
このストリーム型メディアでは、従来可能だった固定的な広告枠が設置しにくい、もしくは、その視覚的効果が低いということになります。ストリーム内に動的に現われる広告フォーマットが新たに誕生したのです。
3.「スクリーンサイズ」との関係は、モバイル化・タブレット化が急進展している現代では、最も大きな制約事項かもしれません。
スマートフォンの小さなスクリーンに15もの広告を配置しようとすれば、それは自殺行為です。
モバイルにおいて、ユーザーの視点がどこに集約されているかといえば、スクリーンのほぼ全域を支配するコンテンツそのものだといわざるを得ません。
多種のスクリーンサイズに適合するには、タイムライン形式にのっとる、コンテンツの表示形式に広告も合わせるのが最適なのです。

以上が、ネイティブ広告が、モダンな広告フォーマットとして誕生した理由です。
これらがもたらす期待値は、明瞭です。

  • 読者の視点から……雑多なノイズが抑制され、お目当てのコンテンツに没頭できる
  • 広告主の視点から……読者が嫌うものとしての広告から、コンテンツ同様の精読率で接してくれる広告が生まれる
  • メディア運営者の視点から……読者とのエンゲージメント強化を第一義に広告を制作できる

以上を踏まえて改めて「ネイティブ広告」の再定義を試みたいと思います。

  1. 固定的に設置された広告枠と異なり、ユーザー行動の主眼であるコンテンツと同様の表示形式を持った広告であること
  2. 編集コンテンツに対し、その品質や表示トーンが一致する、もしくは近似するコンテンツ性の高い広告であること
  3. ソーシャルやモバイルなど、読者のメディア接点の変化や多様性に最適化した広告形式であること
  4. テクノロジーと人間の編集力が関与する余地のある広告形式であること

最後の「テクノロジーと人間編集力が関与する余地のある広告形式」には注釈が必要でしょう。
以前の「記事体広告」では、メディア運営者がその企画や制作に携わる、すなわち編集力を全面的に行使するため、品質管理はできても生産性は高まりません。
しかし、ネイティブ広告で例示したTwitterの「Promoted Tweet」などは、形式においては技術的運用が寄与しやすく、人間力という高価なコストを抑制できます。つまり、システム的合理化の可能性がありそうです。

最後に、述べたようにこれから勢いを増すことが予想されるネイティブ広告ですが、問題点も見えてきています。

ひとつは、当然のことながら広告とコンテンツの境目がなくなることによる弊害です。
商品レビューを仮装したようなアフィリエート目的が勝ったブログメディアに出会うことがままあります。
長期的にはメディアの信用失墜という自業自得の結果にいたるとはいえ、これをどう抑止するか。メディア運営者が自らを律していく姿勢が求められます。

次に、上に述べたように「ネイティブ広告はスケールしにくい」という指摘がなされています(たとえば → これ)。
これは、「記事体広告」という人間パワーにだけ頼る古い仕組みをどう革新できるかに関わっています。

そして最後に。ネイティブ広告に期待できる良さのひとつは、“広告だらけ”化の現象を抑止できそうだということなのです。
もし、ネイティブ広告がメディアの救世主であるとすれば、“ネイティブ広告だらけ”にならないようにすることもまた、メディア運営者のガバナンスにかかっているはずです。
(藤村)

執筆に当たって参照した記事等:

「The Dailyは救済可能だ!」 タブレット専用メディア、サバイバルの条件

News Corp. の大胆なプロジェクト、iPad 専用メディア「The Daily」が廃刊を決めた。
タブレット専用“日刊紙”が抱えた課題は何だったのか?
その教訓から、これからのデジタルメディア戦略を考える。

12月3日、米国 News Corp. が 2011年2月に創刊した iPad 専用(その後、Android や Kindle Fire など他デバイスへも展開)“日刊紙” The Daily の廃刊を表明しました。

2011年半ばには、Daily に続き New York Times Bloomberg など新聞系、そして Conde Nast や Hearst など雑誌系の大手メディア企業が iPad と iTunes Store が提供する定期購読(と配信の)システム「Newsstand」をプラットフォームとするビジネスに取り組みを始めていました。その中でも、Daily は iOS5 から提供された Newsstand に先行、かつ、ネイティブ iPad メディア、つまり印刷媒体や Web 媒体を経ずいきなり iPad 専用媒体を立ち上げる大胆な試みとして注目を集めていました。

Daily 廃刊については、創刊時の報道同様、国内外から多くの報道が現われています。中でも、日経新聞電子版「『iPad新聞』廃刊の真相 米メディア王の誤算と教訓」(会員限定記事) および CNN.co.jp米ニューズ、iPad専用新聞を廃刊へ 読者確保できず」は、その標準的な報道、論評として確認しておくべきでしょう。

2つの記事が伝える“廃刊へいたる”ポイントは、以下のとおりです。

  • 有料購読者の獲得目標が80万人であったのに対し、実際は10万人超に止まった
  • 100名を超える記者・編集者を擁する運営コストは年間2500万ドル以上であるのに対し、年間売上は300万ドル程度に止まった
  • 有料でも毎日読みたいと思わせるコンテンツを欠いていた
  • コンテンツを提供するプラットフォームが狭すぎた

この論評には気になる点があります。まったく新規に創設した有料電子媒体が2年に満たない期間で10万人の購読者を獲得したことへの評価が低いことです。
過去、「新聞社サイト有料化 本格的に離陸するのか?」で取り上げたように、たとえば日経電子版は、2年間で「有料会員20万人」と発表しています。
もちろんこれは、印刷版、そして、約140万もの電子版無料会員のすそ野があってのことです。
同時期の New York Times 電子版の有料購読者32万(無料購読会員100万人)、Financial Times 電子版が25万人(同400万人)もベンチマークとして加味すれば、Daily は、目標には届かないまでも奮闘と評価されてしかるべきでしょう。

そう考えると、Daily の蹉跌について、もっと内在的な視点でのとらえ直しが必要に思えます。そこでデジタルメディアビジネス内部からの視点をここに紹介しようと思います。
米国の起業家 Jordan Kurzweil 氏のユニークなオピニオン、GIGAOM 掲載「Why I tried to buy The Daily」(なぜ私は Dailiy を買収しようとしたのか)がそれです。
“ユニーク”というのは、同氏がこの記事で廃刊を決めた Daily の買収をしかけていることを公表したからです。むろん、大向こうウケを狙った口ワザの面もありそうですが、同氏の起業家としてのバックグラウンドを考え合わせるとジョークだけとも言い切れません。

同氏は、Daily が生き延びるための施策を5つを挙げていますが、その前に、News Corp. の“前歴”についても言及しています。それをまず紹介しておきます。
同氏によれば、News Corp. が前例のない規模でデジタルメディアに投資を行うのは、Daily が初めてではありません。
最初は Web 初期(96年)の時代に400名ものスタッフを擁して手がけた iGuide(解説記事 → こちら)です。次は、記憶に新しい MySpace への投資(解説記事 → こちら)、そして、今回の Daily
いずれもが分不相応な投資やスタッフへの高額な賃金を注ぎ込んでは、すぐさま不本意な撤退をしたという点で共通しているとします。

さて、5つの施策を要約してみましょう。いずれもデジタルメディアを運営する当事者にとっては、関心あるポイントのはずです。

  1. 「日刊」では足りない……Daily は文字通り日刊紙。1日1回更新される仕組みだった。しかし、そもそもニュースに更新時や締め切りはない。つねにそれはリアルタイム・ノンストップで生じるのだ。Daily は、正規の(締め切りのある)ニュースに加えソーシャルからの情報、そしてブログ記事などを組み合わせて、リアルタイムなメディアとすべきなのだ
  2. もっとテクノロジーを……Daily はもっとコンピュータパワーを用いるべきだ。特に外部のコンテンツを探しだしキュレーションする仕組みを構築し、それを編集者は活用できなければならない。また、ソーシャルの仕組みを編集者が使えるようにすべきなのだ
  3. “壁”を打ち砕く……Daily のコンテンツと広大な Web との間には厳然とした壁がある。壁は砕かれるべきでありコンテンツは解き放たれるべきである。コンテンツやそれ用いた会話はすべてのプラットフォーム(タブレットのみならず、スマートフォン、そして Web)へと開かれているべきだ。それが常識でありユーザーが求めるものだ。彼らが有料購読者であればなおさらだ。そして、それは非購読者へと開かれ、検索エンジンのクロールにも開かれているべきだ
  4. ユーザー体験を修復する……Daily がこだわったのは古典的な雑誌スタイルであり、ユーザーが望まないたぐいのインタラクティブ性によって混乱を引き起こした。しかし、ユーザーインターフェイスを変更することによって、Daily を、読者がニュースにアクセスし消費する、生きた場へと変化させることができる。ニュースを知ることと、それを読者間で会話へと広げることは同じくらい重要であり、そのためには、より小型のスマートフォン型デバイスに精力を注ぐべきだ
  5. 質素であること……Daily はまるでスタートアップ(ベンチャー)のように振る舞うべきだった。大会社の一事業部門のようにではなく。年間3000万ドルを使うに任せたのは News Corp. の過ちだった。ヒトやコストの圧縮が必要だが、これは Daily が生き残り、合理的な成長に必要なことである

国内では、Daily を購読することもできないため、最も重要なポイントであるコンテンツ品質について直観を行使することができないのがもどかしく残念です。
この点については、やはり自身がスマートデバイスに手を染め、購読型メディアも運営する Marco Arment 氏の論が参考になりそうです。

今日の出版マーケットにおいて、The Daily のような出版物が存在する余地はない。iPad が発表されるずっと以前にその全盛期は終わっていたのだ。

老舗のニュースサイトがニュースについてはもっとも優れている。読み物や特集記事は、大部分のブログがそうであるように無料にするか、あるいは The New Yorker や The Atlantic などのマガジンのようにカネを払うに値するほど優れた内容を常に載せるかのどちらかでなければならない。しかし The Daily が提供したのは、役に立たたずのニュースと記憶に値しない読み物や特集の呆れるほどのミックスだった。
maclalala2「The Daily はなぜ失敗したのか」)

痛烈な論評ですが、

The Daily が失敗したのは、iPad が出版存続のプラットフォームとして適さなかったためではない。

出版にとって、アプリがウェブサイトより本質的に劣っているために失敗したのでもない。

優れたコンテンツにカネを支払おうとするひとが少なすぎたために失敗したのでもない。(同上)

と述べていることは、記憶に値します。

Daily の蹉跌を教訓に換えたメディアが立ち上がってくることに、今後は期待が高まります。Arment 氏自身のメディア The Magazineもその候補のひとつです。いずれそれについては、子細に検討してみましょう。
(藤村)

執筆に当たって参照した記事等:

メディア企業 vs. テクノロジー企業 「配信」テクノロジーをめぐる攻防

コンテンツと配信(流通)の融合体であるメディア。
押し寄せるテクノロジーは、旧来の配信を刷新し、
メディア(企業)の存立に大きな影響を及ぼそうとしている。
本稿は、メディア(企業)のテクノロジーへの取り組みを考える。

最初に非常に乱暴な筆者(藤村)の仮説を述べておきます。
メディア(企業)に変革を余儀なくさせる、破壊的な要因とは「配信(流通)」である——。

「配信」とは、現在では、そのまま“インターネット技術”と言い換えることができます。インターネット技術の進展がメディア(企業)に変革を迫っていることは間違いありません。
私たちが語る「メディア」の語源が、媒介物やその手段である“medium”であるとすれば、媒介手段はメディアにとり根源的、決定的な要素のひとつであるのは自明です。
また、この媒介手段=配信こそ、時代における最新技術の影響を非常に受けるものであることも理解できます。
複製、印刷、運搬、電送、放送、光磁気ディスク、そしてインターネット。
これらを「配信」テクノロジーと総称するなら、それがいかにメディアの発展に決定的な影響を及ぼしているかすぐに想像がつきます。
もうひとつ、配信をめぐってのポイントがあります。
それは、20世紀に大きく開花した“四マス”(新聞・テレビ・ラジオ・雑誌)は、そのいずれも開業、運営維持に大きな資金や設備の集約が必要だったということです。
印刷機械、放送設備、運送や中継基地などの整備は巨額の資金を必要とし、それが独占と言わないまでも参入障壁を形成してきた面もあります。

このように配信をめぐる議論は、どれも資金や設備、それにまつわるノウハウなどで、要するにコンテンツ以外の部分についてであることに気付きます。
そして、メディア(企業)の地位を揺るがす変動もまた、非コンテンツ領域から立ち上がってくるのではないでしょうか。
メディア(企業)の多くが、現在のインターネット全盛期にあって、配信テクノロジーの大変革の波にさらされています。

先に拙稿「メディア戦略 これからの20年を展望する」で、Ben Elowitz 氏の下記のコメントを紹介しました。

コンテンツ企業は、(すぐれた)流通企業でなければならない——。
この考えは決して目新しいものではない。Timeや(「Better Home」誌や「Gardens」などを擁する)Meredith は、ダイレクトマーケティングの仕組みを何年にもわたり築いてきた。しかし、多くのメディア企業の精神的支柱は、依然として“コンテンツ魂”のほうに止まっている。
(コンテンツの)流通は、過去20年の間に大規模な変化を遂げている。そして、その変化の勢いは、消費者の時間消費がモバイルとソーシャルによりますます変化を加速する。
メディア企業には、流通のマイスターとなる以外の選択はない。

「過去20年の間」とは、まさにインターネット・メディア勃興の時期と符合します。
インターネット技術が根本的にメディアの配信要素を刷新しようとしている事態に、メディア(企業)は早急に適合すべきと述べているのです。
ここでは、メディア企業自らの変身(流通のマイスター化)を促していますが、そう穏やかではない別のオピニオンも紹介しておきましょう。

長くインターネットのメディアや広告に携わってきたベンチャー経営者 Eric Picard 氏が「Why Media Companies Are Being Eaten by Tech Companies」(翻訳記事 SEO Japan「メディア企業がテクノロジー企業に喰われる理由」以下、同記事より引用)という論をポストしています。
Picard 氏の指摘は、Elowitz 氏ほど穏やかではありません。すなわち、配信テクノロジーの破壊的要素をテコに、これまで見かけなかった挑戦者が続々とメディアの地平線上に姿を現わしており、変化の前に逡巡するメディア企業を、まさに「喰ってしまおう」としているというのです。

テクノロジー企業が参入し、メディア企業を破壊しているとして論争が起きている。
……しかし、この問題は非難を浴びがちなグーグルだけに当てはまるのではない。アマゾンもテクノロジーの利用を介して流通モデルを変えることで、書籍業界を破壊しており、そして、明らかに雑誌、ラジオ、そして、動画のコンテンツにも狙いを定めている。 マイクロソフトは、電波到達範囲が拡大を続けるXboxを介して、エンゲージメントモデル、そして、コンテンツの配信をリビングルームにもたらし、さらに、ウィンドウズ 8、最新のタブレットデバイスのサーフェス、そして、スマートフォン – ここでもテクノロジー -を用いてメディア化を続けている。
アップルは、様々な配信媒体を管理することで(デバイスに搭載されたアプリ)、配信モデルを一新するだけでなく、配信者には – テクノロジーを用いて – 通行料を請求している。フェイスブック、ツイッター、そして、その他のソーシャルメディアは、発見および配信を独自の方法で – よく分からないが、テクノロジーをベースにした方法で – 破壊しつつある。

繰り返せば、メディア(企業)が、ゆっくりと変身を遂げようとする間に、数多くの(非メディア企業である)テクノロジー企業が、その領土を猛スピードで開墾しつつあるのです。
テクノロジー企業の武器は、かつては配信をめぐる技術そのものであり、いまやそれは新しいビジネスモデルの構造へと変化しつつあります。
HTML、CMS、広告配信サーバー、検索エンジン、リスティング広告、スマートフォン・タブレット、タッチインターフェイス、App Store(Google Play)、ソーシャルグラフ、レコメンドシステム……とこのようなものです。

かつてメディア(企業)にとり、配信はコスト、ノウハウを要するものでした。
いまでは、上に列挙した技術的要素は、それぞれ大きな価値を持つものでありながら、同時に非常に安価でだれもが利用可能なものになっています。
まさに、「出版は(もはや職業や産業ではなく)、“出版する”というボタンになってしまった」(クレイ・シャーキイ氏)というわけです。
このようなコストやノウハウの大幅な軽減は、メディア運営への参入障壁を押し下げ、ゲームへの参加者数を劇的に増やす効果をもたらします。

評論家の佐々木俊尚氏は、かつてメディアの配信(流通)構造を、

  • コンテンツ
  • コンテナ
  • コンベヤ

の3層で説明したことがあります(『2011年新聞・テレビ消滅』)。
コンテンツという内容物を、コンテナという容器に載せてコンベヤで運ぶという図式です。
音楽、映像、ニュースなどさまざまなメディアをこれによって説明できます。
「コンベヤ」という伝送路がインターネットに大規模に収れんしていることと、コンテンツは各メディア(企業)や書き手らに属するとなれば、「コンテナ」はだれが担うかが焦点となります。

インターネット上には、検索エンジン、(ニュース)ポータル、ソーシャルメディア、ブログサービス、そしてアプリストアなどを提供するテクノロジー企業が、このコンテナ部分に殺到してプラットフォームとしての地位を築こうとしています。
「コンテナ」としての役割をテクノロジー企業が確立してしまえば、メディア(企業)に残されるのは、「コンテンツ」の部分だけに狭ってしまう、これが Picard 氏や佐々木氏の視点です。従来のメディア(企業)は「コンテナ」(配信)部分にも影響力を発揮していたにも関わらずです。配信をめぐる闘いの重さがここにあるのです。

ここで筆者(藤村)の見解を交えると、以下のようになります。

「配信」というテーマが、安価に大規模にを目標としてメディア(企業)の生産性を高める、という意味なら、その闘いはほぼ終えんしている。
企業用のコンテンツ配信システムである CMS を、自前主義で、あるいは流通するアプリケーション導入を通して、大規模に再構築すべき時期は過ぎようとしている。
日々変化するメディア(企業)の置かれた環境では、“すべての要望を満たす”ようなシステムの構築を考えるより、適切な技術を柔軟にプラグインしていく方向が妥当だろう。
そのような意味で、テクノロジー企業の攻勢にさらされているのは、旧態依然とした印刷や放送メディア企業だけでなく、デジタルを標榜しながら従来のメディア(企業)に範を取り配信をめぐる集約化を進めてきたデジタルメディア(企業)も同様の可能性がある。

配信のテーマは、すでに存在するコンテンツをいかに柔軟にさまざまなデバイスやソーシャルグラフへと届けていくか、あるいは、その先で、読者との強いきずなを引き寄せるのか。
また、それを収益可能性といかに関係づけていくか、といった多様な応用問題を解くフェーズへと移っています。
当ブログで取り上げてきたように、 このような問題を解くために、数々の新テクノロジーやアイデアとの協調関係に取り組もうとするメディアの変身がそこここで起きているのです。

メディア(企業)は、テクノロジー(企業)の進攻にどう対処するのでしょうか。
Picard 氏は次のように述べています。

メディア企業は、配信の管理を基に歴史的な強みに頼るのではなく、鍵としてテクノロジーを受け入れなければならない。 そのためには、優秀なエンジニアが必要である。

要するに、エンジニアを雇う、養成するというスタートラインに立つことですが、ここには問題があるとも書いています。

多くのメディア企業は、既存のエンジニアリング組織を従来の IT モデルの延長線として扱い、二流のエンジニアが – 組織全体に配置されていることがよく見受けられる。

メディア企業がテクノロジー企業に伍していくためには、自社のコンテンツ資産を新しい時代に適合したビジネスを遂行するために優れたエンジニアが必要です。
しかし、往々にしてメディア企業はエンジニアをそのような革新的な取り組みを行わせるための環境づくり(組織づくり)に不得手だというのです。
Picard 氏のある種の結論は、メディア企業内でイノベーティブな役割を発揮させるべく、エンジニアらを社内ベンチャー的ポジションに置くべきということに尽きます。
筆者(藤村)はこの論に深くうなずきます。しかし、Picard 氏も書くように、そのようなエンジニアの採用や組織的な扱いに不得手な組織では、それも絶望的に難しい取り組みでもあります。

であればどうするのか?
外部のエンジニアリング集団との協業スキームを築くことが、次善の策となるでしょう。
そのためには、テクノロジーの重要性やエンジニアらとの協調に関心や経験を有するプロデューサーだけでも、雇用し養成していく必要があります。
プロデューサーは、テクノロジー企業に伍して、あるいは、テクノロジー企業のプラットフォームを活かして、コンテンツと配信面での自社の優位性を個々のプロジェクトを通じて築いていくことになるはずです。
プロデューサーを通じた内外の組織的な連携や、外部のテクノロジー企業との協業については、次の機会にオピニオンを述べたいと思います。
(藤村)