「メディア」はFacebookから何を学ぶのか?——“リレーションシップ・ビジネス”へのシフト

大胆な問い

「われわれ“メディア業界”人は、実はコンテンツ業界の中にいないのだとしたらどうする?」

こう鋭く私たちに問うのはJeff Jarvis氏。最近も『パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ』が話題を呼ぶなど、気鋭の評論家、メディア・ジャーナリストです。そのJarvis氏が、私たちメディア業界人に向け厳しく、そして、大胆な提言を行っています。
拙訳を交えつつ提言の骨子を追ってみることにしましょう。

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Jeff Jarvis氏(TheGurdianより

今回ご紹介する記事は、UK版 TheGuardian に掲載されたエッセイ「What the media can learn from Facebook (Facebookからメディアが学べること)」です。
氏はTheGuardianの常連寄稿者なのです。

リレーションシップ・ビジネス

われわれ“メディア業界”人は、実は“コンテンツ業界”にいないのだとしたらどうする?

むろん、われわれはコンテンツを生み続けている。
だが、われわれが生み出す最大の価値は、実はそのコンテンツ自体にではなく、コンテンツが生み出すものの方にある。
それは、人々が関心を持つトピックやトレンド、その分野の達人などに関する情報だ。
それこそがFacebook、Google、Twitterらがコンテンツに見ているもの。コンテンツは“関わり合い(=リレーションシップ)についての信号機”なのだ。
彼らソーシャルメディアは、この信号を読み取っては人々にぴったりのコンテンツやサービス、広告を提供する。このようにして価値を精製しているわけだ。

彼らはコンテンツ業界にいない。リレーションシップ業界にいる。ならば、われわれもそうあるべきではないのか?

いきなり冒頭から痛烈なパンチです。念のために整理すれば、FacebookやTwitter、Googleらは、コンテンツ自体の価値(意義)を問題にするのではなく、コンテンツへの関心や、コンテンツを紹介し合う人間関係に目を向け、それにより個々の人間へとアプローチする手法を体現していると理解します。
これを、“メディア業界”人はまず理解せよ、というわけです。

氏はこんな痛烈なエピソードを述べます。

あるとき、米TVニュースの幹部が私にこう不満を漏らした。
「FacebookやGoogleは、(彼のコトバを借りれば--)メディアが生み出す鉄を使ってクルマを製造しているんだ」。「マーク・ザッカーバーグはコンテンツの価値を軽んじている」と。

それは違う。
ザッカーバーグ氏はわれわれ以上に、コンテンツに価値を見出している。
メディア業界人は、自分たちがコンテンツを作り続けているが故に、コンテンツには希少価値があり、自分たちがそれをコントロールできると思い込む。
他方、FacebookやGoogleは、コンテンツというものは、役に立たちそうもないもの、おしゃべり、そしてリンク等々、人々が際限なく生み出すものと見なした上で、そこから価値や利用用途を精製できることを知っているのだ。

氏によれば、メディアの依って立つのは、サービスのように一人ひとりに奉仕するような営みではなく、工場のラインのように大量生産という仕組み、言い換えればマス向け事業でした。そのため、読者一人ひとりを識別したり、その好みに合わせるような行為が苦手なのだと指摘します。
しかし、そのようなマス向け・マス製造の価値観や事業モデルを根本から見直すべき時だとします。
それは、「自分たちの価値はどこにあるのか」「われわれは何を提供すべきか」「どんな問題を解かねばならないのか」「われわれはいったい何の事業に携わっていて、どうやって事業を継続していけるのか」といった問いです。

プラットフォームとしてのメディア

この問いに対して、私はメディアを“プラットフォーム”と見なすことから始めるべきだと示唆しよう。
何かのテーマを知ろうとし、それに対しわれわれが応えることができるようなコミュニティ。そのためにあるプラットフォームである。
そして、コミュニティのメンバーが関心や知識を広く伝達・共有できるようにツールを提供する。Twitter、Facebook、ブログ、YouTube、Flickr、そしてTumblrがすでにある。

それらツールを膨大な流量の情報が通過する。われわれはこの大量な情報にいかにして付加価値を与えるかを学んでいるところだ。話題の選別、権威付け、品質、事実確認、文脈付与、整理……等々。

筆者(藤村)の理解では、メディア業界にあるわれわれは、“コミュニティ”や“場”、そしてそこに集まる人々にもっと目を向けるべきだというのが、Jarvis氏の立論の中心です。
そこに集まっては流れ出ていく情報に価値を付け加えること。その点で、メディア業界人、ジャーナリストは優位な点を数多く有しているとも指摘します。氏はその行きつくところ、(メディア人は)「クリエーター」より「実現をサポートする者(イネーブラー)」になるべきだとの大胆な指摘もしているのです。
これこそが、“リレーションシップ・ビジネス”の基本となるはずです。

では、リレーションシップ・ビジネスで生きていけるのでしょうか?

リアルな問いが生じる。何がビジネスモデルの問題か? 売上は? 利益は?
答えは、旧来の収入モデルを複製することからではなく、新たな効率性を見出すことから始まると信じる。

製造することは高くつく。共有(シェア)は安上がりであり、かつスケールする。
Facebookはもうすぐ10億人にも達するユーザーを、大きな新聞社程度のスタッフでサポートすることができるのだ。

氏の大胆な提言のおおよそは紹介できたと思います。結論部分の、「クリエーター」より「イネーブラー」、「製造」モデルから「シェア」モデルへのシフトは、従来のメディアおよびメディア人の定義を覆すものかもしれません。そのために気分を害される“業界人”もいることでしょう。
しかし、同じ源泉からまったく別の価値を生み出す者たちがいることを、いまは謙虚に学ぶべき時なのです。
(藤村)

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