コンテンツのたどる道のりを構想する

良きコンテンツとの出会いはどのようにして生み出されるのでしょうか?
また、コンテンツは読者との出会いを経てどのように歩んでいくのでしょうか?
本稿では、読者が情報(コンテンツ)とどう出会い、そして、それをどう活用していくのかを考えます。
情報(コンテンツ)を提供するメディアビジネスにとり、そのプロセス再定義すべき時期にさしかかっています。

本稿では、筆者(藤村)が日ごろ実践している、情報の収集 — 整理 — 発信 — 保管のプロセスを紹介し、そこにまつわる問題意識の提示を試みるものです。
これは本ブログで論じた「読書体験の拡張は可能か?——いくつかの電子書籍/雑誌論をめぐる断片」および「読書体験を拡張する——ごく私的な試論として」の続編に当たるものです。

さて、どうしてこのような情報の処理プロセスを論じる必要があるのでしょうか?
ひとつには、私たちが好むと好まざるとにかかわらず、日々接している情報(コンテンツ)はますます膨大になっています。それを受け止め(あるいは、フィルターして)処理する仕組みやスキルは、個人に委ねられており、なんらかの支援が必要になっています。ここにビジネス機会を感じ取るからです。

もう一つには、筆者らが携わるデジタルメディア事業をめぐっても、情報(コンテンツ)をどう供給するかまでの議論はあっても、それが読者にとってどのように処理されるべきなのかに踏み込んだ議論が見当たりません。
これもまた、ビジネス機会と思わずにはいられないからです。

ビジネス機会をいかに生かすかについて、後ほど触れることにします。

さて、筆者の場合、多くの情報(コンテンツ)への設定はもちろん、デジタルによる入力が中心です。書籍や雑誌、あるいは自分人のメモなど、アナログな入力も含まれます。
筆者にとってのデジタルを主とする入力源は、以下のとおりです。

  1. Web ブラウザ……もちろん Web ブラウザの役割は、随時検索をしたりとなくなりません。Web ブラウザは依然として重要な情報(コンテンツ)の入力源です。筆者は Chrome を多用します。
  2. RSS リーダー……多くのメディアなど有用な情報源をカテゴリー別のなどに整理登録しておき、その最新情報を総覧できるツール。これひとつで多くの商業メディアや無数のブログなどをいちいち Web ブラウザで見て歩く必要がなくなります。feedlyReeder などをお気に入りにしています。
  3. Twitter/Facebook……ソーシャルメディアは貴重な情報源です。信頼・尊敬する知人らがもたらすニュースや専門情報などには啓発されることが多く、適度な注意を払うようにしています。
  4. 書籍や雑誌、あるいは印刷配布物……説明の必要はないでしょう。個人的には書籍の読書がデジタルへと移行するにはまだまだ時間がかかるものと見ています。

上記に加えてメルマガなどを運んでくる電子メールも情報源と言えますが、ここでは省きます。

ところで、このように多くの入力源から得たひらめきや、知識、問題意識などをどう処理すべきでしょうか?
筆者のケースでは、ひらめきや自分の問題意識に刺さったものは、なるべくソーシャルメディア上の知人、同好の士へシェア(おすそ分け)するようにつとめています。
Twitter の「ツィート」、Facebook の「近況アップデート」などです。
このようなシェアは、情報の鮮度や品質(あやしげでないもの)を重視し出典やポイントになる箇所とともに伝達します。逆にあまり自分の意見などで料理しすぎないように意識しています。
もちろん、シェアで終わってしまうケースもありますが、実は問題意識に深く刺さったものはそれを整理保管し、そのいくつかは、ブログに仕立てたり企画書や提案書に生かすようにしているのです。
そうすると、情報(コンテンツ)処理のフローは、多種の入力源から始まり、一部はいくつかのソーシャルメディアへの出力へと向かい、さらには以後の活用を意識した保管庫(への出力)へと向かっていくこととなります。
これまでは、長く、このような入力 — 各種出力 — 整理保管に相当するプロセスを、個々に“便利”なソフトウェアや Web サービスを利用していたのですが、目にする情報量が増え続け、かつ、出力先が増えたりと、効率化抜きではやりきれなくなってきました。

情報(コンテンツ)処理をフロー化する

そこで、ここ1年は以下に説明するような“体系”に即して、情報(コンテンツ)処理を励行するようになりました。下図をご覧ください。
各種の入力源を通して“気になる情報”“これは使いたい資料”“知人らが喜びそうな耳より情報”などが飛び込んできます。
それをその場で熟読し、ソーシャルメディアへシェア、さらにはブログも書き始める……というのは現実的ではありません。
ニュースなど情報に接している時間=情報発信(表現活動)の時間とは言えないからです。

Info_Fllow

価値ある情報との出会いは、まず“後で読む”でクリップ

そこで、活用しているのが、“後で読む”系サービスの Instapaper です。同種のサービスやソフトは多種ありますが、筆者は Instapaper を気に入っています。
先ほど述べたような“これは!”という情報を、RSSリーダー、Webブラウザ、ソーシャルメディア上で見つけた場合、それを Instapaper へとクリッピング(簡略に記録しておく)します。多くのツール類が Instapaper へのクリッピング用ボタンを備えており、操作は1アクションですみます。
このように、入力から出力、保管へと進むプロセスの間に、“後で読む”系の層(レイヤー)を挟むようにしているのです。

※ 残念ながら、書物等にはこの便利な操作が適用できませんから、筆者の場合は遠慮なく印刷物に書き込みやマークなどを付します。そしてそれがまとまったところで、書籍や雑誌の記事内容を短く引用してソーシャルメディアに出力してくれるサービス Inbook.jp に投稿しています。これでソーシャルメディアへの出力と自分のための整理保管の両方の目的を果たします。

クリップした情報(コンテンツ)から“シェア”

Instapaper は後で丁寧に読み返したいというニーズに対応した記録用ツールですが、加えて重要な二つの機能を備えています。
ひとつは、リーダー(閲覧)機能。Web ブラウザと異なり、読者がニュースなどのコンテンツを読む際に不要な要素を取り払い記事を非常に読みやすいように整形表示してくれます。

もうひとつは、多様なシェア機能です。Facebook や Twitter、そして後で触れる Evernote など多種多様なクラウド系サービスと連携してくれます。
そこで、いったん溜め込んだ(クリップした)情報(コンテンツ)を、リーダー機能を使って読み返し、その中から重要と見定めた情報を選択し、今度は Instapaper のシェア機能からソーシャルメディアに向けて出力します。
このような機能を、Instapaper はデスクトップPCでも、スマートフォンでも、そしてタブレット、Amazon Kindle など多様な機器上で実現してくれることも重要なポイントなのです。

再利用に向け、整理保管へ

ソーシャルメディアへシェアして、フローを終了させてしまっては自分の中に残る問題意識は希薄なままです。
そこで、筆者の場合はさらにシェアした情報(コンテンツ)などを整理分類などして保管し、多少の熟成期間を経てブログへと再利用するようにしています。
ソーシャルメディアに向けて出力する情報は、15〜20本/日程度。一方、ブログは2本/週に過ぎません。
結果としては、多くの情報を再利用しないままとなってしまいます。

入力源の多くの情報(コンテンツ)> ソーシャルメディアへ出力する情報群 > 問題意識を論じたブログ

という数量的な不等号関係は避けられません。利用/非利用も含めて、情報の最後の整理保管庫に Evernote を活用しています。

Instapaper は比較的気軽なクリッピング手法で、基本はリンクを保管するものです。そこで、ソーシャルメディアへの出力後は、重要なものは Evernote へ整理保管しその他は Instapaper 上から削除してしまいます。言わば、仮保管庫で鮮度が高い間の処理にその利用用途を限定します。
Evernote はリンクではなくコンテンツ本体を複製保管するため、永続的な保管用途に耐えます。ノートの分類やタグづけなどを施し無制限に保存しておく使い方が適していると見ます。
ただし、人によっては Instapaper 層をすべて Evernote で置き換える利用方法も可能でしょう。Evernote には“後で読む”的機能はもちろん、Facebook と Twitter へとシェアする機能も備わっているからです。

さて、筆者の情報(コンテンツ)の処理プロセスをフロー化する手法を説明してきました。
こう整理してみて改めて課題と考えるのは、情報(コンテンツ)との出会いをかなり広めにとるのを余儀なくされていることです。
メディアの『パーソナライズ』を改めて考える」で述べたように、情報(コンテンツ)との出会いを広げるだけではなく絞る手法もなければ、上述してきたフローは早晩行き詰まってしまうことでしょう。

ところで、このような多少凝ったフロー化を組み立てるようなアプローチが、これ以上多くの人に習慣化されるとは、実は筆者自身も考えていません。
最近、読んだ奥村倫弘著『ヤフー・トピックスの作り方』では、非常に多くの読者は私が上述したようなツールやサービスを自ら駆使してニュースと接触するような行動は好まないことを示しています。

奥村倫弘著『ヤフー・トピックスの作り方』光文社サイトより)

ヤフー・ニュースの記事検索サービスは、自分が気になるキーワードを登録して、いつでも検索結果を見られるようにしておくことができました。この仕組みは、かれこれ10年間くらい続いたのですが、利用者がほとんどいないために機能提供を終了しました。

RSS リーダーの機能をヤフー・ニュースのトップページに設置したこともあります。……設定さえしてしまえば、ヤフー・ニュースが記事配信を受けていない朝日新聞や日本経済新聞の記事まで読めてしまうという、ちょっと画期的な仕組みだったのですが、こちらもまったく利用者が増加する見込みが立たずにサービスを終了しました。

どういうわけかヤフー・ニュースでは、読者自身がテーマを設定して自分の興味あるニュースを引き出すというセルフサービスは、うまく機能してこなかったのでした。

「ヤフー・ニュース」の経験で理解できることは、多くの読者はいくつものツールやサービスを自覚的に探求してまで、情報(コンテンツ)への接点を整備しようとは思わないということです。
言い換えれば、自覚的な手間を積み重ねることはおっくうでも、このようなフローが無意識に、自然に実現できることには需要があるとも思えます。
自らの情報(コンテンツ)接点は必ず記録(ログ)化されていて、思い出したときにそれをすぐさま取り出した上で活用できる——という仕掛けには隠された鉱脈があるとの仮説を持ちます。

従来、メディアビジネス(たとえば、出版社ら)は、このような情報処理プロセス全体にわたるような提案を読者に向けて行うことはありませんでした。
そこで、読者らは出版社からではなく、別のサービス提供者からこのような処理プロセスをフロー化していくソリューションを受け取ることになっているのではないか。
生み出された情報(コンテンツ)が生み出され、読者へと渡り、そしてそれがどのように消費、再利用されていくのか、コンテンツがたどる旅路の全体像を見通す構想が求められているのです。
(藤村)

それでもHTML5 Webアプリを選択する理由とは?

ネイティブ(専用)アプリを開発すべきか。
HTML5 による Web アプリを選択すべきか。
あるいは、高いユーザー体験の提供をめざすのか。
それよりは、開発負荷低減が優先するのか——。
モバイル市場の急拡大を前に、メディア企業が直面する難題。
本稿では、アプリ開発の手法をめぐる課題を整理しながら“第三の道”も提唱します。

「現在(2011年)全世界で利用されている携帯端末の中でスマートフォンが占める割合はわずか 12% ですが、全世界の携帯端末のトラフィックの 82% 以上がスマートフォンで生成」されているとの調査があります。
いまだ「12%」程度でしかないモバイルトラフィックは、すでに「2000 年の全世界のインターネット全体の 8 倍」にも達しているのです。
また、すでに昨年、PCの出荷台数がモバイル機器全般に追いつかれ、2013年にはタブレット単独市場にも追いつかれるとの観測もあり、モバイル関連は驚くべき成長性を見せています。

これに対するメディア企業、コンテンツ提供者にとっての“悩み”どころは、この変化と成長が急な分野に対して、どのように適合していくかという戦略判断でしょう。
Apple がコントロールしモバイル市場全体をリードしている iOS、Google がリードし多種多様なプレーヤーが参画する Android、そして今後の成長に期待を持たせる Windows Phone など、コンテンツを投入すべき市場の選択は、OS、機器、シェアなど予断を許さない面も多く、将来の見定めは混沌としています。

さて、ここに現れたのが HTML5 技術を基盤に用いたWebアプリ開発の流れです。HTML5 を表示・実行できる Web ブラウザがあれば、どの OS やハードウェア上であっても、基本的に稼働することが期待できるというもので、市場の選択幅を一挙に拡大してくれます。
「ネイティブアプリ(各OS専用に開発されたアプリ)」でいくのか、あるいは、「(汎用 Web 技術を用いた)HTML5 アプリ」でいくべきかについては、すでに「ネイティブアプリ vs. HTML5アプリ 意思決定のための5つのポイント」で整理したところです。
本稿では上記「ネイティブアプリ vs.……」の対比、特に「ユーザビリティ向上」と「開発負荷抑制」という二律背反的に語られやすい点に焦点を当て新たな論点を提供します。

まず、ご紹介するのは「HTML5 trumps native iPad apps for some publishers」(ある種の出版社にとり、HTML5 は iPad 専用メディアに勝っている)という記事です。
記事が紹介しているのは、タブレット機器市場を専門的に扱うメディア TabTimes です。自らタブレット市場に適合するため、iPad 専用のネイティブ版メディア投入を企画し、結局 HTML5 Webアプリでリリースしました。その経緯を記事は紹介しています。

TabTimes HTML5 Web App

iPad で表示したHTML5 ベースの TabTimes

昨秋公開されたこのメディアは、ネイティブアプリとして計画された。しかし、インフラがサポートすべく複雑な要因を認識した結果、戦略が変更されたのだという。「各種プラットフォーム別にコンテンツを供給していく CSM を運用するのは大仕事だ」と George Jones 編集長は言う。
「Web コンテンツを HTML5 Webアプリに用いるというソリューションが効率の点で良さそうだと思った。(そこで)カナダの開発会社 Pressly と組み、4週間でアプリを世に出せた」。

伝わってくるポイントは、ひとつはコンテンツの投入先を複数のプラットフォームとしたい企業意思、次に、そのような複雑な仕組みを CMS など既存インフラに持ち込むことを避けたかったということのようです。つまり、アプリごとにコンテンツを作り分けるのではなく、極力ひとつのWeb(HTML)コンテンツを複数のプラットフォームで利用したかったということです。筆者(藤村)はこの箇所にやや異論を抱きますが、記事の記述に従えばそのように理解できます。

ところで、記事はもうひとつの論点を持ち込みます。ユーザービリティ(ユーザーの操作感、あるいはユーザー体験全体)という視点です。
記事は、ユーザビリティの大家ヤコブ・ニールセン博士のコメントを紹介するのですが、これはすでに邦訳記事(ブログ U-Siteモバイルサイト vs. アプリ: 来るべき戦略の転換」)があります。重要な視点を持った論であるため、それをあらかじめ紹介しましょう。

現時点のモバイル戦略: アプリに勝るものなし

これを書いている時点では迷う余地はない。つまり、予算があるなら、モバイルアプリを出そう。我々の実施したモバイル機器を対象にしたユーザビリティ調査で、アプリのほうがモバイルサイトよりユーザーのパフォーマンスが良いことが明らかだからである。……

今後のモバイル戦略: サイトに勝るものなし

将来的にはアプリ対モバイルサイトの費用対効果のトレードオフは変わっていくだろう。
……
モバイルアプリのコストは上がるだろう。なぜならば、開発しなければならないプラットフォームが増えるからである。最低でも、Android と iOS、Windows Phone をサポートすることは必要になる。さらにはこうしたプラットフォームの多くは、きちんとしたユーザーエクスペリエンスを提供するためにそれぞれ別々のアプリを必要とする複数のサブプラットフォームに分岐していくと思われる。……

将来、UI の種類はさらに増えていくだろうと現実的には考えざるをえない。この結果、モバイルアプリの開発には非常に費用がかかるようになるだろう。
対照的に、モバイルサイトではある程度のクロスプラットフォーム機能が保持されるので、そこまで多くのデザインは必要にならないだろう。

ニールセン博士が挙げるポイントは以上です。

記事「For some publishers……」に戻ると、Android 市場では、さらに Kindle Fire のような“サブ市場”が生まれたりと、市場の断片化が進行しており、ネイティブアプリでそれらをカバーし続けるのは、開発負荷がかかり過ぎるとしています。HTML5 なら、ネイティブアプリが発揮する操作性や機能とまったく同じレベルに達するのはしばらく難しいとしても、8割、9割ぐらいまでは追いつきつつあるというのです。

TabTimes の Jones 氏は iPad ネイティブアプリとすることで得られる機能性を犠牲にすることは、TabTimes が(複数プラットフォームへ適合し)迅速に読者を広げるという点で考慮に値するトレードオフ関係にあるという。
「迅速に市場へ投入すること、クロスプラットフォーム対応することの利点は過小評価されている。多くの読者がタブレットを通じて TabTimes (Web サイト)を閲覧している。アプリ型メディアを投入しない理由はない」。
Jones 氏は、iPad ネイティブアプリと Kindle Fire 用 Web アプリの開発を依然として検討している。

スマートフォン・タブレットに最適化したメディア・アプリを投入するに際しての意思決定にかかわるポイントについて触れてきました。
そこに浮かび上がるネイティブアプリ対 Web アプリという図式は、突き詰めれば、OSやハードウェア仕様に込められたユーザビリティをはじめとする高度な機能を用いる優位性を重視するか、それともプラットフォームごとに展開する開発負荷に対し、ある程度のユーザビリティと汎プラットフォーム的な開発生産性を優先するのかという対立に還元できます。
記事では、このトレードオフを念頭に置きつつビジネス上の意思決定をすべきとの結論に至ります。

筆者(藤村)の視点を差し挟むと、最近目にするこの種の議論の多くは、メディア企業がアプリ開発を内製するという“常識の罠”に陥っているように見えます。それが往々にして対立図式の前提となっているのではないでしょうか。
記事の例では、汎用開発基盤を有する開発者(企業)との協業により問題解決を果たしたと理解します。いずれはレガシーCMSまでは内製維持するにしても、その上位に当たる変化の激しいプレゼンテーション・アプリケーションの層は、(外部の)汎用基盤へと疎結合していく可能性が高く、そうなれば、ユーザビリティ(ユーザー体験)を犠牲にしてもメディア企業内の開発負荷を軽減すべきとの議論に傾きがちな趨勢に歯止めがかかると展望するのです。
そろそろ、二項対立的な膠着状態をブレークスルーすべく第三の道が形成されなければなりません。
(藤村)

米GAPが予感させる、デジタルメディア未来形

昨今のマーケティング巧者の企業は、そのブランド力をテコに“オウンド・メディア”の運営に乗り出しています。
米衣料ブランド GAP もその一例。創り出すメディアは、デジタルメディアが取り組むべき条件を見せつけます。

「最新ソーシャルメディア情報ブログ」をうたう ソシエタ が優れたオウンド・メディアの事例を紹介しています。
GAPの新しいオンラインメディア『Styld.by』はファッション誌の未来となるか?」です。

企業サイトは「オウンド・メディア」とも呼ばれ、多くの顧客を保有しており、企業と生活者のタッチポイントとしての役割を担っています。「オウンド・メディア」は、トリプルメディアといわれる中でも「ペイド・メディア」「アーンド・メディア」とは異なり、直接企業と生活者をつなぐ企業のマーケティングコミュニケーションにおいての入り口になる、特に重要なメディアです。(博報堂他の発表リリース文より)
「オウンド・メディア」を平たく説明すれば、企業が(所有して)運営するメディアのことです。
注意したいのは、従来の“コーポレート・サイト”とは意味が異なり、自社製品やサービスのブランド性向上や販売促進を主眼としつつも、“メディア”として広く読者の満足を目指すコンテンツを用意していくアプローチを取ることでしょう。つまり、消費者にとっては終着点ではなく、入口と位置付けられるサイトなのです。
では、そのオウンド・メディアの中でも先進性が際立つという GAP の Styld.by には、いったい何を学べるでしょうか?
記事では、ポイントを3つ挙げています。

GAPの新しいオンラインメディア「Styld.by」はファッション誌の未来となるか? « INFOBAHN via kwout

  • 周到に準備されたソーシャルメディア連携
  • ファッションブロガーとの自由なコラボレーション
  • 周到に準備されたEC連携

商業サイトの運営に携わる諸氏にとって、これらのポイントを「商品を売るのが目的の企業サイトと、自分たちとでは違う」と境界線を引いて終わらせるのは得策ではありません。Styld.by は確かに、“ファッション”と“EC”に偏っています。しかし、ここで挙げられた3つのポイントは、筆者が考える(商業メディアなど)オンラインメディアに共通して備わっているべき要素であり、Styld.by はそのみごとな実装例のひとつなのです。

1. のソーシャルメディア連携。記事(やファッションアイテム)について、読者のコメントを付して Twitter および Facebook、Tumblr などへ投稿できる機能は、これからのデジタルメディアにとってマストアイテムです。いまだに SEO(検索エンジン最適化)が重要な施策ではありますが、今後は“ヒト”が仲介、推奨することによる影響力が増す一方です。

コンテンツが、自社メディア以外の場へと紹介、引用されていくことに不快感を表明する商業メディア従事者はいまも少なくありません。
しかし、警戒すべきなのは、単にコンテンツの剽窃が行われて、自社のメディアへ何ら利益をもたらさないケースについてであるべきでしょう。
逆に、自社のコンテンツが自らの手の届かないところにまで紹介や引用の連鎖が広がり、それが自社サイトへの来訪者へと結びつく、あるいは、ブランドを築くということには積極的に手を貸すべきです。そうするためにも、紹介や拡散が(メディア側が望むように)適切に行われるような仕組みが求められます。たとえば、ソーシャルメディアに投稿する際に、メディア名・記事名・URLなど出典情報が自動的に付加されるようなツールを用意しておくなどです。

次に2.「自由なコラボレーション」について。
コンテンツの紹介や拡散をどうして読者は行いたいのかといえば、ひとつはそのコンテンツが読者に取り、自分のブランド性を高めるようなケースであること。もうひとつが、メディア自体やその執筆者に対して身内意識が高い、参加意識が高いことによります。
言い換えれば、コンテンツの紹介や拡散をしやすくするには、1.のような道具が常に用意されていることに加えて、読者心理を、メディア側スタッフとの親近感を一定レベル以上に保っておくことが効果的です。
それをどうするか? 運営しているメディアがブログ系CMSを利用していれば、コンテンツごとにコメントの書き込みを許すオプションがあるでしょう。あるいは、メディアごとに Twitter や Facebook などのアカウントを用意し、そこで読者との適切な交流を築くことになります。Facebook であれば「いいね!」ボタンの設置など、読者、メディア双方にとって心理的負担の低い取り組みから始めることもできます。
最近では、朝日新聞デジタルの例のように、各種公式 Twitter アカウントに加え、「つぶやく記者」というように個人のレベルまでアカウントを明記しソーシャル化に乗り出すケースも当たり前になっています。
もちろん、炎上や過度なコミュニケーション負担にさらされる“リスク”も皆無ではありません。しかし、経験上、コミュニケーションの“やりすぎ”から誘発される炎上などはあるものの、読者から親近感を持たれるケースでは、そうでないケースに加えてずっとリスクが低いものと認識します。

最後に3. ECとのスムーズな連携です。“ECだけは、自分のメディアとは関係ない”と思われる方々もいることでしょう。
筆者はこの数年間のオンライン広告のスランプ現象(一方で、検索型広告などのブームはありましたが)の経験から、広告外収入の積み重ねを重要視します。
広告は、特に専任営業が獲得するような商談ではそれなりに額も大きく、また、獲得できれば大きなマージンも期待できます。
が、広告収入への過度な依存(期待と言ってもいいかもしれません)は、人件費増を招いたり編集要員の生産性を下げるなど副作用を伴うことに注意すべきです。できれば、人手をかけずに自動運用が可能な収入源をいくつか持ちたいものです。

本ブログでこれまで何度か触れているように、デジタルメディアで長く生きぬくには、運営コスト水準(固定費)を極力引き下げることが 肝要です。
適度な広告獲得と併せて、EC等物販へシームレスな接続を行ったり、メディアの特性などを加味して、セミナーやパンフレット(資料)など有償物の販売へつなげるような仕組みは、メディア経営上意義があると考えます。
アフィリエート型ビジネスとの連携であれば、投資を抑えたスタートも可能です。いずれも、メディアづくりに携わる現場の人間の創意工夫のレベルで行う収入源開発に意味があります。自分ではできない、という業務は結果としてコスト増要因となるからです。

改めて整理しましょう。Styld.by が備えるような特徴は、今後はどのような(デジタル)メディアであっても多かれ少なかれ必要です。
メディアに従事する人間一人ひとりがその意義を理解した上で自ら取り組めるような能力が求められます。
重要なことは、そうしなければ、今回の例が示すように、ブランド性の高い企業は自らメディア運営に乗り出すことで十分に満足してしまうはずだということなのです。
(藤村)

広告のコンテンツ化潮流は、メディア倫理を改めて浮上させる

広告の消滅・スポンサードメッセージの誕生。
21世紀のメディアから広告は消滅していくのか——。

Facebook と Twitter、二大ソーシャルメディアが、いずれもサイト内のディスプレイ広告(バナー広告のたぐい)を廃止していく方向で動いています。
代わって、ユーザーらが情報のやり取りを行うメインのコンテンツ群の中へスポンサー(広告主)メッセージを埋めこむ(スポンサードコンテンツ)方式を生み出すべく躍起なのです。
本稿では、現実になりつつある“広告”の廃止・広告の“コンテンツ化”への流れを確認し、その背景を考えてみたいと思います。

出発点は、今年2月末に開催されたFacebookの広告業界関係者向けカンファレンス fMC です。
同カンファレンスの主要資料(動画、PDF等)は、英語ですがこちらに用意されています。
ここで飛び出してきた広告に代わる新コンセプトについて、TechCrunch JAPAN が記事に取り上げています。
広告のコンテンツ化―Facebookの新広告戦略はハッカー文化とビジネスの融合を目指す」です。

広告のコンテンツ化―Facebookの新広告戦略はハッカー文化とビジネスの融合を目指す via kwout

記事は fMC の注目点について、以下のように述べています。

Facebook では収益とユーザー体験を両立させる方法があるはずだと考えている。Facebook は収益を拡大するために必ずしも広告のサイドバーを大きくし、コンテンツ・エリアを狭くしたり、画面トップに巨大なバナー広告を掲示したりしなければならないわけではない。Facebook は広告を独立した存在としてはわれわれの目から消し去り、次第にサイト全体の情報の流れの中に埋め込むという手法を取ろうとしているようだ(下線部は藤村による)。

昨日(米国時間2/29)のfMC(Facebook マーケティング・カンファレンス)で Facebook はそうした方向性を打ち出した。広告主が自分の好きにメッセージを表示できるプレミアム広告枠は姿を消すことになる。今後、企業が運営する公式 Facebook ページの内容からユーザーによって選択、抽出されたものだけプレミアム広告として表示されるようになる。この広告はサイドバーに表示されるのではなくウェブ版、モバイル版双方のニュースフィード中に表示される。

発表された Facebook の新広告商品 Premium on Facebook は、厳密に言えば複数の広告形式の集合体なのですが、わかりやすいように2つのパートから説明しましょう(こちらの記事で広告の構成などポイントを詳しく解説しています)。

  1. 「Facebook ページ」……スポンサー(広告主)がFacebook内に設けるコンテンツ集合ページで、従来から存在していたものです。企業が自社、もしくは製品単位で情報を集約しコンテンツを順次投稿していく場です。ユーザーのニュースフィード中に広告主からのメッセージを表示するためには、企業や製品のファンたるユーザーがこの Facebook ページに対して「いいね!」をしておく必要があります
  2. 「ニュースフィード」……Facebookユーザーが自らのコンテンツを投稿したり、友達のコンテンツが表示される領域に出現するコンテンツ型スポンサーメッセージです

今回新たな広告セットに組み込まれたのは、2.の「ニュースフィード」への広告メッセージです。企業、製品の Facebook ページに「いいね!」をしたユーザーにアップデートとして配信されるもので、通常の近況アップデートの形式をとります。言い換えれば、Facebook 内で日ごろ起きている交流のように、ユーザーにフレンドリーに作用するメッセージでなければなりません。

このように Facebook の新広告商品がもたらすのは、広告メッセージが企業や製品の「ファン」へ確実に届く率の向上(16%から75%までに向上させるとうたっています)、次に、ファンを通じて広告メッセージを拡散(「いいね!」や「シェア」)させる効果の向上なのです。
それを可能にするのが、広告メッセージを、コンテンツに外在的である「広告」という存在
から、「コンテンツ」そのものへと位置付け直す論理というわけです。

このような旧来の広告観になかった新しいスポンサードコンテンツ観が生まれた背景を推測しておきます。

  • そもそも Facebook 創業者周辺には、「広告はクールじゃない」という思想がある
  • 広告の表示になれたユーザーは、ますます広告を無視するようになっている
  • 「広告」収入増を図るには、広告表示を多くするか、大きくするしかない(ますます「クールじゃなくなる」、効果も下がる)
  • 広告主期待のエンゲージメントを得るには、ソーシャルメディア内のエンゲージメント(「いいね!」等)の論理が貫かれたときであるという視点がある

広告主とユーザーの間がらを「ファン」「友達」という関係に置き直そう。「広告」ではなく、広告主が発するメッセージ、コンテンツとして位置付けよう。これが今回のアプローチです。
煩雑になるので立ち入るのを避けますが、Twitterでも同様のアプローチが生じています。ユーザーのタイムライン内にスポンサーのメッセージを埋めこむための論理的な整備と効果測定などの試行検証が行われているようです(→ こちらを参照)。

このようなトレンド変化に当惑するのは、商業メディアでしょう。「記事と広告の峻別」をユーザー(読者)への守るべき倫理(厳密に守られていたかどうかというよりも、そこに倫理的な縛りが存在)としてきたからです。商業メディアには、コンテンツが人を動かす(リードする)ものとの自負から、広告主のメッセージで読者がミスリードされることがないように“峻別”が必要とされてきたのです。
対して、紹介してきたソーシャルメディアが抱くユーザーへの倫理は異なります。それは「広告主とユーザーの間にエンゲージメントが成立しているかどうか」です。

冷静に考えて、現代にあって広告が求める効果を得るには、エンゲージメント抜きではますます困難になっています。その意味で、今回のソーシャルメディアの取り組みは21世紀の広告のあり方を映していると言えそうです。
では、あらかじめエンゲージが交わされていれば、広告主のメッセージでユーザーがミスリードする懸念を免れるのでしょうか? それはユーザーの自己責任と言えるでしょうか?
さらに、それは普通のユーザーが発するメッセージに対するガイドラインと同様の仕組で良いのか? これらの点でまだ迷路を抜けたとは言えそうにありません。
紹介してきた広告の新潮流は、旧くて新しいメディア倫理の妥当性に改めて照明を当てています。
(藤村)

メディアの「パーソナライズ」を改めて考える

かつて注目されながら、空振りに終わったメディアのパーソナライズ。
多くの商業メディアとソーシャルメディアが連なり進む情報爆発、
課題として見えてくるのは、適切なコンテンツへの絞り込みと、重要な話題への視野の拡大。
改めて、メディアのパーソナライズの可能性について考えます

先日、ブロガーの境 治氏の投稿「長いものが読めなくなってきた〜コンテンツ消費の夕暮れ〜」に触れ、思わず唸ってしまいました。

朝、通勤電車の中でTwitterやFacebookで情報収集する。面白そうな記事やブログをチェックして、会社に着いたら読む。読む。読む。読んでも読んでも興味深い記事、読むべきだぞなブログがどんどん出てくる。読む。読む。・・・でも、ものすごいスピードで流し読みだ。ちゃんとすべての文字に目を通してなんかない。だいたいね、だいたいわかった。はい、次!そんな勢いだ。

長い記事がどうも最近、ちゃんと読めなくなってる気がする。

境氏が書いた情景は、“ニュースジャンキー”(ニュース中毒症)を自認する自分にぴったり当てはまるのです。
境氏も自分もいささか自業自得感はあるものの、この「何か(さらに面白い)事が起きていないか?」と「何か読み落としている重要な情報がないか?」という“欲求と不安”への対処は、情報の渦におぼれかかっている多くの現代人に共通する課題ではないでしょうか。

今回のテーマは、(私たち)読者がいかにして“適切な情報に触れる”ことができるかということです。

先に自分なりの結論めいた見解を述べると、業務上目を通すことを求められるような、例えば事務文書などは面白くないこともあって、量が過剰になれば「もううんざり」「業務効率が落ちるので分量少なく」といった抑制メカニズムがおのずと働くものです。
ところが、自分が追い求めるテーマ、関心事に触れる情報は自らの欲求によって読もうとするため、このような抑制メカニズムが働きません。
コンテンツ消費が直線的に伸びてしまいがちなのです。情報を何らか絞り込むメカニズムが用意されなければならないはずです。

そこで重要になるのが、何らかのパーソナライズ(機能)です。
Web上のニュース記事については、はるか10年以上前からこのパーソナライズが有望視され、そして消えていきました。
なぜかコンテンツ分野ではこのパーソナリゼーションは主流の議論になりきれずにここに至っているのです。
隣接分野でのパーソナリゼーションに関わる記事を最近見かけました。これを簡単にご紹介します。
TechCrunch Japan に掲載された「Eコマースを巡る次の革命的発展は利用者次第?!」がそれです。

Eコマースにはパーソナルなレコメンド機能が欠かせない。しかし、10年前にAmazonがプロダクト販売の場面に「パーソナライズ」の概念を持ち込んで以来、この面における進化というのはほとんどないという状況かもしれない。但しEコマースで利用できるデータは一層膨大なものとなっており、まさに今、新たな「パーソナライズ」時代へとジャンプする直前期にあるのではないかと思われる。

この記事の主眼は、タイトルにあるとおり“Eコマース”です。なのですが、筆者(藤村)には、まさに情報が過剰化する一方の現在、適切な情報への欲求と不安に悩まされるメディアと読者の間にこそ当てはまる話題と読みました。

上記引用に「この面における進化というものがほとんどない状況」とありますが、(ニュースなどの)メディアと読者の間でも事情はまったく同じです。
そもそもメディアそれ自体が、“これを読むべき”というリコメンド(推奨)の束なのですから、本質的に読者一人ひとりのための取捨選択を良しとしない要素があります。
また、読者自身も一般的には、自分が何を読みたいのか、どんなテーマに関心を持っているのか明示的に定義できない側面もあり、これまた、パーソナライズが定着しない要因です。

パーソナライズが不調に終わった以後、(ニュースなどの)メディアサイトやソーシャルメディアなどで目にするパーソナライズに代わる機能は“リコメンド”です。
「この記事に関連する記事」「あなたの知人が『いいね!』と言っている記事」「今週最も読まれている記事」……。
しかし、これらが欲求と不安という課題に対する答えにならないのは自明です。というのも、それらはさらに多くの記事の消費を提案するだけだからです。

結果として、情報に鋭敏な読者の多くは、自らのお気に入りメディアを中心に回遊し、見出しなどを判断材料に読むべき記事を取捨選択します。さらに、ソーシャルメディアなども駆使して守備範囲外へもアンテナを差し向け、情報に対して絞り込みと同時に網を広げる行動を経験に基づいて行っているのだと思います。

課題がようやく鮮明になってきました。
情報過多に見舞われながらも、まだ、情報を拾い漏らしているのではないかとの不安に晒される現代人にとって、“情報の適切な絞り込み”、かつ、時に“広い視野からの重要情報への接触”が可能となるような、一見相矛盾する仕組みが重要になっているのです。

どうやってこれを実装すべきでしょうか?
先に示唆したように、商業メディアは、できれば自らのコンテンツ(だけ)をたらふく消費してもらいたい欲求を持っています。その現状では、コンテンツ消費を絞り込む機能を実装するのは困難と思えます。
もし可能だとすれば、“絞り込み”の機能に権威性などを付加して、読者へのメディア価値として鮮明に打ち出すことが必須です。
もし、このような絞り込みに商業メディアが取り組まないのであれば(上述のように、取り組みたくないという衝動は頑強でしょう)、コンテンツを大量に生み出す商業メディアと、価値あるコンテンツに絞り込みたいという読者の間に、新たなビジネスや機能をもたらす第三の存在が台頭するのは当然の帰結です。
過去は検索エンジン、現在はソーシャルメディアやアグリゲーション(まとめ)型メディアなどがその原初的な役割を果たしてはいますが、いずれも“たくさんの候補を提示する”ベクトルで発展してきた経緯において商業メディアとそう変わらないと言えそうです。

ならば、だれが“絞り込みと広がり”を提供できるでしょうか? たとえば、Summify.comという有望なサービスがあります。
ユーザーのソーシャルグラフ(交友関係)を読み取り、(影響力ある)友達が言及している記事を毎日5本に絞り込んでモバイルアプリやメール等で教えてくれるものです。しかし、利用してみての感想は、期待に十分とは言えません。時には「PR」記事が交じっていることさえあります。
ソーシャルな交流圏にある人々に共通する話題だからといって、自分にとって価値ある情報という等式が成り立つというわけでもないようです。

では代わって、筆者(藤村)が乱暴に仮説を提示してみましょう。

  1. 従来の閲覧履歴を基に、好みのメディア(よく読む記事を掲載する媒体)を抽出し、その中から適切な重み付けをしながら新着記事を提示する
  2. それら提示記事には適切なサマリ(要約)文を生成し、記事を選択するための材料とする
  3. 専門分野ごとに複数名のキュレーター(情報選別者)を用意して、“お薦め”記事を絞り込んで提示する(たとえば、“本日読むべき5本”というように)
  4. キュレーターのお薦め記事にも2. 同様のサマリを表示し、気になった記事を選択するための材料とする
  5. ユーザーには、キュレーターを選択できるようにする(結果として、数名のキュレーターを選択して、ユーザーは自分の関心分野をカバーする)
  6. キュレーターによるお薦め記事と、1. でピックアップされたお好み記事を束ねて、記事見出しとサマリからなるリストを、ユーザーに対し毎日/毎週/毎月送る

個々人にパーソナライズされた記事を抽出する美しいアルゴリズムを提唱できれば良いのですが、残念ながら思い浮かびません。
結果としては、上述のように、自分自身のメディアへの経験的な嗅覚を活かしつつ、併せて、権威ある人々からも記事の推奨を受ける。
この組み合わせに、私は情報爆発時代の情報処世術を見いだします。
繰り返しですが、商業メディアもこのようなアプローチを積極的な商材として提供すべき時機が近づいています。
むろんそれをしなければ、第三者がその役割を果たすことになります。そして、時代はその萌芽を随所で見せ始めていると思うのですが、どうでしょうか?
別の機会にもう少し実装イメージを追い求めてみたいと考えます。(藤村)