メディアの「パーソナライズ」を改めて考える

かつて注目されながら、空振りに終わったメディアのパーソナライズ。
多くの商業メディアとソーシャルメディアが連なり進む情報爆発、
課題として見えてくるのは、適切なコンテンツへの絞り込みと、重要な話題への視野の拡大。
改めて、メディアのパーソナライズの可能性について考えます

先日、ブロガーの境 治氏の投稿「長いものが読めなくなってきた〜コンテンツ消費の夕暮れ〜」に触れ、思わず唸ってしまいました。

朝、通勤電車の中でTwitterやFacebookで情報収集する。面白そうな記事やブログをチェックして、会社に着いたら読む。読む。読む。読んでも読んでも興味深い記事、読むべきだぞなブログがどんどん出てくる。読む。読む。・・・でも、ものすごいスピードで流し読みだ。ちゃんとすべての文字に目を通してなんかない。だいたいね、だいたいわかった。はい、次!そんな勢いだ。

長い記事がどうも最近、ちゃんと読めなくなってる気がする。

境氏が書いた情景は、“ニュースジャンキー”(ニュース中毒症)を自認する自分にぴったり当てはまるのです。
境氏も自分もいささか自業自得感はあるものの、この「何か(さらに面白い)事が起きていないか?」と「何か読み落としている重要な情報がないか?」という“欲求と不安”への対処は、情報の渦におぼれかかっている多くの現代人に共通する課題ではないでしょうか。

今回のテーマは、(私たち)読者がいかにして“適切な情報に触れる”ことができるかということです。

先に自分なりの結論めいた見解を述べると、業務上目を通すことを求められるような、例えば事務文書などは面白くないこともあって、量が過剰になれば「もううんざり」「業務効率が落ちるので分量少なく」といった抑制メカニズムがおのずと働くものです。
ところが、自分が追い求めるテーマ、関心事に触れる情報は自らの欲求によって読もうとするため、このような抑制メカニズムが働きません。
コンテンツ消費が直線的に伸びてしまいがちなのです。情報を何らか絞り込むメカニズムが用意されなければならないはずです。

そこで重要になるのが、何らかのパーソナライズ(機能)です。
Web上のニュース記事については、はるか10年以上前からこのパーソナライズが有望視され、そして消えていきました。
なぜかコンテンツ分野ではこのパーソナリゼーションは主流の議論になりきれずにここに至っているのです。
隣接分野でのパーソナリゼーションに関わる記事を最近見かけました。これを簡単にご紹介します。
TechCrunch Japan に掲載された「Eコマースを巡る次の革命的発展は利用者次第?!」がそれです。

Eコマースにはパーソナルなレコメンド機能が欠かせない。しかし、10年前にAmazonがプロダクト販売の場面に「パーソナライズ」の概念を持ち込んで以来、この面における進化というのはほとんどないという状況かもしれない。但しEコマースで利用できるデータは一層膨大なものとなっており、まさに今、新たな「パーソナライズ」時代へとジャンプする直前期にあるのではないかと思われる。

この記事の主眼は、タイトルにあるとおり“Eコマース”です。なのですが、筆者(藤村)には、まさに情報が過剰化する一方の現在、適切な情報への欲求と不安に悩まされるメディアと読者の間にこそ当てはまる話題と読みました。

上記引用に「この面における進化というものがほとんどない状況」とありますが、(ニュースなどの)メディアと読者の間でも事情はまったく同じです。
そもそもメディアそれ自体が、“これを読むべき”というリコメンド(推奨)の束なのですから、本質的に読者一人ひとりのための取捨選択を良しとしない要素があります。
また、読者自身も一般的には、自分が何を読みたいのか、どんなテーマに関心を持っているのか明示的に定義できない側面もあり、これまた、パーソナライズが定着しない要因です。

パーソナライズが不調に終わった以後、(ニュースなどの)メディアサイトやソーシャルメディアなどで目にするパーソナライズに代わる機能は“リコメンド”です。
「この記事に関連する記事」「あなたの知人が『いいね!』と言っている記事」「今週最も読まれている記事」……。
しかし、これらが欲求と不安という課題に対する答えにならないのは自明です。というのも、それらはさらに多くの記事の消費を提案するだけだからです。

結果として、情報に鋭敏な読者の多くは、自らのお気に入りメディアを中心に回遊し、見出しなどを判断材料に読むべき記事を取捨選択します。さらに、ソーシャルメディアなども駆使して守備範囲外へもアンテナを差し向け、情報に対して絞り込みと同時に網を広げる行動を経験に基づいて行っているのだと思います。

課題がようやく鮮明になってきました。
情報過多に見舞われながらも、まだ、情報を拾い漏らしているのではないかとの不安に晒される現代人にとって、“情報の適切な絞り込み”、かつ、時に“広い視野からの重要情報への接触”が可能となるような、一見相矛盾する仕組みが重要になっているのです。

どうやってこれを実装すべきでしょうか?
先に示唆したように、商業メディアは、できれば自らのコンテンツ(だけ)をたらふく消費してもらいたい欲求を持っています。その現状では、コンテンツ消費を絞り込む機能を実装するのは困難と思えます。
もし可能だとすれば、“絞り込み”の機能に権威性などを付加して、読者へのメディア価値として鮮明に打ち出すことが必須です。
もし、このような絞り込みに商業メディアが取り組まないのであれば(上述のように、取り組みたくないという衝動は頑強でしょう)、コンテンツを大量に生み出す商業メディアと、価値あるコンテンツに絞り込みたいという読者の間に、新たなビジネスや機能をもたらす第三の存在が台頭するのは当然の帰結です。
過去は検索エンジン、現在はソーシャルメディアやアグリゲーション(まとめ)型メディアなどがその原初的な役割を果たしてはいますが、いずれも“たくさんの候補を提示する”ベクトルで発展してきた経緯において商業メディアとそう変わらないと言えそうです。

ならば、だれが“絞り込みと広がり”を提供できるでしょうか? たとえば、Summify.comという有望なサービスがあります。
ユーザーのソーシャルグラフ(交友関係)を読み取り、(影響力ある)友達が言及している記事を毎日5本に絞り込んでモバイルアプリやメール等で教えてくれるものです。しかし、利用してみての感想は、期待に十分とは言えません。時には「PR」記事が交じっていることさえあります。
ソーシャルな交流圏にある人々に共通する話題だからといって、自分にとって価値ある情報という等式が成り立つというわけでもないようです。

では代わって、筆者(藤村)が乱暴に仮説を提示してみましょう。

  1. 従来の閲覧履歴を基に、好みのメディア(よく読む記事を掲載する媒体)を抽出し、その中から適切な重み付けをしながら新着記事を提示する
  2. それら提示記事には適切なサマリ(要約)文を生成し、記事を選択するための材料とする
  3. 専門分野ごとに複数名のキュレーター(情報選別者)を用意して、“お薦め”記事を絞り込んで提示する(たとえば、“本日読むべき5本”というように)
  4. キュレーターのお薦め記事にも2. 同様のサマリを表示し、気になった記事を選択するための材料とする
  5. ユーザーには、キュレーターを選択できるようにする(結果として、数名のキュレーターを選択して、ユーザーは自分の関心分野をカバーする)
  6. キュレーターによるお薦め記事と、1. でピックアップされたお好み記事を束ねて、記事見出しとサマリからなるリストを、ユーザーに対し毎日/毎週/毎月送る

個々人にパーソナライズされた記事を抽出する美しいアルゴリズムを提唱できれば良いのですが、残念ながら思い浮かびません。
結果としては、上述のように、自分自身のメディアへの経験的な嗅覚を活かしつつ、併せて、権威ある人々からも記事の推奨を受ける。
この組み合わせに、私は情報爆発時代の情報処世術を見いだします。
繰り返しですが、商業メディアもこのようなアプローチを積極的な商材として提供すべき時機が近づいています。
むろんそれをしなければ、第三者がその役割を果たすことになります。そして、時代はその萌芽を随所で見せ始めていると思うのですが、どうでしょうか?
別の機会にもう少し実装イメージを追い求めてみたいと考えます。(藤村)