劣化するWebメディアの“ユーザー体験” デジタルメディアは印刷メディアに学ぶべきなのか?

収集のつかないくらい取り散らかった Web  メディアのデザインは、
ユーザーの集中を阻み、“メディア体験”を蝕む
このままでは、
印刷メディアを克服したとする Web メディアも、
読者に“ノー”と言われる時がやってくるかもしれない

Web(メディアの)ページは、あまりに多くユーザーへの接触点を盛り込んで取り散らかってしまい、読者はコンテンツに集中することができない。

こう語るのは、米国でブログ、ビデオなど多くのソーシャル型コンテンツをネットワークするメディア企業 SAY Media の CEO、Matt Sachez 氏です。
Ad Age DIGITAL 掲載記事「Take a Lesson from Print Media: Clean Up Web Layouts」(印刷媒体から学べ:Webページのレイアウトを片付けろ)で、氏は昨今のデジタルメディアが生み出す“体験”が最悪のものに陥っていると警鐘を鳴らします。
メディアのデジタル化は避けて通れない道筋ですが、氏が指摘するのはそのデジタルメディアが突き当たっているシリアスな課題と響きます。本稿では、氏の指摘をポイントに沿って整理し直してみます。

あまりにたくさんのメディアサイトが同じような欲求に駆られている。
ごたごたしたタイトルやストーリー。
アイコンや広告が見苦しく積み上げられている。
メディア事業がデジタル時代を生き延びるために、私たちは Web を片付ける必要がある。
より速く、より多くのアクセス等々を追い求める結果、エディトリアルデザインの美やコンテンツに配慮した広告体験といったものに対する無関心が生じているのだ。

このように Sanchez 氏は Web メディアの現状を指摘します。
当ブログ「Web 系ニュースサイトの行き詰まりを検証する」で指摘したように、経済的背景もあって Web メディアのページデザインに占める広告面積の増殖が課題になっています。
しかし、Sanchez 氏の論は、記事面における広告表示面積の多寡を問題にしているのではありません。
Web のページレイアウト自体が読者の焦点を散乱させてしまっているという構造的な要因についてなのです。

「無関心」は、Web メディア読者に対してどのような結果をもらたしているでしょうか?

初期のWired 誌が懐かしく思い出される。美しくデザインされたページが流麗にストーリーを運び、読者の理解を助け重要ななにかを感じさせるようなものだった。
それに比べ、現在のデジタル(メディアの)体験は、恐ろしくつまらない。

Web は(メディア体験を)後退させていると、いくつもの理由から言える。
増加するソーシャルメディアの共有ボタンが、数多くの広告表示枠が、ますますコンテンツを追い詰めている。
構造的に見て、Web ページは複雑になりすぎているのだ。
読者に、コンテンツや広告その他重要なことに集中させる代わりに、たくさんの投稿や共有機能などが盛られさまざまなアクションを求めようになっている。

最新の Web メディアに求められる要素に、“会話性”が挙げられることが多いのですが、氏が指摘するのはそのようなインタラクション(双方向の会話)機能を数多く埋めこもうとすればするほど、ユーザーにとってコンテンツや広告の閲覧に集中できないというのです。
コンテンツと広告以外の要素があまりに増えてしまった Web メディアの現状が問題だというわけです。

ならばそんな劣化したユーザー体験を改善するにはどうしたら良いでしょうか?
氏はひとつの仮説を、印刷メディアでの知見を学び、それを Web メディアの特色とをうまく共存させるべきと述べます。

どうやってこれを修復するのか? どうやれば、コンテンツと広告をバランスさせ、読者、コンテンツ提供者、広告主らのエコシステム高めるような、高品質なデジタル体験を創造できるだろうか?
私たちは、かつての印刷メディア時代が持っていた美しいエディトリアルデザイン、レイアウト、見やすい広告の手法を学び、Web  が有するリッチでインタラクティブな力と組み合わせる必要がある。
HTML5 をはじめとする新技術に対応したブラウザなどによって、より効果的な(文字)組版や写真、レイアウトは可能となっている。

また、旧来の Web メディアのトレンドに対して、それを改善していこうという勢力も台頭していると紹介します。

Gawker(米国の著名なゴシップ系 Web メディア)のデザイン変更——その当初は激烈に批判された——は、そのブログメディアのルーツを払い落し、新たなメディアを体現しようとする試みだった。それは成功した。ユニークビジター数は記録を更新したのだ。

My Gawker Redesign « Joey Primiani の記事から。
左は 2011 年リニューアル後の Gawker。右がリニューアル前のデザイン via kwout

The Verge The Daily Beast も同様に力強いエディトリアルデザインを加速している。また、(ブログ由来の)垂直方向にコンテンツを積み上げていく方式に代わるレイアウトデザインを使い始めている。
老舗メディア、たとえば New York Times もデザイン重視を強めている。同紙もまた、取り散らかしたレイアウトを改め、また、時系列重視のデザインからオンラインエディトリアルデザインへ歩み始めている。

デザイン面でも新風を吹き込む新進気鋭のブログメディア The Verge via kwout

ここに筆者(藤村)の意見を差し挟んでみたいと思います。
Sanchez 氏が例に挙げるような、デザイン面でのサイト再設計を試みたメディアはまだまだ少数にとどまっているようです(だからこそ、読みやすい、ストレートでシンプルなレイアウトは Web サイト間の差別化要素にもなりそうですが……)。
まして国内では、商業サイト、人気ブログメディアでも、個人的な印象としては“見づらい”サイトが隆盛を誇っているのが実情です。

しかし、メディアが自らユーザー体験向上をめざすイノベーションをリードしなければ、「メディアのデジタル化が開く根本的な変化」で触れたように、サードパーティが提供する、例えば Web ブラウザ Safari の「リーダー」機能、そして Readability や Instapaper 等が提供する“テキストスクレーパー”系アプリやサービスを通じて、ユーザー自らが Web メディア体験の“改善”へと動いてしまうと予測します。既にモバイル機器からの Web サイトアクセスが急伸している動向の背景には、そのような兆候が見え隠れしています。
そうなってしまっては、各メディアが丹精込めて作り込んだオリジナルなコンテンツや、広告などによる収益機会が損なわれかねません。

さて、Sanchez 氏のオピニオンは、現在の Web メディアはかつて高品質を誇った印刷メディアでの経験や成果に学ぶべきだという教訓で、実は終わっていないのです。

デジタルメディアは、他方で巨大なトレンド変化であるマルチスクリーン化(モバイルなど多種多様なメディア機器類)への対応を迫られています。氏が最終的に主張するのは、このようなスクリーンやロケーションの多様化に対応しなければならないデジタルメディアにとり、本質的な問題解決は“メディアは API のような存在になるべき”との刺激的なものです。残念ながらこの点について論じるには機会を改めなければなりません。
(藤村)

新聞社サイト有料化 本格的に離陸するのか?

日経新聞電子版の有料会員が20万人を突破した
朝日新聞、読売新聞も電子版サイトを有料化、
あるいは有料オプション付きビジネスを模索している
世界的な新聞電子版サイトの有料化動向は、本当にブレークスルーなのか?
デジタルメディア事業という視点で、注目点を探る

先ごろ、日経新聞が同社電子版有料会員数が20万人を突破したことを報じました(下図参照)。

この記事(社告)を基に、デジタルメディアの動向をウォッチしている者として、気になる点を読み解いていきましょう。
まず、「有料会員」そして「無料会員」。この二つの数値が累積数(すなわち、契約終了者・退会会員を含んでいるのか、否か)なのか、あるいは現時点の契約者なのかが気になります。
というのも、既に紙媒体を契約している読者にとり、電子版への敷居は(+1000円と)比較的低く(!?)、お試し的に登録してみるという一定の流動性が想像できるからです。結果として短期間で退会(「紙媒体だけでいい」などと判断)という行動態様も想像できます。残念ながらこの点についてのヒントは見つかりません。

また、135万人の電子版購読者総数をどうとらえるべきでしょうか? これをまだまだ“序の口”と見るべきか、あるいは、そろそろ拡大より有料会員への移行施策が重要なのか。
ヒントは、「日本経済新聞メディアデータ」にあります。ここで示される印刷版日経新聞の購読者数は約300万人。
電子版購読者総数との重複・非重複が気になるところですが、筆者(藤村)はまだまだ広大な非会員の裾野が残されているとは見ません。

本記事(社告)から得られる認識は、さらにあります。
記事は、同紙の有料化会員の規模が、世界を見渡しても「米ウォール・ストリート・ジャーナル電子版」(WSJ)、「米ニューヨーク・タイムズ」(NYT)、「英フィナンシャル・タイムズ電子版」(FT)に次ぐトップグループに属していると位置付けていることです。
ちなみに、筆者(藤村)が以前に取り上げた記事では、NYT 電子版有償購読者は32万人(無償購読者100万人)、FT 25万人(同400万人)としています(「デジタルメディア有償購読化に見逃せない3つの視点」)。
ここに日経電子版の数値を差し挟んでみましょう。

FT 250K(4M 6%)
NYT 320K(1M 32%)
日経 200K(1.4M 15%)
*「%」は有料/無料会員比率

英語圏域の人口を考えれば日経電子版の奮戦ぶりは評価されるべきかもしれません。また、有料/無料会員比率で NYT があまりにも飛び抜けていることはあるにせよ、日経は“なかなか”だと見てもいいでしょう。
さらに考えてみたいポイントがあります。
購読者数という純粋な規模に加えて、購読料(価格)という要素を加味してみたらどうでしょう?
手元の「The New York Times’ Delusional Digital Pricing Scheme」という記事に購読料の媒体比較チャートがあります。これを基に精査・追加を施したチャートが下図です。

Q2H5XEiWYaZGHnd

The New York Times’ Delusional Digital Pricing Scheme を訂正加筆した媒体購読料比較。
日経電子版は、4000円の電子版単独購読料を12倍した。為替レートは単純化してある

日経新聞を除くと、やはり高品質と伝統をテコに一般紙ながら強力な支持層に支えられた NYT がダントツの購読料(年換算ベース)で、読者規模の WSJ に競争を挑む図式です。
日経電子版をここに挿入するとあることが見えてきます。日経電子版は電子版のみの購読者が20万人であれば、NYT の購読料売上に肉薄するのです。
もちろん、事情はそう簡単ではありません。日経社告は「有料会員のうち紙の日経新聞とセットで購読する読者が10万人を超えており」と明示しています。つまり、20万人が月額4000円を支払っているのではなく、その半分が月額1000円の支払いに止まっていることは周知の通りです。

それにしても、こと“直接購読者数とその課金売上”に絞って比較すれば、日経電子版は社告が胸を張って述べるように世界中を見まわしても、確かにトップクラスであることに間違いはありません。
ただし、ことはこれで終わりません。その将来性が懸念されて久しい新聞業界。日経新聞は確かに世界トップクラス入りしているもののその将来は安泰でしょうか?
ポイントを絞って意見を述べます。
まず、有料購読者数の増加ペースを続けられるか? ということです。
ちなみに、NYT が本格的なペイウォール(有料制)を敷いたのが1年前。日経電子版はすでに2年。常識的にいって NYT の増加ペースに追いつくには困難が伴います。

もうひとつ。日経電子版の“値付け”が世界水準で言っても驚異的な高さであることを忘れるわけにはいきません。このマーケティング方針が示すものは、依然として日経電子版は印刷媒体購読を補完する(言い換えれば、電子版へと大移動が生じないようにする)姿勢を保持していることです。
むろん、事業の総合的な収支尻という観点あってのことでしょうから、印刷媒体購読を基幹とし続ける姿勢に安直な批判は無意味でしょう。そこでこの、印刷媒体=主、電子媒体=従の図式がいつまで維持されるのか、という関心に言葉を換えてみたいと思います。

ここで先に紹介した「デジタルメディア有償購読化に……」をもう一度、紹介しましょう。
そこでの注目の論点は次のようなものでした。

厳しさを増す新聞業界の中でも極めて強い競争力を有する2紙、すなわち The New York Times(以下NYT)と The Financial Times (以下 FT)がほぼ同時に印刷版の大幅な値上げに踏み切ったのである。NYT を例に取れば、デジタル版購読は、売店1部売りに比べると70%も、FT でも同様の比較で68%も安価となる。
これは、単純に物価上昇分の吸収というようなものではなく、明瞭に、印刷版からデジタル版へと読者にシフトを促す戦略的な決定とみなすことができる。

デジタル版が新聞メディアの“未来”(参照:「次の5年以内には…その時までには読者の多くがデジタル版を読んでいるはずだ」)だとすれば、いずれ印刷媒体の購読者を強制的にも電子版へと誘導し、それを基盤に企業全体の経営を再設計しなければならなくなる時がきます。
そのために世界的に見て飛び抜けて高い購読料体系を、いつどうチューニングするのか、注視していきたいと思います。(藤村)

デジタル“再出版”  見えてきた方程式

21世紀は既に始まって久しいのですが、いまも多く私たちが目にしているメディアは、前世紀からの歴史を背負った出版事業に範をとった“デジタル”メディアです。
過去の出版事業に引きずられず、21世紀起点の出版(メディア)ビジネスを考えたい——。
大ざっぱながら筆者の当面するテーマです。
Blog on Digital Media ではそんな視点からの投稿を続けています。

さて、デジタルメディアを考える際に重要なポイントは、コンテンツ(情報の実体)とメディア(コンテンツを容れる形式)の分離が進んでいることです。
形式としてのメディアから自由になる(形式が消滅するわけではないのですが……)ことでコンテンツは容器の制約を離れ、粒子のように高速に運動し、また多種多彩な“すき間”へと浸透します。人々はあたかも空気のようにそれに触れ、半ば無意識に摂取することになります。
従来のように、雑誌や書籍という形式への縛り(バンドル状態)が強すぎれば、コンテンツは引用や口コミといった人々の会話に乗りにくいままでしょう。また、コンテンツを新たな形式に包み直すことで得られるかもしれない二次的な利用法への可能性も狭いままのはずです。

先の「『未来の雑誌』 その実現シナリオを検討する」では、雑誌という形式にバンドルされた各々の記事を解き放ち、1本単位で消費したら……というビジネスモデルを紹介しました。
本稿では、その逆の方向性を例示します。すなわち、バラバラの記事をベストセレクトして、それらを魅力的にパッケージし直し従来では得られなかった価値を生むという方向性です。言い換えれば、パッケージ(形式)の側に価値を積極的に見ていこうという試みです。
紹介するのは、米大手デジタルメディア企業 AOL がリリースした iPad 向けアプリ Distro です。Poynter. に掲載された記事「AOL websites give best stories a second life in weekly iPad magazines(AOL は Web サイトの秀逸な記事に、週刊 iPad マガジンで第二の生を与える)」を通じてこの試みを紹介していきましょう。

著名なテック系ブログメディアに Engadget(日本版はEngadget Japanese)があります。
同メディアは「ブログメディア」と言いながら、毎日40本以上の記事が流れ落ちるようにポストされています。その多くは短信ニュース系記事ですが、日に数本、深めの分析やインタビューなど読み応えある“目玉系”の記事がポストされます。
これら深めの記事だけがピックアップされ、週刊で更新される Distro にて新たな生命を吹き込まれるのです。
記事では、同社モバイル担当幹部の David Temkin 氏が次のように語ります。

Distro 読者は、1回 Dsitro を起動すると平均約10分間を費やす。ところが、Web の Engadget サイトを訪れる読者では1回当たり1分に満たない。
Distro
は iTunes Store で極めて高いユーザー評価を得ている。
それは Wired のような、活発で人気のある雑誌と同じクラスの読者を引きつけている。

実際の数字を明らかにするわけにはいかないが、Distro の読者数を知れば、これがもしリアルな印刷雑誌だとしたら……と、驚くはずだ。

確かに1セッション単位の滞在時間が10分を超えるとなると、その読者の行動は Web メディア的ではありません。

Temkin 氏、そして AOL はこの注目すべき“再出版”モデルへの反応に意を強くして事業拡大に乗り出しています。
次なる題材は、これまた著名で同社傘下の Huffington Post で、アプリ名は Huffington. です。

われわれは、Engadget と同様の特性を持ったサイトを運用しており、たくさんの記事を利用して、リーンバックスタイルの読書や美しい紙面を生み出すことができるのだ。

ところで、もう少し具体的に Distro の特性を確認していきましょう。
ブログメディアへの投稿コンテンツの“再出版(republish)”という用語を Temkin 氏は用いていますが、大事な点は、記事(本文)以外の要素は Distro 専用のしつらえになっていることです。
アプリ用にオリジナルのインフォグラフィックや編集長コラムを追加していまる。記事レイアウトの自動化もほどこさず、デザインスタッフが関与していると言います。Web メディア版では SEO を意識したキーワードを用いていたりしているのも、洒落た軽妙な語句に置き換えたりしています。ほとんど作り替えです。
下図をご覧下さい。“紙面”のイメージやデザイン品質などが見てとれるでしょう。シンプルで、かつ、雑誌風のデザイン。時間をかけくつろいで読書すべきスタイルを目指していることが伝わります。

destro1

Distro の画面
① ニューススタンド形式で提供される Distro
② 新たに書き起こされたインフォグラフィックのページ ③ Distro 用の編集長コラム
④ デザインされ直して、雑誌風になった記事ページ

Engadget 同様、活気溢れるブログメディアで有名な TechCrunch で以前責任あるポストにあったブロガー M.G. Siegler 氏は Web メディアについてこう語っています。

Web コンテンツの99%は○ソだ。写真も含めて素敵なコンテンツがそこにはある。だが、ほとんどが広告過多なひどいレイアウトに挟み込まれている。TechCrunch も同様だ。
最高のコンテンツをエレガントなパッケージに包んで読みたい。美しい雑誌のように。

記事は Siegler 氏のコメントが、Distro のコンセプトを言い当てているとします。

さて、大事なことは“これで儲かるのか?”です。あるいは、これを売るためにどうするか? という問いでもあるでしょう。
Temkin 氏にとってひとつの発見は、“これ(Distro)は、Web サイトというより印刷媒体だ”というものです。
AOL のビジネス文化は、従来からオンライン広告を売買する習性を持った人間たちによって形成されてきました。印刷物を売る文化とは異なるのです。

われわれにはやるべき宿題がある。良いことに、われわれは読者層を築いた。そして高品位なコンテンツを有している。得られた指標は立派だ。まずいことは、(この商品が)われわれがこれまで売ってきたものとはまったく似ていないことだ。
Distro、そして創刊される Huffington.も無料だ。
だが、読者はこの商品が本当に好きなので、それにカネを払ってもいいと感じていると、私は考えている。
これは有料の商品たり得るか? イエスだ。

AOL のような企業が、そして、DistroHuffington. が販売上の課題に突き当たっていることは想像がつきます。オンライン広告で勝負してきたビジネス文化が、急に雑誌を1冊1冊売るビジネスへと転換するにはさまざまな困難が待ち構えているはずなのです。
しかし、この直面する課題も含めて、コンテンツが形式の縛りから解き放たれた時代にコンテンツがどうすれば新たな活力を生みだすのか大きな可能性を見せてくれていると筆者(藤村)は受け止めます。

ところで、最後にビジネス文化ではなく編集文化上の転換にも言及しなければなりません。
鋭敏な読者の中には、どうして Engadget というネーミングを引き継がずに、わざわざ知られていない Distro という新ブランドを創造したのかいぶかしく思った方もいるはずです。
Huffington. はやや折衷的で Huffington Post ブランドを引き継ぎました。
この周辺には、いったんブランドという形式的な価値を生み出すと、そのブランド性をアンバンドル化しづらいという心理的な障壁が内在しているはずなのです。このようなギャップもまた、コンテンツ“再出版”という理路を歩む際の課題として克服しなければならないはずです。
(藤村)

「未来の雑誌」 その実現シナリオを検討する

私たちの眼前には、すでに多くの電子雑誌が登場している。
しかし、“未来の雑誌”はそのようなものではない。
それは プラットフォームであり、
従来の雑誌から記事のアンバンドル化を一挙に推し進め、
お勧めリストから、購読、そして閲読へといたる一貫した体験を提供するアプリとなる。

本稿では、“雑誌の未来形”を大胆にデッサンした米ブロガーのオピニオンを紹介します。ブログ Pando Daily 掲載、Hamish McKenzie 氏執筆「The Future of Magazines Should Look a Lot Like Spotify」です。
McKenzie 氏の大胆な素描は雑誌の未来形をめぐって随所にわたりますが、基本となるコンセプトを取り出すとこうです。

  • 雑誌ごとに異なるアプリをインストールするのは不合理である
  • 読みたい記事・読みたくない記事その他をバンドル(不即不離)した提供は旧弊の踏襲である
  • お勧めから始まり、購読購買、ソーシャル化された閲読に至るプロセスを統合すべきである

では、論旨を整理しながら、McKenzie 氏の主張するところに耳を傾けていきましょう。

タブレットは、もしかすると雑誌の救世主である。しかし、購読者の減少に直面しながら、雑誌は自身を救うためにほんのわずかなことしかしていないのだ。

タブレットで雑誌を読む行為は、時代錯誤のページめくり機能や、コンビニのスタンド売りのような(品のない)デザインの模倣であったりと、紙の雑誌の悪しき閲読体験を引き写した行為のようだ。
さらに悪いのは販売流通の仕組みだ。
Apple の Newsstand はまだ良い。価格もまあまあ。フォルダもひとつに整理される。だが、それで十分というわけではない。

ここから氏は、電子雑誌の販売と(コンテンツ)流通の旧弊に切り込みます。
ひとつは、流通です。雑誌が多様な記事をバンドル(不即不離な状態)化して販売するモデルであること。
Web の世界では検索エンジンの力を借りて、読みたい・知りたい記事へ直行する仕組みが整備され、記事(コンテンツ)単位の消費モデルが形成されています。
また、iTunes に象徴される楽曲のばら売りも常識となりました。雑誌がいまだにバンドル形式に固執することを氏は批判します。流通におけるアンバンドル化の趨勢については以前にも論じたところです(「メディアとコンテンツの“アンバンドル化”」、「コンテンツの『断片供給』と『小口課金』を考える」)。
もうひとつ、現在の電子雑誌の流通の問題は、雑誌コンテンツとアプリがバンドル化されており、一つひとつインストールしていくと膨大な容量が必要となることでしょう。

このような非合理に対して氏が回答として提案するのが、有料動画配信サービス Spotify(下図)に範を得たモデルです。
whatisspotify_client_and_phones

Spotify サービスのラインアップ

日本では提供されていないサービスなので、別のサービスを例にとると、iTunes Store と iPod(アプリ)が統合されているようなものと理解すれば良いでしょうか。
McKenzie 氏がイメージするのは、iTunes がアルバムとのバンドル状態を緩めて楽曲単品での購入に道を開いたように、雑誌もその記事をアンバンドル化しバラバラに購読できるようにするというものです。氏の構想ではアプリを起動すると、記事単位のリストが表示され読者は読みたいものを選んでその場で iPod のように閲読を開始するのです。
仮にこのアプリを「Magazine Reader」と呼ぶことにしましょう。
Magazine Reader は、記事のマーケットプレイス(ストア)機能を持ち、そこから選んだ記事を即座に閲読できます。
ストアは、実在の書店や Amazon などのEC書店の体験を上回るべく下記のような情報や機能を提供すべきとします。

  • お気に入り雑誌ごとに最新記事リストを表示
  • 読者の関心事項に即した記事、ソーシャルメディアで話題となっている記事リストを表示
  • リストの各記事には、サムネール画像・筆者名・タイトル・日付・雑誌名・読者へのリコメンデーション・レベルなどを表示
  • 各記事の折り畳まれた情報を広げれば、記事の先頭段落や記事のデザインなどを確認できる
  • 個々の記事を含んだ雑誌全体を購入をすることもできる

また、ソーシャルリーディングの観点から次のような機能も用意します。

  • Magazine Reader のユーザーは、それぞれの(Facebook タイムラインのような)プロフィールページを持つ。そこには最近読んだ記事や、お勧め記事などを表示する
  • また、好みの雑誌や筆者、関心テーマ、(Twitter や Facebook のように)フォローしているユーザーリストも表示する

このような情報の公開により、ユーザーはソーシャルグラフを通じて自分に適した記事を見つけやすくなるというのです。
もちろん、読者のみならず、ライター(記事執筆者)や発行者(雑誌社)も、それぞれのページを運用し、ソーシャルな関係をテコに読者を増やし購読を広げていくことになります。

既に述べたことではありますが、重要なことは一貫した閲読体験の構築です。
読みたい記事が的確にお勧めされ、気軽に購入でき、その場で読み始めることができる。また、複数デバイス間でも同期が働き、場所や時間を問わず読書をシームレスに進められることが基本です。
閲読のインターフェイスは美しく、記事を読みながら辞書を引いたり、記憶したい箇所をマークアップできます。
クラウド型の閲読スタイルの利点で、筆者が新たな事実などを発見して記事を改訂すればそれが即座に反映したりと、ダイナミックな閲読体験を期待できます。
さらに、そんな閲読体験をソーシャルメディアへと発信することで、より良いコンテンツを勧め合う場が形成されていきます。
このような網の目が張り巡らされることで、記事単位の流通と売買が読者、執筆者、発行人の間で成立するようになるというのです。

さらに重要なのはビジネスモデルでしょう。
McKenzie 氏が範とするのは、iTunes のような楽曲単位の課金ではなく、Spotify をはじめとする有料動画配信サービスが採用している月額固定料金制です。

主要な収入は Netflix のような購読料モデルとなる。これは月額10ドルですべての記事から読みたいものをいくらでも読めるというものだ。
この収入を、記事の発行者とプラットフォーム(Magazine Reader 提供者)で分け合うことになる。
もちろん、発行者(出版社)は抵抗を示すだろう。彼らの元々のビジネスモデルはバンドル型であり、アンバンドル(=ばら売り)ではなかったから。
しかし、コンテンツのアンバンドル化は避けられない。
うまく収入を分配できれば、読者にも筆者にも、そして発行者にとっても良い収入モデルとなるはずだ。

月額固定料金で読み放題という、米国でもビデオストリーム系サービス(以前は借り放題のCDレンタル)でしか成立していないモデルが、日本市場にも妥当するかは、まだ謎です。しかしながら、これも「WIRED シングル・ストーリーズ」に触れて論じたように、読み応えのある適切なボリュームの記事を売買する市場は、読者側の需要はもちろん、記事執筆者・フリージャーナリストらの糧道確保という観点でも意義あるものでしょう。

McKenzie 氏は、音楽や映像系のコンテンツ流通が先行して示したような多様性が、雑誌市場にも開けてくることに期待を示します。
音楽や映像市場で実現できたことが、雑誌市場でできないことはないと筆者も感じます。
アンバンドル化に踏み切るには、印刷雑誌への広告掲載需要が低迷しているいまが、その格好の機会なのかもしれません。
(藤村)

リーンバック2.0 進む“読書スタイル革命”

iPad の製品発表を覚えているかな? だれも iPad のスペックや性能について語ってはいなかった。ソファに寄りかかっている図を記憶しているだけだ。それこそ Steve Jobs が傑出した点だった。
「iPad は大きなスマートフォンなのか、あるいは小さなノート PCなのか」。
人々が怪訝に思ったとき、Jobs はそんなことには答えなかった。「そいつは、くつろぐということだ」とだけ言ったんだよ(「The Economist: ‘Lean-back 2.0 is not the end of innovation in the media industry’」)。

こう熱っぽく語るのは、1843 年創業という老舗、米英で著名な週刊誌 The Economist の社主 Andrew Rashbass 氏です。
Economist 誌を中心とする氏の出版グループは好業績が伝えられています。
好調の理由は、まず広告収入、そして雑誌購読それぞれが順調なこと。なによりも明るい材料はデジタル版(Web、スマートフォン・タブレット版)が好評なのです。
同社では、印刷雑誌および書籍に加え、Economist.com をはじめとする一部ペイウォール型 Web サイトを運用し、さらに、iPhone・iPad・Andoroid、そして Kindle 向けアプリケーションを投入。
また、Facebook ページでは累計 100 万人がファン登録したとの発表もありました。
この結果、同社の印刷およびデジタル版を合わせた購読者が全世界で 150 万人(ABC 公査結果)となり、かつ、デジタル版購読者が印刷版購読者を上回るという、将来に明るい展望を持つメディアとしてリーダー的地位についているのです。

本稿では、将来への布石を着実に成功させつつある Economist 誌の戦略に注目します。

Rashbass 氏を筆頭にした Economist が打ち出すデジタルメディア戦略、その中核コンセプトは「リーンバック 2.0」というものです。これを冠したコーナーを Web サイトに設けるなど、なかなかの本気度ぶりが伝わってきます。
では、“リーンバック”とは何でしょうか? 「リーン(Lean)」は傾斜すること。つまり、リーンバックはうしろに傾くことを意味します。
Rashbass 氏が冒頭で、故 Steve Jobs 氏に言及した箇所に戻りましょう。
写真を見て下さい。ソファなどの背もたれに寄りかかりくつろいだ状態、これがリーンバックです。
対義語は“リーンフォワード”。前に傾く。すなわち、机などに身を乗り出しなにかに集中しているアクティブな状態を指します。
このリーンバック対リーンフォワードに、デジタル時代のメディアの行方を分かつポイントがあるというのが、同氏の主張なのです。

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記事「The rebirth of reading」より

Rashbass 氏曰く、もともと Economist など新聞(雑誌)の読書スタイルは、ソファで足を組んだりと、くつろぎつつ記事を精読(氏は“耽読”とまで形容します)するというものでした。
氏にとり、Economist 読者の知的読書スタイルはリーンバックであるとの強い確信があったのです。その認識の下でオンライン(Web)版を開設したところ、自分たちは大いに間違ったと率直に述べます。

オンライン版を通じて読者がどのように行動しているのかを調べた。年齢や地理的な条件に関係なく、世界で起きている様々な事象への知的な好奇心に充ち満ちたリーンバック読書スタイルは、Web にはまったく移行してこなかった。

しかし、そこには印刷版にない事業機会があったのだと言います。そこで、 Economist 誌とEconomist.com は別ものとして投資を行うことにしたのでした。

調査によれば、読者はオンライン版では脈絡なく散漫にコンテンツをつまみ食いしては、それを共有し語り合ったりしているようだった。
そのような次第で、われわれはオンライン版を、読者が単に訪れてきては情報をおとなしく受けとるだけでなく、読者間やわれわれとの間に結びつきをつくり、コミュニティの場とすべく開発した。
この構想は自分たちのWebサイトに止まらず、Web を横断し Facebook や Google+へと及ぶ広範なものとなった。

つまり、印刷版の読者のスタイルはリーンバックであり、他方オンライン版ではリーンフォワードであることを“発見”し、それぞれのスタイルに合ったメディアのあり方を強化してきたのでした。これらは、対照的な読書(読者)スタイルをなしており相互に補完的役割を果たしていると言うのです。

しかし、まず 2007 年に Amazon Kindle が、そして 10 年に iPad が世に送り出されて、印刷とオンラインというメディアをめぐる構図が変わった とRashbass 氏は述べます。「リーンバックへの回帰、リーンバック 2.0だ」。

iPad では彼らは Economist を2時間もかけて読む。これは印刷版を読む際の行動とまったく同じであり、オンライン版での読書スタイルとまったく異なっている。ソーシャルへの共有はしない。リーンバックして長文を読みふけるのだ。

これがリーンバック2.0というコンセプトが打ち出されるに至った文脈です。

現在、150万人にのぼる購読者がいる。100万人に到達するのに1843年から2004年までかかった。
次の5年以内には200万人に到達したい。その時までには読者の多くがデジタル版を読んでいるはずだ。そのためには自分たちの事業運営の多くを見直す必要がある。リーンフォワードなWebスタイルも含めて。

ここに至って筆者(藤村)を含めて読者は、ひとつの疑問に突き当たります。
タブレットの読書スタイルがリーンバック 2.0 だとして、それはかつての印刷版の読書スタイルへの単なる回帰を意味するのか? ということです。
Rashbass 氏のオピニオンを載せた記事をいくつか参照しましたが、リーンバック 1.0 と 2.0 の明確な差異を述べてはいません。
ただし、それに関わるポイントに触れた記事(「The rebirth of reading」)があります。併せて紹介しておきましょう。

デジタル(の読書スタイル)は、印刷版とのゼロサムゲームではない。デジタル版は新たな読書機会をもたらすものだ。
読者が印刷版の購読を中止する理由で一般的なものは「時間がない」というものだ。
Economist の iPad 版、そしてスマートフォン版には音声版のフルセットが含まれている。運転中だろうが、ジョギングしていようが、庭に出ていようがいつでも読んでもらえるのだ。

オンライン版(Web版)が発見したものは、おとなしく記事を精読するリーンバックと対照的なアクティブな読書スタイル(リーンフォワード)でした。それはデスクトップやノート型PCの機能をフルに駆使することと結びついていました。
最後に現れたリーンバック 2.0 は記事を長時間精読する読書スタイルへと回帰していますが、スマートフォンやタブレットが持つ柔軟性と結びつくことで、忙しい時代のビジネスパーソンに新たな精読機会、新たな読書スタイルをもたらす可能性を感じさせます。
リーンバックとリーンフォワードを組み合わせ、そして、さらにこれまで精読型読書が不可能であった時間を読書可能な時間へと再創造する革命に、先端を突き進むメディアビジネスは取り組んでいるのです。
(藤村)