“消費”と“創造”——対称的関係が導くコンテンツ新時代

わが国では Togetter や NAVER などが、インターネット上にあるさまざまな話題のまとめに使われるようになってきました。
たとえばTwitter上で盛り上がっている話題は、ひとりのTwitter投稿者がひとつのテーマを掘り下げることからはなかなか生まれず、会話の広がり、言い換えれば情報のキャッチボールを通じて深まり豊かなものとなっていくことが多いようです。会話であるため複数の話者がある話題をめぐり情報を発します。ひとりのタイムラインを追いかけるだけでは見えづらい、隠されている豊かさがそこにはあるのです。
また、Twitterから離れてあるブログ記事を見たとしましょう。ここではツィート140字の制約もなく、ブロガーが思い切り自分のテーマを掘り下げればそこに豊かな世界が画然と創造されることは間違いはありません。が、やはりブロガー単独で築き上げる世界の背後にも、一人を超えた豊かな世界が広がっています。それは、ブロガーは時代の様々な情報と見えない会話を繰り広げながら記事を生み出してしているからなのだと言えます。もちろん、この事情は商業メディアの記事一つひとつにあてはめても同じでしょう。

このような、一人ひとりのTwitter投稿者、ブロガーの視点を超えた情報価値というものが浮き上がってきます。“話題のまとめ”とは、このように一人のTwitter投稿者や、あるいはひとつの記事に止まらない話題性やテーマの広がりを見いだし、それを読者ら第三者に見えやすく整理する行為なのだと定義できるでしょう。

文字通り“まとめ”ることで全体が見通せて有用性が高まるというケースはもちろん、「そんな発想があったか!」との切り口に沿った情報のコレクションによって、各コンテンツをばらばらに見ていただけでは想像もできなかった面白みが増すことなどが、まとめのかつてなかった醍醐味です。
ここで注意しておきたい特徴は、まとめを行う行為の中にあっては、まとめ編集者は、通常、自らは多く情報を発信せずすでに存在する情報の整理・加工に徹しているということでしょう。
インターネットを介して飛び交う情報量が膨大になるに従い、新たなアジェンダ(話題・議題)を設定できる人々、さまざま情報の中に豊かな価値を見いだし、それを可視化させる能力を持った層が求められており、そしていまそれが誕生しているように見えるのです。

さて、今回紹介してみたいのは米国で生まれたまとめツールのStorifyです。米国ではCuration(キュレーション)と呼ぶジャンルのサービス(製品)です。Storifyは昨年Web版として産声をあげ、最近になりiPadアプリが追加されました。この紹介を通じて私が感じる問題意識を述べてみたいと思います。

http://storify.com/
Storifyサイト via kwout

Storifyを簡単に紹介します。それには大きく二つの機能があります。
ひとつは、ストーリー(まとめトピック)を選んで読む機能。storify.comのトップページには、各種のストーリー(まとめ)が並んでいます。読者は、ここから、話題(たとえば、ホイットニー・ヒューストンなど)やカテゴリ(たとえば、ファッションなど)をたどり、読みたいコンテンツへと到達します。
Storifyのまとめの多くは、Twitter のツイートをテキストの中心にし YouTube、Instagram の写真などで目を引くように配置されています。
Storify のもうひとつの機能は「Create Story」。すなわち、まとめの作成です。Storify トップページから「Create…」ボタンをクリックし編集画面に移動します。ここでは、作成ページ(最初はブランクになっています)がメインに、そしてサイドバーに「Media」(利用する情報源)があり、Twitter、Facebook(現在は、Facebook の写真のみしか使えないようです)、Instagram、YouTube、Flickr、Google(検索から得られた Web コンテンツなどを利用する)等が用意されています。
Media から選択したコンテンツをページ面にドラッグ&ドロップし、必要なテキストを加えたり、上下の配置を調整しながらまとめを作成します。
情報源があらかじめ複数用意されており、Instagram、YouTube、Flickr など動画像系を使いやすくなっていること、検索結果から得られた各種コンテンツを取り込む、また、URLを直接入力して得られた結果を埋めこむなどの多様性が、Togetter や NAVER とのわずかながらの差異と言えそうです。これら一連の操作は簡単で、最後に[Publish]ボタンを押せば公開されます。公開対象は一般のみです。

次に、iPad 版 Storify にも簡単に触れましょう。
iPad 版の機能は基本的にひとつでまとめ作成機能のみです。そこに盛られた機能は上記した Web 版と異なるところはほぼありません。ユーザー体験上の差異は、iPad の特性に依るのでしょうが、タッチによる直感的な操作で完結するようになっており、プロモーションビデオにあるようにユーザーはくつろいだ状態で作業を進めることができそうです。

Storifyの編集画面

iPad版Storifyの編集画面。「Media」から筆者のツィートをドラッグ&ドロップしている

さて、このように Storify の Web 版、iPad 版の紹介をしたのは、筆者にひとつの問いがあるからです。それは「まとめ」を行う行為は専門性の高い行為になっていくのか否かということです。
Web 版 Storify は、わが国の Togetter や NAVER がそうであるように Web ブラウザを通じてコンテンツを楽しむのと並行するようにして、まとめ作成機能を登録ユーザーに提供しています。機能の多寡はともかくとすれば、[コンテンツを消費する(鑑賞する)]と[コンテンツを創造する]機能は軒を接して隣接している。言い換えれば対称性をなしているのです。もちろん、消費するユーザーの数は圧倒的なはずですが、それでも、消費するユーザーの中から、あるとき“その気になった”消費者が、新たなアジェンダ設定者となって現れてくることを期待して不思議ではないのです。

しかし、iPad 版 Storify ではなぜか、この消費と創造の間に対称性がありません。アプリは作成専用。消費は Safari(Web ブラウザ)でと関係が分離されています。今回、Web 版/iPad 版それぞれを操作していてもっとも気になったのがこの点でした。
対称性が失われるとどのようなことが起きるでしょうか? それは専門分化が進むということです。

専用のツールが与えられれば、専門的にそれを行おうとする人々のための道具となります。また、専門家らの道具となれば、専門家からの要望にさらされることも必然です。
たとえ、操作が複雑であったとしてもより高度な機能が求められることも多くなるでしょう。この高度化のプロセスは専門分化のプロセスであり、気づかぬうちに一般からは手の届かない、少数の専門家だけに喜ばれる製品へと自らも気づかぬままに変身を遂げてしまうことがあり得るのです。
例を挙げて考えましょう。Apple はさまざまな産業を“再発明”したと評されることがあります。印刷→ DTP、楽曲録音→ DTM、音楽販売→ iTunes Store、雑誌・書籍→ iBook Store……。
ここで DTP を例に挙げるならば、本の組版・製版・印刷の工程を従来の大型専門機器に頼っていた要素を根本的に覆したのが、Mac とそこで稼働するソフトウェア、そしてレーザープリンタ等の組み合わせでした。しかし、最終的に DTP に殺到したのは、従来から本や雑誌の出版に携わっていた専門職能群でした。残念なことに、いまとなっては、自費出版をしてみようと思いたっても DTP ソフトウェアなどは高価かつ複雑で、個人の選択肢からは外れてしまう結果となっています。

改めて筆者の感慨を整理すると、“まとめ”のような消費と紙一重(対称的)的行為は、道具もまた専門分化する方向に進化を遂げるのではなく、より一層消費に近い体験を通じて創造的行為が行えるように進化すべきではないかということです。
これは無茶な発想でしょうか? そうではありません。いまや私たちは Facebook や Twitter、そして各種の Web ブラウザの付加機能を通じて、価値あるコンテンツを読みながら(消費しながら)、それを知人に向けて付加価値を付けて発信したり、まとめを始めたりしているのです。この境界線があいまいな領域にこそ、本稿冒頭で述べた大きなうねりがいま生じていると見ます。
Appleが最近リリースした“電子教科書”制作ソフト iBooks Author の評価について、出版の専門家の側からの論評が厳しく聞こえるのも、同社が DTP の轍を踏まず専門分化の方向での発展の道を排除していることがその一因と見るのは、うがちすぎでしょうか。
(藤村)

「メディア」はFacebookから何を学ぶのか?——“リレーションシップ・ビジネス”へのシフト

大胆な問い

「われわれ“メディア業界”人は、実はコンテンツ業界の中にいないのだとしたらどうする?」

こう鋭く私たちに問うのはJeff Jarvis氏。最近も『パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ』が話題を呼ぶなど、気鋭の評論家、メディア・ジャーナリストです。そのJarvis氏が、私たちメディア業界人に向け厳しく、そして、大胆な提言を行っています。
拙訳を交えつつ提言の骨子を追ってみることにしましょう。

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Jeff Jarvis氏(TheGurdianより

今回ご紹介する記事は、UK版 TheGuardian に掲載されたエッセイ「What the media can learn from Facebook (Facebookからメディアが学べること)」です。
氏はTheGuardianの常連寄稿者なのです。

リレーションシップ・ビジネス

われわれ“メディア業界”人は、実は“コンテンツ業界”にいないのだとしたらどうする?

むろん、われわれはコンテンツを生み続けている。
だが、われわれが生み出す最大の価値は、実はそのコンテンツ自体にではなく、コンテンツが生み出すものの方にある。
それは、人々が関心を持つトピックやトレンド、その分野の達人などに関する情報だ。
それこそがFacebook、Google、Twitterらがコンテンツに見ているもの。コンテンツは“関わり合い(=リレーションシップ)についての信号機”なのだ。
彼らソーシャルメディアは、この信号を読み取っては人々にぴったりのコンテンツやサービス、広告を提供する。このようにして価値を精製しているわけだ。

彼らはコンテンツ業界にいない。リレーションシップ業界にいる。ならば、われわれもそうあるべきではないのか?

いきなり冒頭から痛烈なパンチです。念のために整理すれば、FacebookやTwitter、Googleらは、コンテンツ自体の価値(意義)を問題にするのではなく、コンテンツへの関心や、コンテンツを紹介し合う人間関係に目を向け、それにより個々の人間へとアプローチする手法を体現していると理解します。
これを、“メディア業界”人はまず理解せよ、というわけです。

氏はこんな痛烈なエピソードを述べます。

あるとき、米TVニュースの幹部が私にこう不満を漏らした。
「FacebookやGoogleは、(彼のコトバを借りれば--)メディアが生み出す鉄を使ってクルマを製造しているんだ」。「マーク・ザッカーバーグはコンテンツの価値を軽んじている」と。

それは違う。
ザッカーバーグ氏はわれわれ以上に、コンテンツに価値を見出している。
メディア業界人は、自分たちがコンテンツを作り続けているが故に、コンテンツには希少価値があり、自分たちがそれをコントロールできると思い込む。
他方、FacebookやGoogleは、コンテンツというものは、役に立たちそうもないもの、おしゃべり、そしてリンク等々、人々が際限なく生み出すものと見なした上で、そこから価値や利用用途を精製できることを知っているのだ。

氏によれば、メディアの依って立つのは、サービスのように一人ひとりに奉仕するような営みではなく、工場のラインのように大量生産という仕組み、言い換えればマス向け事業でした。そのため、読者一人ひとりを識別したり、その好みに合わせるような行為が苦手なのだと指摘します。
しかし、そのようなマス向け・マス製造の価値観や事業モデルを根本から見直すべき時だとします。
それは、「自分たちの価値はどこにあるのか」「われわれは何を提供すべきか」「どんな問題を解かねばならないのか」「われわれはいったい何の事業に携わっていて、どうやって事業を継続していけるのか」といった問いです。

プラットフォームとしてのメディア

この問いに対して、私はメディアを“プラットフォーム”と見なすことから始めるべきだと示唆しよう。
何かのテーマを知ろうとし、それに対しわれわれが応えることができるようなコミュニティ。そのためにあるプラットフォームである。
そして、コミュニティのメンバーが関心や知識を広く伝達・共有できるようにツールを提供する。Twitter、Facebook、ブログ、YouTube、Flickr、そしてTumblrがすでにある。

それらツールを膨大な流量の情報が通過する。われわれはこの大量な情報にいかにして付加価値を与えるかを学んでいるところだ。話題の選別、権威付け、品質、事実確認、文脈付与、整理……等々。

筆者(藤村)の理解では、メディア業界にあるわれわれは、“コミュニティ”や“場”、そしてそこに集まる人々にもっと目を向けるべきだというのが、Jarvis氏の立論の中心です。
そこに集まっては流れ出ていく情報に価値を付け加えること。その点で、メディア業界人、ジャーナリストは優位な点を数多く有しているとも指摘します。氏はその行きつくところ、(メディア人は)「クリエーター」より「実現をサポートする者(イネーブラー)」になるべきだとの大胆な指摘もしているのです。
これこそが、“リレーションシップ・ビジネス”の基本となるはずです。

では、リレーションシップ・ビジネスで生きていけるのでしょうか?

リアルな問いが生じる。何がビジネスモデルの問題か? 売上は? 利益は?
答えは、旧来の収入モデルを複製することからではなく、新たな効率性を見出すことから始まると信じる。

製造することは高くつく。共有(シェア)は安上がりであり、かつスケールする。
Facebookはもうすぐ10億人にも達するユーザーを、大きな新聞社程度のスタッフでサポートすることができるのだ。

氏の大胆な提言のおおよそは紹介できたと思います。結論部分の、「クリエーター」より「イネーブラー」、「製造」モデルから「シェア」モデルへのシフトは、従来のメディアおよびメディア人の定義を覆すものかもしれません。そのために気分を害される“業界人”もいることでしょう。
しかし、同じ源泉からまったく別の価値を生み出す者たちがいることを、いまは謙虚に学ぶべき時なのです。
(藤村)

デジタルメディア、新たな時代を拓くエヴァンジェリストの資質とは?

今回は、視点を一転させて、いま・これからのデジタルメディアを担いで運営していく人材像について、筆者が日ごろ考えているところを述べてみようと思います。 というのも、最近、アマゾン日本法人がいよいよ国内で電子書籍ビジネスを推進すべく、「電子書籍エヴァンジェリスト」の採用活動を始めたことが念頭にあるからです。 募集要項には、電子書籍ビジネスをリードする人材について同社がどう考えているかの一端が示されています。

  • 出版、または出版に近いメディア業界での5年以上の経験
  • コンテンツ開発・出版交渉、ビジネス開発での実績、またもしくはライセンスビジネスマネジメントでの長い経験
  • 書籍好きで出版業界と電子出版、電子機器や技術についての知識が豊富なこと
  • 業務時間のうち25%くらい出張可能なこと
  • 優れたコミュニケーション能力、戦略的・分析的能力
  • 新しいメディア業界と最先端技術への情熱
  • 変化の速い環境でスピーディーに仕事を進める力

「エヴァンジェリスト」とは伝道師です。事業においては突破口であり推進役のことでしょう。まだ平坦でない道のりを進む事業を先導する象徴的な存在として、その役割が期待されます。 要項には「氷山モデル」(下図参照)で言うところの“コンピテンシー”に近い項目が、ストレートかつシンプルに挙げられていて、ある種の感慨を持ちました。

icebergヘイ・コンサルティンググループ編「正しいコンピテンシーの使い方」PHP研究所より作成 (@IT情報マネジメント より引用・転載

電子書籍をめぐっての事業は、従来の出版、メディア事業において求められてきた知識や圧倒的な経験に加えて、最新のIT、特にネットワーク技術への理解、インターネットで起きる最新のトレンド理解などが、能力としてうまく統合されてはじめて推進できるものでしょう。 いったんパターンができ上がってくれば、あれやこれやと悩むこともなくビジネスは流れ始めることでしょう。 しかし、いまはその手前のところにあり、まだまだ流れを見定めることが難しい段階です。勢いエヴァンジェリストには定型化されていない各種応用問題へ果敢に取り組むことが求められます。 “感慨”と述べたのは、アマゾンが求める人材、そして私が上記した要素を満たす人材が、従来のメディア、出版社から自然発生的に誕生するのかどうかという点で懸念を感じるからです。 同時に、いったんデジタルメディアの側へと河を渡った“経験者”であっても、この数年、求められる能力に地殻変動が生じスキルの見直しを迫られていると付け加えておきます。 そこで、自らの経験を頼りに思いつくままに(言うなれば乱暴に)、いま・これからのメディアのリーダーに求められる共通スキルとコンピテンシーを書き出してみることにします。 もちろん、メディア(出版)も多種多様、業務も実際にはさまざまな職種に分かれており一意でないことは当然と意識しつつの試みです。 名づけるなら、「スマート・メディア時代のメディア人とは」です。

知識・技術(スキル)に類するもの(職種によりすべてが必要なわけではない)

  • TCP/IPを含むネットワーク技術の基礎知識
  • HTML、CSS、JavaScript、XMLなどデジタルコンテンツとプログラム言語に関する基礎知識およびコーディング経験、もしくは利用経験
  • インターネット広告をめぐる技術および販売実務に関する基礎知識と経験
  • フォントや組版など、雑誌・書籍のデザインフォーマットに関する基礎知識
  • SEO(検索エンジン最適化)の基礎知識と実務経験
  • 各種ソーシャルメディア(ブログ一般、およびTwitter、Facebook)への基礎知識と利用経験
  • 専門(得意)分野における勉強会、会合、メーリングリストなどへの一定の参加経験、あるいは運営経験……

コンピテンシーに類するもの(各職種にほぼ共通)

  • 書籍や雑誌、Web・スマートフォンのコンテンツに大好きな分野を複数持つ
  • 日常的なIT(PCやスマートフォン等)の利用に不自由はなく、さらに言えば、それが好きである
  • IT(市場、製品、技術)に関する話題に人並み以上の興味を感じる
  • 優れたコミュニケーション能力、戦略的・分析的能力を有する
  • データ分析や抽象的思考に拒否反応がない
  • 新しいメディア業界と最先端技術への情熱を有する
  • 企画を立案し、発表することが大好き
  • トレンド・市場の変化を楽しめる
  • 社内外との協業を楽しく感じる
  • 自ら手を動かして作ってみることが好き……

書きながら、実は自分に不足している要素がいくつもあるのに愕然としてもいます。 しかし、自分の年齢であってもそれを克服して先へと向かいたいという欲求もわき上がってきます。 それは、いまが大きな変化への転換期にあり、業界で長い経験を有する先達と肩を並べ、あるいは一気に抜き去るチャンスの時でもあるからです。 ある意味でこのような向こう見ずな情熱こそが、成功が約束されているとは言えない新大陸を目指す際の、必要不可欠な要素かもしれません。 (藤村)

迫るモバイル化の波、なぜメディア企業は過ちを犯すのか?——4つのポイントを考える

つい最近、昨2011年にスマートフォンの出荷台数がPCのそれを上回ったことが明らかになりました(「成長著しいスマートフォン、出荷台数でPC上回る」など参照)。
米国の大物アナリストが「2012年末までには、スマートフォンの出荷台数がPCの出荷台数を上回る」と予測してからたったの2年弱。予測を1年も前倒しする急ピッチで市場は動いています。
Webがメディア産業を大きく変えてしまった経験もあって、メディア企業(出版社、新聞社、放送局等)はスマートデバイス(スマートフォンやタブレットなどモバイル機器)への取り組みを始めているところですが、どうやらそれを急がなければならない気配です。Webをどうするか……から、モバイルをどうするかへと課題が大きく旋回しているのです。
そこで、押っ取り刀で取り組むメディア企業の中には、このメディアのモバイル対応、タブレット対応をめぐって錯誤も犯している、というのが今回の話題です。
題材は米国のテック系ブログメディア TechCrunch。最近「Four Mistakes Publishers Make When Bringing Content to Tablets」(コンテンツをタブレット化する時、出版社が犯す4つの過ち)という記事が掲載されました。邦訳が残念ながら出ないようなので、参考のために要旨をかいつまんでみたいと思います。
ちなみに同記事の寄稿執筆者は、CNN.comや同モバイルサイトの開設に携わった起業家で、現在はタブレット版のニュースリーダーアプリ(ニュース記事閲覧ソフトウェア)を開発するベンチャーのCEOということです。
多くの読者が、タブレットやスマートフォンに向かおうとする時。これら新しい閲覧デバイスが出版業界の今後の成功と失敗を決定づけることに、疑問の余地はない。
成功するメディア企業なら、持てるデジタルコンテンツを新しいデバイスの上で再び活かすことができるだろう。
それなのに、どうして他の多くのメディア企業はモバイル化戦略に躓いてしまうのだろうか?
多種多様なモバイルプラットフォームを追いかけすぎたり、優れたメディア体験の創造に失敗したり……。
我々は、繰り返してはならない多くの失敗を目撃してきた。
記事はこのような書き出しで、以下に4つの“過ち”のタイプを紹介しています。

1. “車輪の再発明”を試みては失敗する

多くの出版社は、自社内資源を過信するという誤りを犯しがちだ。優秀な社内技術スタッフを擁していることで、自分たちのコンテンツに対し自分たちだけが最適プラットフォームやユーザー体験を創造できると思いこむワナに陥る。
それは誤りなのだ。
パートナーシップこそ、新しい世界にあって読者基盤を(改めて)築き上げる重要な手法だ。そのような開発能力を有した(社外の)チームに焦点を当てるべきである……。

2.(音楽の)DJのように振る舞えない

ラジオを聴いたり、クラブに出向いて素敵な音楽に出会えたとしよう。それは素敵な音楽を紹介してくれたDJや自分のために楽曲を探し当ててくれた仕組みのおかげだ。
我々は素敵な音楽に出会い、そしてそれをまた人に紹介したいと思っている。音楽の世界で起きていることが、ニュースなどのコンテンツの世界でも起きようとしている。
キュレーションやソーシャルなメディアで、自分が出会うべきコンテンツを探し出す仕組みが生まれているのだ。
残念なことに、コンテンツやメディアと読者が出会う機会を設けるのを放棄しているメディア企業は多い。
過去において、たとえば新聞社は宅配のように、自らのコンテンツを限られた購読者のもとにだけ届けることに専念し、出会いや共有が生まれてくること制約をしてきたのだ……。

3. ブランドが持っている潜在能力を活用しない

多くのメディア企業は、多数の(メディア)ブランドを創造し運営している。たくさんのコンテンツを日夜生み出しているにもかかわらず、そのさらなる活用には積極的でない。
これら価値あるブランド力を活かし、コンテンツを組み合わせマッシュアップしながら、より垂直でニッチなメディアを創造すべき機は熟している。
アグリゲーション(コンテンツの収集)によってメディアを再創造すべき時なのだ。これにかかるコストは限定的で、得られる対価は大きい。
より深いテーマに焦点を当て、新たな配信などに取り組むことが、既存の収入源などとの共食いをせずに実現する道である……。

4. もはや旧くなった検索対策を行う

従来、自社のコンテンツを見いだしてもらう主要な手法は、検索エンジン対策(SEO)だった。
タグ付けなどオーソドックスな対策を施すことで、検索エンジンに見いだしてもらうのが効果の高い施策だった。
しかし、それは幅広くフリーなアクセスを許し広告収入を生むWebメディアにおけるスタイルだった。
いま、モバイル上のニュースリーダーアプリでは、異なるモデルが必要になっている。
アプリ通してニュースを読む読者は、ニュースを読み進む流れの中にあって、関連する記事と出会い、そしてそれを再び投稿したり共有することを通じて、再びメディアへのリンクを生み出す。
記事と記事の関連性、読者の背景にある文脈への理解しての記事の推奨などが新たに必要になってくるのである……。

以上、駆け足で紹介してきました。急速に台頭するスマートデバイスの世界では、同じ“デジタル”分野のメディアでありながらも、かつてのWebに対し、影響力を築き上げるための文法や作法が異なることが伝わってきます。

同記事の寄稿者がニュースリーダーアプリ開発を行っている新興企業のトップであることを割り引いたとしても、自社資源への過信に陥らず、キューレション/アグリゲーション時代、検索エンジン対策全盛からの転換を果たすべきだと、自戒を込めて読みましたが、いかがでしょう?(藤村)

各デバイスの特性からスタートするメディア開発のポイント

本稿では、至極シンプルなテーマを考えてみたいと思います。
それは、メディアの表現形式を根本的に制約するかもしれない「デバイス」の特性についてです。

経験的な認識ですが、メディアビジネスに携わる多くの人々が、「メディアの本質はコンテンツ。コンテンツの価値は形式に左右されない普遍性がある」と信じ込んでいます。
今回は、ことの原理、本質の側に深入りせずに論を運びたいと思いますが、メディアの本質に、その表現形式は分かちがたく関与していると筆者は認識しています。
前回述べた(「コンテンツの戦略的再利用」)ように、“Write Once, Read Many”、すなわち1回書いた(制作した)コンテンツを多様に使いこなすべきという私のテーゼも、表現形式の特性上の差異というハードルを簡単には越えられない側面もありるのです。

それはさておき、今回題材として紹介したいのは、米国の「全米雑誌協会」と呼ぶべき業界団体 The Association of Magazine Media による充実した調査レポート「Personal Mobile Devices: Tablets, E-Readers and Smartphones-Implications for Publishers and Advertisers.」(「パーソナルモバイル機器:タブレット、eリーダー、そしてスマートフォンによる出版社・広告主への影響」)です。
30ページを超える詳細な文書で、PDFでダウンロードできます。大変に充実した資料です。英文ではありますが一読をお勧めします。

PersonalMobileDevices

Personal Mobile Devices: Tablets, E-Readers and Smartphones-Implications for Publishers and Advertisers

同資料は、タイトルにもあるように、従来の印刷雑誌に対して、PC、そして「パーソナルなモバイル機器」などそれぞれの特性を比較しつつ、会員出版社(メディア企業)らにデジタル分野、特に「パーソナルなモバイル機器」へのメディア開発の取り組みを促すものです。

この資料中に、これらデバイス(機器)の特性を整理した情報があります。シンプルですがポイントを押さえたものです。以下に和訳して引用しておきます。

印刷雑誌と比較した際の、各種デバイスの特性

Devices

注:アスタリスクは、Nook Color

先に、いくつか注釈をしておきます。
「eリーダー」とはAmazon Kindleに代表される書籍/雑誌閲覧専用デバイスを指します。「インタラクティブ性」「マルチメディア」に「有*」とあるのは、資料は注釈で「Nook Color」が該当するとしています。
しかし、調査の後に発売された「Amazon Kindle Fire」もここに加えるべきでしょう。典型的なeリーダーとタブレットデバイスとの溝を埋める種類の製品がいまや誕生しているのです。

「ロケーション検知」は、デバイスの所在場所が何らかやり取りできる、さらに言えば、所在によって発信する情報の選別などが可能となるなどを含意しています。
言うまでもなく、この機能があれば店舗や観光地などの情報に付加価値を加えられます。
「印刷雑誌」の特性が、この点で「低」とあるのは、雑誌(や新聞など)は、その販売地域によって掲載内容にある程度の差異を付けることができるからでしょう。

上記表に掲げられた各々の特性は、こうシンプルに整理すると目新しい発見などないようにも見えます。
しかし、よく考えれば、このように各種デバイスを横断的に比較する自体とても意義のあることだと分かります。

メディア企業は、自社手持ちのコンテンツやメディアの特性や方向性と、これら各デバイスの持つ特性を組み合わせることで、強いメディアの方向性を企画しやすくなります。
さらに言えば、上述したようにコンテンツの使い回しをするという方向であっても、それぞれのデバイス特性に合わせた“味付け”を施すことで、読者(ユーザー)体験の拡張が可能だと思います。
たとえば、レストランガイド(外食レビュー)メディアを考えた際、スマートフォン版メディアでは印刷雑誌に掲載されたコンテンツにロケーション機能を加わえることで、印刷雑誌では得られなかった利便性という体験を得られることは言うまでもないでしょう。

最後に、粗雑ですが、筆者が念頭に置いているそれぞれのデバイス特性にフィットしたメディアの方向性について整理しておきたいと思います。

  • PC/ノートPC……CPUパワーと比較的広い画面、積極的な操作が可能な特性で、検索などをしながらの情報閲覧、動画などを交えた総合ニュース的展開
  • タブレット……家庭でくつろぎながら、印刷雑誌よりリッチで動的な情報メディアの展開、また、少人数間での商談などに用いる動的なビジュアルカタログへの展開
  • eリーダー……すでにある印刷書籍、印刷雑誌を何冊も手軽に持ち歩き読ませる展開、電子化に付加価値を追求せずPDFに親和性のある出版の展開
  • スマートフォン……モバイル性を駆使して、ストレートな情報を許された時間に合わせて次々閲読するようなニュースメディア、地理情報との組み合わせで価値を生むようなガイドブックなどの展開

それぞれのデバイスの特性に即してメディアを開発するという視点は、まだ始まったばかりです。上の例はまだまだ的を射貫いていない気がします。
今後は、力のあるメディア企業は、これらのデバイス“すべて”を対象に適切なメディアを開発していくことになるでしょう。
また、中堅中小のメディア企業では、思い切って特定のデバイスに集中、その上でのメディア開発に経験やノウハウを積みニッチの強みに走ることになるはずです。

いずれの方向性を採用するにせよ、コンテンツを盛る形式であるメディア、デバイスの特性に無自覚ではおれない時代が始まっています。
そのようなノウハウも、引き続き本ブログで紹介していきたいと願っています。(藤村)

※2012.02.14 細かい文言を訂正しました。