広告の消滅・スポンサードメッセージの誕生。
21世紀のメディアから広告は消滅していくのか——。
Facebook と Twitter、二大ソーシャルメディアが、いずれもサイト内のディスプレイ広告(バナー広告のたぐい)を廃止していく方向で動いています。
代わって、ユーザーらが情報のやり取りを行うメインのコンテンツ群の中へスポンサー(広告主)メッセージを埋めこむ(スポンサードコンテンツ)方式を生み出すべく躍起なのです。
本稿では、現実になりつつある“広告”の廃止・広告の“コンテンツ化”への流れを確認し、その背景を考えてみたいと思います。
出発点は、今年2月末に開催されたFacebookの広告業界関係者向けカンファレンス fMC です。
同カンファレンスの主要資料(動画、PDF等)は、英語ですがこちらに用意されています。
ここで飛び出してきた広告に代わる新コンセプトについて、TechCrunch JAPAN が記事に取り上げています。
「広告のコンテンツ化―Facebookの新広告戦略はハッカー文化とビジネスの融合を目指す」です。
広告のコンテンツ化―Facebookの新広告戦略はハッカー文化とビジネスの融合を目指す via kwout
記事は fMC の注目点について、以下のように述べています。
Facebook では収益とユーザー体験を両立させる方法があるはずだと考えている。Facebook は収益を拡大するために必ずしも広告のサイドバーを大きくし、コンテンツ・エリアを狭くしたり、画面トップに巨大なバナー広告を掲示したりしなければならないわけではない。Facebook は広告を独立した存在としてはわれわれの目から消し去り、次第にサイト全体の情報の流れの中に埋め込むという手法を取ろうとしているようだ(下線部は藤村による)。
昨日(米国時間2/29)のfMC(Facebook マーケティング・カンファレンス)で Facebook はそうした方向性を打ち出した。広告主が自分の好きにメッセージを表示できるプレミアム広告枠は姿を消すことになる。今後、企業が運営する公式 Facebook ページの内容からユーザーによって選択、抽出されたものだけプレミアム広告として表示されるようになる。この広告はサイドバーに表示されるのではなくウェブ版、モバイル版双方のニュースフィード中に表示される。
発表された Facebook の新広告商品 Premium on Facebook は、厳密に言えば複数の広告形式の集合体なのですが、わかりやすいように2つのパートから説明しましょう(こちらの記事で広告の構成などポイントを詳しく解説しています)。
- 「Facebook ページ」……スポンサー(広告主)がFacebook内に設けるコンテンツ集合ページで、従来から存在していたものです。企業が自社、もしくは製品単位で情報を集約しコンテンツを順次投稿していく場です。ユーザーのニュースフィード中に広告主からのメッセージを表示するためには、企業や製品のファンたるユーザーがこの Facebook ページに対して「いいね!」をしておく必要があります
- 「ニュースフィード」……Facebookユーザーが自らのコンテンツを投稿したり、友達のコンテンツが表示される領域に出現するコンテンツ型スポンサーメッセージです
今回新たな広告セットに組み込まれたのは、2.の「ニュースフィード」への広告メッセージです。企業、製品の Facebook ページに「いいね!」をしたユーザーにアップデートとして配信されるもので、通常の近況アップデートの形式をとります。言い換えれば、Facebook 内で日ごろ起きている交流のように、ユーザーにフレンドリーに作用するメッセージでなければなりません。
このように Facebook の新広告商品がもたらすのは、広告メッセージが企業や製品の「ファン」へ確実に届く率の向上(16%から75%までに向上させるとうたっています)、次に、ファンを通じて広告メッセージを拡散(「いいね!」や「シェア」)させる効果の向上なのです。
それを可能にするのが、広告メッセージを、コンテンツに外在的である「広告」という存在から、「コンテンツ」そのものへと位置付け直す論理というわけです。
このような旧来の広告観になかった新しいスポンサードコンテンツ観が生まれた背景を推測しておきます。
- そもそも Facebook 創業者周辺には、「広告はクールじゃない」という思想がある
- 広告の表示になれたユーザーは、ますます広告を無視するようになっている
- 「広告」収入増を図るには、広告表示を多くするか、大きくするしかない(ますます「クールじゃなくなる」、効果も下がる)
- 広告主期待のエンゲージメントを得るには、ソーシャルメディア内のエンゲージメント(「いいね!」等)の論理が貫かれたときであるという視点がある
広告主とユーザーの間がらを「ファン」「友達」という関係に置き直そう。「広告」ではなく、広告主が発するメッセージ、コンテンツとして位置付けよう。これが今回のアプローチです。
煩雑になるので立ち入るのを避けますが、Twitterでも同様のアプローチが生じています。ユーザーのタイムライン内にスポンサーのメッセージを埋めこむための論理的な整備と効果測定などの試行検証が行われているようです(→ こちらを参照)。
このようなトレンド変化に当惑するのは、商業メディアでしょう。「記事と広告の峻別」をユーザー(読者)への守るべき倫理(厳密に守られていたかどうかというよりも、そこに倫理的な縛りが存在)としてきたからです。商業メディアには、コンテンツが人を動かす(リードする)ものとの自負から、広告主のメッセージで読者がミスリードされることがないように“峻別”が必要とされてきたのです。
対して、紹介してきたソーシャルメディアが抱くユーザーへの倫理は異なります。それは「広告主とユーザーの間にエンゲージメントが成立しているかどうか」です。
冷静に考えて、現代にあって広告が求める効果を得るには、エンゲージメント抜きではますます困難になっています。その意味で、今回のソーシャルメディアの取り組みは21世紀の広告のあり方を映していると言えそうです。
では、あらかじめエンゲージが交わされていれば、広告主のメッセージでユーザーがミスリードする懸念を免れるのでしょうか? それはユーザーの自己責任と言えるでしょうか?
さらに、それは普通のユーザーが発するメッセージに対するガイドラインと同様の仕組で良いのか? これらの点でまだ迷路を抜けたとは言えそうにありません。
紹介してきた広告の新潮流は、旧くて新しいメディア倫理の妥当性に改めて照明を当てています。
(藤村)