デジタル“再出版”  見えてきた方程式

21世紀は既に始まって久しいのですが、いまも多く私たちが目にしているメディアは、前世紀からの歴史を背負った出版事業に範をとった“デジタル”メディアです。
過去の出版事業に引きずられず、21世紀起点の出版(メディア)ビジネスを考えたい——。
大ざっぱながら筆者の当面するテーマです。
Blog on Digital Media ではそんな視点からの投稿を続けています。

さて、デジタルメディアを考える際に重要なポイントは、コンテンツ(情報の実体)とメディア(コンテンツを容れる形式)の分離が進んでいることです。
形式としてのメディアから自由になる(形式が消滅するわけではないのですが……)ことでコンテンツは容器の制約を離れ、粒子のように高速に運動し、また多種多彩な“すき間”へと浸透します。人々はあたかも空気のようにそれに触れ、半ば無意識に摂取することになります。
従来のように、雑誌や書籍という形式への縛り(バンドル状態)が強すぎれば、コンテンツは引用や口コミといった人々の会話に乗りにくいままでしょう。また、コンテンツを新たな形式に包み直すことで得られるかもしれない二次的な利用法への可能性も狭いままのはずです。

先の「『未来の雑誌』 その実現シナリオを検討する」では、雑誌という形式にバンドルされた各々の記事を解き放ち、1本単位で消費したら……というビジネスモデルを紹介しました。
本稿では、その逆の方向性を例示します。すなわち、バラバラの記事をベストセレクトして、それらを魅力的にパッケージし直し従来では得られなかった価値を生むという方向性です。言い換えれば、パッケージ(形式)の側に価値を積極的に見ていこうという試みです。
紹介するのは、米大手デジタルメディア企業 AOL がリリースした iPad 向けアプリ Distro です。Poynter. に掲載された記事「AOL websites give best stories a second life in weekly iPad magazines(AOL は Web サイトの秀逸な記事に、週刊 iPad マガジンで第二の生を与える)」を通じてこの試みを紹介していきましょう。

著名なテック系ブログメディアに Engadget(日本版はEngadget Japanese)があります。
同メディアは「ブログメディア」と言いながら、毎日40本以上の記事が流れ落ちるようにポストされています。その多くは短信ニュース系記事ですが、日に数本、深めの分析やインタビューなど読み応えある“目玉系”の記事がポストされます。
これら深めの記事だけがピックアップされ、週刊で更新される Distro にて新たな生命を吹き込まれるのです。
記事では、同社モバイル担当幹部の David Temkin 氏が次のように語ります。

Distro 読者は、1回 Dsitro を起動すると平均約10分間を費やす。ところが、Web の Engadget サイトを訪れる読者では1回当たり1分に満たない。
Distro
は iTunes Store で極めて高いユーザー評価を得ている。
それは Wired のような、活発で人気のある雑誌と同じクラスの読者を引きつけている。

実際の数字を明らかにするわけにはいかないが、Distro の読者数を知れば、これがもしリアルな印刷雑誌だとしたら……と、驚くはずだ。

確かに1セッション単位の滞在時間が10分を超えるとなると、その読者の行動は Web メディア的ではありません。

Temkin 氏、そして AOL はこの注目すべき“再出版”モデルへの反応に意を強くして事業拡大に乗り出しています。
次なる題材は、これまた著名で同社傘下の Huffington Post で、アプリ名は Huffington. です。

われわれは、Engadget と同様の特性を持ったサイトを運用しており、たくさんの記事を利用して、リーンバックスタイルの読書や美しい紙面を生み出すことができるのだ。

ところで、もう少し具体的に Distro の特性を確認していきましょう。
ブログメディアへの投稿コンテンツの“再出版(republish)”という用語を Temkin 氏は用いていますが、大事な点は、記事(本文)以外の要素は Distro 専用のしつらえになっていることです。
アプリ用にオリジナルのインフォグラフィックや編集長コラムを追加していまる。記事レイアウトの自動化もほどこさず、デザインスタッフが関与していると言います。Web メディア版では SEO を意識したキーワードを用いていたりしているのも、洒落た軽妙な語句に置き換えたりしています。ほとんど作り替えです。
下図をご覧下さい。“紙面”のイメージやデザイン品質などが見てとれるでしょう。シンプルで、かつ、雑誌風のデザイン。時間をかけくつろいで読書すべきスタイルを目指していることが伝わります。

destro1

Distro の画面
① ニューススタンド形式で提供される Distro
② 新たに書き起こされたインフォグラフィックのページ ③ Distro 用の編集長コラム
④ デザインされ直して、雑誌風になった記事ページ

Engadget 同様、活気溢れるブログメディアで有名な TechCrunch で以前責任あるポストにあったブロガー M.G. Siegler 氏は Web メディアについてこう語っています。

Web コンテンツの99%は○ソだ。写真も含めて素敵なコンテンツがそこにはある。だが、ほとんどが広告過多なひどいレイアウトに挟み込まれている。TechCrunch も同様だ。
最高のコンテンツをエレガントなパッケージに包んで読みたい。美しい雑誌のように。

記事は Siegler 氏のコメントが、Distro のコンセプトを言い当てているとします。

さて、大事なことは“これで儲かるのか?”です。あるいは、これを売るためにどうするか? という問いでもあるでしょう。
Temkin 氏にとってひとつの発見は、“これ(Distro)は、Web サイトというより印刷媒体だ”というものです。
AOL のビジネス文化は、従来からオンライン広告を売買する習性を持った人間たちによって形成されてきました。印刷物を売る文化とは異なるのです。

われわれにはやるべき宿題がある。良いことに、われわれは読者層を築いた。そして高品位なコンテンツを有している。得られた指標は立派だ。まずいことは、(この商品が)われわれがこれまで売ってきたものとはまったく似ていないことだ。
Distro、そして創刊される Huffington.も無料だ。
だが、読者はこの商品が本当に好きなので、それにカネを払ってもいいと感じていると、私は考えている。
これは有料の商品たり得るか? イエスだ。

AOL のような企業が、そして、DistroHuffington. が販売上の課題に突き当たっていることは想像がつきます。オンライン広告で勝負してきたビジネス文化が、急に雑誌を1冊1冊売るビジネスへと転換するにはさまざまな困難が待ち構えているはずなのです。
しかし、この直面する課題も含めて、コンテンツが形式の縛りから解き放たれた時代にコンテンツがどうすれば新たな活力を生みだすのか大きな可能性を見せてくれていると筆者(藤村)は受け止めます。

ところで、最後にビジネス文化ではなく編集文化上の転換にも言及しなければなりません。
鋭敏な読者の中には、どうして Engadget というネーミングを引き継がずに、わざわざ知られていない Distro という新ブランドを創造したのかいぶかしく思った方もいるはずです。
Huffington. はやや折衷的で Huffington Post ブランドを引き継ぎました。
この周辺には、いったんブランドという形式的な価値を生み出すと、そのブランド性をアンバンドル化しづらいという心理的な障壁が内在しているはずなのです。このようなギャップもまた、コンテンツ“再出版”という理路を歩む際の課題として克服しなければならないはずです。
(藤村)