デザインこそコンテンツの未来 転換点の到来

ある外国人ブロガーが指摘した“美しくない日本のWebデザイン”。
注目すべきは彼我の文化的差異ではなく、
アプリやWebにやってきているデザインの新段階である
それは、デザインが競争力や成長力に直結するというトレンドだ

少し前、ある掲示板に興味深いスレッドが生まれました。
スレッドは「日本のWEBデザインが2003年で止まっていると話題に」であり、発端は「Japanese Web Design: Why You So 2003?」(日本の Web デザインよ:なぜ君は2003年のまま?)とのブログポストです。
「Japanese Web Design……」は、日本の美しいデザインについて考えると、“Zen”庭園、寺社、まんが……等々を思いつくものがたくさんある。それなのに、その美が Web サイトには反映されていないと、いくつもの著名なサイトを取り上げ、日本のWebサイトの現状を指摘します。
悪い例をことさらに取り上げるのは少々気が引けます。それについてはぜひ出典の記事から当たってみてください。
同ポストでは、日本の Web に共通する悪しき点を挙げています。それだけをここでは紹介しておきましょう。

  • たくさんのテキストが詰め込まれている
  • 小さなグラフィクス
  • カラム形式(だいたいは3カラム)
  • ホワイトスペースの活用が貧弱・詰め込みすぎ
  • カラーリング(青色のリンク)
  • そして混沌……

これらをブログでは「まるでアメリカなら90年代のデザインだ」としています。

さて、本ブログでも Web メディアのデザインについては、及び腰ながら何度か言及してきました(たとえば、これなど)。“及び腰”と書くのは、“デザインセンス”という意味では、筆者(藤村)に自信があるわけではないからです。
しかしそう言い続けてもいられません。(Web)デザインをめぐって、いまやひとつの曲がり角が到来しているからです。
単なる好みの問題を離れた大きなテーマとして、デザインは切実な課題として浮上しているのです。

論点整理に格好の記事「Why Great Design Is the Future of Content Marketing」 (どうして、すごいデザインはコンテンツの<マーケティングにとり>未来であるのか?)があります。これを紹介しながら検討をしていきたいと思います。記事は Mashable に掲載されました。
「Why Great Design Is……」がデザインのトレンドについて述べるポイントは明瞭です。

まだ2012年の早い段階ではあるが、ビジュアルな情報伝達スタイルは明らかに今年勢いを得た重要なトレンドということができる。Facebook タイムライン、Pinterest、そして Instagram などは、ブランド(性のあるもの)をよりビジュアル化することを通じて(人々を)考えさせ、行動させる力を発揮している。モバイルブラウジングとこのビジュアル化のインパクトの組み合わせは、“見せるのだ、語るのではなく”というテーマに新たな意義を与えようとしている。

さて、「Why Great Design Is……」は、最近になり勢いを得たビジュアルな情報伝達トレンドについて、“ビューティフィケーション”という造語を与えています。過去のように“Webデザインを小綺麗に”といった小手先・個別的なテーマとしてではなく、Web を美的に見せる大きなトレンド(=ビューティフィケーション)がやってきたとするのです。
造語の是非はともかくとして、論点を追ってみましょう。
記事によれば、ポイントは5つです。

1. アプリがビューティフィケーションをリードしている

Flipboard のデザインは、コンテンツの消費についての考え方を変えてしまった。Path は、美しいアプリデザインがどうユーザー体験にインパクトをもたらすかを示した。Instagram のフィルター、タスク管理の Clear は(従来の)ナビゲーションがいかに時代遅れのものかを見せつけた。直感に訴えるデザインを戦略的に取り上げたことで、これらのアプリは人気と急速な成長を見せた。……

Three_apps

新しいトレンドを示す、スマートフォンアプリ(左から、Instagram、Clear、Flipboard)

2. 特殊効果が鍵を握っている

ユーザーは、PC における2000年代の古めかしい操作体系を捨て、いまやタブレットやスマートフォンを使う時間を一層増やしている。このシフトが生み出した素敵な Web デザインの成果は、手が込んでいてインタラクティブな、ビジュアルな効果から生まれた。これは HTML5 や CSS3 によるおかげだ。……

3. 多様なブラウジング体験への対応が新たな必須課題に

スマートフォン、タブレット、PC、そしてTV……と多様なデバイスで Web ブラウジングが可能になっている。この多様なデバイスによるブラウジング体験に対応することは必須である。
PC 用サイトに並行してモバイル用サイトを作ることができなければ、代わりに、レスポンシブデザインによってユーザーのスクリーンサイズ選択に対応することになるだろう。……

4.「少ないほど、豊かである」(筆者注=ミース・ファン・デル・ローエの言葉)

5000万以上のブログを擁するに至った Tumblr は、ミニマリズムデザインで知られる。その“少ないほど、豊か”アプローチによるデザインは Web の空間では図抜けたものだ。
オンラインバンキングの Simple は、ページ概念にとらわれないサイトだ。メインページでは重要な情報、サインアップ手続きだけを伝える。
Square のサイトは、同社のプロダクトの機能をイメージとわずかな文字列だけで伝えようとする。
Dropbox の仕組みは“Google 様式”のミニマリズムを踏襲している。……

5. ビューティフィケーションは未来そのもの

Web を美しく表現しようとする動向(ビューティフィケーション)は、スタートアップにとり良いニュースだ。旧い Web のデザインは、新聞や雑誌業界の旧き標準を基にしている。それに対し、今日、われわれはオンラインおよびモバイルを優先しようとするルネッサンスのただ中にある。
デバイス同士が接続する今後長く成長していく分野では、ユーザーはより密着的で直感的なインターフェースに興味や関心を払う。
見てきたように、デザインについて革新的であるような企業は成長という対価を得るだろう。Pinterest や Instagram といった企業は、デザインが競合からの差別性を生むことを示し、そしてユーザーの忠誠心という値段に表せない価値を創造しているのである。……

とても十分には紹介しきれませんが、上記に付したリンクをたどり新たなビジュアルトレンドを体現するアプリ、サービス、メディアを体験することを推奨します。
そには細かな意匠上の差異に止まらない大きく共通するトレンド(方向感)の存在することが実感できるはずです。

モバイル化のトレンドと同時並行的に勃興してきたこのビジュアルトレンドが、ユーザーがたったいま初めて味わいつつあるパラダイムなのだとすれば、従来からの Web メディア提供者である私たちもこれに取り組む時期を逃すわけにはいきません。2003年ではなくいまは2012年なのだから。
(藤村)

コンテンツに価値を取り戻すために ミネラルウォーター事業に学ぶ5つのアプローチ

コンテンツの供給と広告ビジネスは“過剰性の時代”に突入している
下落するコンテンツの価値を取り戻すためになにをすべきか?
付加価値の乏しかったはずの“水”が一大産業へと変身した理由にヒントを探る

希少性の経済から過剰性の経済への移行がもたらす大変化を、見事に喝破したのは『フリー <無料>からお金を生みだす新戦略』を著したクリス・アンダーソン氏でした。
資源の有限性=希少性が、取りも直さず商品価値の源泉であった経済が、インターネット上の資源については逆転を始めた。
希少なはずのコンテンツが引用や複製が無制限に連なって、結果として価値のヒエラルキー(序列構造)を突き崩そうとしている——。

こう感じているメディア関係者は少なくありません。
だれもが情報発信でき、情報流通が高度化した今、ひとつの情報(コンテンツ)が他の情報に対する明瞭な差別性を訴えることが一筋縄ではいかない時代に入りました。
コンテンツ制作コストの低減にどの商業メディアも取り組みますが、突き詰めれば、それは一般消費者がコストフリーで情報発信をするのと大枠として似てきてしまう皮肉な現象にも見舞われています。
商業メディアはもちろん、従来ならば“メディア”を名乗らなかったようなWebサイトが、“同様の”コンテンツと“同様の”広告収入を争うことになり、結果として、消費者の前にコンテンツが溢れかえっているのだとも言えます。

そこで今回考えてみたいのは、かつて商業メディアが生み出すコンテンツに宿っていたはずの神性、価値をいかにして取り戻すのか? というテーマです。
あらかじめ断っておくと、同義反復の矛盾に陥らないよう「(価値あるコンテンツのために)もっと良いコンテンツを作る」という命題はあえて除外して考えてみたらと思います。
ここに参考にしたい記事があります。MediaPost の一角に位置する Online Publishing Insider というブログメディアに掲載された「How To Turn Your Inventory Into A Valuable Commodity」(在庫をいかに価値ある商品へと転ずるか)です。

記事はユニークな例示を用います。それは潤沢(過剰)性の象徴とも言える“(飲料)水”の産業化に学べということです。

だれも水を欲する。それをタダで手に入れていたのは、そう遠い過去のことではない。
しかし、最後に、乾きを癒やすために水を飲んだ時を想定すると、それは蛇口から出た水ではなかったはずだ。われわれは、ボトル入りミネラルウォーターを買うことに慣れてしまっている。
飲料水の販売は、数十億ドルの収益を稼ぐ産業へと成長している。それは基本的にタダ、有り余るもののはずなのだが。
これはパブリッシャー(メディア企業)が学べる価値あるレッスンなのだ。

水と空気はタダ、という時代は多くの人にとり常識でなくなりつつあります。
近くのコンビニエンスストアへ足を運べば、二けたにも及ぶ多様な飲料水商品が並びます。ここにコンテンツの価値低下に悩むメディア企業の学びがあるはずだというのです。さらに論を紹介しましょう。

デジタルメディアが生み出す在庫品目は、とても“水”に似ている。
有り余るほど存在し、まったくタダというわけでないにしても、低価格化を突き進んでいる。
景品のようにタダとなるか、ほんの小銭稼ぎとなるか……。われわれは差別性のない商品在庫の海でおぼれかけているのだ。

ある調査(Ignition One)によれば、広告予算は順調に伸びているにも関わらず、デジタル広告の販売レートは年々下落している。広告ビジネスは明らかに需給バランスを欠いた過酷な状況に直面している。
また、別の調査(comScore)では、2012年には4兆にも及ぶ広告在庫が生成されるとする。
単純に言って、これらの在庫を埋めるほどの広告需要は存在しない。広告価格は下落していく。

ここで言わずもがなの交通整理をすると、Webではコンテンツページが表示されるたび(ページビュー)に生成される広告表示機会(広告インプレッション)を得ます。これが“(広告商品の)在庫”を意味します。在庫はつねに生成され続けストックしておくことができない電力のようなものです。
インターネットが誕生して以来、基本的に総ページビュー・総インプレッションは伸び続けてきました。在庫が積み上がってきたのです。問題はその増分を広告掲載ニーズが十分に満たせなくなっていることです。

各々のメディアは、自社のページビューをさらに増やして収入増を目指すわけですが、総量としての需給バランスが崩れれば自ずと価格低減圧力が顕著になります。メディア企業をこの数年悩ます現象です。あたかもコンテンツが(商品としての)自らの価値を失っていくかのように見えるのです。

では、そもそも差別的な価値、需給バランス上の価値に乏しい“水”はどのようにして、産業としての活性化を築いているのか。記事は以下のように述べます。

メディア企業が、ミネラルウォーター販売ビジネスのリードに従うなら、より良いアプローチに出会えるだろう。
蛇口からの水が「ペリエ」に変身したように、普通の広告がリッチなメディアへと移行していく。
在庫品目に変わりはないが、もっと親しみやクールさがあるように——パッケージは変化していく。
ミネラルウォーター販売ビジネスが、消費者に“苦労して稼いだカネを水(のようなもの)に使うのか”と考えさせまいとしてきた手法を、メディア企業は学ぶことができるだろう。

付加価値に乏しい水道水(最近では、自治体も水の品質をPRするようにしていますが)に対して、商品性の高いミネラルウォーターにいくつかの特徴が備わります。記事が指摘する5つのポイント、示唆を以下に要約しましょう。

  1. 不純物を取り去る——ミネラルウォーターを売る最初の大きなマーケティング策は有害な不純物を取り除くことだった。同じように、メディア企業は、取り散らかした雑物を読者の視界から取り除き、コンテンツに適合した広告を配置することで、パフォーマンスを向上できるはずだ
  2. パッケージングする——ボトルデザインは精巧に美しくデザインされ芸術品のような造形で、消費者の注意や想像力をつかもうと競り合っている。同じように広告もまた読者の感性を刺激しつかもうとする。そのパッケージ上の重要要素は、見かけ、音、動きなどを動員していくことだ
  3. カスタマイズする——ライフスタイルやテイストに合わせるべくミネラルウォーターの品ぞろえはバラエティに富んだものとなっている。飲料メーカーは、各種属性上のターゲット向けに製品を有しているように、メディア企業もどんなタイプの読者をもターゲットできるようにし在庫価値を上げるようにすることになる
  4. 影響を与える——著名人が特定のブランド商品(飲料水)を推奨すれば、人々はまるで自分が著名人であるかのようにその商品を推したがる。メディアは、ソーシャルメディアに対し自社のコンテンツと広告商品を共有できる機能を連携させ影響力の連鎖の中で注目を得るようにする
  5. ストーリーを伝える——数多くのミネラルウォーターが、消費者にうんちくなどを含めたストーリーを伝えようとしている。メディアもコンテンツが読者のと適切なブランド(を持つ広告主)がスポンサーしやすいようにしていかなければならない

これらは、最低限、言い換えればベーシックな努力だと記事は結論しています。型どおりにこれを遂行すれば見返りが保証されるわけではないと。
そのためにも、「水に4ドル払うことについて考えてみるべきだ」との結語は示唆的です。
一見無価値にも見える素材に価値を与えるべきアプローチは、もっともっと多様であっていいはずです。
もともと魂を込めた創り上げた価値あるコンテンツです。その正統な意味を読者や広告主へと訴求するアプローチが必ずあるはずです。
(藤村)

WebメディアがSEOを捨て去る理由 The Atlanticの事例を中心に

検索エンジン最適化(SEO)は長らく、Web メディアの守るべき文法だった
しかし、その常識が揺らぎ始めた
本稿では、SEO を捨てソーシャルからの流入強化に
シフトを始めたメディアの事例と背景を考える

90年代、Web という大海原を航海するのに必要なものはポータルでした。Yahoo! はこの大海原に対して「ディレクトリ」(カテゴリ別のリンク集)という道しるべを用意し大成功を収めました。
現在もその利便性は十分に大きいのですが、2000年前後から、Web 航海のための最重要ツールは検索エンジン、取りも直さず Google へと傾いていったことは周知の通りです。

Google の検索技術は「ページランク」を立脚点に始まりました。ラフに言えば、多くの被リンク(他のページ/サイトからのリンク)を有するページを高い“ランク”に評価するものです。これが検索順位に大きく影響する要素とされてきました。
Google は、Web の大海原を率先してクロールしまくり、ページとページランク情報を収集してきました。この情報が豊かでリアルタイムに更新されればされるほど、Web を旅する人々にとってのスタートページは検索エンジンとなってきたのです。

この経緯は、Web メディアの成長発展にとっても見逃せない要素です。
Web を拠点とするメディアにとり、新規の“旅人”を的確に自メディアへと誘導する最大の材料は、(Google の)検索結果であるという時代が十年近く続きました。Web メディア各社(もちろん、“メディア”企業であろうがなかろうが、なのですが)が、自社サイト、自社コンテンツを検索エンジンへ最適化(検索の対象となり、検索結果の上位に表示されるように調整する行為=SEO)することに血道を上げるのは、このような理由からです。
メディアやコンテンツの特性によりますが、検索されやすいメディアやブログでは、Google 検索エンジンひとつからの流入が来訪者全体の約6割を占めるケースまであるようです(筆者が経営に携わった商業メディアでは、ここまでは高くありませんでしたが、数十%に上るとは言えます)。

現在では、Google の検索結果に影響を及ぼす要素は、ページランク(被リンク数)だけで説明するような簡単なものではなくなっていると言われます。検索エンジンに“好感”されるには、被リンク数を増やす努力は当然として、HTML ファイルに含まれる各種タグの的確な記載、検索されやすい文章・文字列による記述、サイト構造の整理……等々多岐にわたる最適化が必要というのが定説です。注意して欲しいのは、サイト構造や HTML 記述など読者にとり不可視な要素はもちろんのこと、SEO は記事タイトル、リード文、記事本文などにも及ぶということです。SEO が、単に技術の問題に終わらずメディアの核心部分に触れてしまう要素がここにあるのです。

さて、長くそのメディアへの流入量を司ってきた検索エンジンの威力に異変が起きています。
その要素は、ソーシャルメディア、端的に言えば Facebook です。Facebook アプリや Facebook ページを通じてユーザーとの関係を築こうとするメディアが増えています。

まず、紹介するのは The Guardian のケースです。journalism.co.uk 掲載「Social predicted to overtake search as Guardian traffic driver」(Guardian へのトラフィック原動力として、ソーシャルが検索を上回ると見込まれる) を見てみましょう。

The Guardian は昨秋に同メディアの Facebook アプリをリリースしました。
記事が掲載された3月の時点で、累計800万回、日々4万回ダウンロードされるという人気を博し、そのため広告収入は同アプリ開発費用をその時点でリクープできるほどにまでなっていると述べています。
注目したいのは、アプリ投入時期には同サイトへ Google 検索からの流入がやはり全体の40%を占めていたのが、チャートに見えるようについには逆転が起きたことです。

また、今回は詳細を省きますが、Google 自身がここまで説明してきた検索技術に加えて、最近、ソーシャルメディアの要素を色濃く取り入れた変更を行いました。この点も Web メディア が検索エンジンに代わってソーシャルメディアからの流入強化を強く意識する背景になっています(Poynter. 掲載「Social media replacing SEO as Google makes search results personal」<Google が検索をパーソナル化しているように、ソーシャルメディアは SEO を置き換えつつある> 参照)。

さて、次に紹介するのは、これも成功事例と言われることが多い The Atlantic です。Mashable 掲載「Why ‘The Atlantic’ No Longer Cares About SEO」(Atlantic はどうして、もう SEO をかまわないというのか) を基にさらに問題意識を膨らましていきましょう。

この5年間、継続的に The Atlantic Online への来訪読者が増えている。どんなメディアでも起きるとは言えないような成功を同メディアは収めている。
2008年にペイウォール(有料購読制)を廃止して以降、来訪者は50万人から月間1300万人へと跳ね上がっているのだ。
同社は“デジタルファースト”戦略を掲げ、さまざまな手を打ち新たに関連サイトをオープンしたりしてきた。
さらに、編集方針として、オンラインニュースの消費スタイルの大きなシフトを図った。それは、同サイトへの流入源を検索エンジンより、重要性の増すソーシャルメディアを強調するものである。

こういった取り組みの結果についてもこう述べます。

16か月前、われわれは検索からと、ソーシャルからと同じほどの流入を得ていた。いまは、(全流入の)約40%をソーシャルメディアから得ている。
その結果、じっさいのところ執筆陣は SEO について考えなくなった。今は、いかに、(ソーシャルメディアを通じて)記事が口コミ伝播するかを考えている。

執筆陣が SEO を意識しなくなる、と言及していることは要注目です。

すでに触れたように、SEO を突き進もうとすると、記事のタイトルやリード文、見出しなどには、検索されやすいキーワードを盛り込むことが必要になってきます。自らのサイトを訪れる検索エンジン経由の読者が用いた検索語は、そのような使用すべき“キーワード”辞書のような役割をなします。
検索エンジンに“好感”されるには、検索でよく用いられるキーワードを記事の重要箇所にちりばめることです。言い換えれば、読者が見て「?」と思うような凝った表現は禁じ手になってきます。たとえば「IBM」と「Big Blue」という表現があれば、後者は検索に使われる頻度という点から評価すると、使いづらくなってくるでしょう。

このような SEO 重視の振る舞いに失笑される読者も多いでしょう。しかし、日米いずれでも、これ以上に涙ぐましいほどの“検索エンジンだまし”策を積み重ねたサイトが数多く存在します。SEO に見切りをつけ、ソーシャルメディア、言い換えれば人によく読まれ、人の話題にのぼることを重視するということは、書かれる記事の本質に影響を与えるシフトであることは理解できます。

The Atlantic Digital(Atlantic ブランドを冠したオンラインメディアは何種類もあるのですが)の編集長は、Google 向けではなくソーシャルメディアに最適化したタイトルはどのようなものか、という問に対し以下のように述べます。

すぐれたタイトルとは、すぐれたタイトルなのだ。それは明瞭で知的でなければいけない。われわれは機械のために書いているのではない。人間のために書いているのだ。

このようなストーリーを追ってくると、長らく続いた検索エンジン時代の影響が、元来人が読むべきメディア(コンテンツ)という価値観からずれ、検索エンジン最適化を過度に重視する悪弊を生んできたことに改めて気づかされます。ソーシャルメディアを流入源としてメディアを設計し直すということは、単に Google から Facebook へといったトレンド的な話題ではなく、メディアが何に焦点を当てるべきかという観点で重要な意義を持つ話題です。

しかし、Facebook 内での情報伝播やトラフィックへの過度な依存も、いずれ不健全な偏りを生む可能性があることは、別の機会に論じてみたいと思います。
(藤村)

Web 開発者は IT 部門に所属してはならない!? メディアが突き当たる組織論的課題

デジタル化を推進するメディアの重要資源はエンジニアだ
しかし、エンジニアの役割は皆同じと考えてはいけない
技術部門の“攻めと守り”を見通した組織論が、重要なマネジメント課題となる

これまでも本稿では、メディアのデジタル化、デジタルメディアのビジネス課題を多く論じてきました。
メディアのデジタル化が新段階に突入するにつれ、従来の“広告か、さもなければ個人課金か”という、二大命題に収まらないさまざまな仮説や挑戦が浮上します(ここに、デジタルメディアをめぐる“いま・ここ”の課題があります)。
浮上する新たな事業課題を実現するためには、システム製品の導入、新技術の開発、あるいは新たなビジネスメソッド(手法)といった個別の要素の遂行だけでは不十分です。これらを掌握してプロジェクトを遂行する、事業収支にまで責任をもつ能力が求められます。
このような役割は、ビジネスの中核機能であり簡単に外部(外部パートナーやコンサルタント)へと委ねるわけにはいきません。

そう考えれば、既に存在するスタッフやチームに対するモチベーション喚起策や部門の配備など、企業内の人事・組織論的課題が、実は“旧くて新しい”大きなものとなって見えてきます。

今回、焦点を当てて考えてみたいのは Web 開発部門、あるいは Web 開発者の位置付けについてです。

題材としたいのは、デジタルメディアのビジネスを専門的に論じる Web メディア emedia Vitals 掲載の「Should your Web team report into IT?(Web 開発チームは、IT 部門に帰属すべきか?)」 。同メディア CEO で、About.comをはじめ数々のデジタル系メディアの事業にたずさわってきた Prescott Shibles 氏によるブログ投稿です。

Shibles 氏は、かつての職場で長時間の議論の末、上司であった COO/CFO に「さあ、議論は終わりだ。Web 開発者は IT 部門の配下に置く!」と宣告されたことが忘れられません。

議論は8、9年前のことだ。しかし、そこでの問題は今もなお多くのメディア企業やマーケティング系企業にとり重要なテーマだ。
もし、上司が「Web 開発者は IT 部門に従属させる!」と主張したなら、君は強くそれに異議を表明する必要がある。Web 開発者はマーケティング部門、あるいはメディア部門に統合すべきなのだと。

当時 Shibles 氏はデジタルメディア部門(もしくは、Web を介して販売を行うような事業部門=マーケティング部門)に属しており、配下に Web 開発者(チーム)を擁していたのが、“開発者は IT 部門にいるべきだ”とされ、スタッフを引きはがされた経緯があるようです。
上司が考えたことはわからないではありません。技術者は似通ったものに見えますし、似たような能力を有する資源が間接部門と事業部門に分散しているのは、すべからく効率性を重視するタイプのマネジメントにとり非効率と映っておかしくありません。

ここで企業における IT の位置付けについて、簡単に触れておくことにします。
いまやどのような企業にとっても、IT がその事業基盤に大きな役割を果たしていることは論をまちません。しかし、事業の基盤であればあるほど、その役割は重要で、その結果、“攻め”と“守り”の両極へと役割期待が拡大してしまうのです。

ポイントはこうです。

  • 人的労働の自動化・効率化によるコスト引き下げは、競争優位性を高める(攻めの側面)
  • 新しいビジネスモデル構築は、新たなシステム開発を伴う(攻めの側面)
  • 事業運営をリアルタイム化・俊敏化するには、各種データを蓄積し分析するシステムが必要である(攻めの側面)
  • IT は、重要な事業基盤なのだから、24時間・365日停止してはならない(守りの側面)
  • 事業基盤であるシステムの構築や更新には投資的要素が大きくなり、失敗や投資過多に陥るリスクへの万全な対策が必要だ(守りの側面)

IT は専門性を必須とします。開発会社やある種のインターネット企業などを除けば、“デジタル”を標榜する企業であってさえ、IT 系スタッフは全体に対して少数になってしまうというのが一般的です。
本ブログのテーマであるデジタル化を加速するメディア企業にあっても事情は同じです。希少資源であるが故に IT スタッフの位置付けはつねに定まらないものなのです。

例えば、Web メディアを運営する企業では、“攻めと守り”の両極化は深刻な齟齬をきたすことがあります。
24時間 × 365日ダウンしないことを求められる一方、インターネットのトレンドをキャッチアップするメディアの開発やリニューアルプロジェクトは日々続々と誕生します。
安全安心が第一というお題目でこれらを遅延させることは、事業を推進する立場からみればフットワークの悪さとして映ることでしょう。
また、メディアの効率的な運営を支える CMS(コンテンツ管理システム)などは、メディアビジネスの基盤中の基盤であるため可用性が最重要。できればシステムは枯れたものにしたいところですが、この分野を他社メディア企業との競争優位性へと位置付けようとすると、厳しい機能追加競争に乗り出さねばなりません。

IT に求められるこのような両面性は、そのスタッフが所属する部門やミッションにより大きく振れることが経験上理解できます。
こんな事情を整理すると下表のようになるはずです。

WebDevlopper
Shibles 氏の論に戻ると、氏は Web 開発スタッフに自らの帰属を考えさせるえるための論点として以下の5つを掲げています。

  1. これからの5年、どんなビジネスに属していたいのか?
    ……組織が成長すれば、いずれ手続きや標準を重視する文化が高まってくる。“ガレージを出なければならない時”がやってくる
  2. 自分たちの部門の目的はなにか?
    ……間接部門である IT にはリスク回避と継続性が求められる。一方、事業部門であれば、競争優位のための“破壊的断絶”や今までとは違う手法が必要になる
  3. ビジネスを追求するスピードをどれほど重要視するか?
    ……事業部門と間接部門の感覚の違いは、コメント不要でしょう
  4. 管理者は、業務をサポートしてくれる存在か、それとも単なる官僚的か?
    ……こちらもコメントを避けましょう。
  5. 自分たちがめざすのは事業の成長か、それとも利益の追求なのか?
    ……上記したように、おうおうにして企業は IT に対して二兎を追わせようとする。しかし、それは両立し得ない

エンジニア諸氏をどこに帰属させるか、というテーマは、デジタル化の道をひた走るメディア企業にとり避けられない大いなるテーマです。
エンジニアの扱いに慣れないマネジメントであればあるほど「エンジニア同士まとめておけば良い」と考えがちです。

述べてきたように、片や全社の業務システムがダウンしたりしないようにと心を砕くスタッフと、片やライバルを出し抜くためにいかにクールなものを創れるかと取り組むスタッフとでは、その存在は重なりにくいことがわかります。
もし、それでも大部屋主義に意義があるとすれば、両極化しやすい役回りを定期的にシャッフルし、そのエンジニアの将来の芽を摘まないようにする育成的な配慮が挙げられます。ここから先はその会社が抱く価値観に従うしかありません。
(藤村)

電子書籍と印刷書籍の共存時代 “クラウド書架”への進化がブレークスルーに

国内で電子書籍の普及が進まないとの声が挙がっている
しかし、電子書籍そのものを議論する以前に、
総合的な読書体験を進化させるアプローチにも注目すべきだろう
それはクラウド化された書架が起点となる

2015 年に国内の全書籍売上が現在と変わらぬまま停滞気味に推移するとして 8000 億円。これに対して最近の調査結果では、電子書籍の売上は約20%を満たすに過ぎないと予測されています(下図参照)。ここ数年高まってきた電子書籍市場の成長期待を裏切る予測ですが、とは言いながらも、電子書籍がじわりと存在感を高めていることに間違いはありません。

このことからも、筆者が確信するのは、印刷書籍と電子書籍が長く共存する時代が到来しているという点です。
印刷も電子も——。読書家にとり両方のオプションが目の前にある。それは健全なことです。

そこで、電子化という未来を考えた場合にも、電子書籍“だけ”を議論をする以外に目を向けていく必要を感じます。
本稿では、印刷も電子も混在する状況下で、いかに読者が電子化に前向きになれるかという条件を考えてみましょう。

「読書」という体験は、実は書籍と読者が向き合っている時間に止まるものではありません。
読書体験は、その“向き合う”時間の前後へとすそ野を広げているものです。この点は「読書体験を拡張する」で素描しました。
いま改めて電子書籍の伸張を阻むもは何かを、この拡張する読書体験という視点から見ていく必要があります。

印刷も電子もの混在状況をどうやってマネジメントするか?
Web を介した電子の書架サービスが筆者に思い当たります。昨今ではこの種のサービス、アプリはすぐさま 20 ほども目に付くようになりました。
残念なことに、筆者には、これの多くは“子どもだまし”のように映ります。
サービスインすると、デザインされた各種の“本棚”が画面に現れます。そこに蔵書を登録する。すると、書棚には個々の書影が現れ……。
要するにリアルな書棚を戯画化しているだけのように見えます。
バーチャルな書架の付加価値としては、蔵書する書籍についての書誌情報を使える、書棚自体を自分の書物の趣味として公開できるぐらいではないでしょうか。

しかし、印刷と電子、いずれものタイプの書籍も蔵書するようになってくると、このようなバーチャルな書架が果たすべき役割は大きくなるはずです。
電子書籍と印刷書籍のデータがマネジメントされ、文字通りクラウドを介して任意のデバイス、任意の場所からアクセスできる——。そのようなイメージが広がります。

読書のための基盤として、読書家が蔵書を効率的にマネジメントする一方、読書の本格的ないつでも・どこでも化をするために——。
筆者は“クラウド基盤に立った書架”の実現を強く期待します。
これがあってようやく、印刷書籍の読書体験に対し電子の読書体験を、利便性の観点からも豊かな未来図を提示できるようになるのです。
イメージ化すれば、下図のようになります。

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ポイントは、これまで購入し文字通り積み上げてきた印刷書籍、そしてさまざまなフォーマットやサービスとして提供されている電子書籍をともにマネジメントできるかのかどうかにかかっています。

世の中に、印刷書籍や雑誌、そして、電子書籍や雑誌を、まったく別々にマネジメントしたいと思う人は、いないでしょう。
手元には数十年の半生で購入し積み上げてきた印刷書籍があります。「読書家」ともなればこの数は多くなり、単純な保管場所にも困り、それゆえ所有しながらも蔵書へ迅速にアクセスすることも難しくなっているはずです。
読書家はこの時、半生を通して出会った書籍の電子化を夢見るのです。
どこに置いたかも分からなくなってしまった名著から金言を自由自在に取り出せたら——。
筆者自身、そう思ったことが一再ならずです。

ほとんど“死蔵”されてしまった愛読書(個人的な体験として、書籍の山からの発掘に失敗し、同じ書物を購入し直したことさえあります)に、新たな息吹を吹き込むためにも印刷書籍の電子化が必要です。
そして、いったん電子化された書籍は、いわゆる電子書籍と同様、いつ・どこからでも、どの機器からもアクセスできるようにすべきです。PDFやEPUBのデータをダウンロードしただけの電子書籍では、それがどの端末のローカルに存在しているのかで、読書の時と場所を制約されてしまいます。
おのずと答えはクラウド基盤へと絞られます。
また、筆者の個人的な読書習慣ですが、価値ある書物であればあるほど、傍線やメモの書き込みが多くなります。
これをカギ(INDEX)に、蔵書から印象深い箇所を自在に取り出せるようになれば、読書体験に大いなる付加価値がもたらされます。
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印刷書籍を自炊して iPad 上のアプリで表示した

ここで提案しておきたいのは、書籍電子化の波が到来する以前の印刷書籍を“電子化”する手法の整備です。

そうです。自炊のことです。
この2年ほどで急速に立ち上がった自炊事業(書籍の裁断、スキャニング代行業)は、現行法規、出版社や一部著者らのキャンペーンにあいあえなく終息に向かっているようです(記事参照)。
しかし、積極的に“自炊”に向かった読書家たちにとり、蔵書を裁断・スキャニングするサービスへの需要は宙に浮いたままです。
筆者は、ここで出版社など業界団体で自炊代行業を認証する仕組みを提供するのが打開策と考えます。
つまり、法的にグレーな事業者や代行メニューを排除し(あくまで書籍の所有者から委託を受けて作業を代行する、裁断後の書籍の返却もしくは適正な廃棄プロセスなどを実施する)ガイドラインを担保できる事業者を認証し読書家のニーズに応えていくのです。
出版などの業界とこの代行事業者間で以前と異なる“友好関係”が成立すれば、これまでの自炊では満たされなかった高度な電子化サービスも提供されやすくなるでしょう。
たとえば、絶版扱いとなってしまっている旧版を書肆自ら自炊し少量販売するようなビジネスにも活路が開けます。

次に、印刷書籍の対極である電子書籍の状況はどうでしょうか? 印刷書籍を多く蔵書する際の“不便”を克服する未来の姿を十全に提示できているでしょうか? 残念なことに、体験的には“ノー”と言わざるを得ません。
さまざまな電子書籍販売、サービスがすでに台頭していますが、ファイル形式は多様。ユーザーがダウンロードすべきものもあれば、固有のクラウド型(本の実体をユーザーが取得しないもの)などあり、統合的なマネジメントは到底できていません。
クラウド型サービスであっても、PC(Windows)から閲読できてもMacでは不可というケース、各種のモバイル機器への対応がばらつくなど悩ましい限界が山積です。
むしろ、印刷書籍の蔵書のほうが自炊等によるデータ化で将来への担保もできるのに比べ、電子書籍のプロプラエタリ化(タコツボ型)のほうが気になる状態です。
こんな状況では、読書家にとっては“読み捨てでいい”読書の方向でしか電子書籍に適合できません。

思わず悲観的な素描になってしまいましたが、問題解決の芽もあります。
詳細を論じるのは避けますが、たとえば、「オープン本棚プロジェクト」のような試みも誕生しています。
なにより電子書籍提供上のフォーマットを、オープンな標準である PDF、EPUB、そして“デファクト標準の可能性がある” Kindle フォーマット、加えて Web 標準である HTML5+CSS3 を中心に互換性を強く意識した業界全体のコンバージェンスが進む機運は、潜在的には高まってきています。

改めて、論を整理しましょう。

マネジメントする対象のコンテンツ

  • 法的にクリアな事業者もしくは所有者個人による自炊 PDF
  • 数種の標準フォーマットの電子書籍、および青空文庫など Web 標準フォーマット

書架の基本機能

  • 書誌情報等を使った保有書籍のデータベース化
  • アノテーション(書籍への書き込み)情報のデータベース化
  • 書影等の表示
  • 各種検索機能
  • 保有書籍およびアノテーションの公開などソーシャル化

情報機器端末の機能

  • Windows、Mac、Linux等ネイティブアプリ開発用 API 提供
  • iOS、Android等モバイル端末向けネイティブアプリ開発用 API 提供
  • ブラウザを仮想表示端末とするための HTML5 等 Web 標準のサポート

本稿冒頭の問題意識に立ち返りましょう。

“電子書籍の体験に欠けているものは何か”と問われれば、読みたいコンテンツが提供されているのかどうか、というハードルではありません。新刊書籍は徐々に電子版としても提供されていく流れにあります。
言葉を換えれば、“フローとしての電子書籍”は需要を満たす方向に歩みを始めています。
課題は“ストックとしての電子書籍”におけるソリューションです。読書家の視点で素直にこれを語るなら、手持ちの印刷書籍を含めていかに気持ちよくマネジメントできるかという方向です。
そのために、クラウド化された統合的な電子書架が求められるはずです。

その書架は、単に個人の蔵書管理のために止まらず、適切なアフィリエートの仕組みを付加できれば、特定テーマに強いブティック型書店に化けることも可能です。
また個々人の書架が適切な形でネットワーク化されれば、ソーシャルリーディングを加速するプラットフォームとなるかもしれません。
このまま電子書籍が垂直型サービスとして硬直化してしまう前に、どうにかして柔軟で付加価値の高い蔵書マネジメントの仕組みを形成し、それを個人へと提供しなければならないと考えます。
(藤村)