テクノロジーの進化が停滞してきた Web メディア分野
その停滞を揺るがすのが、ビッグデータを駆使する各種の広告テクノロジー企業だ
本稿は、破壊的な広告テクノロジーをひっさげ登場したプレイヤーらに
広告価値の根幹であるメディア価値が揺さぶられるに至った理路を検討する
Web メディアのここ数年間を振り返ると、テクノロジーの視点からは、その進化は意外にも漸進的だったと見なせます。JavaScript/Ajax が普及し Web サイトの動的な表現力に影響を及ぼしましたが、Web メディアという事業を一変しかねないかと問えば、変化は限定的でした。
次に“モバイル革命”への応答として HTML5 が次の大きなトレンドとして注目され、 また、レスポンシブデザインなどが動き始めましたが、本当の大きさが見えてくるのはこれからです。
ただし、進化が漸進的というのは、メディア事業者(本稿ではメディア企業と総称します)にとってのみ当てはまると言うべきかもしれません。
メディアの中心からではなく、周辺から地殻変動が次々と中心に向かって押し寄せた数年でもあったからです。
ブログ運営基盤、動画投稿サイト、そしてソーシャルメディア全般が巨大な成長を続けています。また、元来“メディア”とは呼ばれないようなさまざまな新興 Web サービス、モバイルアプリが誕生、成長しています。メディア企業はこれらとの連携に追われるという逆転現象が、この数年、常態化した光景です。
ところで、メディアの周辺にありながら中心のメディア企業の根幹を破壊しかねないテクロノジー的変貌が、もうひとつ生じています。本稿の主題、広告テクノロジー分野です。
いきなり広告の話題に入る前に、まず、こんなくだりから入っていきましょう。
イーライ・パリサー『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』からの引用です。
『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』
ウォールストリートジャーナル紙がおこなった調査によると、CNN にヤフー、MSN など、インターネットの有名サイト50カ所には、データ満載のクッキーや個人データを追跡するビーコンが1カ所あたり平均で64も用意されていたという。
人々が訪れるページの裏では、「オンラインにおけるユーザーの行動に関する情報」という巨大な市場がうごめいている。そのような市場で活躍しているのが、ブルーカイ(BlueKai)やアクシオム(Acxiom)など、あまり知られていないが大きな利益を上げている個人情報の企業だ。アクシオムは、ひとりあたり平均で1500項目もの個人情報を集めてデータベース化しており、そのカバー率は米国人の96%に達する。このほかに、信用情報から尿失禁の薬を買っているか否かにいたるまで、あらゆるデータを所有している。
『閉じこもる……』は、インターネット上の新たなテクノロジー動向と、それにともなう危機意識を「フィルターバブル」という視点で鋭く説く好著です。
フィルターバブルとは、Google、Facebook、Twitter ら現在のインターネットの覇者がおしなべて取り組んでいるパーソナライゼーションが、錯綜し膨れあがった状況を指します。
例示されているものとして、Google パーソナライズ検索があります。いまや同じキーワードを用いた検索であっても、そのユーザーごとに得られる検索結果は異なるようになっていることは広く知られています。
また、Facebook でも表示される情報にはパーソナライゼーションが施されています。多くの友達を持ちながらも、ユーザーのタイムラインに表れる“近況”は、アルゴリズムが働き一定の整理や選別がなされることで“ほどほど”の情報量に刈り込まれ、かつ、重要性の高い情報は届けられるようになっています。
これらは、それぞれ実装上のテクノロジーこそ異なれ、過去の行動やソーシャルグラフを加味して個々のユーザーごとに最適化した(パーソナライズ)情報を提示するというフィルター機能を、次々に提供しようとしている点で共通しているのです。
『閉じこもる……』の危機意識は、これら幾重にも折り重なるように提供された見えないフィルターにより、ユーザー自身は直視できていると信じる現実世界から、実は遠ざけられているということに帰結します。
ところで、本稿ではフィルターバブルが、現実界の認識を歪め見えにくいものにしているというジャーナリスティックな視点とは少々異なる方向に進んでいこうと思います。
『閉じこもる……』の引用文を念頭に置きながら、もうひとつ別の書物を紹介しましょう。横山隆治・菅原健一・楳田良輝『DSP/RTB オーディエンスターゲティング入門』です。
DSP/RTB によって1インプレッションの売買が瞬時にできるようになった現在、最適な広告を最適な人に届けるオーディエンスターゲティングが有効になった。インプレッションごとにどんなユーザーが見に来ているのかを判断するには、自社が持つ内部データと第三者から提供される外部データを活用する。
外部データとは自社以外の「オーディエンスデータプロバイダ」から提供されるオーディエンスデータのことである。
外部オーディエンスデータの提供元であるDMPは、海外では、AudienceScience、BlueKai、eXelate、Demdex などがあり、国内では筆者が所属する株式会社オムニバスなどがサービスを提供している。これら DMP を行っている企業は数多くの媒体にオーディエンスデータを管理するためのタグを設置し、サイト訪問者の閲覧データを取得する。取得したデータはサイトを横断して関連のあるカテゴリーごとに集計をし、セグメントと呼ばれる単位で管理が行われる。広告主はこのセグメントを利用したい場合、セグメントを配信プラットフォームの DSP と連携することでセグメントの対象者へ広告を配信することが可能となるのである。
気づかれたでしょうか? 紹介した異なる書物の2つの引用文には、ひとつの共通項がありました。「BlueKai(ブルーカイ)」という社名がそれです。
挙げられている「DMP」(データマネジメントプラットフォーム)や「オーディエンスプロバイダ」、あるいは「個人情報の企業」と呼ばれている企業群が果たす役割は、インターネット上に散在する“個人情報”を収集し、それを分類したデータベースを構築することです。この二つの引用文は、共通する事象を“危機意識”と、“広告テクノロジーの最先端”という両側面から述べていると理解すべきなのです。
先に断っておくと、ここで「個人情報」とされる情報は、これらに企業においては完全に匿名的なものであることが説明されています。
収集されるデータとは、各サイトにアクセスしたあるユーザーの行動履歴に関するクッキー(Cookie)情報なのです(クッキーについて知りたい向きはこちらへ)。
さて、ここからは本題です。個人情報の収集と広告テクノロジーの先端が、どう交差しているのか簡単な説明を試みます。
ある匿名ユーザー(あるいはブラウザがといってもいいでしょう)が、あるサイトのどんな記事を読んだか等の情報は、ブラウザを搭載したそれぞれのコンピューティング機器のクッキーファイルに記入することができます。一般的には訪問されたWebサイトが記録用に来訪者のクッキーに情報を記入します。ユーザーの行動履歴がクッキーに記録されていく理屈です。
この情報を大規模に収集すると、インターネットを回遊する多くのユーザーが、それぞれどのページ(それがどんな種類のサイト、もしくはどんな内容のページか)に関心を持っているかという大規模なデータベースが構築できます。
ここで匿名ユーザーを「ID」と呼ぶとすれば、ID ごとにどんな関心興味をもっているかをその行動履歴を収集したデータベースから抽出できることになります。
広告主からすれば、むろん、自社が販売したい製品(カテゴリー)に関心を持つ ID を含んだ利用可能なデータベースがここに誕生したというわけです。
さらに、行動履歴には単に関心興味というカテゴリー分類だけでなく、価格サイトやECサイトをいつごろ訪問したかなどの情報の切り口も加味することにより、購買に非常に近い状態の ID を理屈の上では同定することも可能です。
広告テクノロジーの進化はこのような巨大データベースの構築にとどまりません。
従来なら、このような ID を同定できたとしても、氏名・住所・電話番号・勤務先など本来の意味での個人情報がなければ、DM を送りつけたり電話で勧誘するなどといった実行手段がありませんでした。ところが“進化”は、機微な個人情報を取得しなくても、それぞれの ID に対して適切な広告を配信する手段を生み出したのです。
映画「マイノリティ・リポート」で描かれたような、壁面の大ディスプレイが通行者一人ひとりを同定して語りかけるようなことがインターネット上で可能になっていると想像して下さい。
それが、『DSP/RTB オーディエンス……』で解説されている最新の広告配信テクノロジーなのです。
もう少しだけ、要約を続けさせて下さい。
先の引用で、「DSP」とは「デマンドサイドプラットフォーム」の略語で、広告主側が広告を発注する(入札する)取引市場システムです。「RTB」は「リアルタイムビッディング」の略語で、多種多様なWeb ページにある ID がアクセスしてきたとき、そのページに設けられた広告枠一つひとつをセリ(競売)にかけ、競り落とした広告主の広告を配信するまでをシステム的につかさどります。
もちろん、ここで「ID」と書いたのは上記オーディエンスデータを参照して条件が同定済みである来訪者という意味です。
したがって、広告主の側からすると、「このような種類の ID がアクセスしてきたら、いくらまでの価格を上限にして広告枠を買う」といった条件をセットしておき、そのような ID からの Web ページへのアクセス一つひとつのセリに参加するというわけです。
概要が見えてきたでしょうか? DSP/RTB の仕組みが誕生したことにより、商品への関心や趣味などの情報を判別ずみの各 ID に対して、インターネット上のずい所に設けられた広告枠を通して適切な広告を配信できるのです。
想像できるように、このような仕組みがリアルになるためには、非常に膨大な量(たぶん数百万単位)のクッキー情報を取得、更新し続けるビッグデータ系の IT インフラが不可欠です。また、広告枠の競売、ID ごとに最適な広告配信などを一挙に処理した上で、Web ページをアクセスした ID に広告を高速に表示するネットワークインフラの構築もまた生命線となります。
このようにして、多種多様な Web ページ上の広告枠をめぐって、超高速なトランザクションを継続維持するわけです。
さて、筆者の問題意識のほうへ歩みを進めます。
DMP のビジネスモデルは大ざっぱに言えば、こうです。
DMP は多くのメディア企業と提携しそのページ内にユーザークッキーを取得するためのビーコンを設置します。この提携サイトを広げることで ID を可能な限り多く収集し分類することができます。
広告主は ID 情報と各 Web ページの広告枠の情報とを組み合わせて、広告配信権を(システム的に)競り落とします。この際の利用料として DMP への支払いが生じます。また、DMP と提携した Web サイトはこの ID データ利用料の折半を受けるというのが一般的なモデルとされます。
ここでメディア企業にとっては、2種類の収入機会が生じたことになります。
ひとつは DMP にユーザークッキー取得のためのビーコンの設置料金です。
もうひとつは、もちろん、自社メディアへ来訪したユーザーに対して広告を表示するという広告掲載料です。
従来に比べれば ID データを販売する機会が増えているわけです。
また、RTB が取り持つ広告枠の販売は競争入札制が基本原理ですから、需要の高い広告枠を運用するメディア企業は理論上高値の広告収入が期待できます。
こうしてみると、広告をめぐる商取引テクノロジーの変化はメディア企業に“福”をもたらすように見えるかもしれません。しかし、そうとばかりも言えません。
『DSP/RTB オーディエンス……』の副題「ビッグデータ時代に実現する『枠』から『人』への広告革命」がいみじくも喝破するように、「だれに広告を見せるか」をほぼ確定できる時代にあっては、“広告価値”の帰属性は(メディア企業が運営するという意味の)「メディア」から限りなく分離していくことを意味します。
たとえば、マーケティング上、求める種類の ID に的確に広告を出せるなら、高値のついた商業メディアではなく、もっと安価な場所で広告を買いそこに広告を配信すれば良いからです。
狙った読者層と出会うために良い媒体の広告枠を購入する、という「読者価値」と「媒体価値」が密接に結びついていた広告価値観の大きな転換が、ここに示唆されています。
この転換は甚大な影響をメディア企業に及ぼさずにはいません。そうだとして、メディア企業にはどのような判断が可能でしょうか。次回に、続けて検討していきたいと思います。
(藤村)