“コンテンツ”へのバイアスを捨てる メディア事業再考

変化の時代から逃れられないメディアビジネス
コンテンツ価値にこだわる思考が、事業の硬直化を招く——。
情報価値へと立ち返り、
メディア事業を再考するためのヒントと事例を検討する

メディアのビジネスを考えるとき、筆者が最も重視するのは「テクノロジーは、メディアに対して両義的に振る舞う」という命題です。メディアに取り組む立ち位置によっては、テクノロジーは無慈悲で冷酷に振る舞います。しかし、逆に、希望に満ちたチャンスをもたらしもします。
その図式は、あらゆる産業ですでに起きたか、あるいはこれから起きようとしていることと変わりはありません。
その際に重要なのは、(メディア)ビジネスに対するスタンス(立ち位置)です。
いまは、明瞭には見通すことができない大きな変動が進行している時代です。目を大きく見開き、柔軟にそして肯定的に考えるべき時なのです。

と、そう考えているはずの自分が、不明を突かれた体験を告白することから本稿を始めようと思います。
取り上げるのは paidContent 掲載「Don’t think of it as content, think of it as information」(それを「コンテンツ」としてではなく、「情報」と考えよ)です。

デジタルメディアから利益を生むため、また、ソーシャルが破壊的創造をもたらすいま、コンテンツ企業、あるいは出版社は何を為すべきか? いま行っていることとは別のことを考えなければいけないはずだ。

記事は、米国のメディア関連ベンチャー Betaworks のCEO John Borthwick 氏の示唆に富むオピニオンを紹介します。同社は URL 短縮化サービスの Bitly やリアルタイムに Web サイト来訪者を解析するサービス Chatbeat などで知られる一方、米大手新聞社 New York Times と組んでソーシャルなニュース提供サービス News.Me を開発したりとメディアとの連携を武器にするベンチャー企業です。
では「別のこと」とはどんなことでしょう? 記事はこう述べます。

メディア企業が創っているものを「コンテンツ」と考えるのを止めてみること。代わりに、それを「情報」なのだと考えてみることだと(Borthwick 氏は)述べる。
コンテンツという語を使うことの問題は、そうすることによって、コンテンツを包む、あるいは流通させる“パッケージ”や“コンテナ”のほうを考えてしまいがちだということだ。
しかし、(いまやメディアビジネスにおいて)パッケージに関連する部分はほとんど破壊されつつあるのだ。

記事はまたこうも述べています。

メディア企業が創り出しているものを、パッケージされるための存在としてコンテンツと考えるのではなく、「情報」を創造しているのだと考えれば、ユーザーへ提供する情報価値に焦点を当てることができると、Borthwick 氏は言う。
パッケージや流通システムは、それが雑誌であろうと、新聞であろうと、そしてモバイルアプリであろうとも、二義的なものとなる。メディア企業は、ユーザーが何を、どう求めているかを理解することだけが重要なのだ。

不明を突かれた思いとはこの指摘に関わっています。
筆者(藤村)は従来から、単に“情報”の伝達にとどまるのではなく、いかに付加価値を与えるかを探求することによって、商業メディアは機械生成的なメディアやソーシャルメディアの多くに対し差別化できるという思いを軸に立論してきました。
デザインが付加価値となる、あるいは、多様なメディア形式(“パッケージ”と同義です)へとアウトプットすることなど、問題意識は“情報からコンテンツへ”でした。Borthwick 氏のオピニオンはそのような一方通行の思考であったことを見事に突いたのです。

たとえば、Bitly は、文字数制限があるツィートに長い URL を記述するために便利な短縮ツールとして広く受け入れられましたが、以後、どのような(Web 上の)情報がツィートされているか、それがどう拡散していくかなど分析するためのツールとしても成長していきました。コンテンツに対する情報としての意義の一端が、ここに見えてきます。

筆者を含めてメディアビジネスに携わる人間の多くのスタンスは、述べてきたように“いかに情報に付加価値を与えるか”であり、その現代的な解として多様なパッケージ形態をめざすという枠組みにとらわれています。しかし、Borthwick 氏のオピニオンをいれるなら、出口が広がる可能性があるのです。

では、どんな可能性が考えられるでしょうか?
デジタルメディアが追求可能なビジネスモデルを思いっきり拡張して見せたのは、『フリー〜<無料>からお金を生みだす新戦略』を2009年に世に問うたクリス・アンダーソン氏です。
同書に先駆けてメディアのビジネスモデルについての思考実験を公開したブログは、重要なヒントになります。氏のブログ The Long Tail の「What does the “Media Business Model” mean?」(メディアのビジネスモデルとは何か?)です。2008年に書かれたこのポストには考えるべきメディアのビジネスモデルが、更新を重ねながら25種(!)も掲げられています。

これら多くのメディアのビジネスモデルのなかで、“コンテンツから情報へ”の文脈と接点があるものとして、「コンテンツのライセンス(シンジケーション)」と「API 課金」があります。
前者は従来からニュースの配信事業者(通信社)のモデルとして存在しておりよく知られたものです。これにテクノロジーの要素を加えれば、ニュースを API 経由で自在に需用者が取り出す仕組みが考えられます。つまり、メディアにおける形式部分(パッケージ)は、コンテンツを創り出したメディア企業がではなく、それを API 経由で利用する個々の需用者が、自らの消費者に向けて創り出すことになります。
ここでは深入りしませんが、どの記事をどんな読者がアクセスしているのかといった、Bitly のようなメタコンテンツ情報を API により外部へと提供する事業も考えられそうです(API については「API をビジネス視点で考えてみる」が参考になります)。

CNET Japan 掲載「アイスタイル、『@cosme』内のデータを外部へ提供するAPI『apicos』公開」はその一例と言えます。
また、TechCrunch 掲載「Old Publishers Dive Into The New: Pearson Inks API Billing Deal With Zuora; Adds Food To The Mix」(老舗出版社 Pearson、API 課金システム開発の Zuora と提携を発表)も事例として参考になります。
いずれの例も、メディアのなかにあるコンテンツ群をデータベースとして見なし、それを外部事業者が呼び出しそれぞれの事業に組み込んで活用するという手法です。
コンテンツを、第三者である事業者がそれぞれの事業機会に即して柔軟に再利用できるようにするというのが、この“コンテンツの情報化”の意義と言えます。
従来の私たちであれば、自ら創り出したコンテンツの価値を重く見るがために、その収益化も自身が作り込むパッケージによって果たそうと考えがちでした。
むしろ、自らとはまったく異なる市場を持つ事業者が創造する事業機会へと委ねることで新たな収益化を模索する仕方が見えてきます。

また、直接の収益化を留保してでも、“コンテンツから情報へ”のアプローチを積極的に取り入れようとする試みもあります。ITmedia ニュースlivedoor ニュース、自社メディア記事をCCライセンスで公開 転載自由に」もその例です。
このケースでは、個々のニュース記事を第三者に“再利用可能”と宣言することで自社のサービス価値の周知拡散を図っていると理解します。あるいは付帯して営むブログサービスなどでの二次利用促進、記事の増産が進むなども意図しているのかもしれません。ともかく、この宣言によって多くの第三者が、再利用を意図してアクセスしてくることが見込めます。

このように、自らが創り出した宝物であるコンテンツを、あえて固定的なパッケージから分離して流動的に扱ってみること。そのことにより、情報の拡散が加速し、新たな収益機会を生み出すことにもなると仮定してみることは、重要なトレーニングとなるはずです。
テクノロジーがメディアに対して両義的な可能性を広げるとき、いかに肯定的なスタンスでそれに取り組めるか——。メディアがこれからも変化に満ちた長い道のりを歩むために重要な視点となるはずです。
(藤村)