ターゲットメディア論、書き換えの試み

ユーザーの情報ニーズに対し動的に反応するメディアにリアリティが増している
本稿では、従来から語られてきたターゲットメディアを見直し、
動的メディアとの接点を論じる

動的メディアへの道 “文脈”に即応するメディアの構想」をポストしてから、1か月が経過してしまいました。targeting
同ポストでは、スマートデバイスが関与することで、ユーザーの外的な文脈(場所や時間、利用デバイス種別)を識別できるようになり、コンテンツやその表現形式を動的に変化させユーザーに追随するメディアの実現に近づいたことまでを述べました。
本稿は、その“動的メディア”にさらに一歩踏み込もうとする試みです。

まず、筆者自身にとってのおさらいです。
なぜ、動的メディアなのか? それはユーザー(読者)にどのような価値をもたらすのか。と同時に、メディア提供者にはどのような意義があるのか。
考えられる解答は次の2つです。

  • ユーザーにとっての動的メディア……メディアが、ユーザーの刻一刻と変化する情報ニーズに追随できれば、ユーザーは情報消費へと専念できる。言い換えれば、「探す」「切り替える」といった2次的な作業を軽減できる
  • メディア提供者にとっての動的メディア……ユーザーは情報ニーズの変化に合わせて、利用するメディアを切り替えるなどで適切な情報を探索している。それは、メディアにとって逸失利益ともなる。動的メディアとなってユーザーのニーズに追随できればそのリスクを解消できるかもしれない

時間や場所、ユーザーの心理などを読み取ったメディアの可能性などと書くと、技術が進んだこの時代であっても“夢物語を”と笑われてしまいそうです。しかし、デバイスの進化、メディアの多様化が進展する中、このような進展がユーザーのメディア間移動を加速させているのではないかというのが、筆者の問題意識なのです。
言い換えれば、メディアはますます刹那的にしか、ユーザーとの間で“絆”を交わせなくなっているのではないでしょうか。
実際、米 Time 誌の研究開発チームが測定したところ、デジタル機器に慣れ親しんだ世代では、1時間に27回もメディアを切り換えているという調査結果さえあります(Time Inc. Measures Consumers’ Emotional Response to Media FolioMag)。
もちろん、このような“メディア切り換え(ザッピング)”は、ユーザーが手に入れたメディアの束縛からの“自由”と肯定する見方もあるかもしれません。しかし、コンテンツとメディアの過剰なまでの豊富化は、その煩わしさゆえに苦痛ももたらしているはずです。

このように、めまぐるしくメディアを切り換えるユーザー行動の背景には、非常に微細な情報ニーズ、文脈の変化が関わっていると見ます。
そして、その切り換え行動を可能にしているのが、メディアの豊富化と(デバイスの)操作性の向上でしょう。

では“変化する文脈”とはどのようなものでしょう。すでに紹介したことのある長谷川恭久氏の整理を再び借りてみます(「文脈によって活かされるコンテンツ配信」)。

  • 時間
  • 場所
  • ブラウザ
  • サービス / アプリ
  • ソーシャルネットワーク
  • デバイス
  • 回線速度
  • 天気
  • 言語設定

以上は、“技術的に取得できる”文脈と断わられています。
さらに、技術的に取得しにくい種類の文脈が想定されるのです。ここで詳細には踏み込みませんが、ポイントは“文脈=変化するもの”である、という点です。

筆者は、大手新聞サイトや大手ポータルサイトに適応されるような“全方位型”メディア以外の商用メディアは、多かれ少なかれ“ターゲットメディア”化せざるを得ないと考えています。
ターゲットメディアとは、簡単に整理すれば、

  • その読者の多くがどのような属性を有しているか、明瞭であるメディア
  • 取り扱うテーマや、雰囲気が明瞭に絞り込まれているようなメディア

の2つであり、そのいずれか、もしくは両方です。

全方位型(非ターゲット)メディアは、多くの読者がアクセスする一方、個々のテーマでの掘り下げは浅く、かつ平易です。他方、ターゲットメディアでは、数多くの読者にフィットはしないものの、個々のテーマは掘り下げられ、その分、読者から熱く支持されるという特性があります。
前者、全方位型メディアはコンテンツも読者も規模が大きく、それを運営するのにも体力、資源、そしてブランドも必要でしょう。
後者、ターゲットメディアは、極論をすればミクロなテーマに絞り込むことによって、市場開拓の余地はいまだに十分あります。また、広告や課金という収入の視点でも、他のメディアでは考えられないというぐらい絞り込まれたテーマと読者がうまくマッチするなら、可能性は拓けるはずです。

筆者のデジタルメディアの経験は、後者のターゲットメディアに属するものです。しかし、本稿の主題である“動的メディア”の可能性を考える中、ターゲットメディア論の深化や見直しの必要性に迫られるようになりました。

ここで、ターゲットメディアにおけるあるケースを考えてみます。
会員制メディアを運営していたとします。会員となるには、ユーザーは自身のプロフィールを詳細に申告する必要があり、サイトの利用動機や、年収、職業上の肩書き、決裁権限などが明瞭になったとしましょう。
そんな詳細なターゲット情報を活用して、商材情報(広告)を送り届けたとします。
しかし、それがユーザーの意識に強く響かなかったとすると、その理由には、ターゲット性と“変化する文脈”との不調和があるのかもしれません。

下世話なケースを想定すると、経営層であり高価な情報システムの導入に決裁権を有する人物をターゲットできたとして、昼時に新たな情報システムの導入を提案しても、その情報は、ユーザーが探そうとしている、近場で、美味しくリーズナブルなランチ情報の価値に劣ってしまうかもしれません。ランチの情報源は全方位型メディアであるにも関わらず、です。

これは思考実験ですが、静的なターゲティング(上記のような申告型のプロフィール情報など)のみでは、変化する文脈を捕捉する仕組みに劣後する可能性があるのは常識的に理解できるところです。

では、ターゲットメディアは、もはや無効なのでしょうか? そうではありません。
全方位型メディアから、メディア提供者や広告主が求めるようなターゲットユーザーを導き出すには困難がともないます(ただし、既出「『メディア価値』の希薄化にどう備えるか? 破壊的広告テクノロジーの登場がもたらすもの」で論じた新たなアドテクノロジーがその役割を果たす可能性はあるのですが)。
ユーザーが自身の嗜好に最適化した情報源を選別していこうとする場合、ターゲットメディア、もしくはターゲットされたコンテンツの収集は不可欠です。
一方、“変化する文脈”を追随できなければ、私たちのメディアは、ユーザーの選択として、あるいは、ターゲットした情報源を収集するアグリゲータらにその地位を奪われてしまうことは避けられないのです。

ようやく、“動的メディア”が登場する必然性を語れるところまできました。
次は、具体的な実装方法です。
変化する文脈の範囲をある程度パターン化することから、それは始まりそうです。近くそこに論を進めていと思います。
(藤村)