Webと断絶し新たな法則を生み出しつつあるモバイルとソーシャル
本稿では、PC(Web)メディアとモバイルメディアの間にある
非連続な発展がなにをもたらすのか、仮説を提示する
筆者は、この数年間、メディアのビジネスに対し、モバイル(スマートデバイス)の普及がもたらす影響について注視しています。
その関心をコトバにするなら、「モバイルは、読者とメディアにどんな自由をもたらすのか?」となります。
産業に断絶的な革新が起きる際の原動力には、「〜からの自由」という衝迫が作用します。
筆者の狭い経験では、十数年前に専業的な Web メディアの事業に取り組んだ際、その背景には印刷メディアの数々の制約からの自由をめざす衝迫がありました。
15年ほど前に勃発した“Web メディア”の革命がなにをもたらしたのかについては、前稿(「揺らぐ“コンテンツファースト”の法則。 アプリは再びメディアを活性化するか?」)で述べました。
本稿では、“モバイルメディア“の革命が、いったいなにを原動力としているのかについて考えます。
モバイルメディアとは、スマートフォンに始まり、次にタブレットをはじめとするスマートデバイスを物理的な基盤として勃興するメディアの総称と筆者は規定します。
むろん、それに先立つインターネット接続機能を有する携帯電話機上にも、数々のメディアが生み出されたことを考えれば、そこには継続と断絶があることを忘れないようにしたいと思います。
では、モバイルメディア革命は、いったい何からの自由を原動力としているのでしょうか? 以下に筆者の仮説を走り書きながら列挙します。
- 空間的な制約からの自由……モバイルの字義通り、ケータイやスマートフォンは、PC を携えていくことができない場でも Web メディアを享受できる
- 時間的な制約からの自由……3G 回線による常時インターネット接続と、短い起動時間、操作性などは、PC では活用し得なかった隙間時間を“メディア消費”のための時間へと変化させる
- Web メディアからの自由……モバイルはメディア消費デバイスであると同時に、アプリ活用デバイスでもある。アプリ化は、スマートデバイス上の各種ハード、ソフト的な機能の活用を促す。従来からのWeb“閲覧”は、より一層の双方向性、情報発信性へ置き換えられていく
- PC 的な利用の文脈からの自由……PC+Web が生み出した検索型(Web サーフィン型)の情報消費スタイルに対して、書籍など一定の深度を有するメディア消費が復権していく
このように列挙しながら気づかされるのは、モバイルは、それに先だち普及を遂げた PC と Web の組み合わせによって築かれた文化への反措定(アンチテーゼ)の要素が色濃いことです。
モバイルは、PC 同様の Web 閲覧機能をその小さな機器において引き継ぎました。
が、そのような連続と同時に、非連続(先行者に対する否定)も含んでいます。モバイルが PC であって PC でないという表れが、 3. や 4. に見て取れるはずです。
結論を急がずに、モバイルがもたらす変化の兆しに注意を払ってみましょう。
米国の調査会社 Nielsen が、昨年発表した米国でのモバイル機器の利用状況についての調査結果(「In the U.S., Tablets are TV Buddies while eReaders Make Great Bedfellows」)では、タブレット型機器では「TV 視聴をしながら」が第1位、第2位に「ベッドで横になりながら」という視聴スタイルを報告しています。
機器が電子書籍リーダーに代われば、「ベッドで横になりながら」が第1位となり、「TV 視聴をしながら」と「何かを待ちながら」がほぼ同列で続きます。
実は、モバイルメディアは、モバイル=移動(外出)というよりも“ホームメディア”と呼ぶほうが妥当という認識が得られるのです。
また、スタート当初は iPad に特化したニュースリーダーとして注目を集めたアプリに Flipboard があります。その後、iPhone や Android 系スマートフォンにも対応し市場を確実に広げている同社が、ユーザーによる Flipboard の利用状況を集計してインフォグラフィックとして公表しています(「Inside Flipboard」)。
興味を惹くのは、「いつ、Flipboardを利用しているか」の項です。それによれば、利用が最も活発な曜日は、タブレット版では「日曜日」。スマートフォン版では「木曜日」。また、1日の間で最も活発な時間帯は午後10時〜11時と、こちらもモバイル=移動との直観を裏切る結果を示しているのです。
これらの利用実態は、筆者が真っ先に挙げた仮説の 1. をある意味で裏切っているかのようです。
これらをどう解釈すべきでしょうか? 手がかりとなりそうな見解があります。長くなりますが少していねいに引用します。
(前略)……読者がケータイでどのようにマンガを読んでいるかを調査したことがあります。
意外だったのは、マンガを読む「時間」と「場所」についての回答でした。調査前には、通勤や通学途中の電車のなかや、あるいは旅行先のホテル、会社や学校の休憩時間などに読んでいるにちがいない……とだれもが予想していました。ところが、いざふたをあけてみると、時間については「寝る前」、場所については「ベッドの上」がそれぞれトップでした。寝る前にベッドで読むのなら、なにもケータイである必要はないはずです。それこそ単行本を読めばいい。持ち運ぶ必要がないのに、なぜケータイで読むのか……。この調査によって、読者がケータイ・コミックに求めているのは、いつでもどこでも読める手軽さではなく、
「好きなときに好きな作品だけを、少し読みたい」
ということだとわかってきました。……(中略)……大好きな作家のお気に入りの作品だけを買って、夜寝る前に、自分の好きな場面だけをスクロールしてこっそりケータイで読む……。そのようなごくごくパーソナルな読み方は、紙媒体のマンガ雑誌ではとてもかなえられないスタイルです。
(中村 滋 著『スマートメディア[新聞・テレビ・雑誌の次のかたちを考える]』より)
あらかじめ断ると、中村氏らが実施したとの調査は、モバイルメディア以前のケータイメディアと見られます。
しかし、氏の理解は、そのまま米 Nielsen や同 Flipboard らが示すスマートデバイス上での利用動向の解釈としても有効に見えます。
ホームメディアとして、さらに言えば“ベッドの友”としてスマートメディアが存在感を発揮するのは、単に小型軽量であるが故の可搬性に理由を求めるのは浅薄にすぎると中村氏は述べているわけです。
印刷メディアでも(PC)Webメディアでもなく、スマートメディアこそがもたらすものは、この「ごくごくパーソナルな読み方」、言い換えれば、従前には存在していなかったパーソナルで自由なメディア消費のスタイルなのだと理解すべきでしょう。
それは先に筆者が掲げた仮説 1.〜4. を通過した新たな自由を生み出す原動力であるように思えます。 PC からの連続性ではなく、非連続な創造を生み出す可能性がそこには見えてくるはずです。
その全体像を、いまだ確かめた人はいないのですが。
(藤村)