専門分野を掘り下げる商業マイクロメディアは可能か? 個人メディアは、組織メディアとどう渡りあっていくのか? 一人で商業メディアを運営し、フリーランス活動もなお継続する Publickey 新野淳一氏の歩みと戦略を公開する
Publickey ——。IT 分野の技術解説記事で定評のあるブロガー、新野淳一氏が、2009年以来単独で運営を続けてきた“商業メディア”です。 公表された同サイトのパフォーマンスは、月間約40万ページビュー(PV)、約16万ユニークユーザー(UU)。 また、2012年のビジネスを総括する「ブログでメシが食えるか? Publickey の2012年」によれば、同サイトの年間広告売上は800万円強。一方、フリーランサーとしてのそれは約600万円(2011年はそれぞれ、500万円弱、600万円弱 → 記事および、同氏コメントによる)に達し、見事に「ブログでメシが食える」ことを立証。2012年は、メディア事業とフリーランス活動の収入上の主従転換という画期もなし遂げました。

Publickey 新野淳一氏
本稿は、Publickey 主宰者であり、フリーランサーとして活動を続ける新野氏に、商業メディアの開発にひとり立ち向かったモチーフと、メディア事業およびフリーランス活動のポートフォリオ設計などについて訊ねます。(以下、文責:藤村、文中敬称略)
組織メディアから、個人メディアへ
——どうしてメディアを、個人でいちから立ち上げる決断をしたのでしょうか? 組織の責任者でもできることだと思いますが
新野 はい、過去には事業責任者として @IT の立ち上げを行いました。その後、アイティメディアで経営者としてメディアや組織の運用に携わってきました。しかし、仕事が経営や管理寄りに傾いていくことに、個人的なズレを感じるようになっていました。 また、当時米国の TechCrunch などブログメディアの動向を見ていて、これなら個人でもやれるのではないか? と意欲が湧いたこともあります。実際に、メディアを開発し運用する能力が自分にはあると自信があったので、個人の道を選択しました。 決断の背景には、メディアや IT をめぐる景気が徐々に悪くなってきていて、優秀なライターや編集者の働く場が少なくなろうとしている時期だったこともあります。個人でメディア活動をして食っていけることを示せれば、優秀な人たちが続いてくれるだろうとの思いもあって、“人体実験”を試みたのです。
——2008年に退社して翌年2月に Publickey を開設しました。準備期間には何に取り組んだのですか?
新野 メディアを開設して運用するために何でも自分でやろうと考えました。Movable Type をカスタマイズして CMS として使うことに決めていたので、CMS を使ったメディアの運用を勉強しました。特にテンプレートの使い方などです。 もう一つ、JavaScript を書くことも勉強しました。おかげで、JavaScript や JSON などを理解したことが自分の専門テーマの理解を深める結果にもなりました。
——そういう勉強やトレーニングは、これからメディアを立ち上げようとする人にも必要でしょうか?
新野 メディアの開設準備に、半年もかけて技術的な勉強をする必要があるかといわれると答えが難しいのですが、いったんメディアを始めてしまえば、記事を書くことにのめり込んでしまいます。メディアの運用をすべてやろうと思っていた自分には貴重な学習期間でした。 もちろん、自分は元々エンジニアでしたからこんなことをしましたが、そうでない人がメディアをスタートする際にこういう取り組みをすることをお勧めするわけではありません。
活動のポートフォリオ設計、その変化
——Publickey を開設してからのビジネスについて教えて下さい。メディア事業とフリーランス活動の比率はどう考えてきましたか?
新野 組織人である前にフリーランサーをしていた時期もあります。ですから、フリーでも食っていけるだろうとの自信はありました。ただ、長期的にはメディア事業のほうがセーフ(安全)とも思っています。 依頼記事の執筆など、フリーランサーとしての活動は毎回毎回の“一本釣り”的ですし労働集約的です。頼れる蓄積は人間関係ぐらいでしょう。 それに対して、メディア事業は記事の蓄積があれば長続きしやすくなります。たとえ自分が病気で倒れたりしても、PV があれば広告収入は入ってきます。メディア事業はストックが効いてくるビジネスなのです。 そこで、メディア開設当初には、収入上のポートフォリオを3年後に「フリー7:メディア3」ぐらいになればと考えました。幸い2011年で、おおよそ「5:5」に近づき、12年では同じく「フリー4:メディア6」にと転換しました。良い循環に入ったと思っています。
専門領域に集中、エンゲージメントを築く
——メディア事業に目標値などを設けていますか?
新野 明瞭な目標値は定めていません。ただ、前年はこのぐらいだったから今年はもう少し成長させようというような、改善による漸進的な成長は意識しています。 広告売上についても目標はありません。営業活動をするわけではないので。
——だとすると、売上が順調に成長しているのはどうしてでしょう?
新野 扱うテーマを意識しています。Publickey の場合は3つ。「エンタープライズIT」「クラウド」「(HTML5など)新しいWeb標準」です。この分野に絞って丹念に記事を書いています。マス分野ではないので、この分野の読者は、そのまま技術製品やサービスを提供している IT 企業、言い換えれば広告主であることが多いのです。専門性の高いニッチな技術製品のマーケティングには、Publickey ぐらいしかフィットしないというケースもあるようです。 もう一つ意識しているのは、これらのテーマのコミュニティに参加するようにしていることです。その分野の動向に通じていることは広告主の方向性にも合致します。また、コミュニティとの関わりが強くなると、コミュニティメンバーとメディアとのエンゲージメントが強くなります。 同じ意味で、ソーシャルメディアも積極的に使うようにしています。自分で投稿してなにか反応があれば自分で応えます。こうしていくことで、サイトが炎上するようなケースもなくなりました。 結局、IT 企業も読者との良好なエンゲージメントを築きたいのですから、こうすることで三者が良い関係になっていきます。 そんな点からすると、商業メディアは、たとえ技術系のサイトでもソーシャルメディアを使わなさすぎですね。商業メディア内で役割分担としてソーシャル担当を置いても、自分自身というスタンスでは関わりませんから、難しさもあるのはわかりますが。
大手メディアとの共存、そして、競争
——既存の商業メディアへの意見が出ましたが、Publickey と大手商業メディアとの関係をどう考えていますか?
新野 大きなメディアはやはり(多くの読者への)リーチを持っています。Publickey はそうではないので、記事を掘り下げたり人に焦点を当てたりします。その意味で補完関係にあると考えたいです。最近は、@IT や InfoQ Japan と記事交換をしたりもしてしています。 フリーランスとして記事を大手メディアに寄稿することはほとんどしていません。フィーは当然そのメディアの水準に沿ったものになるのですが、Publickey として広告主からタイアップ記事やイベント企画を直接受注した方が断然高いので、優先度が下がってしまうのです。
——今後、大手メディアと競合してしまう懸念はないですか?
新野 商業メディア内部から、自分に近い能力をもったタレントがどんどん出てくれば、広告主の顔はそちらに向かうでしょうね。でも、専門分野を持って広告主と協議しながら企画を遂行できるようなタレントには、どんどん独立を促すというのが Publickey のメッセージなのでウエルカムです(笑)。
——そろそろ最後ですが、Publickey を3年やって失望したことは?
新野 Publickey を始めるころ、可能性が高いと期待していたアドネットワークや自分の事業に合ったアドサーバーが提供されると期待していたのですが、ダメでした。それから……“振り返ったらだれもいなかった”ということでしょうかね。もっとどんどん、組織から飛び出してくると思っていましたよ(笑)。 やはり、家族を持った組織人が独立するには心配があるのも事実です。それに、食えるようになったとは言え、仕事は相変わらず大変です。平日はメディアの運営や広告関係の打ち合わせ、そして記事執筆。土日に企画を考えたり、記事の仕込みという具合で、自分が倒れたら、との懸念と背中合わせです。今後はワークライフバランスを改善していこうと考えています。
仕事の“貯金”を積み上げ、可視化する
——“だれもいなかった”とのことですが、潜在予備軍の人たちにアドバイスを
新野 まず、IT 以外の分野の専門的なブログでも食っていけるかと言えば、将来的には可能と思います。ビジネスがネット上で完結するような分野(今は、IT が筆頭)は有望と思います。 そこでビジネスを築くには、「発信力を磨く」ことだと思います。自分が曲がりなりにも食べていけるようになったのは、発信力があるからと思います。その点、メディア運営のプラットフォームを駆使できることは重要です。これは徐々に技術系の方でなくても仕組みを使えるようになってきます。 発信力は、先に述べたように読者や広告主(顧客)とのエンゲージメントというカタチに現われます。 自分のビジネスを振り返ると、Publickey をやっていることが結果としてフリーランサーとしての仕事単価を上げています。営業交渉上も有利です。 自分の能力をカタログ化するという意味でも、メディア活動をしていくことは重要になるはずです。 これから年齢が増していきますからヘビーな仕事ばかりをやっていけません。その意味で、自分の仕事の貯金が積み上がっていくような戦略が重要なのだと思います。
ピンバック: 「個人でメディア活動をして食っていけることを示せれば、優秀な人たちが続いてくれるだろうとの思いもあって、“人体実験”を試みたのです」|マイクロメディアのビジネス化は可能か