それでもHTML5 Webアプリを選択する理由とは?

ネイティブ(専用)アプリを開発すべきか。
HTML5 による Web アプリを選択すべきか。
あるいは、高いユーザー体験の提供をめざすのか。
それよりは、開発負荷低減が優先するのか——。
モバイル市場の急拡大を前に、メディア企業が直面する難題。
本稿では、アプリ開発の手法をめぐる課題を整理しながら“第三の道”も提唱します。

「現在(2011年)全世界で利用されている携帯端末の中でスマートフォンが占める割合はわずか 12% ですが、全世界の携帯端末のトラフィックの 82% 以上がスマートフォンで生成」されているとの調査があります。
いまだ「12%」程度でしかないモバイルトラフィックは、すでに「2000 年の全世界のインターネット全体の 8 倍」にも達しているのです。
また、すでに昨年、PCの出荷台数がモバイル機器全般に追いつかれ、2013年にはタブレット単独市場にも追いつかれるとの観測もあり、モバイル関連は驚くべき成長性を見せています。

これに対するメディア企業、コンテンツ提供者にとっての“悩み”どころは、この変化と成長が急な分野に対して、どのように適合していくかという戦略判断でしょう。
Apple がコントロールしモバイル市場全体をリードしている iOS、Google がリードし多種多様なプレーヤーが参画する Android、そして今後の成長に期待を持たせる Windows Phone など、コンテンツを投入すべき市場の選択は、OS、機器、シェアなど予断を許さない面も多く、将来の見定めは混沌としています。

さて、ここに現れたのが HTML5 技術を基盤に用いたWebアプリ開発の流れです。HTML5 を表示・実行できる Web ブラウザがあれば、どの OS やハードウェア上であっても、基本的に稼働することが期待できるというもので、市場の選択幅を一挙に拡大してくれます。
「ネイティブアプリ(各OS専用に開発されたアプリ)」でいくのか、あるいは、「(汎用 Web 技術を用いた)HTML5 アプリ」でいくべきかについては、すでに「ネイティブアプリ vs. HTML5アプリ 意思決定のための5つのポイント」で整理したところです。
本稿では上記「ネイティブアプリ vs.……」の対比、特に「ユーザビリティ向上」と「開発負荷抑制」という二律背反的に語られやすい点に焦点を当て新たな論点を提供します。

まず、ご紹介するのは「HTML5 trumps native iPad apps for some publishers」(ある種の出版社にとり、HTML5 は iPad 専用メディアに勝っている)という記事です。
記事が紹介しているのは、タブレット機器市場を専門的に扱うメディア TabTimes です。自らタブレット市場に適合するため、iPad 専用のネイティブ版メディア投入を企画し、結局 HTML5 Webアプリでリリースしました。その経緯を記事は紹介しています。

TabTimes HTML5 Web App

iPad で表示したHTML5 ベースの TabTimes

昨秋公開されたこのメディアは、ネイティブアプリとして計画された。しかし、インフラがサポートすべく複雑な要因を認識した結果、戦略が変更されたのだという。「各種プラットフォーム別にコンテンツを供給していく CSM を運用するのは大仕事だ」と George Jones 編集長は言う。
「Web コンテンツを HTML5 Webアプリに用いるというソリューションが効率の点で良さそうだと思った。(そこで)カナダの開発会社 Pressly と組み、4週間でアプリを世に出せた」。

伝わってくるポイントは、ひとつはコンテンツの投入先を複数のプラットフォームとしたい企業意思、次に、そのような複雑な仕組みを CMS など既存インフラに持ち込むことを避けたかったということのようです。つまり、アプリごとにコンテンツを作り分けるのではなく、極力ひとつのWeb(HTML)コンテンツを複数のプラットフォームで利用したかったということです。筆者(藤村)はこの箇所にやや異論を抱きますが、記事の記述に従えばそのように理解できます。

ところで、記事はもうひとつの論点を持ち込みます。ユーザービリティ(ユーザーの操作感、あるいはユーザー体験全体)という視点です。
記事は、ユーザビリティの大家ヤコブ・ニールセン博士のコメントを紹介するのですが、これはすでに邦訳記事(ブログ U-Siteモバイルサイト vs. アプリ: 来るべき戦略の転換」)があります。重要な視点を持った論であるため、それをあらかじめ紹介しましょう。

現時点のモバイル戦略: アプリに勝るものなし

これを書いている時点では迷う余地はない。つまり、予算があるなら、モバイルアプリを出そう。我々の実施したモバイル機器を対象にしたユーザビリティ調査で、アプリのほうがモバイルサイトよりユーザーのパフォーマンスが良いことが明らかだからである。……

今後のモバイル戦略: サイトに勝るものなし

将来的にはアプリ対モバイルサイトの費用対効果のトレードオフは変わっていくだろう。
……
モバイルアプリのコストは上がるだろう。なぜならば、開発しなければならないプラットフォームが増えるからである。最低でも、Android と iOS、Windows Phone をサポートすることは必要になる。さらにはこうしたプラットフォームの多くは、きちんとしたユーザーエクスペリエンスを提供するためにそれぞれ別々のアプリを必要とする複数のサブプラットフォームに分岐していくと思われる。……

将来、UI の種類はさらに増えていくだろうと現実的には考えざるをえない。この結果、モバイルアプリの開発には非常に費用がかかるようになるだろう。
対照的に、モバイルサイトではある程度のクロスプラットフォーム機能が保持されるので、そこまで多くのデザインは必要にならないだろう。

ニールセン博士が挙げるポイントは以上です。

記事「For some publishers……」に戻ると、Android 市場では、さらに Kindle Fire のような“サブ市場”が生まれたりと、市場の断片化が進行しており、ネイティブアプリでそれらをカバーし続けるのは、開発負荷がかかり過ぎるとしています。HTML5 なら、ネイティブアプリが発揮する操作性や機能とまったく同じレベルに達するのはしばらく難しいとしても、8割、9割ぐらいまでは追いつきつつあるというのです。

TabTimes の Jones 氏は iPad ネイティブアプリとすることで得られる機能性を犠牲にすることは、TabTimes が(複数プラットフォームへ適合し)迅速に読者を広げるという点で考慮に値するトレードオフ関係にあるという。
「迅速に市場へ投入すること、クロスプラットフォーム対応することの利点は過小評価されている。多くの読者がタブレットを通じて TabTimes (Web サイト)を閲覧している。アプリ型メディアを投入しない理由はない」。
Jones 氏は、iPad ネイティブアプリと Kindle Fire 用 Web アプリの開発を依然として検討している。

スマートフォン・タブレットに最適化したメディア・アプリを投入するに際しての意思決定にかかわるポイントについて触れてきました。
そこに浮かび上がるネイティブアプリ対 Web アプリという図式は、突き詰めれば、OSやハードウェア仕様に込められたユーザビリティをはじめとする高度な機能を用いる優位性を重視するか、それともプラットフォームごとに展開する開発負荷に対し、ある程度のユーザビリティと汎プラットフォーム的な開発生産性を優先するのかという対立に還元できます。
記事では、このトレードオフを念頭に置きつつビジネス上の意思決定をすべきとの結論に至ります。

筆者(藤村)の視点を差し挟むと、最近目にするこの種の議論の多くは、メディア企業がアプリ開発を内製するという“常識の罠”に陥っているように見えます。それが往々にして対立図式の前提となっているのではないでしょうか。
記事の例では、汎用開発基盤を有する開発者(企業)との協業により問題解決を果たしたと理解します。いずれはレガシーCMSまでは内製維持するにしても、その上位に当たる変化の激しいプレゼンテーション・アプリケーションの層は、(外部の)汎用基盤へと疎結合していく可能性が高く、そうなれば、ユーザビリティ(ユーザー体験)を犠牲にしてもメディア企業内の開発負荷を軽減すべきとの議論に傾きがちな趨勢に歯止めがかかると展望するのです。
そろそろ、二項対立的な膠着状態をブレークスルーすべく第三の道が形成されなければなりません。
(藤村)

メディアの「パーソナライズ」を改めて考える

かつて注目されながら、空振りに終わったメディアのパーソナライズ。
多くの商業メディアとソーシャルメディアが連なり進む情報爆発、
課題として見えてくるのは、適切なコンテンツへの絞り込みと、重要な話題への視野の拡大。
改めて、メディアのパーソナライズの可能性について考えます

先日、ブロガーの境 治氏の投稿「長いものが読めなくなってきた〜コンテンツ消費の夕暮れ〜」に触れ、思わず唸ってしまいました。

朝、通勤電車の中でTwitterやFacebookで情報収集する。面白そうな記事やブログをチェックして、会社に着いたら読む。読む。読む。読んでも読んでも興味深い記事、読むべきだぞなブログがどんどん出てくる。読む。読む。・・・でも、ものすごいスピードで流し読みだ。ちゃんとすべての文字に目を通してなんかない。だいたいね、だいたいわかった。はい、次!そんな勢いだ。

長い記事がどうも最近、ちゃんと読めなくなってる気がする。

境氏が書いた情景は、“ニュースジャンキー”(ニュース中毒症)を自認する自分にぴったり当てはまるのです。
境氏も自分もいささか自業自得感はあるものの、この「何か(さらに面白い)事が起きていないか?」と「何か読み落としている重要な情報がないか?」という“欲求と不安”への対処は、情報の渦におぼれかかっている多くの現代人に共通する課題ではないでしょうか。

今回のテーマは、(私たち)読者がいかにして“適切な情報に触れる”ことができるかということです。

先に自分なりの結論めいた見解を述べると、業務上目を通すことを求められるような、例えば事務文書などは面白くないこともあって、量が過剰になれば「もううんざり」「業務効率が落ちるので分量少なく」といった抑制メカニズムがおのずと働くものです。
ところが、自分が追い求めるテーマ、関心事に触れる情報は自らの欲求によって読もうとするため、このような抑制メカニズムが働きません。
コンテンツ消費が直線的に伸びてしまいがちなのです。情報を何らか絞り込むメカニズムが用意されなければならないはずです。

そこで重要になるのが、何らかのパーソナライズ(機能)です。
Web上のニュース記事については、はるか10年以上前からこのパーソナライズが有望視され、そして消えていきました。
なぜかコンテンツ分野ではこのパーソナリゼーションは主流の議論になりきれずにここに至っているのです。
隣接分野でのパーソナリゼーションに関わる記事を最近見かけました。これを簡単にご紹介します。
TechCrunch Japan に掲載された「Eコマースを巡る次の革命的発展は利用者次第?!」がそれです。

Eコマースにはパーソナルなレコメンド機能が欠かせない。しかし、10年前にAmazonがプロダクト販売の場面に「パーソナライズ」の概念を持ち込んで以来、この面における進化というのはほとんどないという状況かもしれない。但しEコマースで利用できるデータは一層膨大なものとなっており、まさに今、新たな「パーソナライズ」時代へとジャンプする直前期にあるのではないかと思われる。

この記事の主眼は、タイトルにあるとおり“Eコマース”です。なのですが、筆者(藤村)には、まさに情報が過剰化する一方の現在、適切な情報への欲求と不安に悩まされるメディアと読者の間にこそ当てはまる話題と読みました。

上記引用に「この面における進化というものがほとんどない状況」とありますが、(ニュースなどの)メディアと読者の間でも事情はまったく同じです。
そもそもメディアそれ自体が、“これを読むべき”というリコメンド(推奨)の束なのですから、本質的に読者一人ひとりのための取捨選択を良しとしない要素があります。
また、読者自身も一般的には、自分が何を読みたいのか、どんなテーマに関心を持っているのか明示的に定義できない側面もあり、これまた、パーソナライズが定着しない要因です。

パーソナライズが不調に終わった以後、(ニュースなどの)メディアサイトやソーシャルメディアなどで目にするパーソナライズに代わる機能は“リコメンド”です。
「この記事に関連する記事」「あなたの知人が『いいね!』と言っている記事」「今週最も読まれている記事」……。
しかし、これらが欲求と不安という課題に対する答えにならないのは自明です。というのも、それらはさらに多くの記事の消費を提案するだけだからです。

結果として、情報に鋭敏な読者の多くは、自らのお気に入りメディアを中心に回遊し、見出しなどを判断材料に読むべき記事を取捨選択します。さらに、ソーシャルメディアなども駆使して守備範囲外へもアンテナを差し向け、情報に対して絞り込みと同時に網を広げる行動を経験に基づいて行っているのだと思います。

課題がようやく鮮明になってきました。
情報過多に見舞われながらも、まだ、情報を拾い漏らしているのではないかとの不安に晒される現代人にとって、“情報の適切な絞り込み”、かつ、時に“広い視野からの重要情報への接触”が可能となるような、一見相矛盾する仕組みが重要になっているのです。

どうやってこれを実装すべきでしょうか?
先に示唆したように、商業メディアは、できれば自らのコンテンツ(だけ)をたらふく消費してもらいたい欲求を持っています。その現状では、コンテンツ消費を絞り込む機能を実装するのは困難と思えます。
もし可能だとすれば、“絞り込み”の機能に権威性などを付加して、読者へのメディア価値として鮮明に打ち出すことが必須です。
もし、このような絞り込みに商業メディアが取り組まないのであれば(上述のように、取り組みたくないという衝動は頑強でしょう)、コンテンツを大量に生み出す商業メディアと、価値あるコンテンツに絞り込みたいという読者の間に、新たなビジネスや機能をもたらす第三の存在が台頭するのは当然の帰結です。
過去は検索エンジン、現在はソーシャルメディアやアグリゲーション(まとめ)型メディアなどがその原初的な役割を果たしてはいますが、いずれも“たくさんの候補を提示する”ベクトルで発展してきた経緯において商業メディアとそう変わらないと言えそうです。

ならば、だれが“絞り込みと広がり”を提供できるでしょうか? たとえば、Summify.comという有望なサービスがあります。
ユーザーのソーシャルグラフ(交友関係)を読み取り、(影響力ある)友達が言及している記事を毎日5本に絞り込んでモバイルアプリやメール等で教えてくれるものです。しかし、利用してみての感想は、期待に十分とは言えません。時には「PR」記事が交じっていることさえあります。
ソーシャルな交流圏にある人々に共通する話題だからといって、自分にとって価値ある情報という等式が成り立つというわけでもないようです。

では代わって、筆者(藤村)が乱暴に仮説を提示してみましょう。

  1. 従来の閲覧履歴を基に、好みのメディア(よく読む記事を掲載する媒体)を抽出し、その中から適切な重み付けをしながら新着記事を提示する
  2. それら提示記事には適切なサマリ(要約)文を生成し、記事を選択するための材料とする
  3. 専門分野ごとに複数名のキュレーター(情報選別者)を用意して、“お薦め”記事を絞り込んで提示する(たとえば、“本日読むべき5本”というように)
  4. キュレーターのお薦め記事にも2. 同様のサマリを表示し、気になった記事を選択するための材料とする
  5. ユーザーには、キュレーターを選択できるようにする(結果として、数名のキュレーターを選択して、ユーザーは自分の関心分野をカバーする)
  6. キュレーターによるお薦め記事と、1. でピックアップされたお好み記事を束ねて、記事見出しとサマリからなるリストを、ユーザーに対し毎日/毎週/毎月送る

個々人にパーソナライズされた記事を抽出する美しいアルゴリズムを提唱できれば良いのですが、残念ながら思い浮かびません。
結果としては、上述のように、自分自身のメディアへの経験的な嗅覚を活かしつつ、併せて、権威ある人々からも記事の推奨を受ける。
この組み合わせに、私は情報爆発時代の情報処世術を見いだします。
繰り返しですが、商業メディアもこのようなアプローチを積極的な商材として提供すべき時機が近づいています。
むろんそれをしなければ、第三者がその役割を果たすことになります。そして、時代はその萌芽を随所で見せ始めていると思うのですが、どうでしょうか?
別の機会にもう少し実装イメージを追い求めてみたいと考えます。(藤村)

“消費”と“創造”——対称的関係が導くコンテンツ新時代

わが国では Togetter や NAVER などが、インターネット上にあるさまざまな話題のまとめに使われるようになってきました。
たとえばTwitter上で盛り上がっている話題は、ひとりのTwitter投稿者がひとつのテーマを掘り下げることからはなかなか生まれず、会話の広がり、言い換えれば情報のキャッチボールを通じて深まり豊かなものとなっていくことが多いようです。会話であるため複数の話者がある話題をめぐり情報を発します。ひとりのタイムラインを追いかけるだけでは見えづらい、隠されている豊かさがそこにはあるのです。
また、Twitterから離れてあるブログ記事を見たとしましょう。ここではツィート140字の制約もなく、ブロガーが思い切り自分のテーマを掘り下げればそこに豊かな世界が画然と創造されることは間違いはありません。が、やはりブロガー単独で築き上げる世界の背後にも、一人を超えた豊かな世界が広がっています。それは、ブロガーは時代の様々な情報と見えない会話を繰り広げながら記事を生み出してしているからなのだと言えます。もちろん、この事情は商業メディアの記事一つひとつにあてはめても同じでしょう。

このような、一人ひとりのTwitter投稿者、ブロガーの視点を超えた情報価値というものが浮き上がってきます。“話題のまとめ”とは、このように一人のTwitter投稿者や、あるいはひとつの記事に止まらない話題性やテーマの広がりを見いだし、それを読者ら第三者に見えやすく整理する行為なのだと定義できるでしょう。

文字通り“まとめ”ることで全体が見通せて有用性が高まるというケースはもちろん、「そんな発想があったか!」との切り口に沿った情報のコレクションによって、各コンテンツをばらばらに見ていただけでは想像もできなかった面白みが増すことなどが、まとめのかつてなかった醍醐味です。
ここで注意しておきたい特徴は、まとめを行う行為の中にあっては、まとめ編集者は、通常、自らは多く情報を発信せずすでに存在する情報の整理・加工に徹しているということでしょう。
インターネットを介して飛び交う情報量が膨大になるに従い、新たなアジェンダ(話題・議題)を設定できる人々、さまざま情報の中に豊かな価値を見いだし、それを可視化させる能力を持った層が求められており、そしていまそれが誕生しているように見えるのです。

さて、今回紹介してみたいのは米国で生まれたまとめツールのStorifyです。米国ではCuration(キュレーション)と呼ぶジャンルのサービス(製品)です。Storifyは昨年Web版として産声をあげ、最近になりiPadアプリが追加されました。この紹介を通じて私が感じる問題意識を述べてみたいと思います。

http://storify.com/
Storifyサイト via kwout

Storifyを簡単に紹介します。それには大きく二つの機能があります。
ひとつは、ストーリー(まとめトピック)を選んで読む機能。storify.comのトップページには、各種のストーリー(まとめ)が並んでいます。読者は、ここから、話題(たとえば、ホイットニー・ヒューストンなど)やカテゴリ(たとえば、ファッションなど)をたどり、読みたいコンテンツへと到達します。
Storifyのまとめの多くは、Twitter のツイートをテキストの中心にし YouTube、Instagram の写真などで目を引くように配置されています。
Storify のもうひとつの機能は「Create Story」。すなわち、まとめの作成です。Storify トップページから「Create…」ボタンをクリックし編集画面に移動します。ここでは、作成ページ(最初はブランクになっています)がメインに、そしてサイドバーに「Media」(利用する情報源)があり、Twitter、Facebook(現在は、Facebook の写真のみしか使えないようです)、Instagram、YouTube、Flickr、Google(検索から得られた Web コンテンツなどを利用する)等が用意されています。
Media から選択したコンテンツをページ面にドラッグ&ドロップし、必要なテキストを加えたり、上下の配置を調整しながらまとめを作成します。
情報源があらかじめ複数用意されており、Instagram、YouTube、Flickr など動画像系を使いやすくなっていること、検索結果から得られた各種コンテンツを取り込む、また、URLを直接入力して得られた結果を埋めこむなどの多様性が、Togetter や NAVER とのわずかながらの差異と言えそうです。これら一連の操作は簡単で、最後に[Publish]ボタンを押せば公開されます。公開対象は一般のみです。

次に、iPad 版 Storify にも簡単に触れましょう。
iPad 版の機能は基本的にひとつでまとめ作成機能のみです。そこに盛られた機能は上記した Web 版と異なるところはほぼありません。ユーザー体験上の差異は、iPad の特性に依るのでしょうが、タッチによる直感的な操作で完結するようになっており、プロモーションビデオにあるようにユーザーはくつろいだ状態で作業を進めることができそうです。

Storifyの編集画面

iPad版Storifyの編集画面。「Media」から筆者のツィートをドラッグ&ドロップしている

さて、このように Storify の Web 版、iPad 版の紹介をしたのは、筆者にひとつの問いがあるからです。それは「まとめ」を行う行為は専門性の高い行為になっていくのか否かということです。
Web 版 Storify は、わが国の Togetter や NAVER がそうであるように Web ブラウザを通じてコンテンツを楽しむのと並行するようにして、まとめ作成機能を登録ユーザーに提供しています。機能の多寡はともかくとすれば、[コンテンツを消費する(鑑賞する)]と[コンテンツを創造する]機能は軒を接して隣接している。言い換えれば対称性をなしているのです。もちろん、消費するユーザーの数は圧倒的なはずですが、それでも、消費するユーザーの中から、あるとき“その気になった”消費者が、新たなアジェンダ設定者となって現れてくることを期待して不思議ではないのです。

しかし、iPad 版 Storify ではなぜか、この消費と創造の間に対称性がありません。アプリは作成専用。消費は Safari(Web ブラウザ)でと関係が分離されています。今回、Web 版/iPad 版それぞれを操作していてもっとも気になったのがこの点でした。
対称性が失われるとどのようなことが起きるでしょうか? それは専門分化が進むということです。

専用のツールが与えられれば、専門的にそれを行おうとする人々のための道具となります。また、専門家らの道具となれば、専門家からの要望にさらされることも必然です。
たとえ、操作が複雑であったとしてもより高度な機能が求められることも多くなるでしょう。この高度化のプロセスは専門分化のプロセスであり、気づかぬうちに一般からは手の届かない、少数の専門家だけに喜ばれる製品へと自らも気づかぬままに変身を遂げてしまうことがあり得るのです。
例を挙げて考えましょう。Apple はさまざまな産業を“再発明”したと評されることがあります。印刷→ DTP、楽曲録音→ DTM、音楽販売→ iTunes Store、雑誌・書籍→ iBook Store……。
ここで DTP を例に挙げるならば、本の組版・製版・印刷の工程を従来の大型専門機器に頼っていた要素を根本的に覆したのが、Mac とそこで稼働するソフトウェア、そしてレーザープリンタ等の組み合わせでした。しかし、最終的に DTP に殺到したのは、従来から本や雑誌の出版に携わっていた専門職能群でした。残念なことに、いまとなっては、自費出版をしてみようと思いたっても DTP ソフトウェアなどは高価かつ複雑で、個人の選択肢からは外れてしまう結果となっています。

改めて筆者の感慨を整理すると、“まとめ”のような消費と紙一重(対称的)的行為は、道具もまた専門分化する方向に進化を遂げるのではなく、より一層消費に近い体験を通じて創造的行為が行えるように進化すべきではないかということです。
これは無茶な発想でしょうか? そうではありません。いまや私たちは Facebook や Twitter、そして各種の Web ブラウザの付加機能を通じて、価値あるコンテンツを読みながら(消費しながら)、それを知人に向けて付加価値を付けて発信したり、まとめを始めたりしているのです。この境界線があいまいな領域にこそ、本稿冒頭で述べた大きなうねりがいま生じていると見ます。
Appleが最近リリースした“電子教科書”制作ソフト iBooks Author の評価について、出版の専門家の側からの論評が厳しく聞こえるのも、同社が DTP の轍を踏まず専門分化の方向での発展の道を排除していることがその一因と見るのは、うがちすぎでしょうか。
(藤村)

デジタルメディア、新たな時代を拓くエヴァンジェリストの資質とは?

今回は、視点を一転させて、いま・これからのデジタルメディアを担いで運営していく人材像について、筆者が日ごろ考えているところを述べてみようと思います。 というのも、最近、アマゾン日本法人がいよいよ国内で電子書籍ビジネスを推進すべく、「電子書籍エヴァンジェリスト」の採用活動を始めたことが念頭にあるからです。 募集要項には、電子書籍ビジネスをリードする人材について同社がどう考えているかの一端が示されています。

  • 出版、または出版に近いメディア業界での5年以上の経験
  • コンテンツ開発・出版交渉、ビジネス開発での実績、またもしくはライセンスビジネスマネジメントでの長い経験
  • 書籍好きで出版業界と電子出版、電子機器や技術についての知識が豊富なこと
  • 業務時間のうち25%くらい出張可能なこと
  • 優れたコミュニケーション能力、戦略的・分析的能力
  • 新しいメディア業界と最先端技術への情熱
  • 変化の速い環境でスピーディーに仕事を進める力

「エヴァンジェリスト」とは伝道師です。事業においては突破口であり推進役のことでしょう。まだ平坦でない道のりを進む事業を先導する象徴的な存在として、その役割が期待されます。 要項には「氷山モデル」(下図参照)で言うところの“コンピテンシー”に近い項目が、ストレートかつシンプルに挙げられていて、ある種の感慨を持ちました。

icebergヘイ・コンサルティンググループ編「正しいコンピテンシーの使い方」PHP研究所より作成 (@IT情報マネジメント より引用・転載

電子書籍をめぐっての事業は、従来の出版、メディア事業において求められてきた知識や圧倒的な経験に加えて、最新のIT、特にネットワーク技術への理解、インターネットで起きる最新のトレンド理解などが、能力としてうまく統合されてはじめて推進できるものでしょう。 いったんパターンができ上がってくれば、あれやこれやと悩むこともなくビジネスは流れ始めることでしょう。 しかし、いまはその手前のところにあり、まだまだ流れを見定めることが難しい段階です。勢いエヴァンジェリストには定型化されていない各種応用問題へ果敢に取り組むことが求められます。 “感慨”と述べたのは、アマゾンが求める人材、そして私が上記した要素を満たす人材が、従来のメディア、出版社から自然発生的に誕生するのかどうかという点で懸念を感じるからです。 同時に、いったんデジタルメディアの側へと河を渡った“経験者”であっても、この数年、求められる能力に地殻変動が生じスキルの見直しを迫られていると付け加えておきます。 そこで、自らの経験を頼りに思いつくままに(言うなれば乱暴に)、いま・これからのメディアのリーダーに求められる共通スキルとコンピテンシーを書き出してみることにします。 もちろん、メディア(出版)も多種多様、業務も実際にはさまざまな職種に分かれており一意でないことは当然と意識しつつの試みです。 名づけるなら、「スマート・メディア時代のメディア人とは」です。

知識・技術(スキル)に類するもの(職種によりすべてが必要なわけではない)

  • TCP/IPを含むネットワーク技術の基礎知識
  • HTML、CSS、JavaScript、XMLなどデジタルコンテンツとプログラム言語に関する基礎知識およびコーディング経験、もしくは利用経験
  • インターネット広告をめぐる技術および販売実務に関する基礎知識と経験
  • フォントや組版など、雑誌・書籍のデザインフォーマットに関する基礎知識
  • SEO(検索エンジン最適化)の基礎知識と実務経験
  • 各種ソーシャルメディア(ブログ一般、およびTwitter、Facebook)への基礎知識と利用経験
  • 専門(得意)分野における勉強会、会合、メーリングリストなどへの一定の参加経験、あるいは運営経験……

コンピテンシーに類するもの(各職種にほぼ共通)

  • 書籍や雑誌、Web・スマートフォンのコンテンツに大好きな分野を複数持つ
  • 日常的なIT(PCやスマートフォン等)の利用に不自由はなく、さらに言えば、それが好きである
  • IT(市場、製品、技術)に関する話題に人並み以上の興味を感じる
  • 優れたコミュニケーション能力、戦略的・分析的能力を有する
  • データ分析や抽象的思考に拒否反応がない
  • 新しいメディア業界と最先端技術への情熱を有する
  • 企画を立案し、発表することが大好き
  • トレンド・市場の変化を楽しめる
  • 社内外との協業を楽しく感じる
  • 自ら手を動かして作ってみることが好き……

書きながら、実は自分に不足している要素がいくつもあるのに愕然としてもいます。 しかし、自分の年齢であってもそれを克服して先へと向かいたいという欲求もわき上がってきます。 それは、いまが大きな変化への転換期にあり、業界で長い経験を有する先達と肩を並べ、あるいは一気に抜き去るチャンスの時でもあるからです。 ある意味でこのような向こう見ずな情熱こそが、成功が約束されているとは言えない新大陸を目指す際の、必要不可欠な要素かもしれません。 (藤村)

迫るモバイル化の波、なぜメディア企業は過ちを犯すのか?——4つのポイントを考える

つい最近、昨2011年にスマートフォンの出荷台数がPCのそれを上回ったことが明らかになりました(「成長著しいスマートフォン、出荷台数でPC上回る」など参照)。
米国の大物アナリストが「2012年末までには、スマートフォンの出荷台数がPCの出荷台数を上回る」と予測してからたったの2年弱。予測を1年も前倒しする急ピッチで市場は動いています。
Webがメディア産業を大きく変えてしまった経験もあって、メディア企業(出版社、新聞社、放送局等)はスマートデバイス(スマートフォンやタブレットなどモバイル機器)への取り組みを始めているところですが、どうやらそれを急がなければならない気配です。Webをどうするか……から、モバイルをどうするかへと課題が大きく旋回しているのです。
そこで、押っ取り刀で取り組むメディア企業の中には、このメディアのモバイル対応、タブレット対応をめぐって錯誤も犯している、というのが今回の話題です。
題材は米国のテック系ブログメディア TechCrunch。最近「Four Mistakes Publishers Make When Bringing Content to Tablets」(コンテンツをタブレット化する時、出版社が犯す4つの過ち)という記事が掲載されました。邦訳が残念ながら出ないようなので、参考のために要旨をかいつまんでみたいと思います。
ちなみに同記事の寄稿執筆者は、CNN.comや同モバイルサイトの開設に携わった起業家で、現在はタブレット版のニュースリーダーアプリ(ニュース記事閲覧ソフトウェア)を開発するベンチャーのCEOということです。
多くの読者が、タブレットやスマートフォンに向かおうとする時。これら新しい閲覧デバイスが出版業界の今後の成功と失敗を決定づけることに、疑問の余地はない。
成功するメディア企業なら、持てるデジタルコンテンツを新しいデバイスの上で再び活かすことができるだろう。
それなのに、どうして他の多くのメディア企業はモバイル化戦略に躓いてしまうのだろうか?
多種多様なモバイルプラットフォームを追いかけすぎたり、優れたメディア体験の創造に失敗したり……。
我々は、繰り返してはならない多くの失敗を目撃してきた。
記事はこのような書き出しで、以下に4つの“過ち”のタイプを紹介しています。

1. “車輪の再発明”を試みては失敗する

多くの出版社は、自社内資源を過信するという誤りを犯しがちだ。優秀な社内技術スタッフを擁していることで、自分たちのコンテンツに対し自分たちだけが最適プラットフォームやユーザー体験を創造できると思いこむワナに陥る。
それは誤りなのだ。
パートナーシップこそ、新しい世界にあって読者基盤を(改めて)築き上げる重要な手法だ。そのような開発能力を有した(社外の)チームに焦点を当てるべきである……。

2.(音楽の)DJのように振る舞えない

ラジオを聴いたり、クラブに出向いて素敵な音楽に出会えたとしよう。それは素敵な音楽を紹介してくれたDJや自分のために楽曲を探し当ててくれた仕組みのおかげだ。
我々は素敵な音楽に出会い、そしてそれをまた人に紹介したいと思っている。音楽の世界で起きていることが、ニュースなどのコンテンツの世界でも起きようとしている。
キュレーションやソーシャルなメディアで、自分が出会うべきコンテンツを探し出す仕組みが生まれているのだ。
残念なことに、コンテンツやメディアと読者が出会う機会を設けるのを放棄しているメディア企業は多い。
過去において、たとえば新聞社は宅配のように、自らのコンテンツを限られた購読者のもとにだけ届けることに専念し、出会いや共有が生まれてくること制約をしてきたのだ……。

3. ブランドが持っている潜在能力を活用しない

多くのメディア企業は、多数の(メディア)ブランドを創造し運営している。たくさんのコンテンツを日夜生み出しているにもかかわらず、そのさらなる活用には積極的でない。
これら価値あるブランド力を活かし、コンテンツを組み合わせマッシュアップしながら、より垂直でニッチなメディアを創造すべき機は熟している。
アグリゲーション(コンテンツの収集)によってメディアを再創造すべき時なのだ。これにかかるコストは限定的で、得られる対価は大きい。
より深いテーマに焦点を当て、新たな配信などに取り組むことが、既存の収入源などとの共食いをせずに実現する道である……。

4. もはや旧くなった検索対策を行う

従来、自社のコンテンツを見いだしてもらう主要な手法は、検索エンジン対策(SEO)だった。
タグ付けなどオーソドックスな対策を施すことで、検索エンジンに見いだしてもらうのが効果の高い施策だった。
しかし、それは幅広くフリーなアクセスを許し広告収入を生むWebメディアにおけるスタイルだった。
いま、モバイル上のニュースリーダーアプリでは、異なるモデルが必要になっている。
アプリ通してニュースを読む読者は、ニュースを読み進む流れの中にあって、関連する記事と出会い、そしてそれを再び投稿したり共有することを通じて、再びメディアへのリンクを生み出す。
記事と記事の関連性、読者の背景にある文脈への理解しての記事の推奨などが新たに必要になってくるのである……。

以上、駆け足で紹介してきました。急速に台頭するスマートデバイスの世界では、同じ“デジタル”分野のメディアでありながらも、かつてのWebに対し、影響力を築き上げるための文法や作法が異なることが伝わってきます。

同記事の寄稿者がニュースリーダーアプリ開発を行っている新興企業のトップであることを割り引いたとしても、自社資源への過信に陥らず、キューレション/アグリゲーション時代、検索エンジン対策全盛からの転換を果たすべきだと、自戒を込めて読みましたが、いかがでしょう?(藤村)