キュレーション 逆説的メディアの構想

趣味のためのメディア隆盛期には、「もっと多く」がメディアの提供者と読者に共通する価値だった
いま、情報の過剰という“るつぼ”のなかで、
異なる原理、価値観が生じてはいないか?
情報過多・価値減衰に悩むメディア分野で、新たな事業モデルの仮説構築を試みる

本稿では、最近自分自身が構想しているメディアのありようについて、思い切って試論、私論を述べてみます。
どんなことを考えているのかと言えば、案外シンプルなことです。
「たくさん読みたがる読者に向けたメディア」、その逆に、「(たくさん)読みたくない読者に向けたメディア」。
この二つを分け、後者について考えみようということです。

本論に入る前に少々の寄り道を許して下さい。
筆者のバックグラウンドについてです。
社会人になって初めて雑誌編集に携わったのが、30年ほども前のこと。それは当時産業として活況を呈していた建設業者向け経理実務誌というニッチ媒体でした。
その後、非出版業界での会社勤めをはさんで、次に、雑誌編集に携わったのはおおよそ20年ほど前。パソコン系の出版事業を手広く営む会社での仕事でした。
そこで驚きの体験をしたことが、冒頭の二つのメディアの方向、という観点につながります。

その職場には、PC やエレクトロニクス、そしてソフトウェアについて、それがスタッフ自身が最も好きなモノ、ことがらとして熱く語るスタッフが溢れかえっていました。
“自分が最も好きなこと(得意なこと)を読者に向かって語る”ことがメディアづくりの神髄であるという雰囲気がそこにはありました。
以後、筆者自身、関わるメディアの選択には(無意識ながら)、自分が最も好き、あるいは、最も知識や体験として自信があるものという背景があり続けた気がします。
これを逆に、読者の側から見るとどう説明できるでしょうか? “好き”という関心を共通軸に、「もっと多く、存分に情報を摂取したい」との欲求がメディアを支える原動力であることを意味します。

このビジネスを方程式にすると、

ビジネスの発展(売上)= 読者の数 × コンテンツあるいは媒体数

と表されます。その変数は、「読者の数」の増大、「コンテンツあるいは媒体数」の増大であり、いずれも「数を増やす」ことが最重要の成功要因だと理解できます。
勘の鋭い読者には既におわかりのように、成長を謳歌していた時代の「雑誌」ビジネスの多くは、このような「数の増加」を基調に打ち立てられてきたのだと理解します。

さて、「好き」をテコにしたメディアビジネスが、「もっとたくさん」という原理へ純化するのは自然でした。
しかし、情報過多が深刻(?)な課題となったとすれば、「増産」原理での成長余地は限定的です。
人間は不思議なほど柔軟な存在で、「好き」が作用するケースでは、これほどに忙しい現代であっても、(情報)接触時間をジワジワと増やしています(最近の調査結果でも、メディア接触時間の増加が確かめられた)。その意味で「ジワジワ」は限界効用が逓減した結果、増産による残された成長余力を表わすものと見なければなりません。
ここに対極のメディア市場があることに気づきます。
(情報接触に)「なるべく時間を使いたくない」「たくさんは要らない」という意識が働く市場です。それは、おもに“仕事(義務)として情報に接しなければならない”分野と想定できます。あるいは役職と関わった情報ニーズであるかもしれません。時間は割きたくないが知らなければならない。
仕事上のテーマ(義務)として情報収集(接触)しなければならない領域があるのです。

その場合の方程式は、

ビジネスの発展(売上)= 読者の数 × 1/コンテンツあるいは媒体数

となるはずです。

読者にとり、いかに多すぎる情報に接触しないですませるか。あるいは限られた時間を効率的に過ごすために、いかにムダ・不要な情報を遠ざけるかなどの工夫が付加価値となります。
方程式では明示されませんが、情報接触量を減らすことで得られる読者の「可処分時間」という見えない変数がそこには含意されています。情報を選別したりまびいたりする作業がそのような変数に関わります。
「好き」が作用する媒体の事業は、読者に好まれるコンテンツをいかに数多く生産して売上をかさ上げするかという方程式で説明できたのに対し、逆方向の「情報接触を絞り込みたい」というニーズも存在しており、この場合、「コンテンツあるいは媒体の数」の増分は、読者の満足を下げるということに注意しなければなりません。
しかし、内心疑問も湧き上がってきます。「なるべくなら読みたくない、限定したい」という情報ニーズをターゲットとするメディアを構想することは逆説的ではないかと。
可能な限りページ数を絞り込む方向性の媒体を、売買することは可能でしょうか?
薄くぺらぺら。10分もあれば読み切れるようなメディアに、何もかもが無料になりたがるような時代においてそれなりの対価を設定するのには勇気が要ります。

下図をご覧下さい。ただちに筆者の仮説に入る前に、Just the News というたった数行で構成される“ニュース”サイトについて検討をしてみましょう。

JustTheNews日々のニュースを数行に絞り込んで届ける Just the News

米国の Max Temkin というデザイナーが個人で運営するもので、ブログのようなものかもしれません。1日1回、4〜5本のニュース記事へのリンクと、長めの論説記事(Long read)へのリンクが1本だけ掲載されるホワイトスペースが勝ったページです。
それぞれの行がリンクをなしていることさえ気づきにくいぐらいの、超ミニマルなページなものです。
この Just the News について触れた記事も紹介しておきましょう。

The Next Web 掲載「Just the News: A curated online news service that cuts out all the noise」(Just the News:あらゆるノイズを切り捨てたオンラインニュース キュレーションサービス)です。
記事は、Temkin 氏がこのようなメディア(ページ)を考案した経緯を述べています。

自分はつね日ごろ、プレーンで白いページにほんの数行の厳選されたニュースが盛られているようなものがあったらと願っていた。広告はなく、ソーシャルボタンやコメントもないような(ページだ)。ついに待ちくたびれてしまった。自分でそれを作ることに決めたんだ。

記事には補足的なことが種々述べられていますが、見ての通り。多くを語る必要もないでしょう。
いかにして、その日、人が注意を払うべき4つ、5つの話題に絞り込むかが重要なポイントです。
時間つぶし、数合わ、増量のためのゴシップネタなどは排除されています。
「ある日、重要な記事が5つに満たなければ、ポストするリンクも減らす」「読み応えある長文記事が1本しかないような日がきてもよい」とさえ Temkin 氏は述べます。
ご本人はデザイナーながらも広告バナーはおろか、メディアロゴなどまで不要物として排除してしまっています。
しかし、ここで終わっては単に“アマチュア”の余技議論となりかねません。

ここで「厳選する」「不要な情報の排除」という価値に焦点を当てることで、「なるべくなら読みたくない」「読むこと以外への可処分時間を確保したい」と望む読者に向けた逆説的なメディアの事業化が可能かと考えてみたいのです。
キュレーションだからこそ可能な新たなメディア価値観。それが厳選するということではないのか。これが筆者(藤村)の視点です。
おびただしい数で産出される「まとめ」「キュレーション」記事の数々は、実は「もっとたくさん読みたい」という文脈の上に存在しているように見えます。
「もっと絞り込みたい」という文脈の上で実現するメディアの事業モデルは構想できないでしょうか。

そこで、筆者もまた饒舌は控えつつ(笑)、事業化のための仮説を箇条書きしてみます。

  • 相対的に時間が足りない(限られている)というタイミングに提供して、メディア価値が引き立つように設計する(余暇時間には、むしろ時間消費型の閲読スタイルに読者は向かうだろうから)
  • “これさえ読んでおけば安心”という心理的担保を提供する。他のニュースを知らないことの心理的不安を取り除くことが肝要(たとえば、絞り込むことで失われる情報の網羅性を担保することなど)
  • 上記同様、その方面の権威がピックアップ(キュレーション)した、という心理的担保を用意する
  • そのニュースについてもっと詳しく知りたいという意向に備えて、詳細な記事群へとドリルダウン可能な構造を整える
  • 広告や煩雑なナビゲーションを排除してビジネスモデルを組み立てるために、購読型(課金)の仕組みとする……

特にキュレーションからの収入モデル/キュレーターへの報酬モデルについては、具体的に考えるところがありますが、いささか生々しくここで述べるのは避けようと思います。
ひとつのポイントは、紹介される記事(ニュース)の価値とキュレーションの価値(への金銭的対価)をどう分離できるかというにあります。
ニュース記事を日々生成しそれを生業とするコンテンツホルダーらと次元を異にする収益モデルを生み出すこと。そして、Temkin 氏の試みの背景にあるように、良質のジャーナリズムへの尊敬が貫かれる仕組みを生み出すこととが相まってこそ、「少ないことは、豊かなこと」が実現されるはずです。
(藤村)

“コンテンツ”へのバイアスを捨てる メディア事業再考

変化の時代から逃れられないメディアビジネス
コンテンツ価値にこだわる思考が、事業の硬直化を招く——。
情報価値へと立ち返り、
メディア事業を再考するためのヒントと事例を検討する

メディアのビジネスを考えるとき、筆者が最も重視するのは「テクノロジーは、メディアに対して両義的に振る舞う」という命題です。メディアに取り組む立ち位置によっては、テクノロジーは無慈悲で冷酷に振る舞います。しかし、逆に、希望に満ちたチャンスをもたらしもします。
その図式は、あらゆる産業ですでに起きたか、あるいはこれから起きようとしていることと変わりはありません。
その際に重要なのは、(メディア)ビジネスに対するスタンス(立ち位置)です。
いまは、明瞭には見通すことができない大きな変動が進行している時代です。目を大きく見開き、柔軟にそして肯定的に考えるべき時なのです。

と、そう考えているはずの自分が、不明を突かれた体験を告白することから本稿を始めようと思います。
取り上げるのは paidContent 掲載「Don’t think of it as content, think of it as information」(それを「コンテンツ」としてではなく、「情報」と考えよ)です。

デジタルメディアから利益を生むため、また、ソーシャルが破壊的創造をもたらすいま、コンテンツ企業、あるいは出版社は何を為すべきか? いま行っていることとは別のことを考えなければいけないはずだ。

記事は、米国のメディア関連ベンチャー Betaworks のCEO John Borthwick 氏の示唆に富むオピニオンを紹介します。同社は URL 短縮化サービスの Bitly やリアルタイムに Web サイト来訪者を解析するサービス Chatbeat などで知られる一方、米大手新聞社 New York Times と組んでソーシャルなニュース提供サービス News.Me を開発したりとメディアとの連携を武器にするベンチャー企業です。
では「別のこと」とはどんなことでしょう? 記事はこう述べます。

メディア企業が創っているものを「コンテンツ」と考えるのを止めてみること。代わりに、それを「情報」なのだと考えてみることだと(Borthwick 氏は)述べる。
コンテンツという語を使うことの問題は、そうすることによって、コンテンツを包む、あるいは流通させる“パッケージ”や“コンテナ”のほうを考えてしまいがちだということだ。
しかし、(いまやメディアビジネスにおいて)パッケージに関連する部分はほとんど破壊されつつあるのだ。

記事はまたこうも述べています。

メディア企業が創り出しているものを、パッケージされるための存在としてコンテンツと考えるのではなく、「情報」を創造しているのだと考えれば、ユーザーへ提供する情報価値に焦点を当てることができると、Borthwick 氏は言う。
パッケージや流通システムは、それが雑誌であろうと、新聞であろうと、そしてモバイルアプリであろうとも、二義的なものとなる。メディア企業は、ユーザーが何を、どう求めているかを理解することだけが重要なのだ。

不明を突かれた思いとはこの指摘に関わっています。
筆者(藤村)は従来から、単に“情報”の伝達にとどまるのではなく、いかに付加価値を与えるかを探求することによって、商業メディアは機械生成的なメディアやソーシャルメディアの多くに対し差別化できるという思いを軸に立論してきました。
デザインが付加価値となる、あるいは、多様なメディア形式(“パッケージ”と同義です)へとアウトプットすることなど、問題意識は“情報からコンテンツへ”でした。Borthwick 氏のオピニオンはそのような一方通行の思考であったことを見事に突いたのです。

たとえば、Bitly は、文字数制限があるツィートに長い URL を記述するために便利な短縮ツールとして広く受け入れられましたが、以後、どのような(Web 上の)情報がツィートされているか、それがどう拡散していくかなど分析するためのツールとしても成長していきました。コンテンツに対する情報としての意義の一端が、ここに見えてきます。

筆者を含めてメディアビジネスに携わる人間の多くのスタンスは、述べてきたように“いかに情報に付加価値を与えるか”であり、その現代的な解として多様なパッケージ形態をめざすという枠組みにとらわれています。しかし、Borthwick 氏のオピニオンをいれるなら、出口が広がる可能性があるのです。

では、どんな可能性が考えられるでしょうか?
デジタルメディアが追求可能なビジネスモデルを思いっきり拡張して見せたのは、『フリー〜<無料>からお金を生みだす新戦略』を2009年に世に問うたクリス・アンダーソン氏です。
同書に先駆けてメディアのビジネスモデルについての思考実験を公開したブログは、重要なヒントになります。氏のブログ The Long Tail の「What does the “Media Business Model” mean?」(メディアのビジネスモデルとは何か?)です。2008年に書かれたこのポストには考えるべきメディアのビジネスモデルが、更新を重ねながら25種(!)も掲げられています。

これら多くのメディアのビジネスモデルのなかで、“コンテンツから情報へ”の文脈と接点があるものとして、「コンテンツのライセンス(シンジケーション)」と「API 課金」があります。
前者は従来からニュースの配信事業者(通信社)のモデルとして存在しておりよく知られたものです。これにテクノロジーの要素を加えれば、ニュースを API 経由で自在に需用者が取り出す仕組みが考えられます。つまり、メディアにおける形式部分(パッケージ)は、コンテンツを創り出したメディア企業がではなく、それを API 経由で利用する個々の需用者が、自らの消費者に向けて創り出すことになります。
ここでは深入りしませんが、どの記事をどんな読者がアクセスしているのかといった、Bitly のようなメタコンテンツ情報を API により外部へと提供する事業も考えられそうです(API については「API をビジネス視点で考えてみる」が参考になります)。

CNET Japan 掲載「アイスタイル、『@cosme』内のデータを外部へ提供するAPI『apicos』公開」はその一例と言えます。
また、TechCrunch 掲載「Old Publishers Dive Into The New: Pearson Inks API Billing Deal With Zuora; Adds Food To The Mix」(老舗出版社 Pearson、API 課金システム開発の Zuora と提携を発表)も事例として参考になります。
いずれの例も、メディアのなかにあるコンテンツ群をデータベースとして見なし、それを外部事業者が呼び出しそれぞれの事業に組み込んで活用するという手法です。
コンテンツを、第三者である事業者がそれぞれの事業機会に即して柔軟に再利用できるようにするというのが、この“コンテンツの情報化”の意義と言えます。
従来の私たちであれば、自ら創り出したコンテンツの価値を重く見るがために、その収益化も自身が作り込むパッケージによって果たそうと考えがちでした。
むしろ、自らとはまったく異なる市場を持つ事業者が創造する事業機会へと委ねることで新たな収益化を模索する仕方が見えてきます。

また、直接の収益化を留保してでも、“コンテンツから情報へ”のアプローチを積極的に取り入れようとする試みもあります。ITmedia ニュースlivedoor ニュース、自社メディア記事をCCライセンスで公開 転載自由に」もその例です。
このケースでは、個々のニュース記事を第三者に“再利用可能”と宣言することで自社のサービス価値の周知拡散を図っていると理解します。あるいは付帯して営むブログサービスなどでの二次利用促進、記事の増産が進むなども意図しているのかもしれません。ともかく、この宣言によって多くの第三者が、再利用を意図してアクセスしてくることが見込めます。

このように、自らが創り出した宝物であるコンテンツを、あえて固定的なパッケージから分離して流動的に扱ってみること。そのことにより、情報の拡散が加速し、新たな収益機会を生み出すことにもなると仮定してみることは、重要なトレーニングとなるはずです。
テクノロジーがメディアに対して両義的な可能性を広げるとき、いかに肯定的なスタンスでそれに取り組めるか——。メディアがこれからも変化に満ちた長い道のりを歩むために重要な視点となるはずです。
(藤村)

劣化するWebメディアの“ユーザー体験” デジタルメディアは印刷メディアに学ぶべきなのか?

収集のつかないくらい取り散らかった Web  メディアのデザインは、
ユーザーの集中を阻み、“メディア体験”を蝕む
このままでは、
印刷メディアを克服したとする Web メディアも、
読者に“ノー”と言われる時がやってくるかもしれない

Web(メディアの)ページは、あまりに多くユーザーへの接触点を盛り込んで取り散らかってしまい、読者はコンテンツに集中することができない。

こう語るのは、米国でブログ、ビデオなど多くのソーシャル型コンテンツをネットワークするメディア企業 SAY Media の CEO、Matt Sachez 氏です。
Ad Age DIGITAL 掲載記事「Take a Lesson from Print Media: Clean Up Web Layouts」(印刷媒体から学べ:Webページのレイアウトを片付けろ)で、氏は昨今のデジタルメディアが生み出す“体験”が最悪のものに陥っていると警鐘を鳴らします。
メディアのデジタル化は避けて通れない道筋ですが、氏が指摘するのはそのデジタルメディアが突き当たっているシリアスな課題と響きます。本稿では、氏の指摘をポイントに沿って整理し直してみます。

あまりにたくさんのメディアサイトが同じような欲求に駆られている。
ごたごたしたタイトルやストーリー。
アイコンや広告が見苦しく積み上げられている。
メディア事業がデジタル時代を生き延びるために、私たちは Web を片付ける必要がある。
より速く、より多くのアクセス等々を追い求める結果、エディトリアルデザインの美やコンテンツに配慮した広告体験といったものに対する無関心が生じているのだ。

このように Sanchez 氏は Web メディアの現状を指摘します。
当ブログ「Web 系ニュースサイトの行き詰まりを検証する」で指摘したように、経済的背景もあって Web メディアのページデザインに占める広告面積の増殖が課題になっています。
しかし、Sanchez 氏の論は、記事面における広告表示面積の多寡を問題にしているのではありません。
Web のページレイアウト自体が読者の焦点を散乱させてしまっているという構造的な要因についてなのです。

「無関心」は、Web メディア読者に対してどのような結果をもらたしているでしょうか?

初期のWired 誌が懐かしく思い出される。美しくデザインされたページが流麗にストーリーを運び、読者の理解を助け重要ななにかを感じさせるようなものだった。
それに比べ、現在のデジタル(メディアの)体験は、恐ろしくつまらない。

Web は(メディア体験を)後退させていると、いくつもの理由から言える。
増加するソーシャルメディアの共有ボタンが、数多くの広告表示枠が、ますますコンテンツを追い詰めている。
構造的に見て、Web ページは複雑になりすぎているのだ。
読者に、コンテンツや広告その他重要なことに集中させる代わりに、たくさんの投稿や共有機能などが盛られさまざまなアクションを求めようになっている。

最新の Web メディアに求められる要素に、“会話性”が挙げられることが多いのですが、氏が指摘するのはそのようなインタラクション(双方向の会話)機能を数多く埋めこもうとすればするほど、ユーザーにとってコンテンツや広告の閲覧に集中できないというのです。
コンテンツと広告以外の要素があまりに増えてしまった Web メディアの現状が問題だというわけです。

ならばそんな劣化したユーザー体験を改善するにはどうしたら良いでしょうか?
氏はひとつの仮説を、印刷メディアでの知見を学び、それを Web メディアの特色とをうまく共存させるべきと述べます。

どうやってこれを修復するのか? どうやれば、コンテンツと広告をバランスさせ、読者、コンテンツ提供者、広告主らのエコシステム高めるような、高品質なデジタル体験を創造できるだろうか?
私たちは、かつての印刷メディア時代が持っていた美しいエディトリアルデザイン、レイアウト、見やすい広告の手法を学び、Web  が有するリッチでインタラクティブな力と組み合わせる必要がある。
HTML5 をはじめとする新技術に対応したブラウザなどによって、より効果的な(文字)組版や写真、レイアウトは可能となっている。

また、旧来の Web メディアのトレンドに対して、それを改善していこうという勢力も台頭していると紹介します。

Gawker(米国の著名なゴシップ系 Web メディア)のデザイン変更——その当初は激烈に批判された——は、そのブログメディアのルーツを払い落し、新たなメディアを体現しようとする試みだった。それは成功した。ユニークビジター数は記録を更新したのだ。

My Gawker Redesign « Joey Primiani の記事から。
左は 2011 年リニューアル後の Gawker。右がリニューアル前のデザイン via kwout

The Verge The Daily Beast も同様に力強いエディトリアルデザインを加速している。また、(ブログ由来の)垂直方向にコンテンツを積み上げていく方式に代わるレイアウトデザインを使い始めている。
老舗メディア、たとえば New York Times もデザイン重視を強めている。同紙もまた、取り散らかしたレイアウトを改め、また、時系列重視のデザインからオンラインエディトリアルデザインへ歩み始めている。

デザイン面でも新風を吹き込む新進気鋭のブログメディア The Verge via kwout

ここに筆者(藤村)の意見を差し挟んでみたいと思います。
Sanchez 氏が例に挙げるような、デザイン面でのサイト再設計を試みたメディアはまだまだ少数にとどまっているようです(だからこそ、読みやすい、ストレートでシンプルなレイアウトは Web サイト間の差別化要素にもなりそうですが……)。
まして国内では、商業サイト、人気ブログメディアでも、個人的な印象としては“見づらい”サイトが隆盛を誇っているのが実情です。

しかし、メディアが自らユーザー体験向上をめざすイノベーションをリードしなければ、「メディアのデジタル化が開く根本的な変化」で触れたように、サードパーティが提供する、例えば Web ブラウザ Safari の「リーダー」機能、そして Readability や Instapaper 等が提供する“テキストスクレーパー”系アプリやサービスを通じて、ユーザー自らが Web メディア体験の“改善”へと動いてしまうと予測します。既にモバイル機器からの Web サイトアクセスが急伸している動向の背景には、そのような兆候が見え隠れしています。
そうなってしまっては、各メディアが丹精込めて作り込んだオリジナルなコンテンツや、広告などによる収益機会が損なわれかねません。

さて、Sanchez 氏のオピニオンは、現在の Web メディアはかつて高品質を誇った印刷メディアでの経験や成果に学ぶべきだという教訓で、実は終わっていないのです。

デジタルメディアは、他方で巨大なトレンド変化であるマルチスクリーン化(モバイルなど多種多様なメディア機器類)への対応を迫られています。氏が最終的に主張するのは、このようなスクリーンやロケーションの多様化に対応しなければならないデジタルメディアにとり、本質的な問題解決は“メディアは API のような存在になるべき”との刺激的なものです。残念ながらこの点について論じるには機会を改めなければなりません。
(藤村)

デジタル“再出版”  見えてきた方程式

21世紀は既に始まって久しいのですが、いまも多く私たちが目にしているメディアは、前世紀からの歴史を背負った出版事業に範をとった“デジタル”メディアです。
過去の出版事業に引きずられず、21世紀起点の出版(メディア)ビジネスを考えたい——。
大ざっぱながら筆者の当面するテーマです。
Blog on Digital Media ではそんな視点からの投稿を続けています。

さて、デジタルメディアを考える際に重要なポイントは、コンテンツ(情報の実体)とメディア(コンテンツを容れる形式)の分離が進んでいることです。
形式としてのメディアから自由になる(形式が消滅するわけではないのですが……)ことでコンテンツは容器の制約を離れ、粒子のように高速に運動し、また多種多彩な“すき間”へと浸透します。人々はあたかも空気のようにそれに触れ、半ば無意識に摂取することになります。
従来のように、雑誌や書籍という形式への縛り(バンドル状態)が強すぎれば、コンテンツは引用や口コミといった人々の会話に乗りにくいままでしょう。また、コンテンツを新たな形式に包み直すことで得られるかもしれない二次的な利用法への可能性も狭いままのはずです。

先の「『未来の雑誌』 その実現シナリオを検討する」では、雑誌という形式にバンドルされた各々の記事を解き放ち、1本単位で消費したら……というビジネスモデルを紹介しました。
本稿では、その逆の方向性を例示します。すなわち、バラバラの記事をベストセレクトして、それらを魅力的にパッケージし直し従来では得られなかった価値を生むという方向性です。言い換えれば、パッケージ(形式)の側に価値を積極的に見ていこうという試みです。
紹介するのは、米大手デジタルメディア企業 AOL がリリースした iPad 向けアプリ Distro です。Poynter. に掲載された記事「AOL websites give best stories a second life in weekly iPad magazines(AOL は Web サイトの秀逸な記事に、週刊 iPad マガジンで第二の生を与える)」を通じてこの試みを紹介していきましょう。

著名なテック系ブログメディアに Engadget(日本版はEngadget Japanese)があります。
同メディアは「ブログメディア」と言いながら、毎日40本以上の記事が流れ落ちるようにポストされています。その多くは短信ニュース系記事ですが、日に数本、深めの分析やインタビューなど読み応えある“目玉系”の記事がポストされます。
これら深めの記事だけがピックアップされ、週刊で更新される Distro にて新たな生命を吹き込まれるのです。
記事では、同社モバイル担当幹部の David Temkin 氏が次のように語ります。

Distro 読者は、1回 Dsitro を起動すると平均約10分間を費やす。ところが、Web の Engadget サイトを訪れる読者では1回当たり1分に満たない。
Distro
は iTunes Store で極めて高いユーザー評価を得ている。
それは Wired のような、活発で人気のある雑誌と同じクラスの読者を引きつけている。

実際の数字を明らかにするわけにはいかないが、Distro の読者数を知れば、これがもしリアルな印刷雑誌だとしたら……と、驚くはずだ。

確かに1セッション単位の滞在時間が10分を超えるとなると、その読者の行動は Web メディア的ではありません。

Temkin 氏、そして AOL はこの注目すべき“再出版”モデルへの反応に意を強くして事業拡大に乗り出しています。
次なる題材は、これまた著名で同社傘下の Huffington Post で、アプリ名は Huffington. です。

われわれは、Engadget と同様の特性を持ったサイトを運用しており、たくさんの記事を利用して、リーンバックスタイルの読書や美しい紙面を生み出すことができるのだ。

ところで、もう少し具体的に Distro の特性を確認していきましょう。
ブログメディアへの投稿コンテンツの“再出版(republish)”という用語を Temkin 氏は用いていますが、大事な点は、記事(本文)以外の要素は Distro 専用のしつらえになっていることです。
アプリ用にオリジナルのインフォグラフィックや編集長コラムを追加していまる。記事レイアウトの自動化もほどこさず、デザインスタッフが関与していると言います。Web メディア版では SEO を意識したキーワードを用いていたりしているのも、洒落た軽妙な語句に置き換えたりしています。ほとんど作り替えです。
下図をご覧下さい。“紙面”のイメージやデザイン品質などが見てとれるでしょう。シンプルで、かつ、雑誌風のデザイン。時間をかけくつろいで読書すべきスタイルを目指していることが伝わります。

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Distro の画面
① ニューススタンド形式で提供される Distro
② 新たに書き起こされたインフォグラフィックのページ ③ Distro 用の編集長コラム
④ デザインされ直して、雑誌風になった記事ページ

Engadget 同様、活気溢れるブログメディアで有名な TechCrunch で以前責任あるポストにあったブロガー M.G. Siegler 氏は Web メディアについてこう語っています。

Web コンテンツの99%は○ソだ。写真も含めて素敵なコンテンツがそこにはある。だが、ほとんどが広告過多なひどいレイアウトに挟み込まれている。TechCrunch も同様だ。
最高のコンテンツをエレガントなパッケージに包んで読みたい。美しい雑誌のように。

記事は Siegler 氏のコメントが、Distro のコンセプトを言い当てているとします。

さて、大事なことは“これで儲かるのか?”です。あるいは、これを売るためにどうするか? という問いでもあるでしょう。
Temkin 氏にとってひとつの発見は、“これ(Distro)は、Web サイトというより印刷媒体だ”というものです。
AOL のビジネス文化は、従来からオンライン広告を売買する習性を持った人間たちによって形成されてきました。印刷物を売る文化とは異なるのです。

われわれにはやるべき宿題がある。良いことに、われわれは読者層を築いた。そして高品位なコンテンツを有している。得られた指標は立派だ。まずいことは、(この商品が)われわれがこれまで売ってきたものとはまったく似ていないことだ。
Distro、そして創刊される Huffington.も無料だ。
だが、読者はこの商品が本当に好きなので、それにカネを払ってもいいと感じていると、私は考えている。
これは有料の商品たり得るか? イエスだ。

AOL のような企業が、そして、DistroHuffington. が販売上の課題に突き当たっていることは想像がつきます。オンライン広告で勝負してきたビジネス文化が、急に雑誌を1冊1冊売るビジネスへと転換するにはさまざまな困難が待ち構えているはずなのです。
しかし、この直面する課題も含めて、コンテンツが形式の縛りから解き放たれた時代にコンテンツがどうすれば新たな活力を生みだすのか大きな可能性を見せてくれていると筆者(藤村)は受け止めます。

ところで、最後にビジネス文化ではなく編集文化上の転換にも言及しなければなりません。
鋭敏な読者の中には、どうして Engadget というネーミングを引き継がずに、わざわざ知られていない Distro という新ブランドを創造したのかいぶかしく思った方もいるはずです。
Huffington. はやや折衷的で Huffington Post ブランドを引き継ぎました。
この周辺には、いったんブランドという形式的な価値を生み出すと、そのブランド性をアンバンドル化しづらいという心理的な障壁が内在しているはずなのです。このようなギャップもまた、コンテンツ“再出版”という理路を歩む際の課題として克服しなければならないはずです。
(藤村)

コンテンツのたどる道のりを構想する

良きコンテンツとの出会いはどのようにして生み出されるのでしょうか?
また、コンテンツは読者との出会いを経てどのように歩んでいくのでしょうか?
本稿では、読者が情報(コンテンツ)とどう出会い、そして、それをどう活用していくのかを考えます。
情報(コンテンツ)を提供するメディアビジネスにとり、そのプロセス再定義すべき時期にさしかかっています。

本稿では、筆者(藤村)が日ごろ実践している、情報の収集 — 整理 — 発信 — 保管のプロセスを紹介し、そこにまつわる問題意識の提示を試みるものです。
これは本ブログで論じた「読書体験の拡張は可能か?——いくつかの電子書籍/雑誌論をめぐる断片」および「読書体験を拡張する——ごく私的な試論として」の続編に当たるものです。

さて、どうしてこのような情報の処理プロセスを論じる必要があるのでしょうか?
ひとつには、私たちが好むと好まざるとにかかわらず、日々接している情報(コンテンツ)はますます膨大になっています。それを受け止め(あるいは、フィルターして)処理する仕組みやスキルは、個人に委ねられており、なんらかの支援が必要になっています。ここにビジネス機会を感じ取るからです。

もう一つには、筆者らが携わるデジタルメディア事業をめぐっても、情報(コンテンツ)をどう供給するかまでの議論はあっても、それが読者にとってどのように処理されるべきなのかに踏み込んだ議論が見当たりません。
これもまた、ビジネス機会と思わずにはいられないからです。

ビジネス機会をいかに生かすかについて、後ほど触れることにします。

さて、筆者の場合、多くの情報(コンテンツ)への設定はもちろん、デジタルによる入力が中心です。書籍や雑誌、あるいは自分人のメモなど、アナログな入力も含まれます。
筆者にとってのデジタルを主とする入力源は、以下のとおりです。

  1. Web ブラウザ……もちろん Web ブラウザの役割は、随時検索をしたりとなくなりません。Web ブラウザは依然として重要な情報(コンテンツ)の入力源です。筆者は Chrome を多用します。
  2. RSS リーダー……多くのメディアなど有用な情報源をカテゴリー別のなどに整理登録しておき、その最新情報を総覧できるツール。これひとつで多くの商業メディアや無数のブログなどをいちいち Web ブラウザで見て歩く必要がなくなります。feedlyReeder などをお気に入りにしています。
  3. Twitter/Facebook……ソーシャルメディアは貴重な情報源です。信頼・尊敬する知人らがもたらすニュースや専門情報などには啓発されることが多く、適度な注意を払うようにしています。
  4. 書籍や雑誌、あるいは印刷配布物……説明の必要はないでしょう。個人的には書籍の読書がデジタルへと移行するにはまだまだ時間がかかるものと見ています。

上記に加えてメルマガなどを運んでくる電子メールも情報源と言えますが、ここでは省きます。

ところで、このように多くの入力源から得たひらめきや、知識、問題意識などをどう処理すべきでしょうか?
筆者のケースでは、ひらめきや自分の問題意識に刺さったものは、なるべくソーシャルメディア上の知人、同好の士へシェア(おすそ分け)するようにつとめています。
Twitter の「ツィート」、Facebook の「近況アップデート」などです。
このようなシェアは、情報の鮮度や品質(あやしげでないもの)を重視し出典やポイントになる箇所とともに伝達します。逆にあまり自分の意見などで料理しすぎないように意識しています。
もちろん、シェアで終わってしまうケースもありますが、実は問題意識に深く刺さったものはそれを整理保管し、そのいくつかは、ブログに仕立てたり企画書や提案書に生かすようにしているのです。
そうすると、情報(コンテンツ)処理のフローは、多種の入力源から始まり、一部はいくつかのソーシャルメディアへの出力へと向かい、さらには以後の活用を意識した保管庫(への出力)へと向かっていくこととなります。
これまでは、長く、このような入力 — 各種出力 — 整理保管に相当するプロセスを、個々に“便利”なソフトウェアや Web サービスを利用していたのですが、目にする情報量が増え続け、かつ、出力先が増えたりと、効率化抜きではやりきれなくなってきました。

情報(コンテンツ)処理をフロー化する

そこで、ここ1年は以下に説明するような“体系”に即して、情報(コンテンツ)処理を励行するようになりました。下図をご覧ください。
各種の入力源を通して“気になる情報”“これは使いたい資料”“知人らが喜びそうな耳より情報”などが飛び込んできます。
それをその場で熟読し、ソーシャルメディアへシェア、さらにはブログも書き始める……というのは現実的ではありません。
ニュースなど情報に接している時間=情報発信(表現活動)の時間とは言えないからです。

Info_Fllow

価値ある情報との出会いは、まず“後で読む”でクリップ

そこで、活用しているのが、“後で読む”系サービスの Instapaper です。同種のサービスやソフトは多種ありますが、筆者は Instapaper を気に入っています。
先ほど述べたような“これは!”という情報を、RSSリーダー、Webブラウザ、ソーシャルメディア上で見つけた場合、それを Instapaper へとクリッピング(簡略に記録しておく)します。多くのツール類が Instapaper へのクリッピング用ボタンを備えており、操作は1アクションですみます。
このように、入力から出力、保管へと進むプロセスの間に、“後で読む”系の層(レイヤー)を挟むようにしているのです。

※ 残念ながら、書物等にはこの便利な操作が適用できませんから、筆者の場合は遠慮なく印刷物に書き込みやマークなどを付します。そしてそれがまとまったところで、書籍や雑誌の記事内容を短く引用してソーシャルメディアに出力してくれるサービス Inbook.jp に投稿しています。これでソーシャルメディアへの出力と自分のための整理保管の両方の目的を果たします。

クリップした情報(コンテンツ)から“シェア”

Instapaper は後で丁寧に読み返したいというニーズに対応した記録用ツールですが、加えて重要な二つの機能を備えています。
ひとつは、リーダー(閲覧)機能。Web ブラウザと異なり、読者がニュースなどのコンテンツを読む際に不要な要素を取り払い記事を非常に読みやすいように整形表示してくれます。

もうひとつは、多様なシェア機能です。Facebook や Twitter、そして後で触れる Evernote など多種多様なクラウド系サービスと連携してくれます。
そこで、いったん溜め込んだ(クリップした)情報(コンテンツ)を、リーダー機能を使って読み返し、その中から重要と見定めた情報を選択し、今度は Instapaper のシェア機能からソーシャルメディアに向けて出力します。
このような機能を、Instapaper はデスクトップPCでも、スマートフォンでも、そしてタブレット、Amazon Kindle など多様な機器上で実現してくれることも重要なポイントなのです。

再利用に向け、整理保管へ

ソーシャルメディアへシェアして、フローを終了させてしまっては自分の中に残る問題意識は希薄なままです。
そこで、筆者の場合はさらにシェアした情報(コンテンツ)などを整理分類などして保管し、多少の熟成期間を経てブログへと再利用するようにしています。
ソーシャルメディアに向けて出力する情報は、15〜20本/日程度。一方、ブログは2本/週に過ぎません。
結果としては、多くの情報を再利用しないままとなってしまいます。

入力源の多くの情報(コンテンツ)> ソーシャルメディアへ出力する情報群 > 問題意識を論じたブログ

という数量的な不等号関係は避けられません。利用/非利用も含めて、情報の最後の整理保管庫に Evernote を活用しています。

Instapaper は比較的気軽なクリッピング手法で、基本はリンクを保管するものです。そこで、ソーシャルメディアへの出力後は、重要なものは Evernote へ整理保管しその他は Instapaper 上から削除してしまいます。言わば、仮保管庫で鮮度が高い間の処理にその利用用途を限定します。
Evernote はリンクではなくコンテンツ本体を複製保管するため、永続的な保管用途に耐えます。ノートの分類やタグづけなどを施し無制限に保存しておく使い方が適していると見ます。
ただし、人によっては Instapaper 層をすべて Evernote で置き換える利用方法も可能でしょう。Evernote には“後で読む”的機能はもちろん、Facebook と Twitter へとシェアする機能も備わっているからです。

さて、筆者の情報(コンテンツ)の処理プロセスをフロー化する手法を説明してきました。
こう整理してみて改めて課題と考えるのは、情報(コンテンツ)との出会いをかなり広めにとるのを余儀なくされていることです。
メディアの『パーソナライズ』を改めて考える」で述べたように、情報(コンテンツ)との出会いを広げるだけではなく絞る手法もなければ、上述してきたフローは早晩行き詰まってしまうことでしょう。

ところで、このような多少凝ったフロー化を組み立てるようなアプローチが、これ以上多くの人に習慣化されるとは、実は筆者自身も考えていません。
最近、読んだ奥村倫弘著『ヤフー・トピックスの作り方』では、非常に多くの読者は私が上述したようなツールやサービスを自ら駆使してニュースと接触するような行動は好まないことを示しています。

奥村倫弘著『ヤフー・トピックスの作り方』光文社サイトより)

ヤフー・ニュースの記事検索サービスは、自分が気になるキーワードを登録して、いつでも検索結果を見られるようにしておくことができました。この仕組みは、かれこれ10年間くらい続いたのですが、利用者がほとんどいないために機能提供を終了しました。

RSS リーダーの機能をヤフー・ニュースのトップページに設置したこともあります。……設定さえしてしまえば、ヤフー・ニュースが記事配信を受けていない朝日新聞や日本経済新聞の記事まで読めてしまうという、ちょっと画期的な仕組みだったのですが、こちらもまったく利用者が増加する見込みが立たずにサービスを終了しました。

どういうわけかヤフー・ニュースでは、読者自身がテーマを設定して自分の興味あるニュースを引き出すというセルフサービスは、うまく機能してこなかったのでした。

「ヤフー・ニュース」の経験で理解できることは、多くの読者はいくつものツールやサービスを自覚的に探求してまで、情報(コンテンツ)への接点を整備しようとは思わないということです。
言い換えれば、自覚的な手間を積み重ねることはおっくうでも、このようなフローが無意識に、自然に実現できることには需要があるとも思えます。
自らの情報(コンテンツ)接点は必ず記録(ログ)化されていて、思い出したときにそれをすぐさま取り出した上で活用できる——という仕掛けには隠された鉱脈があるとの仮説を持ちます。

従来、メディアビジネス(たとえば、出版社ら)は、このような情報処理プロセス全体にわたるような提案を読者に向けて行うことはありませんでした。
そこで、読者らは出版社からではなく、別のサービス提供者からこのような処理プロセスをフロー化していくソリューションを受け取ることになっているのではないか。
生み出された情報(コンテンツ)が生み出され、読者へと渡り、そしてそれがどのように消費、再利用されていくのか、コンテンツがたどる旅路の全体像を見通す構想が求められているのです。
(藤村)