読書体験の拡張は可能か?——いくつかの電子書籍/雑誌論をめぐる断片

ごく直近の1週間ほどのあいだに、次々と刺激的で啓発される“電子書籍・電子雑誌”論に触れることができました。
これは偶然でしょうか? むろん、筆者(藤村)がそのような分野に注意を払っているという個人的なバイアスが作用しているのかもしれません。
ともあれ、同時多発的にこの分野で“何か”が起きている証ではあるでしょう。

本稿は、 同時に立ち上がっているこれら“何か”について、まずは大急ぎで書きとめようとするものです。
できれば整理された結論を期待せずにお付き合いいただければと思います。

順不同で、思いつくものから紹介していきましょう。

まず最初は WIRED.jp 掲載の「『本』は物体のことではない。それは持続して展開される論点やナラティヴだ – 読むが変わる from 『WIRED』VOL.2」です。

ぼくはご覧のとおり、本に囲まれて暮らしている。ただ読者としての購買傾向は変わってきた。アート本や写真集はいまもフィジカルで買い続けているけれど、テキストベースの本はKindleで読むことが多くなった。読書のし方も変わった。ぼくは読み物とインタラクトしたい動的なタイプの読者なんだ。書き込みをしたいし、カット&ペーストしたいし、読んだものを「シェア」したい。タブレットの登場によって、こうしたことがより簡単になった。つまり読書は「ソーシャルな行為」になったと言える。

個人的な注釈を加えるなら、述べられている「読書のし方」は決して“変わった”ものではありません。これは私自身のことか? と思うほど共通しているのです。
従来と異なる唯一の体験上の差異は、読んだもの・感じたことを「シェア」するという行為に関わっています。
読んで感じたことを書籍の印刷面に書き込んだり、マーカー等(私自身は鉛筆やボールペンなどですが)でハイライトする行為はごく自然なものです。後日、読み返したりする際にそれは威力を発揮するのです。
現代では、それを自分自身用に効率的に記録したり、ネットの向こうにいる人々と分け合うことで、その威力の強度を高める手法が誕生しようとしているのです(Web、そしてTwitterやFacebookなどで当然のように行われています)。

次も WIRES.jp から。小林弘氏へのインタビュー「そして雑誌はやがてアンバンドル化する – 読むが変わる from 『WIRED』VOL.2」

昔は情報を届けることがゴールでしたけれども、いま、そのゴールはその先に延びてしまったのです。読者の欲望は、もはや情報を得るところにではなく、情報を受け取った次のステップにあるんです。でも多くの出版社は、そこは自分たちが扱う領域じゃないって決めてしまってるんですよね。

読書の体験は、目を凝らして活字を追う(あるいはビジュアルを眺める)瞬間に止まらないことは、言うまでもありません。
そこで配慮のある書肆は、購入を誘ったり蔵書する快楽を喚起するためにも装丁などに創意を凝らすわけですが、残念なことにそれ以上への拡張的な試みに欠けているのが多くのケースでしょう。
しかし、既に述べたように“インタラクティブ”を求める読者は日々増えています。Web上でアクティブに活動する人々に向けて、そこにはコンテンツと人間をインターアクトさせる仕掛けが次々に登場しているという背景もあります。
書物をめぐって読者の欲求と行動は、読書体験を核にその前後へと長く伸びようとしている時代です。
現代では、たとえば家電機器を購入する際にも、商品の認知や口コミでの評判、そして購入後の情報共有……へと、消費と利用の体験が 長く伸びてきているのと同様です。「そこは自分たちが扱う領域じゃない」と決めてしまった部分は、いずれ他者がそれを満たすに違いありません。

余談ですが、私はこの2年ほど蔵書管理サービスの「MediaMarker.net」を利用しています。購入した書籍や音楽CDなどをAmazonデータベースやJANコードなど使ってオンラインで記録整理するという単純なものですが、例えば20年以上前に購入してあった、いまや“稀覯本”と言えそうな『昔話の形態学』を(自炊した上で)登録してみたところ、他に26名もの同書購入者が可視化され驚かされたところです(下図参照)。
このような希少な学術書の所有者が可視化された先に、ソーシャルな読書や研究のありようが浮上してくるのは言うまでもありません。
ところが、このようなソーシャルな基盤生成に熱心なのは書肆、出版社でないこともまた事実なのです。

ITの領域で“CRM(カスタマリレーションシップマネジメント)”が語られる際にごく当たり前のように含意される、消費(購買)のタイミングの前後のフェーズに着目して“顧客”との関係を築くのでなければ、書籍1冊といえども、容易に買ってはもらえない時代。
そのような時代に、筆者は、そして書肆はどのように読者(購読者と必ずしもイコールではない存在)へとアプローチすべきでしょうか。
書籍(あるいは雑誌)の購買以前のフェーズについて刺激的に論及するのが、内田 樹氏『街場のメディア論』です。

街場のメディア論

内田 樹著『街場のメディア論』光文社サイトより

内田氏はこう述べます。

図書館に新刊を入れることに反対する人は、たぶん「自分の本を読む人」よりも「自分の本を買う人」のほうに興味があるのだと思います。だから、「無料で自分の本を読む人間」は自分の固有の財物を「盗んでいる」ように見える。でもそれはかなり倒錯的な考え方のように僕には思えます。

話は単純なのです。僕たちがなによりも優先的に配慮すべきは、読者を創り出すこと、書き手から読み手に向けて、すみやかに本を送り届けるシステムを整備することです。それに尽きる。

「本を自分で買って読む人」はその長い読書キャリアを必ずや「本を購入しない読者」として開始したはずだからです。すべての読書人は無償のテクストを読むことから始めて、やがて有償のテクストを読む読者に育ってゆきます。

生まれてはじめて読んだ本が「自分でお金を出して買った本だ」という人は存在しません。僕たちは全員が、まず書棚にある本、図書館にある本、友だちに借りた本、歯医者の待合室にある本などをぱらぱらめくるところから自分の読書遍歴を開始します。そして長い「無償の読書経験」の果てに、ついに自分のお金を出して本を買うという心ときめく瞬間に出会います。

“反・出版ビジネス論”であるかのような過激な記述も飛び出す論ですが、“無償の読者”から“有償の読者”へと遷移する(コンバージョンする)長い動線づくりが肝要という主張には、私自身の読書体験からしても強く共鳴できる要素があります。
ここからは、読者による読書体験の強度を拡張するためのさまざまな仮説が見えてきますが、それは稿を改めて引き続き述べてみたいと思います。
(藤村)

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