新たなジャーナリストとして、そして、新興メディア陣営の旗手として、
自らユニークなメディアである Vox.com を率いるEzra Klein 氏が、
プラットフォームとの共存の可能性とその是非を述べる。
すべてのメディアは、分散型メディアとなることなのかを検討しよう。
筆者が、BuzzFeed がプラットフォーム、特に Facebook を狙って積極的なコンテンツ拡散戦略を練っているのを指して、「分散型メディア」と紹介したのは、1年前のことでした(「“バイラル”の次にくるもの/『分散型 BuzzFeed』構想の衝撃」)。
“分散型メディア”とは、当時参照した記事「The Next Big Media Company Might Have No Website Or App At All(きたるべきビッグなメディアは、Web サイトもアプリも、何も持たないかもしれない)」中にあった”BuzzFeed Distributed”というプロジェクト仮称に訳を与えたものでした。自社のメディアサイトを営々と発展させるより、膨大なユーザーを抱えるソーシャルメディアなどのプラットフォームへとコンテンツを“配信”するほうが、メディア事業の発展という点では近道だとするアプローチです。この割り切った方法論は、筆者には新鮮かつ衝撃的に映りました。
その後、BuzzFeed 的な方法論を採用した新興メディアがいくつも誕生し、あたかもそれに呼応するかの如く Facebook や Apple 自体が、自らコンテンツの直接的な配信をメディア各社に求めるアプローチに着手したことで、この分散型メディアという仮説が、一気に現実のものへと動き始めたのでした。
さて、米国の新鋭ジャーナリズム、メディアである Vox.com を率いる Ezra Klein 氏が、この分散型メディア(配信メディア)の将来について、その是非を論説しています。「Is the media becoming a wire service?(メディアはニュース配信業者になるのか?)」がそれです。
同氏のバックグラウンドは、「テクノロジーがメディアを変える/“台風の目”となるか? 新たな出版システム」で論じています。参照して下さい。
では、Klein 氏の主張をかいつまんで紹介していきましょう。
私の想像はこうだ。3年以内に、一般的な規模のニュースメディア事業者は、記事を、次の数々のプラットフォーム向けにミックスして発信していることだろう。自らの Web サイト、それと分離したモバイルアプリ、Facebook Instant Articles、Apple News、Snapchat、RSS、Facebook Video、Twitter Video、YouTube、Flipboard、さらにあと1つないし2つの、現在はまだ名前もないようなメジャープラットフォームに向けてだ。
最大級のメディア事業者は、これらすべてに同時に発信することだろう。明日のメディア事業者は、今日存在するニュース配信事業(ワイヤーサービス)のようになる。コンテンツを、自らコントロールするわけでも、設計したものでもない、複数の大規模なプラットフォームに向けて配信するのだ。
このように Klein 氏は、メディアの近未来が、総じていくつものプラットフォームへとコンテンツを配信する“分散型メディア”となるものと予測します。
そして、それは現在も存在する事業形態、すなわち、AP 通信社やロイター通信のような、ネットワークされた記者がストレートニュースを中心として取材、執筆し、それを顧客であるメディア企業へと配信する事業に近づくというのです。
ニュース配信事業者になっていくことのメリットとはなんでしょうか。同氏は以下のように述べます。
巨大なメリットがここにはある。顕著なものとして、読者だ。各メディアに偏在している以前からの読者ではない。これらのプラットフォームは、新たな読者を提供するのである。それはかつて Vox.com が誘導できていなかった存在であり、それはソーシャルメディアや、読者の興味、関心に向けてプラットフォームによってキュレーションされた結果、Vox の記事を見ることになりえる存在だ。
ひとつ例がある。Vox が発信した、ギリシャ危機に際して欧州共同体が果たした役割についての動画がある。これは決して Vox が発信したギリシャ関連の中でも最も人気のコンテンツというわけではない。Vox では、長めで、文字主体の解説や分析が好まれる。だが、この動画は400万回も Facebook では再生された。想像するに、そこには数百万人の、Vox を見たり、また、欧州共同体の通貨体制などの解説に興味を持ったりしない人々が含まれている。かれらはある日のちょっとしたきっかけで突然、私たちの読者になったのだ。
ところで、Ezra Klein 氏自身がオールドメディアの体質を引き継いでいた Washington Post を飛び出し自らのメディアを新たに興しました。ここにどのような意義を感じてるのでしょうか? テクノロジーを味方にする新しいメディアは数々の利点を、もたらすと述べています。
(新たなメディアの世界では)もはや記事の長さは問題ではない。長文の記事の発信にかかるコストは短文のそれと変わらない。デジタル版の記事は継続的にアップデートができる。事態に少しの進展があっても、記事を新たに書き起こす必要はないのだ。
電子版の記事はインタラクティブであり得る。読者は自らの情報を付け加えることができる。このような(読者参加による)進展を記事は反映することができる。これはエキサイティングな事態だ。そして、私たちはこれがどれほどの進歩なのかをまだ理解し始めたばかりだ。
つまり、Klein 氏は新たなメディア世界ではおどろくほどの進展、すなわちイノベーションがもたらされることを述べているのです。
氏が挙げるものとして、自らの Vox.com が生み出した“カードとその束”というフォーマットがあります。これは、時事解説型の記事の基本要素をカード状に分解し、それぞれをアップデートしていくものです。つまり、ギリシア危機が生じた場合、同国の歴史、政治や政党の状況、経済問題などに分解して報じていくというものです。事態に進展があっても、個々のカードに加筆(アップデート)することで、報道全体は、揮発性でないコンテンツとして維持され、個々のカードは他の解説記事から連携することもできるというものです。
それ以外にも、氏は最近の新たなメディアの動きとして News York Times のデータジャーナリズムブランドである「Upshot」が開発した「ソーシャルモビリティフィーチャー」や、Washington Post の「The N-Word」、BusinessWeek の「What Is Code?」などを挙げています。
つまり、旧来メディアがイノベーションの波に洗われる時代ではありますが、同時に、新たなメディア勢力が、次々とイノベーションを引き出している時代だとも言えるのです。
さて、Klein 氏の主張はここからが重要です。
氏は、イノベーションに意欲的な各メディアが、自社サイトでの実験的な取り組みを行うのに対し、ニュース配信事業者となってはそのようなイノベーションが困難であるとします。
たとえば、Vox.com の“カードとその束”的アプローチによって、あるコンテンツを継続的にアップデートしていくことは、Facebook では許されません。
一方、過去の記事をアップデートするのは、読者にサービスを提供すること、および、自らのリソースを節約するという点で、最も効果的な方法だ。
他方、Facebook は数日以内に一つの記事を書き直してポストすることを禁じる。というわけで解説記事をアップデートする手法は、Facebook では役立たない。小さな進展があった場合、われわれにできることは、まったく新たな記事を書き起こす(URL でさえも新たに!)ことしかない。これは Google 検索エンジンを混乱させるタネでもある。というわけで、今後3年間が、単なる“配信サービス”の時代だとは予測しない。
(各配信サービス事業者にとっては)すべての記事は、数多くのプラットフォームサービスごとに創り上げられた配信システムで機能しなければならない。それら各サービスは良くできたものであっても、同じものではない。最小公倍数的共通の仕組みを急いで用意しなければならない。
可能性として最も数多くの読者を獲得しそうな記事を、ほとんどのプラットフォームで稼働させる必要があるのだ。
各メディアが、イノベーションと特別な記事を書き起こすことにエネルギーを精力的に傾注できない理由がここにある。断片化された読者にだけ適合する記事やフォーマットに十分な時間を注げるだろうか?
同じことがサイトづくりにも言える。新たな注釈システムを自らのサイトで稼働させたとして、他のプラットフォームでそれは機能するだろうか?
YouTube や Facebook にアップロードできないとすれば、自社サイト専用に動画をつくるだろうか?
このような視点に基づき、Klein 氏が引き出す結論は、規模化を追い求める大手メディアと、そうではない先鋭的な新興メディアが描く未来の違いです。
(大手メディアにとり)イノベーションはなかなか進まない。編集に多くの投資をしても、(配信が主では)自社サイト上の読者層を弱める効果しかない。熱心な読者に購読制を敷くような(先鋭的な)メディアに対し、規模化して広告収入を得ようとする巨大なメディアは、数々のプラットフォームで機能し得るように、ニュース配信事業者になっていくことだろう。
それは、現在の配信事業者がそうであるように、彼らは確かに必須の存在になってはいくだろう。だが、それは、自らコントロールできたプラットフォーム上では可能であった革新的で実験的な取り組みから遠ざけることになる。
Ezra Klein 氏が述べていることは明瞭でしょう。
コンテンツづくりやサイトづくりにイノベーションを求める必要がなければ、メディアはニュース配信事業者であることにはリアリティがあるということです。一方、メディアのコンテンツづくり、その表現形式、サイト自体のデザインにまで尖ったイノベーションを持ち込もうとするなら、違った結論があり得るのです。
大手プラットフォームへコンテンツを配信するという選択は、メディアづくりの独自性やオリジナリティを脱色していくことへと帰結します。
むろん、氏が率いる Vox.com が、そして Vox Media グループが擁するそれぞれユニークなメディア群は、そのような選択を迫られる場面に直面しているというわけなのです。
ピンバック: ●探索と検索、さらに「発展的検索(evolving search)」